05:試練と、人の姿をけがすもの
【人の姿をけがすもの】の咆哮と同時に、もう一つ、システム音声が通知を響かせた。
【追加試練:移動系スキルの使用を制限します】
「スキルの、制限!?」
思わず、声が裏返る。
こんな通知は初めてだ。システムさんは、これまでずっと、便利だけど無口な案内係だった。それが今、明確にこちらへ枷を嵌めてきた。
「敵対的なメッセージは初めて、ってことか」
私の顔色から察したのだろう。暁灯くんが短く確認する。
頷く暇は、なかった。
【人の姿をけがすもの】が、四足で駆けた。
四肢が出鱈目に動く、人どころか、獣からすら逸脱した襲歩。
しかし、それが速い。
標的は暁灯くんだ。
対峙する暁灯くんは、札を片手に構えたまま、特徴的なステップを踏む。
それを見るのは、本日六度目だった。門外漢の私でも、流石に見分けがつく。
つまりは、禹歩。
「暁灯くん!?」
その足運びが、途中で、止まった。
四歩目を踏み出そうとした暁灯くんの身体が、一瞬だけぐらついた。
まるで、踏むべき階段がなかったかのように彼の足が虚空を踏み抜き、体勢を崩す。
その隙を逃す敵ではなかった。
【人の姿をけがすもの】が後ろ足で強く地面を蹴った。大きく起き上がり、背に生えた大顎が暁灯くんを飲み込もうと倒れ込む。
「——っ!」
間に合わない。盾を出す暇がない。
声にならない悲鳴が喉に引っかかった、その刹那。
暁灯くんが、地面に手をついた。
崩れた体勢のまま、腕一本で身体を横に跳ね上げる。【人の姿をけがすもの】が地面を噛む音が響く。
暁灯くんの制服の裾が、牙に掠めて裂ける。
だが、それだけだ。
地面に着地した暁灯くんは、何事もなかったかのように短剣を構え直した。
「……本当に封じられてるな。禹歩が発動しなくなっている」
「移動系スキルを制限するって言われてたよね!? なんで試したの!?」
「敵か味方かも分からない言葉で行動を制限するのは、悪手だろう」
私の声に、暁灯くんがこともなげに言う。
いやまあ、言われてみると確かにそうだけど!
突進を避けられた【人の姿をけがすもの】が、向きを変えないまま再度攻撃を仕掛ける。
前足となった両肩の間に頭をぶら下げながらの、正気を疑うような突進。
それを器用に避けながら、暁灯くんが再び、あの特徴的な足運びを試みる。
——三歩目で、また彼の爪先が虚空を掻いた。
「……やはり禹歩は駄目か」
「えぇ…… さっき確認したんじゃ……」
「再現性の確認は必須だ。それに、俺の身体か、場か、それとも他の何かに問題があるのかも調べておく必要がある」
「た、確かにそうかも知れないけど……」
暁灯くんが、数枚の札を放ちつつ、片手で印を結ぶ。
札に繋がれた蒼い糸が飛ぶ。——が、【人の姿をけがすもの】は四足で地面を蹴り、糸を飛び越えた。
さっきまでのゴブリン・ウォーチーフとは比較にならない反応速度だ。
その跳躍のままに、大口が暁灯くんを襲う。
「縛ッ!」
しかし、それも読んでいたのか、着地した【人の姿をけがすもの】が地面に置かれていた札を踏み抜く。
パン、という軽い破裂音と共に【人の姿をけがすもの】の全身が硬直した。
「術自体は通る。なら、こっちはどうだ?」
暁灯くんが印を結び変え、短く唱える。
「——方違え」
彼の足元で蒼い光が一瞬だけ瞬き——そのまま、霧散した。
暁灯くんの身体は、一歩も動いていない。
「ダンジョン内で使ったことのない術も駄目か……」
「ああもうっ! 《聖体剛化》ッ!」
呑気に考察していた暁灯くんに、拘束が解けた【人の姿をけがすもの】の牙が迫る。
私は、聖騎士の自己強化スキルを発動しながら、身体ごと大盾を滑り込ませた。
乾いた音が響き、突進が止まる。【人の姿をけがすもの】は四肢を突っ張り、どうにか押し倒そうとしてくる。が、大盾の根元を地面に突き立て、全力で支えることで、どうにか膠着状態に持ち込むことができた。
「た、試すにしても、時と場合があるでしょ!?」
【人の姿をけがすもの】の吐息を頭上に聞きながら、声を張り上げる。
「ああ、あるさ」
暁灯くんは、牙を剥いて迫る【人の姿をけがすもの】から目を離さないまま、淡々と答えた。
「だから今、検証すべきなんだ」
「今……」
「問題は、あの声だ」
暁灯くんが、視線を外さずに言う。
だけど、それが何を指すのかは、流石に理解できた。
「ダンジョンが、こっちを見て条件を変えてきたんだ。だから、どの術がどう奪われて、何なら通じるのか、確認しておく必要がある」
「システムさん……!」
「移動スキルの制限だが、範囲はかなり広いようだ。禹歩はもちろん、ダンジョンでは使ったことのない術法や、積極的な移動を伴う体術の型まで制限されている」
「えっと…… それは、かなりマズいのでは?」
未知の術や身体の動きまで制限する試練。その恐ろしさに、背筋が凍る。
もし私が「防御」を制限されたら、ろくに動けず、数秒でミンチになってしまうだろう。
だが、暁灯くんはこともなげに言った。
「逆だな」
「逆?」
「尋常じゃない干渉力のわりに、実態としては移動を制限する程度で留まってる。もっと致命的な縛りはいくらでもあったはずなのに、だ。それに、挑発しても、特に反応がない」
「挑発してたの!?」
「敵の目前でわざわざ検証を始めたんだぞ? 挑発以外の何ものでもないだろう」
流石にその場で検証始めるのが変な行いだとは理解していたみたいだ。
よかった。……よかったのか?
いや、よくないよなあ。致命的な縛りを追加してきたらどうするつもりだよ。
「それに、システムは『スキル』の制限と言ったが、実際には術も体術も区別なく縛っている。あちらの定義は、こちらの分類とは別物らしい」
「追加の制限を重ねられないのか、移動だけに特化した能力なのか—— あるいは、害意そのものが薄いのか」
「……今から追加の制限を増やしてきたりは、しないの?」
「その可能性はある」
暁灯くんはあっさりと頷いた。
「だが、『呼吸』や『心臓の鼓動』あたりを制限されたら、その時点で負けだろう。結論は変わらない」
「というと?」
「考えても仕方のないことは考えず、相手の『試練』に則ってぶっ倒すってことだ!」
「力技過ぎない!?」
暁灯くんが懐に両手を突っ込み、一瞬後に抜き放つ。
その指の間には、まるで手品のように八本のクナイが挟まれていた。柄に結ばれた鎖の先で、八枚の札が揺れ、鈍い金属音をたてる。
明確に攻撃的な行動をとったからだろうか、私の盾に齧り付いていた【人の姿をけがすもの】が、存在しない顔をあげて暁灯くんの方を向く。
「押さえ込まれているのに他所に意識を向けちゃうのは、流石に私を舐めすぎでしょっ!」
もちろん、そんな隙を逃す聖騎士ではない。地面に突き立てていた大盾を引き抜き、間髪入れず、その下端を力強く蹴り上げる。
押さえ込んでいた大盾が突然消え、さらに下からかち上げられたのだ。
【人の姿をけがすもの】が、突進のベクトルを上方向に捻じ曲げられ、宙を舞った。
「咲希さん、助かる!」
地面に打ち付けられた【人の姿をけがすもの】が、まるで熱湯をかけられた百足のように、のたうち回る。
そこに、暁灯くんの投擲した八本のクナイが突き刺さった。
頭部に一本。四肢の付け根に四本。背中の大顎へ二本。そして、心臓のあたりに一本。
でたらめに暴れる巨体相手に、過たず急所だけを射抜く投擲だった。
クナイに繋がれた八枚の札が、一斉に蒼く明滅する。
「急急如律令——疾く爆ぜよ」
八つの蒼が、同時に膨れた。
爆音は、一つにしか聞こえなかった。
絡み合う蒼い火柱が、異形の巨体を内側から持ち上げ——【人の姿をけがすもの】の輪郭が、光の中へ呑まれて消える。
悲鳴は、なかった。
火が引いた後の石床には、人型を捨てた怪物の欠片すら残っていない。
ただ、焦げ跡の中心に。
親指ほどの大きさの魔石が、ころりと一つ、転がっていた。
——————
【追加試練の達成を確認しました】
勝利を裏付けるように、無機質な女の声が頭に響く。
そして、続けて。
【試練中に保留していた成長処理を解禁します】
【レベルアップ】
【レベルアップ】
「ふわっ……!?」
言い終わるより早く、身体の芯を熱が走った。
お風呂上がりに炭酸を一気飲みしたような、内側から押し広げられる感覚。膝が笑い、私は大盾に寄りかかってどうにか堪える。
「どうした!?」
「レ、レベルアップ…… 二つも、いっぺんに来た……」
視界の端にステータスを呼び出す。
【姫岸 咲希/クラス:聖騎士/Lv31】
「……そっか。道中、一度も上がらなかったの、おかしいと思ったんだ」
ゴブリンの群れに、階層主まで倒したのだ。普段なら、とっくに一つは上がっている戦果だった。
「報酬を、最後まで預けられていたわけか。……『試練』に合格するまでは、な」
暁灯くんが、思案げに顎へ手を当てる。
「ねえ、暁灯くんの方は? 何か、変わった?」
「…………」
彼の視線が、ほんの一瞬だけ、宙を泳いだ。
「……いや。俺は、Lv1のままだ」
「あれだけ暴れてLv1のままって、システムさんは何を考えてるんだか」
嘘を言っている声ではなかった。
まあ、クラスなしのLv1がこれだけ規格外なのだ。今更、システムさんの採点基準に文句を言っても仕方がない。
「それと、はい、これ。ボス産の魔石。いつものよりだいぶ大きいよ」
「……これは、例の取り決めの数に入れていいのか?」
「特別ボーナスってことで。階層主を罠に嵌めた功労者は暁灯くんだしね」
「恩に着る」
暁灯くんは魔石を受け取ると、懐の奥から布を取り出し、丁寧に包んで仕舞い込んだ。
まるで、薬包か何かを扱うような手つきだった。
——————
最後に残ったのは、広間の中央で脈動を続ける赤黒い球体——ダンジョンコアだ。
「探索者の流儀ではね、コアの破壊は一番頑張った人の役目って決まってるの」
「初耳だが、本当か?」
「今決めた」
だから、私は半身引いて、ダンジョンコアを暁灯くんに指し示す。
彼は苦笑いをしながら、クナイを投擲する。それは過たず、ダンジョンコアのどまんなかに突き刺さった。
ガラスの割れるような甲高い音と共に、コアに罅が走り——一拍置いて、砕け散った。
脈動が、止まる。
同時に、世界そのものが軋み始めた。壁が、天井が、輪郭を失って光の粒子に解けていく。
「ダンジョンが消える。咲希さん、掴まって。……禹歩は、もう使えるみたいだ」
「いつの間に試したの!?」
差し出された手を、文句を言いながらも握る。
一歩、二歩、三歩——四歩目で、頬に夕方の冷たい風が触れた。
裏庭だ。
振り返れば、アスファルトの裂け目が、まるで傷が癒えるように閉じていく。後には、亀裂一つ残らなかった。
暁灯くんが印を結ぶと、裏庭を覆っていた結界も、音もなく解けた。
校舎の方から、部活の掛け声が聞こえてくる。
あまりにも、いつも通りの放課後だった。
今更になって、自分たちがやらかしたことの大きさが実感として押し寄せてきた。
……これ、会社への報告書、どう書けばいいんだろう。
「学校にダンジョンが発生したので、クラスメイトと二人で潰しておきました」。駄目だ、リスク管理部が卒倒する。
とはいえ、今考えるべきこと、やるべきことはもっと他にあった。
「さて……それじゃあ、約束。果たしてもらうよ」
頭の痛い宿題は一旦棚に上げて、私は隣の少年を見上げた。
魔石のこと。陰陽師のこと。君たちが戦っている、世界の裏側のこと。
暁灯くんは、少しだけ目を伏せて——それから、観念したように頷いた。
「ああ。話せることは話す。ただ、言葉で説明するより、見てもらった方が早い」
彼は、夕焼けの空を一度だけ見上げて、言った。
「ついてきてくれ。——会わせたい奴が、いる」




