04:小鬼の戦長と、横槍の声
広間の最奥、脈動するダンジョンコアの前。
階層主たるゴブリン・ウォーチーフの守りは、堅かった。
護衛であろう、棍棒や斧、剣などを装備したゴブリンが八体。後方には、弓持ちが三体控えている。
陣形はもちろん、数も多く、非常にやりにくそうだ。
「まさか、ここも……」
暁灯くんが壁に手を触れ、目を閉じた。
数秒の沈黙の後、目を開く。
「——行けそうだな」
「マジで?」
「連中の横に出られる。ただ、敵の数が数だ。先制攻撃で倒し切るのは難しいだろう」
「十分。——作戦はある?」
「奇襲で弓持ちを潰そう。その後、護衛を縛で止めるまではやれるだろう。ボスは——」
「なら、ちょっと考えた手があるの」
言い切った。
暁灯くんが、少しだけ目を細めた。
「……頼もしいな、聖騎士」
手を握る。五回目の禹歩。
もう、景色がズレる感覚にも慣れた。四歩で世界が変わることを、身体が覚えてしまった。
——————
広間の奥、敵陣のすぐ脇。
四歩目を踏み終えた瞬間、私はもう大盾を構えていた。
景色が定まるより早く、暁灯くんのクナイが二本、弧を描いて飛ぶ。
後方に控えていた弓持ちのゴブリン二体の額に、正確に突き刺さる。札が弾け、青白い炎が一瞬で頭部を包み込み、そのまま二体まとめて掻き消した。
同時に、まだ弓を構えてもいない最後の一体を、特殊警棒の一撃で地に沈める。
突然の襲撃に、広間の空気が一変する。
ゴブリン・ウォーチーフが吼えた。
低く、腹に響くような怒声。護衛のゴブリンたちが即座に反応し、長剣を手にした巨体を中心に、守るように布陣を組み替える。同時に、守りから離れた三体が、飛び出した私を止めようと前に出た。
——期待通り!
突出してきたゴブリンの護衛たちと切り結ぶ…… ように見せかけて、正面の一体だけを受け流し、そのままウォーチーフへと突進する。
「《聖盾顕現》ッ!」
光の盾を三枚、扇状に展開。
正面の護衛が振り下ろした斧を一枚目で受け、左から突き出された棍棒を二枚目で逸らし、三枚目を大盾に重ねてゴブリン・ウォーチーフの振り下ろしを受け流して、強引に守りの輪へ身体をねじ込む。
陣形も忘れたほど滅茶苦茶で、だからこそ防ぎにくい打撃が、四方八方から降り注ぐ。
三枚の聖盾と大盾、それに警棒までを守りに総動員して、耐え忍ぶ。
黄色く濁ったゴブリン・ウォーチーフの眼が、ふいに細められた。
私ではなく、その向こう——背後に立つ暁灯くんを見る。
そして、その眼が、大きく見開かれたのが分かった。
気付いた。
こいつだけは、気付いたのだ。
私が無謀に飛び込んできたわけじゃない。この位置そのものが、罠だと。
「でも、今更逃げようなんて、つれないこと言わないでよねっ!」
ゴブリン・ウォーチーフが逃げようとする。
しかし、それはもう遅きに失した。
守りをすべて聖盾にまかせて、大盾でゴブリン・ウォーチーフに体当たりをする。
シールドバッシュみたいな、ちゃんとした技術ではない。加速をつけられるだけのスペースはなかった。
ただ、質量を押し付けただけの嫌がらせであり、背後を壁に塞がれたゴブリン・ウォーチーフにとっては致命的な妨害であった。
ゴブリンの護衛、ゴブリン・ウォーチーフ、そして私の足元までを巻き込むように、地面へ蒼い線が走る。
その線が複雑な文様を描き、陣となるまでは半秒も掛からなかったし、完成から暁灯くんが動くまではそれよりも遥かに短かった。
……自分で言い出した策なのに、身がすくむ。
「縛ッ!」
暁灯くんの声が落ちた瞬間、陣が蒼く明滅した。
次の瞬間、地面から噴き上がった無数の光の縄が、私たちをまとめて絡め取る。
「っ——!」
脚に。腕に。胴に。そして頭に。
全身が一気に沈んだ。
重い、なんて言葉じゃ足りない。
身体の外から縛られているんじゃない。動こうとする意思ごと、上から抑えつけられているみたいだった。
膝が折れかける。
けれど、崩れ落ちることすら許されない。大盾に体重を預けた姿勢のまま、私はその場に縫い留められた。
護衛のゴブリンたちも同じだった。
もがくことすらできない。ただ、身体だけが不自然に止まり、黄色い目だけがギョロギョロと忙しなく動く。何が起きたのかも分からないまま、視線だけで逃げ道を探している。
ゴブリン・ウォーチーフもまた、大剣を振り上げかけた姿勢のまま止まっていた。
——決まった。
そう思った、その時だった。
【階層主に対する拘束・移動阻害は効果が減衰されます】
無機質な女の声が、頭の奥へ直接落ちてきた。
ダンジョン探索者なら、誰もが知っているシステム音声。
けれど。
「——っ」
暁灯くんが、目を見開いた。
ほんの一瞬。
それだけだったけれど、今の声が暁灯くんにとっても初耳だったのだと分かるには十分だった。
そして、その一瞬で足りた。
「グ、ォオオオオ……!!」
ウォーチーフの喉奥から、唸るような声が漏れる。
止まっていたはずの腕が、わずかに動いた。
まずい。
この距離で先に動かれたら、叩き潰されるのは私だ。
怖い、なんて言ってる場合じゃない。
ここで止まったら、本当にただの無茶で終わる。
深く息を吸う。歯を食いしばる。全身に、もう一度命令を通す。
動け。
動こうとする意思を抑えつけるなら、こっちは意思の総量で勝つだけだ。
《聖騎士の誓い》——意志力を高める私の誓約が、軋む蒼縄と拮抗する。
最初に軋んだのは、右腕だった。
大盾を握る手に絡んだ蒼縄が、ぴしり、と細く裂ける。
いける。
足裏に力を込める。膝を伸ばす。腰を入れる。
冷たい沼の底から、自分の身体を一本ずつ引き剥がしていくみたいに、少しずつ力を入れていく。
「っ、ぐ……!」
右腕が前へ出る。
続いて肩。左脚。胴。
蒼縄が何本か、耐えきれずに弾け飛ぶ。
ウォーチーフの濁った目が、はっきりと見開かれた。
お前だけじゃない。私だって、この程度で止まってやるつもりはない。
「グォオオオオオッ!!」
ウォーチーフもまた、咆哮した。
蒼い縄がきしむ。
筋肉の膨張に押されて、食い込んでいた拘束が少しずつ持ち上がっていく。
私の左脚が前に出る。
胴が起きる。視界を覆っていた重さが、少しずつ剥がれていく。
私とゴブリン・ウォーチーフだけが、ほぼ同時に拘束の世界から抜け出した。
護衛はまだ縫い留められたまま。
背後には、体勢を立て直した暁灯くん。
なら——やることは一つだ。
「グォオオオオッ!!」
ウォーチーフが吼える。
自由を取り戻したばかりの巨腕が、間髪入れずに大剣を振り抜いた。
速い。重い。
けれど、真正面から受ける。
「っ——!」
大盾を合わせる。
激突。両腕が痺れる。歯が鳴る。床を靴底が削った。
それでも、押されるだけじゃない。
「らあああああッ!!」
踏み込む。
盾の縁を食い込ませるようにして、剣筋を強引に持ち上げる。
大剣が跳ねる。
ゴブリン・ウォーチーフの両腕が、つられて大きく上がった。
防ぎ切れた。
——ただし、その代償は大きい。
受け流しきれなかった衝撃がそのまま全身を抜け、私の体勢も大きく崩れる。
足がもつれ、視界が反転し、背中から石床へ倒れ込んだ。
肺の中の空気が潰れる。
受け身は取った。けれど、傍目には明らかに隙だらけだった。
ゴブリン・ウォーチーフの相貌に、明らかな喜色が滲む。獲物を仕留める直前の確信だった。
勝った、と思ったのだろう。
弾かれた勢いのまま、大きく剣を振りかぶる。今度こそ、私を叩き潰すつもりで。
だが、振り下ろす一瞬前——ゴブリン・ウォーチーフの表情が、歪んだ。
私が浮かべていた笑みに、気付いたのだ。
そこで初めて、思い出したのだろう。
自分が相手取るべきは、正面の私だけではなかったことに。
けれど、もう遅い。
背後で、空気の裂ける音がした。
暁灯くんの手にあった短剣へ、蒼い霊力が奔る。
細い刃に纏わりついた光が一瞬で膨れ上がり、刀身を引き延ばし、研ぎ澄まし——次の瞬間には、人の背丈を超える大太刀へと変じていた。
迷いのない一閃。
横一文字。
倒れ込んだ私の真上を、蒼い斬線が薙いだ。
それは、縫い留められていた護衛たちを斬り、振り下ろされかけた大剣を斬り、そしてゴブリン・ウォーチーフを斬り飛ばした。
中程から断ち切られた大剣が落ちて、金属音を立てる。
一拍おいて、ゴブリン・ウォーチーフから赤黒い血が噴き上がった。
その腹が、胴を両断しかけるほど深く裂けていた。
両断された護衛たちがその場で色を失い、粒子になって消えていく。
ゴブリン・ウォーチーフについても、致命傷なのは明らかだった。
「……私がトドメを入れたら、ボスの魔石が出るかも?とか思って手加減してない?」
「まさか。本気でやったよ」
私の邪推に、暁灯くんが心外だと言うように答える。
「でも、残っちゃったものは仕方がないから、やってもらってもいいかな?」
こいつ……!
まあ、自分で言い出した策とは言え、同じ術で縛られた仲だ。最後の一撃くらいは担当してあげようかしら。
そう思って特殊警棒を振り上げて、気付いた。
ゴブリン・ウォーチーフの血が止まっている。
そして、その裂けた傷口の内側から、何本もの骨が生えていた。
元からあった骨や内臓など気にしない、生物としての在り方を愚弄するような、乱雑な生え方だ。
「ひっ……」
咄嗟に、特殊警棒を振り下ろす。
狙いの定まらない不恰好な一撃は、身体の外周に沿って生えた骨に逸らされて、地面を打ち据える。
同時に、頭の奥へ、無機質な女の声が響いた。
【追加試練を準備します】
背筋が粟立つ。
「さっきも聞いたが、なんなんだこの声は……?」
「システム音声さん…… と私たちは呼んでいる、ダンジョン内でレベルアップとか、MP不足とか色々教えてくれる謎の声、なんだけど……」
「じゃあ、追加試練ってのは!?」
「そっちは初耳!」
ゴブリン・ウォーチーフの身体が倒れ、両手を床につける。
崩れたのではない。
そうすることを、自分で選んだような動きだった。
裂けた腹の傷口が、さらに左右へ押し広げられていく。
皮膚が裂ける。筋肉が千切れる。まろび出た内臓が石床を濡らし、それでもなお、裂け目は止まらない。
死体の壊れ方じゃない。
これは——変形だ。
裂けた腹の内側から、尖った白いものがせり上がる。
それは骨ではない。
今わかった。
歯だ。
天を臨む巨大な顎だ。
背が歪む。
首が沈む。
代わりに腹が背中として盛り上がる。
ゴブリン・ウォーチーフだったものは、もはや二本脚で立つことすらやめていた。
四肢を不自然に石床へ突き立て、裂けた腹を大きく開いたまま、獣じみた——いや、獣よりもなお悪趣味な姿へと変わっていく。
背中に、大きな顎を生やした怪物。
人の形を真似たものが、その真似事すらやめて、壊れた結果だけを晒したような異形。
それはゆっくりと背中に生えた大顎をもたげ、血に濡れた牙を鳴らした。
【それでは、追加試練を開始します】
怪物が、咆哮する。
腹の底を直接掻き回されるような、耳障りで、濁った雄叫びだった。
鑑定スキルは、こんな状況でも普段通りに動いてくれた。
私は、乾いた喉でその名を読む。
「【人の姿をけがすもの】」
お読みいただきありがとうございます。
それでは、明日もまた20時に更新しますので、よろしくお願いいたします。




