06:雨宿りと、外に出られない少女
大通りから一本外れた路地へ入り、さらに数回折れ曲がる。
民家の庭にしか見えない土が剥き出しの小道を通り、弧を描く細道を進み、深い排水溝に掛けられた丸太の橋を渡り……
道を覚えようという試みをとうに忘れた頃に、目的地に辿り着いた。
小川を望む河原のほとりに、その建物はあった。
古びた、三階建ての小さなビルだ。
一階のシャッターだけが上がっていて、開いた店先から、橙色の光とコーヒーの香りが漏れている。
ドアの上には、小さな木製の看板。
『喫茶 雨宿り』
「大丈夫なの? この立地。流行るとは全く思えないんだけど……」
「失礼だな。これでもちゃんと営業してる店だよ。まあ流行ってもないけど」
そう言って、暁灯くんはドアの取っ手を引いた。
からん、と頭上で小さなベルが鳴る。
中は、外見以上に落ち着いた空間だった。
細長いフロアに、カウンターが六席と、ソファを備えたテーブル席が二つ。
木目のテーブルに、少し黄ばんだ壁紙。棚には退色した古い本や、よく分からない置物が並んでいる。
夕方の柔らかい光が窓から差し込み、カウンターに立つ人影を縁取っていた。
「いらっしゃい――って、あら。お客さん連れてきてるなんて珍しいじゃない、暁灯」
長身の女性。エプロン姿で、手には布巾。
彼女のことは知っていた。
ミノタウロスの首を一息で断ち切った長巻。血飛沫の中でも乱れなかった、あの銀髪。
「……あなた、あの時の」
「やっほー、聖騎士ちゃん。ちゃんと生きてたみたいで何より」
彼女が、片手をひらひらと振って見せる。その軽さに少し戸惑うが、助けてもらったのは確かだ。
「この間は、助けていただいて、ありがとうございました」
「おお、礼儀正しい。いいねえ、やっぱり若人はこうじゃないと。暁灯はもう生意気になっちゃってねえ」
「真白、からかうのはあとにしてくれ。席、借りるよ」
「カウンターでもテーブルでも、お好きにどうぞ。どうせ他に客いないしね。私の料理を直で見れるカウンター席がおすすめだよ」
暁灯くんは真白さんの声を無視して、店の奥、窓際のテーブル席に向かって歩き出す。
私は一瞬だけ真白さんに会釈し、それから彼のあとを追った。
テーブル席に腰を下ろすと、椅子がわずかに軋んだ。
快適な室温に、掃除の行き届いた店内。ジュークボックスから流れるジャズが、コーヒーの香りに色を添える。
こぢんまりしているし、古さを感じるけれど、嫌いじゃない雰囲気だ。静かで、外の世界と薄く切り離されている感じがする。……もしかして、隠蔽の術とか使われているのかな。
「ご注文は?」
いつの間にか、真白さんがメニューも持たずにテーブルの脇に立っていた。
「俺はいつものブレンドで」
「はいはい、陰陽師ブレンド一丁ね」
「そんな商品ないよね?」
暁灯くんが薄く眉をひそめる。どうやらいつもこんな調子らしい。
「聖騎士ちゃんはどうするー?」
「えっと……」
さっきまでホットコーヒーを飲んでいたせいで、注文が思いつかない。
メニューを探してきょろきょろしていると、真白さんがくすりと笑った。
「それじゃあ、今日のおすすめ―― 牛丼あるよ、牛丼」
「牛丼?」
喫茶店とイメージの違う料理にはてなマークを浮かべる。
「そそ、期間限定の特製牛丼。この間のミノタウロスの肉」
「ミノタウロスの肉!?」
牛頭とはいえ、人型のモンスターを食べるのは倫理的にどうなのか。ってか、モンスターだよ? 食べられるの!?
ダンジョンがこの世界に生まれて二ヶ月、私を含む探索者は幾たびもダンジョンアタックを行い、様々な戦利品を回収してきた。
モンスターは、倒れると魔石やアイテムを残して消えるので、その肉を直接食べることはできない。
ドロップアイテムにモンスターの肉が含まれることは、既に確認されている。しかし、食肉にした記録は、少なくとも私は聞いたことがない。
そこまで考えて、頭を振る。
違う。そういった常識に囚われるなら、そもそも暁灯くんを脅迫まがいに追及したりはしない。
そこを乗り越えて強くなるために、今ここにいるんじゃないの!
「……牛丼、いただきます!」
「「マジで!?」」
暁灯くんと真白さんの驚嘆の声がハモった。
……強くなるために必要な選択肢とかじゃないの!?
訝しげな思いを胸に真白さんを見ると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「いいねえ! そういう思い切りのいい子は大好きだよ! 牛丼一丁入りまぁす!」
そう言うや否や、虚空から長大な刀を抜き放ち、バックヤードに消えていく真白さん。
「……あれ、絶対、俺のオーダー忘れてるよね」
「そのときは、私の牛丼を一緒に食べてよ。美味しいかもよ?」
二人で一頻り笑う。
しかし、笑いが収まると、暁灯くんの目が静かになった。
そうだ、私がここに来たのは、牛丼を食べるためではない。
――――――
「はい、特製牛丼。聖騎士ちゃんの分ね」
絶妙のタイミングで、湯気の立つ丼が目の前に置かれた。ついでに、暁灯くんの前にはブレンドコーヒーも。忘れてなかったんだ。
重い話が始まる気配を察して、先に配膳を済ませてくれたのだろう。真白さんはそのまま、カウンターの奥へ引っ込んでいった。
一口。
……衝撃だった。
普通に、いや、普通じゃなく美味しい。牛肉(?)が、出汁を吸って、とろける。
「悔しいけど、すっごく美味しい……」
夕陽が沈みかけて、窓の外が茜色に染まっている。
丼を抱えた私を前に、暁灯くんが、静かに語り始めた。
「……俺は陰陽師だ。ダンジョンとは別の、昔から続く『影の住人』」
「陰陽師の歴史は千年以上ある。妖怪、怨霊、呪い——そういうものを祓うのが、本来の仕事だ。国に仕えて、人知れずこの国を守ってきた」
「国…… ってことは、暁灯くんは公務員ってこと?」
「一般的な記録には載らない、秘密の、だけどね」
彼が、自嘲気味に笑う。
諦観を感じさせる、悲しい笑みだった。
「俺も、真白も、元はその組織にいた。今は組織から抜けて、追われてる。さっきの式神も、連中が放った追手だろう」
学校で襲ってきた式神とやらは、正直、強いものではなかった。多勢に無勢でも、私一人で十分に対処できる程度のものだ。
しかし、日常生活の中で追われるというのは、はっきり言って異常だ。
「なんで、追われてるの?」
暁灯くんは少しだけ言葉を切った。
「俺には、守りたい奴がいる。千歳っていう——妹みたいな存在だ」
「妹?」
「血は繋がっていないんだけど、昔からの知り合いでね」
暁灯くんが、言葉を選ぶように一拍置いた。
「千歳は、なんというか……特殊な体質でね。生まれつき、莫大な霊力を持ってる」
暁灯くんの声が、僅かに低くなった。
「組織は、それを利用した。千歳を、電池みたいに使ってたんだ。封印の維持、結界の強化、大規模なお祓い。全部、千歳の力を吸い上げて回してた」
「……」
「気づいた時には、千歳はもうボロボロだった。このままじゃ、あと何年保つか分からない」
彼は、乾いた笑みを浮かべた。
「だから俺は組織を抜けた。真白と一緒に千歳を連れ出して、逃げた。——それが、追われてる理由だ」
「……千歳さんは、今どこに?」
「ここだよ。この店の二階で寝てる」
暁灯くんは天井を見上げた。
「千歳を維持するには霊力が要る。だからダンジョンに潜って、力のあるアイテムを集めてる」
暁灯くんが、懐から巾着袋を取り出した。封を開き、中身をテーブルの上に広げる。
魔石。さっきのダンジョンで、彼に渡したものだ。一際大きな、あの階層主の魔石も交じっている。
……なるほど、そりゃあ、暁灯くんが必死に魔石を集めるわけだ。
「暁灯、お客さんが来てるなら、千歳も挨拶したいって」
真白さんの声が、階段の方から聞こえた。
暁灯くんの眉が、僅かに動く。
「……千歳は寝てるんじゃなかったのか」
「起きてたよ。暁灯の気配がしたって」
「降ろしてこなくていい。俺が後で——」
「あきとー!」
明るい声が響いた。
カウンターの奥、階段の上から、明るい声と共に、小柄な少女が駆け下りてきた。
腰まで届きそうな艶やかな黒髪。大きな琥珀色の瞳。白いワンピースを着た、中学生くらいの女の子だ。
「千歳、無理するなって——」
「大丈夫だよ! 今日は調子いいもん! それに、暁灯がお客さん連れてくるの初めてじゃん! 気になるよ!」
千歳と呼ばれた少女は、ぴょんぴょんと跳ねるようにテーブルへ駆け寄ってきた。その後ろから、苦笑した真白さんが追ってくる。
そして、私の顔を見た瞬間——千歳ちゃんの目が、大きく見開かれた。
「——え、うそ、うそうそうそ!」
突然、彼女の声が跳ね上がった。
「姫岸咲希!? 本物!? 『白銀の聖騎士』!?」
「え?」
「千歳知ってる! テレビで見た! ダンジョン探索の上位パーティの聖騎士で、姫岸財閥のお嬢様で、Sランククラスの人! この間ワンダリングモンスターに襲われたけど、聖騎士スキルで撃退したってニュースで——」
(それ、会社が流した表向きの筋書きなんだけど…… 本人を前に、説明もできない!)
「お、落ち着いて……」
千歳ちゃんは興奮のあまり、宥める真白さんの腕を振り払おうとすらしていた。
「暁灯すごい! なんで知り合いなの!? サイン貰っていい!?」
「落ち着け、千歳。あと、ワンダリングモンスターを撃退したのは俺たちだ」
「えっ、そうなの!? じゃあこの人、暁灯たちが助けた人!? すごい! ドラマみたい!」
……この子が、暁灯くんの言っていた「妹」?
さっきまで聞いていた重い話と、目の前の無邪気な少女が、うまく結びつかない。
「千歳ね、ダンジョンのこと調べるの大好きなの!」
彼女はテーブルの隣で、目をきらきらさせながら言った。
「外に出られないから、動画とかニュースとか、いっぱい見てて! 探索者の人たちがモンスターと戦うの、すっごくかっこいいの!」
「そ、そうなんだ……」
「姫岸さんの動画も見たよ! 仲間を守るために盾を構えるところ、すっごく格好良かった! 千歳もあんな風になりたいなって——」
——その時だった。
「っ……」
千歳ちゃんの言葉が、途切れた。
顔から、一瞬で血の気が引いていく。
膝が折れ、テーブルの縁に手をついてかろうじて身体を支えた。
「千歳!」
暁灯くんが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、千歳ちゃんの身体を抱きとめた。
「だい、じょぶ……ちょっと、立ちくらみ……」
「嘘つくな。興奮しすぎて、霊力が——」
「へいき、へいきだから……」
千歳ちゃんは笑おうとしていた。でも、その顔は真っ青で、額には脂汗が滲んでいる。
「ごめんね、暁灯……せっかく会えたのに……姫岸さんにも、もっとお話聞きたかったのに……」
さっきまでの元気な姿が嘘みたいに、彼女は小さく震えていた。
「真白、霊石」
「はいよ」
真白さんが小さな石を放り投げ、暁灯くんがそれを受け取って千歳ちゃんの手に握らせた。
石が淡く光り、砕けて消える。千歳ちゃんの顔に、少しだけ血色が戻った。
「……ごめんね、暁灯。また、使わせちゃった……」
「いいから。今日はもう寝てろ」
「……うん。おやすみ、暁灯」
千歳ちゃんは私の方を見て、力なく笑った。
「姫岸さん……また、お話聞かせてね……千歳、ずっと楽しみにしてるから……」
「——うん。絶対、また来るから」
気づいたら、そう言っていた。
千歳ちゃんの目が、ほんの少しだけ輝いた。
それから、彼女は真白さんに支えられながら二階へ戻っていった。
先程までの喧騒が嘘のように、店内に静寂が満ちる。
私は、自分の中で何かが燃え上がるのを感じていた。
外に出られない。動画でしかダンジョンを知らない。それでも、探索者に憧れて、『あんな風になりたい』と言ってくれた。
なのに、立っているだけで倒れてしまう。興奮するだけで、力が尽きてしまう。
あの子は、私を見て『格好良い』と言ってくれた。
なら、私は——その期待に応えなきゃいけない。
「……私も、手伝わせて」
私は立ち上がっていた。
「ダンジョン探索でも、アイテム集めでも、何でもいい。私にできることがあるなら、やらせて」
暁灯くんは何も答えなかった。
代わりに、階段の方へ視線を向けた。その目が、鋭くなっている。
「……真白」
階段の陰から、真白さんがゆっくりと姿を現した。
「わざとか」
暁灯くんの声は、静かだった。だが、その奥に怒りがあるのが分かった。
「千歳を降ろしたの、わざとだな。咲希さんの前で倒れるように——」
「……気づいてたなら、わざわざ口にしないでよ」
真白さんは、悪びれもせずに言った。
「あんたがバラしたら、策略の意味が――」
「ううん、大丈夫。策略でもなんでもいいよ」
私は、二人の間に割って入る。
真白さんが、少しだけ目を見開いた。
「私は、あの子の笑顔を見た。苦しんでるところも見た。私の姿を見て『格好良い』って言ってくれた。——それは本物でしょ?」
「……ああ、本物だよ」
「なら、私の気持ちも本物だから」
私は、暁灯くんの方を向いた。
「策略に乗せられたって言われても構わない。でも、あの子を助けたいって思ったのは、私の意志だよ」
暁灯くんは、しばらく私を見つめていた。
それから、真白さんの方へ視線を向ける。
「……真白。二度とこういう真似はするな」
「千歳のためなら、私は何でもするよ。——でも、まあ」
真白さんは肩をすくめて、小さく笑った。
「この子には、必要なかったかもね。策略なんか」
「当たり前でしょ」
私は胸を張って言った。
「私は、日本トップ探索チームのメインタンク、千歳ちゃんが憧れる探索者なんだから!」
意図して大きな身振りで腕を突き上げて、高らかに宣言する。
「——だから、任せなさい! 千歳ちゃんのことは、私が絶対に助けてみせる!」
大見得が自分と周りを奮い立たせることは、探索者としてよく知っていた。
真白さんが、わざとらしく感嘆の声をあげて拍手をする。
暁灯くんはため息をつき、しかしその顔には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「それじゃあ、受け入れてくれたことだし、もう一つばかり、策略を巡らせようか」
「……そう改まって言われると怖いけど、何?」
一頻り拍手した真白さんが、ニヤニヤと笑いながら——暁灯くんの方を見た。言外に、「お前から言え」と促している。
暁灯くんは観念したように息を吐き、私の方へ向き直った。
「……正直に言うと、俺たちはダンジョンのことを何も知らないんだ」
さっき浮かんでいた笑みは、もう消えていた。
「咲希さんの…… 姫岸財閥のコネで、ダンジョンに入れてもらえないか?」
本日は断章込みの二話更新です。
どうぞよろしくぅ。




