12:黒い糸と、八人の探索者
暁灯くんの指の間に、黒い棒のようなものが摘まれている。
それは、ぴちぴちと身をよじった後、拘束から抜けられないのを理解してか、しゅんと項垂れるように一本の糸になった。
「そ、それ、アビス・ストーカーですよね!?」
「ああ、そうみたいだな」
流石に真白さんの背から降りて、暁灯くんに問う。
暁灯くんは、それをあっさりと肯定した。
「負けを察したアビス・ストーカーの、最後の悪足掻きってことですか?」
「……いや、それがどうやら違うらしい」
十センチほどの、少し太い糸のようにしか見えなくなったアビス・ストーカー。それを弄ったり、札をかざしたりしていた暁灯くんが結論を出す。
「どうやら、こいつがアビス・ストーカーの本体らしい」
「えぇ!?」
「多分、津波のような攻撃の際だろうな。全力で戦うかのように見せかけて、本体はこっそりと隠れていたわけだ」
「タチわっるぅい」
思わず素で言ってしまった。
私の声に、暁灯くんが頷く。
「完全に謀られていた。あのまま逃げていれば、気付かれることなく再起できていたかもしれないのにな」
確かに、真白さんへの奇襲、暁灯くんへの奇襲、ともに恐ろしいものだった。
結果だけ見れば勝てたが、真白さんは一度死んですらいる。噛み合わせ次第で、負けることもあり得たのだろう。
「それで…… それ、どうするんですか?」
「本来なら、この場で滅するべきなんだろうが――いくつか、確かめたいことがある。ひとまず、封じておく」
暁灯くんが札を一枚取り出し、黒い糸へ巻きつけた。蒼い光が走り、糸はお守りのような小さな包みに変わる。
暴れる気配はない。観念したのか、それとも様子を窺っているのか。
「暴れても、当面は破れない。処遇は、出る前に決めよう」
「分かりました。それじゃあ、その前に――本題です!」
「本題?」
私の宣言に、暁灯くんがはてなマークを浮かべた。
「《ヘイスト》のことだよ! ダンジョンスキル!」
「ああ、確かに凄いな、ダンジョンスキル。考えた瞬間に発動して、気づいたら、アビス・ストーカーを摘んでいた」
ダンジョンで覚えられるスキルは、練習することなく、初めから十分な力で使うことができる。
暁灯くんがヘイストを適切に使えたのも、私が短期間の訓練で戦えているのも、それが理由だ。
「……すまない、本当は学校裏庭のダンジョンをクリアした時点で覚えていたんだ」
暁灯くんが、申し訳なさそうに項垂れる。
「あの時点では、姫岸を信用していいか分からなかったから、黙っていた。そこまでは間違っていないと思う。だが、昨晩の時点では話すべきだった。……すまない」
「いや、そんなことはどうでもいいんだよ!」
「……いいのか?」
食い気味に止めた私の発言に、目を丸くする暁灯くん。
いやまあ、正直に言えば昨日の時点で教えて貰えれば嬉しかったけど、まあ多くは言うまい。
「ところで、今の日本に探索者が何人くらいいるか知ってる?」
「百人は超えていたような記憶がある」
「百二十とかじゃなかったっけ?」
「真白さん、惜しい! 公称では百二十二人、非公開データでは三百十七人の探索者がいます」
「その数の差は詐欺だねえ」
暁灯くんが呆れた顔をし、真白さんが苦笑いを浮かべた。
仕方ないのだ。ダンジョンスキルどころか、ダンジョンの在り方すらもまだまだ検証中な現状、公開情報は詳しく吟味する必要がある。まあ、詐欺だけど。
「じゃあ、もう一つ問題です。この三百十七人の中で、実戦投入可能な戦闘系ダンジョンスキル持ちは、何人でしょうか?」
「……そう言うってことは、少ないんだよね? 半分より少ないと見た」
「多ければ多いほどリスクだ。一割の三十人程度ではないか?」
おお、嬉しい回答だ。出題者冥利に尽きる。
「……クイズじゃないのでもう答えを言っちゃいますが、実戦投入可能な戦闘系スキル持ちは八人です」
一桁という人数には流石に驚いたのだろう。二人が息を呑む音が聞こえた。
「ちなみに、その八人のうち四人は――私を含めて、うちのパーティです」
「……つまり、先日の壊滅は」
「はい。日本の実戦戦力の半分が一晩で消えかけた、ということです」
暁灯くんと真白さんが、無言で顔を見合わせた。
「情報が少なすぎて、理由は分かりません。発現するスキルも、粘土使いとか、裁縫とか、競歩とか、よく分からないものが多いんです」
「漫画やアニメなら、そこから強い能力が生まれるやつだねえ」
「そういう主張自体はうちにもあるのですが、ダンジョンスキル《洗車》の人をダンジョンに連れて行くわけにもいかず……」
「聞き間違いで《戦車》スキル持ちって可能性はないのかい?」
「漫画やアニメならありそうですけど!」
『俺は洗車スキルじゃなく戦車スキルの持ち主だが、乗せてくれと言ってももう遅い 〜これは戦車スキルレベル1の洗車なんだ〜』
うーん、ありそう…… かなあ?
「もっと言うと、格闘技や弓道、射撃などの経験者が、実戦投入可能な戦闘系スキル持ちとして覚醒した例は、現状確認されていません。ここは現代日本で、戦時下だとか、ファンタジー世界じゃないんで、そもそも有用な戦闘経験を持つ人材の母数が少ない、という見方もありますが……」
暁灯くんに向き直る。
「そういう意味で、暁灯くんは超レアな、生きた実験動物……じゃなくて、観測対象みたいな存在なんです。できるだけ隠蔽しますが、くれぐれも声高にダンジョンスキルのことを話さないようにしてくださいね!」
「わ、わかった。気をつけよう」
「ダンジョン研究は緊急事態なので、倫理観に多少難があっても、能力があれば採用されているんですよねえ……」
私の剣幕に、暁灯くんが気圧される。
まあ、私が怖がられるだけで暁灯くんが安全なら、それでいいのだ。犠牲者は少ない方がいい。
「……ところで、咲希さん。ちょっと話したいことがある」
ふと、暁灯くんが足を止めた。
その手には、いつの間にか、あの黒い包みが摘まれていた。歩きながらも、ずっと検分を続けていたらしい。
「気のせいかと思ったんだが、やっぱりそうだ。——こいつ、使役できるみたいだ。してもいいか?」
「……なんで!?」
使役。
今、使役って言った? アビス・ストーカーを?
「いやいやいやいや、待ってください! 使役とかしていいやつなんですか!? 結構ヤバい敵じゃんそいつ! 真白さんとか一度は殺されたんだよ!?」
「分からん」
暁灯くんが頭を振る。
「だが、他のダンジョンのモンスターは使役できないんだ。なのに、こいつだけ使役できる理由を調べる必要がある。それに――使役は、宵町の本領だ。俺が試さないでどうする」
出た! 暁灯くんの研究癖…… いや、これはもう家業魂だ!
「ま、真白さん! 真白さんはいいんですか!? 自分を殺した相手が…… 同僚? 同僚になるんですよ!?」
「正直どうかと思っていたけど、咲希ちゃんの表現で興味が出ちゃった。先輩として、こき使ってやるのもアリかしら」
「墓穴掘ったぁ!」
暁灯くんが、新しい札を出して私を見る。
「最終的には、咲希さんの判断に従おうと思う。パーティのリーダーだし、ダンジョンの管理側でもある」
「……そう言われちゃうとなあ」
正直、感情だけで言えば今すぐ滅してほしい。怖いし。
けれど。
八人。
さっき自分の口で言った数字が、頭の中で点滅していた。
戦力も、情報も、何もかもが足りていないのが、今の人類だ。
通常のダンジョンモンスターではありえない例外。それも、私たちを一度壊滅させたアビス・ストーカーの本体。
その情報に価値がないなんて、口が裂けても言えなかった。
「本当にちゃんと飼える? 途中で放り出したりしないって約束できる?」
「ああ、誓おう」
なんかペットをねだる子供に最後の確認をしているような物言いになってしまったが、相手は犬でも猫でもない。私たちを殺しかけた黒い悪夢である。
冷静に考えると、何を許可しようとしているんだ私は。
数秒悩んだが、結論は出ていた。
感情のまま、倒して欲しいと言えなかった時点で、負けなのだ。
「……分かりました。使役しちゃってください。ただし! 管理と情報共有はちゃんとすること!」
「ああ、ありがとう」
「あと、勝手に散歩させたり、私の見てないところで実験したりしないこと!」
「もちろんだ。真空や高温、低温、酸にアルカリ、電気と圧力への反応も見たい。一緒に試そう」
「くそう、ちょっと面白そうだ」
油圧プレスでペラペラになるアビス・ストーカー。
いやこれはちょっと趣味が悪いか……。
暁灯くんが包みを解き、指の間に挟んだ黒い糸へ、新しい札を近づける。
札の上に蒼い線が走り、細い輪のような術式が編まれていく。
「そういうわけで、話がまとまったよ、アビス・ストーカー」
言葉は分からなくても、雰囲気で理解したのだろう。黒い糸が、びくりと震えた。
逃げようとしているのか、怒っているのか、私には分からない。
けれど、真白さんは分かったらしい。銀狐の姿のまま、楽しそうに目を細めた。
「あのまま、逃げていればよかったのにねえ」
真白さんの声は、いつものように軽かった。
けれど、その毛並みの奥から滲む圧だけは、まったく軽くなかった。
「私を裂いて、咲希ちゃんを怖がらせて、最後には暁灯まで殺そうとした。欲張りすぎだよ、黒いの」
「逃げるために本体を隠した。そこまでは良かった」
暁灯くんが、言葉を引き継ぐ。
「だが、お前は最後に手を出した。負けを認めて逃げるより、こちらを殺す方を選んだ」
黒い糸が、きしむように身をよじる。
「お前の選択が、お前の未来を閉ざした。恨むなら、自分の性質を恨むんだな」
蒼い術式が、アビス・ストーカーへ絡みついた。
それは、黒い糸に染み込み、細い鎖のようにその身を縛り上げる。
「急急如律令」
それで終わりだった。
動き回っていたアビス・ストーカーが、ぐったりと項垂れる。
暁灯くんは、それを無造作に地面へ放り投げた。
黒い糸は石畳に触れる寸前、暁灯くんの影へ沈み込み、跡形もなく消えた。
「――この先が出口だ。地上の気配が近い」
「帰ってきたねえ」
行きにモンスターを片っ端から駆逐したので、帰りはあまりに楽過ぎる!
普段なら、入口に戻るまでがダンジョン探索ですみたいな感じだったのに、今回は遠足だった。
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ダンジョンから地上に戻ると、シェルター前の様子がおかしかった。
職員さんたちが小走りに行き交い、守衛さんは無線機に向かって何かを話している。遠巻きの視線が、ちらちらと搬入口の方を窺っていた。
何があったのか守衛さんに聞こうとしたところで、のっそりと、騒ぎの元凶が現れた。
「……初めまして、姫岸咲希さん。それと――お久しぶりですね、宵町暁灯さん」
季節外れの厚手のコートの下に、上等な背広を着込んだ男だった。
既に老境へ至った痩身。落ち窪んだ眼窩の中で、瞳だけが煌々と輝いている。
その男は、革製の名刺入れから一枚の名刺を取り出して、短く名乗った。
「内閣官房特殊事象対策局局長、烏丸柊志と申します」




