断章:16ゲージの住み心地
管狐として言わせてもらうと、我々は、筒ならなんでもいいわけではない。
竹筒は良い。古式ゆかしく、香りもある。
巻物も悪くない。格式がある。ただし湿気に弱い。
水筒や茶筒は好みの分かれるところだが、年季の入ったものなら好く狐も多いだろう。
鉄パイプや塩ビ管はちょっと遠慮したく、試験管はもってのほか。
ペットボトルなどは屈辱的である。
そういった意味で言うと、十六ゲージのショットシェルは相当アウトであった。
まず、筒としての格がない。
あれは何かを保存するための筒ではなく、撃たれて、裂けて、捨てられるための筒である。
大量生産の、それも一度きりの消耗品に、風情などあったものではない。
そして、狭い。
管狐には細長いからいいだろう、という発想がまず雑だ。
もちろん、管狐といえど、装薬や鉛玉の隙間に体育座りで縮こまっているわけではない。実際に住んでいるのは、概念的な空間だ。
それでもやはり、見た目のサイズというものは気になるものだ。
せめて十二ゲージなら、精神的にもマシなのだろうが。
ただし、ショットシェルには好きな部分もある。
派手なところだ。
暁灯が銃身を折り、私を装填する。
閉じる。
構える。
引き金を引く。
轟音。
反動。
火薬の匂い。
そして私は、一条の蒼い光とともに戦場へと飛び出す。
登場としては、悪くない。
いや、むしろかなり良い。
管狐というものは、元来こそこそと使われることが多かった。
袖の中から、懐から、竹筒の影から、するりと出てくる。
それはそれで趣があるが、少々地味でもある。
その点、ソードオフ・ショットガンはいい。
普段は隠れているのに、一度姿を現せば、その凶悪な存在感ですべてを塗り替える。
秘匿と暴力が、あれほど下品に同居している道具もなかなかない。
住み心地は最悪。
出番としては最高。
なので、今後も必要なら入ってやらないこともない。
ただし、暁灯にはいつか、12ゲージショットガンへの換装を真剣に検討してもらいたい。
こっそり買って、次の誕生日にでも押し付けてやろうかしら。




