第一章 第六話 〜ウニの甘みとエコシステム〜
「リベル、おはよう」
「お母さん、おはよう」
「ここはどこかわかる?」
「うん、僕の家だよ」
「それはどこかわかる?」
「え?」
「あなたの『棺桶』よ」
僕は跳ねるように起きた。
疲れていたのか、ひどい夢を見ていた気がする。一説によると、夢を見るのは記憶を整理するためらしい。特に『忘れようとする』ために。悪夢を見るのは、その悪い記憶を消去するために必要なプロセスなのだという。
(お母さんのことも、いつか忘れてしまうのかな)
ゴワン、ゴワン――
重く響く音が、思考を遮った。
「……何の音?」
「リベル、起きたか! おお、生きてるな!」
「あ、ブレブ、おはよう」
「おはようじゃねえよ! 心配させやがって!」
ブレブが大きな顔を近づけてくる。
「三日も目を覚まさねえから、たまげたぜ」
「えっ……三日!? 僕、そんなに寝てたの?」
「ああ。胸の辺りも心臓も動いてたから、死んじゃいねえとは思ったがな……よし、動けるならメシだ。食堂へ行くぞ」
ブレブに案内され、村の食堂へ向かう。各家庭で調理することもあるが、朝はここで食べるのがこの村の決まりらしい。その理由は、着いてすぐにわかった。
食堂に入ると、一段高い岩場に立った魚人が、他のみんなへ向かって声を張り上げていた。
「みんな、食べながら聴いてくれ。今日の漁や仕事で特記事項はないな? よし、いつも通り各自取り掛かってくれ!」
水の中では、声が驚くほど遠くまで届く。空気中とは伝わり方の『常識』が違うのだ。家の中で聞こえた音は、村全体の呼び鈴代わり――小さな銅鑼をハンマーで鳴らす仕組みだった。鈴やベルでは、この密度の中では音が死んでしまうのだろう。
ここは、いわば学校の体育館だ。でも、校長先生の話にマイクはいらない。全員が朝食をとり、その場で一日の段取りを共有する。実に合理的なシステムだった。
「おい、ひとついいか!」
ブレブが叫ぶと、何十人もの魚人たちの耳目が一斉に集まった。
「小さき勇者、リベルが目を覚ましたぜ!」
「うおおお!!」
一瞬の静寂の後、食堂が揺れるような歓声に包まれた。魚人たちが次々に駆け寄ってくる。
「すげえな、良かったよ目を覚まして!」
「お前のおかげで、安心して漁に出られるよ」
僕は思わず口に出した。
「……きょ、恐縮です」
(この言葉、使い方合ってるのかな?)
「みんな、俺も嬉しいが、リベルは腹ペコだ。まずは食わせてやってくれ!」
ブレブが笑いながら割って入り、ようやく人だかりが解けた。
僕たちは配膳口へ向かう。
「今日のメインは……焼き魚、漬け魚、タコのスライスだ。どれも最高だぜ。デザートはウニだ。甘くて美味しいぞ」
「ウニ……?」
海底でこれほど多彩な料理があることに驚く。
僕はタコのスライス、ブレブは漬け魚を選んだ。テーブルに着き、恐る恐る口に運ぶ。
「タコなんて、食べたことない……っ、美味しい!」
「だろ? 焼いた石で挟んでパリパリにしても絶品なんだぜ」
想像しただけで涎が出そうだ。そして、最後に立ちはだかったのがウニだった。
「これ、どうやって食べるの?」
「ナイフで口から割るんだ。スプーンでここをすくってみろ。ほれ」
勇気を出して、黄金色の身を一口。
「!? 本当に、甘い……!」
「な? 俺らも大好物なんだ」
ウニは鮮度が命だという。不味いと言う人は、本当のウニを知らないだけ――地上で聞いたその言葉の真意を、まさか海底で知ることになるとは思わなかった。
ふと、これだけ大勢が暮らしていて、どうやってこの透明な水を保っているのかと疑問に思ったが、その答えもまた驚くほど合理的だった。
『換水口』と呼ばれる水流の制御システムがあり、村の活動で出る不要な浮遊物は、上層や下層へと常に一定の方向へ排出されている。さらに、生活から出る有機物は、別の魚やホヤ、イソギンチャクが栄養として即座に分解するのだという。
匂いもよどみもない。ここは、海底の巨大な『完全循環型のエコシステム』だった。
食後、食器を返却して「ごちそうさまでした」と告げる。ブレブが僕の細い腕を見て言った。
「リベル、お前、もうちょっと体力をつけた方がいいぜ。俺たちと違って、あまり体を動かしたことがないんだろ? まして人間なら、なおさらだ。今は泳げるからいいが、この先、地上に出ることだってあるだろう」
鋭い指摘だった。僕のパンチやキックは動画の真似事で、繰り出すたびに反動で体がぐるぐると回ってしまう。
今の僕は『リカヴァー』や『コンフォート』で無理やり生命を保っているに過ぎない。いつ無理が生じるかわからない。……いや、もう既に、僕の体は色々と『常識』を無視している。
ふと自分の服を見る。
サメや敵に切り刻まれたはずなのに、お母さんがくれたこの服は、新品のように綺麗なままだ。
後で気づいたことだが、僕が『リカヴァー』を使うと、身に着けている服さえも一緒に回復しているらしかった。お母さんの形見をずっと大事に着ていられるのは、素直に嬉しい。唯一の救いだ。
「どうだ? しばらくここで鍛えてみないか? メシや宿代はタダでいい。俺と村を救ってくれた恩人だからな。体を鍛えるついでに、漁にも一緒に行こう」
僕は迷わず頷いた。
まずは、この水の中で真っ直ぐパンチを打てるようになるところからだ。




