第一章 第五話 〜小さき勇者〜
僕らはブレブを含めた五人で、敵の住処へと向かった。
その海域に近づくにつれ、水は重く、どす黒い淀みが視界を遮るようになる。彼らはそれを『瘴気』と呼んでいた。
道すがら話してくれたけど、魚人の成長速度は人間よりずっと早い。ブレブも十歳で成人並みの体格になったという。二歳の僕が今の体格なのも、彼らの基準では少し早め程度なのかもしれない。けれど、僕の中身は彼らの知らない蓄積がある。
五人は物陰に隠れ、岩壁に口を開けた洞窟を凝視した。屈折した瘴気が、ゆらゆらと不気味に漏れ出している。
「前まではあんな洞窟、なかったはずだ」
「見張りが二人いる。どうする?」
「様子を見つつ、徐々に近づく。各個撃破して数を減らすんだ」
「……いや、こうしよう」
ブレブが腰の袋から、赤黒いモヤを纏った大きな魚を取り出した。
「これは?」
「撒き餌のデカいやつさ。奴らは飢えているが知能は低い。狩猟本能だけは無駄に強いからな。特製のタレに漬け込んで、匂いを最大まで引き出した」
前世の動画で見たことがある。魚は匂いが強烈なほどよく食いつく。
「ただまあ――」
ブレブが少しだけ複雑な顔をした。
「美味そうなんだよな、これ」
「……」
敵の死角に魚を設置し、僕らはそれぞれの持ち場へ付いた。僕とブレブは同じ岩影。他の三人は別の影に潜む。
(ああ、バナナじゃなくて魚なんだな……)
ふと、脳裏に黄色い果物を愛する謎の赤い装束の集団の記憶が掠めたが、すぐに意識を目前の海に引き戻した。
敵の一人が匂いに釣られ、ゆっくりと泳ぎ始めた。
彼が他の門番から完全に見えなくなった、その瞬間。
ズドン!
潜んでいた仲間が、一本のモリで敵を貫いた。
それは三叉槍ではなく、後ろに丈夫な海藻のゴム紐がついた特注品だった。
「すごい、一撃だ」
「ああ。手首に固定した伸縮紐を使って、遠距離から仕留める。返しがないのは戦闘専用の証だ。俺は器用でな、やろうと思えば両足でもできるんだぞ」
「へえ!」
「リベル、真に受けるなよ。あいつが変態なだけだ」
「……色んな人がいるんだね」
「得意分野はそれぞれさ。戦闘、料理、建築。親父の受け売りだが、何かに特化するってのは、この世界で生き抜くための武器になる。まあ満遍なくできることも重要だけどな。そして、特化するためには創意工夫、つまり『想像力』が必要になる」
役割分担と、特化した技術。そして、創意工夫。なるほど、と僕は胸に刻んだ。
もう一人の門番が、戻らない相棒を不審に思い、こちらへ動いた時だった。
ズドン!
今度は砂の中から飛び出した魚人が、背後から急所を突いた。
「ええ!? 砂の中にいたの?」
「あいつは肌の色や模様を自由に変えられる。さて、死体を片付けるぞ――って、おい、何だこれ!」
倒したはずの二体の死体が、ドロドロとした黒い霧に変わり、水の中に溶けて消えてしまった。
「こいつら、俺たちと同じ魚人じゃなかったのか……?」
嫌な予感が背筋を走った。その直後、洞窟の奥から重低音の唸りが響いた。
ゴオオオ!!
大量の敵が、瘴気と共に溢れ出してきた。その数、ゆうに百近い。
「させるか! 離れるぞ、リベル!」
別の仲間の魚人が袋から五個のカプセル状の塊を取り出し、モリで突く。
中から噴出したのは、透明で極細の、けれど強靭な海藻の網だった。水中で広がり敵を絡め取る。
「今のうちに突いて倒せ!」
「わかった! 『スティング』!!」
僕は網の間から突き刺しては泳いでを繰り返す。
ブレブもまた、返しのないモリを閃かせ、二十を超える敵を沈めていく。
だが、多勢に無勢だ。網を避けた敵が次々と包囲網を狭めてくる。
「クソが! いくらなんでも多すぎる!」
ブレブたちの声に焦りが混じる。人数が足りない、手数が足りない。
(役割分担、技術特化、創意工夫――となると、僕に足りないのは創意工夫、『想像力』だ!)
今、僕の腕は『テア』を放った直後で硬直している。だが、眼前に新たな敵が迫る。
腕が間に合わないなら、どうする?
――そうだ。僕には、まだ『奥の手』があるじゃないか!
僕は思い切り、右足を振り上げた。
「『テア』!!」
ザンッ……!
つま先から放たれた光の刃が、襲いかかる敵を両断した。
「できた――足でもいける!」
感覚を掴んだ。僕は眼下の敵めがけて、頭から急降下した。
「『スウィム』!!」
加速した勢いのままクルッと反転し、つま先から貫く。
「『スティング』!!」
ズドン!!
敵の胸に風穴が開いた。
移動スキルだと思っていた『スウィム』は、足から放つ『スティング』の加速装置に変わる。
腕二本、脚二本。計四本の『武器』を全回転させる僕の姿に、敵が、そして味方までもが戦慄した。
「お前ら、リベルに続け! リベルに遅れをとるな!!」
「おう!!」
勝敗は決した。
村の入り口で、村長や門番たちは落ち着かずに往復していた。
やがて、水の波紋の向こうから五人の影が見えた。
「親父、みんな、戻ったぜ!」
「おお、帰ったか! リベルも無事か!」
「ああ。拠点は壊滅させたぜ――こいつのおかげでな」
村長はまた僕の前に膝をつき、小さな僕の手を握りしめた。
「リベルよ、感謝する。そなたは、この村の『小さき勇者』じゃ。誇りに思う」
村中から歓声が上がる。
ブレブも隣で膝をつき、僕の肩を叩いた。
「ありがとな、リベル。これで平和になるぜ」
「どういたしまして――」
そう答えるのが精一杯だった。視界が急速に狭まり、膝の力が抜ける。
「お、おい! 大丈夫かリベル!」
ブレブの叫び声が遠くに聞こえる。
全エネルギーを使い果たした僕の意識は、ゆっくりと水底へ沈もうとしたが、その前に逞しい腕が僕をしっかりと受け止めた。
「寝ちまったか……無理もねえ、あんな無茶苦茶しやがって」
ブレブは、壊れ物を扱うような手つきで僕を抱きかかえた。
彼に抱えられたまま、僕は村の広場を横切っていく。村の人々が道を開け、誇らしげに胸を張る四人の戦士と、その腕の中で眠る小さな背中を見つめていた。
「ありがとう――!」
「よくやってくれた――!」
誰かが囁いた小声の歓声が、さざ波のように広がっていく。
ブレブはそれに応えるように一度だけ力強く頷き、僕を冷やさないよう、村の奥にある一番柔らかな寝床へと歩みを進めた。
僕は、泥のようにひたすら眠った。




