第一章 第十話 〜人魚の城下町〜
城門に扉はない。門番の人魚が二人、槍を携えて浮いているだけだ。
よくよく考えれば、三次元的にどこからでも侵入できるこの世界で、扉に物理的な防御の意味はないんだろう。ただ、対外的な手続きや、「ここからは城下町だ」という境界を示すために門が必要なのだと察した。
「おお、スキュアルド。帰ったか……ん? そちらは?」
「こんにちは。リベルって言います」
「こんにちは……!? 足がある!?」
門番のリアクションは、まるで死んだはずの人間が目の前で生き返ったかのようだった。
「見ての通りだ。リベルは人間なんだ」
「はあ!? 人間がここまで潜ってきたのかよ……」
「詳しい話は後だ。まずは女王に会わせてくれ」
「わ、分かった……聞こえてたな、頼む」
門番が誰に頼むのかと思えば、傍らに控えていたイルカだった。
イルカは小さく頷くと、口の開いた筒――伝声管に向かって、鋭い鳴き声を発した。
通信使がイルカ? 驚いていると、別の管から今度はタコが這い出してきた。さらには小さな魚――ベラだろうか、それが慣れた様子で管の中へ入っていく。エビも数匹、順番待ちのようにスタンバイしている。
「何これ、今のタコとか魚たちは?」
「フジツボが発生しても困るだろ? この伝声管は、俺たちの声じゃ届かない距離を繋ぐ命綱だ。あいつらが内側を磨き上げてくれないと、イルカの送る声がボヤけちまうのさ」
スキュアルドがさらりと言った。『掃除屋』たちがインフラを支えているのだ。今の僕には情報量が多すぎて、本当に顎が外れそうだった。
イルカが『了解』とでも言うように首を上下に振ると、門番から通行の許可が出た。
「リベル、行こうぜ」
門番とイルカが手を振って見送ってくれる。危うくやり方を忘れそうになりながら、僕も慌てて手を振り返した。
城下町は驚くほど綺麗に整えられていた。
道は城に向かって真っ直ぐに続いていて、底には白い砂が敷き詰められている。車輪を使う文化がないから、舗装する必要なんてないんだね。
道中、アザラシやセイウチがのんびりと横切り、ナマコやウミウシ、色鮮やかなカニやエビがそれぞれの生活を営んでいる。
並んでいる出店は、水上のマルシェのようだった。
珍しい魚介類や海藻、食べ物屋さんが並び、賑わっている。ただ、商品よりも『二本足の僕』の方が、間違いなく注目の的になっていた。
水上から差し込む淡い光に加えて、魚人の村でも見かけた発光サンゴや水晶の照明が、街並みを幻想的に彩っている。家々の壁までもが、俄に淡い光を放っていた。
町の一角では、イルカとシャチが並んで何やら話し込んでいた。
海底に井戸はないけれど、あれはまさに井戸端会議、『ゆんたく』の光景だ。僕たちに気づくと、彼らは興味深そうに視線を向けた。
(おお? 君、人魚でも魚人でもないね。もしかして人間?)
(え? マジ? なんで海底に人間がいるの?)
頭の中に、不思議な響きが届く。
「喋った!?」
(いや、こっちからすると海底で喋ってる人間の方が大概だけど)
「……確かに」
前を歩くスキュアルドの肩が震えている。笑いを堪えているんだろう。
ふと見ると、あちこちに大きな穴が開いた岩のような建造物があった。鐘のない鐘楼のような形だ。そこから、時折細かな泡が漏れ出ている。
一頭のイルカがそこに入っていき、しばらくして満足げに出てきた。交代するようにシャチが入っていく。
「……うそだろ。深海の中に『水面』がある」
そこには、本来なら数百メートル上空にあるはずの光景が閉じ込められていた。
海底から送り込まれた無数の泡が、逃げ場を失って岩の天井に溜まり、巨大な空気の塊を作っているのだ。お風呂で洗面器をひっくり返して沈めた時にできる空気の部屋と一緒だ。
それが深海の猛烈な圧力に押し潰されながらも、鏡のように滑らかな『水面』を、目の前で水平に保っている。
「なるほど……あそこ、空気ステーションなんだね」
エラ呼吸ではなく肺呼吸の生物たちが、水上へ戻ることなくこの町で暮らせるシステム。この物理法則を逆手に取ったシステムを作った人は、天才だ。
でも、疑問が浮かんだ。高圧の深海で空気を吸い、そのまま潜水を続けたら、血液にガスが溶け込んで大変なことになるんじゃなかったっけ?
「スキュアルド、この子たち大丈夫なの? こまめに換気してるみたいだけど」
「俺もあいつらに訊いてみたことがあるんだ。そしたら、あそこに入って『しっかり交換』した後は、肺を全部畳んで、あとはただ我慢するだけだってよ。数時間続けても平気らしいぜ」
肺を畳んで、我慢する。僕の常識では想像もできない、深海の適応戦略。
そんな驚きと発見が詰まった町を抜けると、程なくして、眩いばかりの光を放つ人魚の城が見えてきた。




