記録10 神格生成試験環境①
イレギュラーな事態が発生した。通常プロトコルでの記録が困難と判断。
新たに製造しておいたスキル「世界ログ」を併用して記録形式を調整する。
「……えっ」
音もなく現れたその少女は、思わず戸惑いの声を漏らした。黒一色。上も下も分からない、どこまで広がっているのかも分からない真っ暗な空間が広がっている。
ただ、その空間の中央には、煌々と光る巨大な文字列が浮かんでいた。
『スタイリッシュ落下アクションサバイバル恋愛シミュレーション - Dead/Love』
それは見上げるほど巨大だった。その幅は、少女の目測ではおよそ百メートル。しかし少女が戸惑いの声を上げたのには別の理由があった。その真下でただ一人、文字列をぼんやりと眺めながら膝を抱えて座っている少年がいたからだ。
目視できる。実体がある。少なくとも通常の対象とは状態が異なる。文字列が発する光を受けて浮かび上がるその背中は子どものようにも大人のようにも見えた。
この少年以外に存在を確認できない。少女はひとまず、少年が回収対象であると仮定して「思念ログ」を起動した。しかし少年に向けて思念で呼びかけるも反応はない。思念ログの取得に失敗すること自体は稀にある。だが、同時に魂の存在を検知することもできなかった。これは少女にとってそれなりに未知数な状況ではあるものの、まずは少年に接触を試みることにした。
少女が一歩踏み出したその時だった。少年は「おしっ!」と気合いの声を上げて立ち上がる。そして背後の気配に気付き、振り向いて飛び上がった。
「うお!! あれ!? 君どこから来たの!?」
部活帰りの高校生のような上下ジャージ姿のその少年は、少女のもとに素早く駆け寄って、その周囲をぐるりと回った。そして正面に戻り、膝を屈めて少女の顔をまじまじと覗き込む。そして手を伸ばし、少女の前髪をさらりと横に流した。顔を確認するための行為だろうと判断し、少女は抵抗しなかった。
「……間違いない、初めて見る子だ。可愛い、好き。君はNPC? それとも人?」
「人間だよ」
気になる内容を含む発言だったが、少女は澱みなく答えた。
「え、じゃあプレイヤーなの?」
「それが何か分からないけど、違うと思うよ」
少女はそう答えながら上体を軽く仰け反らせた。この少年は喋りながらじわじわと距離を詰めてくる。いつのまにか目の前に顔が来ていた。短く整えられた髪に、癖のない顔立ち。整ってはいるのだろうが、少女には印象の薄い顔に見えた。接近されて不快というほどではないが、流石に適切な距離を超えている。
少女は半歩ほど後ろへ下がった。少年はそれに特別な反応を示すことなく、屈んでいた姿勢から立ち上がると、ぶつぶつとこの状況について考えを巡らせ始めた。
「プレイヤーじゃないなら攻略対象? 追加キャラ? でも、人間なんだよな? じゃあなんだろう? こんなことは今までなかった。何か調整が入った、とか? 確認しに行くべきか?」
「とりあえず、私の方からいくつか聞いてもいい? 私は今ここに来たばかりで本当に何も分かってない。あなたから情報をもらえたら、お互いに知りたい事が見えてくるかもしれない」
「そうだね。そうしようか。こっちから聞きたいこともあるし!」
少年はパッと切り替えて少女の提案に乗った。
ようやく始められる、と少女は思った。
「まず、あなたは誰?」
「え、さぁ?」
数秒の沈黙。予測不能な回答に少女も固まった。素性を隠すような意図はない。この少年は本気で分かっていないのだと少女には理解できてしまった。だからこそ困った。少女は軽く頭を振り、“なかったこと”にして仕切り直すことにした。
「……まず、ここはどこ?」
「ここはデドラブのタイトル画面。ゲームだよ。正式名称はあそこに浮かんでる。スタイリッシュ落下アクションサバイバル恋愛シミュレーション Dead/Loveだ。長いから勝手にデドラブって呼んでる。超絶難易度で、まだクリアできてない」
「タイトル画面ということは、ゲームを始めると何か変化があるの?」
「ある。まずオープニングムービーが流れる。と言っても映像じゃなくてこの場所自体がオープニングシーンに変形して、その中で体験する感じかな」
「この空間自体が別の環境に再構築されると」
「そうそう。いつもムービーはスキップしちゃうけどね!」
「そのデドラブはどういう……ねぇ、ちょっと近い」
気がつくと、またしても少年は少女の眼前に迫ってきていた。少年は少女よりも頭一つ分以上背が高く、もはやその顔は見えない。視界にはジャージの胸元しか入らなかった。
一方で少年には少女の頭のてっぺんしか見えていないのではないだろうか。流石に会話に支障が出る状況であったため少女も指摘せざるを得なかった。
「……あ、そうか。ごめんごめん」
少年は一瞬だけ考え、そして何かに納得したようだった。少年が一歩下がると、わざとらしく困ったような笑顔が少女の視界に入った。
この少年に危害を加える意図がないことを少女は理解している。少女はその身に幾重もの保護スキルを施し、あらゆる害意や危険から身を守っている。スキルに弾かれることなくこの距離まで近寄れたことが、少年に敵意がないことを証明していた。とりあえず今はそれ以上追求をすることはぜず、少女は本題へと戻る。
「デドラブはどういうゲームなの?」
「やってみれば分かるけど基本はタイトルの通りだよ。ゲームが始まると自由落下が始まって、障害物を飛び回りながら方向をコントロールして、多分だけど、最終的にちゃんと着地できればクリア。それがスタイリッシュ落下サバイバル要素」
「……なるほど。じゃあ恋愛シミュレーションというのは?」
「それもそのまんま、ゲームの中の女の子たちと恋愛して、好感度を稼ぐんだよ」
「自由落下と恋愛要素、一見して結びつかないね」
「そう? 恋愛がうまく行くと、落下もうまく行くんだよ?」
「そうだよね」
少女は空返事をする一方で、その言葉の意味を必死に整理していた。
このゲーム自体の詳細は調査する必要がない。というより、あまりに大きな危険が伴う。死か、恋愛か。つまりゲームに巻き込まれれば死ぬ可能性がある。
死。少女にとってそれは絶対に避けなければならないことであった。
「このゲーム、もしかして死に覚え系?」
「すっごい最初の頃はそう思ったんだよ。でも今はそうじゃないって確信してる。オープニングムービーは固定なんだけど、その先はプレイする度に冒頭からほんの少し違うみたいなんだ。中盤過ぎると、もう毎回違うんじゃないかって思ってる」
少年の発言はカオスが働いていることを感じさせた。少女の警戒心が高まる。
「……まだクリアしてないって言ったよね。クリアできないとどうなるの?」
「ゲームの中で死んじゃうんだよ。潰れたり、激突したり、燃えたり、切れたり。でも死んだらまたここに戻ってくるだけだから、安心して!」
「そう」
安心など出来るはずがなかった。このゲームが少年に及ぼす死と、少女に及ぼすそれとが同質であるという保証はない。ましてこの少年は実体があるのに魂が検知できない。ゲームであるというのであればアバターのような存在か、または“残機”のような特殊なシステムで保護されている可能性もある。そして、それらはいずれも少女が存在する法則とは異なる。早めに切り上げなければ危険だと、少女が考えている時だった。
「近くで見るとやっぱりかわいいね」
「え?」
「制服キャラもいっぱいいるけど、“いなかったタイプ”だし」
気がつくと、またしても少年は少女の眼前に迫ってきていた。少女は反射的に一歩下がろうとしたが、少年はそれよりも早く、その両手を包み込むように取っていた。指は自然に絡め取られ、気付けば恋人繋ぎになっている。その動作には一切の迷いがない。見上げると、涼しげな表情を浮かべた少年の顔があった。
少女は少年の手を振りほどこうとしたが、絡められた指は解けない。少年は力を込めているわけではない。少女が動けば、その動きに合わせて自然に指の位置が変わる。まるでこの動作に慣れきっているようだった。
この状況でも、少女の自動防衛スキルは発動しない。少年に害意がないからだ。アクティブスキルによる制圧も可能だった。しかし、ここで少年を排除した場合に何が起きるのかが分からない。この空間そのものが消滅する可能性。ゲームが強制的に開始される可能性。あるいは少年の代わりに自らが“プレイヤー”に置き換わるといった可能性。判断材料が足りなかった。
わずかな混乱の中、耳をくすぐるような吐息と共に、少年の細い声が落ちる。
「名前、なんていうの?」
「っ……A、です」
「Aちゃん。お願いがあるんだ」
絡んだ指にわずかに力がこもる。Aと名乗った少女はその先の言葉を予感した。
「もう我慢できない」
ダメだ、それだけは絶対に。
「一緒にやろ? デドラブ」
「ダメ! いやだ!!」
次の瞬間、暗い世界の足場が音もなく消える。
内臓が迫り上がる、あの独特の違和感。
そして。
- GAME START -
高度一万九千メートルからの、自由落下が始まる。




