小島てるのログ 後
「あぁ、君か」
橋の向こうに立つ女の子へ手を振る。
明るい髪。
読めない表情。
いつもの服。
その子は、そのまま無言で橋を渡ってきた。
寝起きなのか、考え事でもしているのか。
そんな足取りで。
「次のやつを」
少し遅れて、要件だけ返ってくる。
「うん。準備してあるよ」
彼女がちらりとテーブルを見る。
お茶がほしいのかな。
「どうぞ」
向かいの椅子に座るよう促す。
来るたびに少しずつ雰囲気が変わる子だけど、今日は特に静かだ。
空いているカップにハーブティーを注ぐ。
あの二人に用意したカップだけど、使ってないし、洗ったし。
まぁ多分、この子も気にはしないだろう。
「——っ、えほっ」
むせた。
あ、今日は水だった。
彼女は文句を言うでもなく、ハーブが浮かぶティーポットを見ている。
二口目からは普通に飲んだ。
そういうものだと思っているのかもしれない。
一応伝えておくか。
「お湯が使えなくてさ」
ようやく、その子が顔を上げる。
「どういう状況?」
「迷子に小屋を占拠されてる」
少しだけ目が開き、それから小屋を見る。
「今回はちょっと荒れてるタイプだった」
その子は何も言わない。
ただ、小屋の方をぼんやり見ていた。
何か別のことを考えているみたいだった。
「君が迷子と居合わせるのは初めてだね」
ボクとしては、このまま会わないうちに帰ってもらいたいけど。
「……どんな迷子?」
「二十代の男女」
「受け入れ先なし?」
「うん」
「面接したんだ」
「昨日ね」
その瞬間。
女の子がこちらを見た。
「ログある?」
「あるけど」
「見たい。見せて」
さっきまでのぼんやりした感じが消えていた。
この感じは……まずいかも。
「どういう形式?」
「音声と、あとボクの思考ログを、そのまま共有領域へ流してるだけ」
「……雑だね。いつもそんな感じ?」
「そうだね。それで機能するからね」
彼女は少し考える。
「こっちにも送って」
音もなく、端末を机へ置いた。
「え?」
「どういうものなのか見てみたい。ついでに、整えられるか試したい」
妙なことを言い出す。
「てる、最近“拾う神”が全然あらわれないって言ってたよね。
ログが読みやすくなれば、確率は上がるかもしれないよ」
……確かに、ここ最近は迷子の引き取り手がつかない。
問い合わせも来ない。
うっすらとした悩みではある。
「上手く出来たら、見せてあげる。次回から真似してみるといいよ」
「まぁ、君のローカル環境でイジるだけなら」
問題はない、はず。
共有領域にアクセスさせるわけじゃない。
ログのマスターを触らせるわけでもない。
それに、この子はこうなると聞かない。
まぁいいか、言われるままにログを彼女の端末に飛ばす。
彼女は端末に顔を近づけて何かを小声で呟くと、じっくりと読み始めた。
垂れ落ちた髪に隠れて、その表情は見えない。
「……昨日の朝から今の時点まで、全部くっついてるね」
「え、うん」
特に切り分けたりはしない。
見る方は必要なところだけ、自由に取り出せるから。
「てる。思ったより、頭の中で色々しゃべってる」
「え、そう?」
自分で読んだりしないから、どうなってるのか把握はしていない。
変なことは考えてないはずだけど。
……あれ、これって読ませても大丈夫なのかな。
「ふふ、庭のことばっかり」
髪の隙間から楽しそうな声。
まぁ、大丈夫か。
「あと、このまま音声と思考ログ、リアルタイムで送り続けてほしい」
「え゛」
変な声が出た。
「それもリアルタイムで記録して、整えてみる」
「なんで?」
「なんとなく」
なんとなく、か。
まぁボクも、色んなことをなんとなくでやる。
とは言え、なんだかおかしな事になってきた。
でも、前まではこういうやり取り自体ほとんど無かった気がする。
いつも読めない表情で、最低限の会話だけして、お茶だけ飲んで帰る。
それが最近は、妙に人間っぽい時がある。
彼女本来の性格に戻ってきているのかもしれない。
それは多分悪いことではない。
そう思うことにした。
後ろで紅葉樹が風に揺れる。
目の前の彼女は、まだ端末の操作に夢中になっている。
その間、ボクは池をただ見ていた。
水面にはゆっくりと流れる雲が映り込んでいる。
気温が上がってきて、心なしか瞼が重く感じる。
その時。
小屋の扉が乱暴に開いた。
「おい、てるー!」
男の声。
「腹減った!!」
ショウタ君、それにレイアちゃんだ。
こちらへ歩いてくる。
「あー……起きたか」
立ち上がる。
「ごめん、ちょっと行ってくる」
「ん」
橋の途中まで歩く。
「なんか食うもんねーの!?」
「昨日も言ったけど、ここには無くて——」
「だったら買ってこいって!」
レイアちゃんも不満そうに続く。
「コンビニとかないの?」
「ないよ」
「ご飯どうしてるの?」
「食べなくても大丈夫なんだよ。一応、神だし」
「でも、あたしらはお腹すくんだよ?」
「そうだぞ! どうにかしろ!! じゃないと、この庭——」
「てる」
会話が切れる。
三人そろって東屋を見た。
彼女は背中を向けたまま、わずかに振り返って呟く。
「……小屋、あいたね。ちゃんとしたお茶飲みたい」
「え、あぁ……うん」
ショウタ君が眉をひそめる。
「なんだアイツ」
彼女はもうこちらを見ていなかった。
端末へ目を落としている。
「じゃあ、お茶の準備だけしてくるね」
そう告げて小屋へ向かう。
「待て待て」
ショウタ君が付いてくる。
「どこ行くんだよ」
「お茶淹れるだけ」
「勝手なことしねーよな?」
「しないよ」
レイアちゃんも後ろからついてきた。
「ねえ汗かいちゃった、着替えある?」
「ボクのお古でよければ」
「それ大丈夫? 臭くない?」
「え、うん」
多分。
小屋へ入る。
荒れた室内を見て、少しだけため息が出た。
吸い殻。
散らかった紙。
開いたままの棚。
まぁ、あとで片付けよう。
ポットへ水を入れて、火にかける。
その間に、ベッド下の収納から古い服を取り出す。
レイアちゃんはチラッと見て、
「やっぱいいや。てるとペアルックになっちゃうし」
と受け取らなかった。
ショウタ君が吹き出す。
「ぶほ! てるてる坊主が二体になっちまうしな!」
服を畳んで仕舞い直す。
てるてる坊主。
ボクをそう呼んだ子も、もうかなり昔にいたなぁ。
さて。
カップは四つかな……足りないから湯呑みも使う。
ティーポットも東屋に起きっぱなしだ。
予備を出してきて軽く洗う。
ハーブは、カモミールでいいか。
お湯を注ぐ。
カモミールの香りが広がった。
「はい、持ってくからどいてね」
ポットとカップをトレイに乗せて小屋を出る。
ショウタ君とレイアちゃんも、そのまま付いてきた。
こういうところは、ちゃんと“迷子”っぽい。
東屋へ戻る。
彼女はさっきと同じ姿勢のまま、まだ端末を見ていた。
「お待たせ」
「ん」
テーブルにカップを並べる。
なんとなくの流れで、四人で座る形になった。
迷子の二人は、席についてからは少しおとなしい。
一方で、彼女は気にする様子がない。
このまま何も起きないといいのだけど。
彼女は顔を伏せたまま、カップを寄せて一口飲む。
今度はむせなかった。
「……良い感じ」
「良かったね」
ショウタ君が彼女をまじまじと見る。
「で、誰?」
「仕事仲間」
「神?」
「そうだね」
「なんで制服?」
「学生だったからじゃない?」
「日本人?」
「“元”ね。この子とボクの場合は、だけど」
「……てる、なんで全部お前が答えるんだよ。マネージャーかお前は?」
その言い回しの意味は分からなかった。
レイアちゃんが彼女を覗き込む。
「髪すごい明るいね。神様ってみんなこうなの?」
少しの沈黙。
「……知らない。たまたまじゃない?」
「それ地毛? 染めてる? レイ、プリンになってきちゃってさー」
「地毛なわけないでしょ」
あ、意外と普通に会話してる。
ショウタ君が少し笑った。
「変なやつ」
その言葉に反応した感じではなかった。
ただ、彼女はふいに顔を上げた。
「おっ!」「わ!」
二人の声が重なる。
なんだろう。
……あぁ、目か。
「え、それ。目、どうしたの?」
「えっぐ……」
彼女は、人間だった頃に左目を損傷している。
それをどういうわけか、治さずそのままにしている。
はじめて見た人の反応としては正しいのかもしれない。
レイアちゃんは、普通に心配してるようだ。
面接の感じからも、この子は根が素直だ。
一方のショウタ君は、言葉のわりには口元を吊り上げている。
この子も素直だけど、やっぱり露悪的な面が目立つ。
「えー、痛くないのそれ?」
「もう痛くはないよ」
「見えないの、そっち?」
「見えてないよ」
彼女の顔の前で手を振るレイアちゃんに、淡々と返してる。
ショウタ君がテーブル越しに覗き込むように近づく。
「どうなってんだ、潰れてんのか?」
そう言って手を伸ばす。
これは流石に止める。
「あ、あ! 触らないであげて」
「んだよ、ちょっと見ようとしただけだよ」
だとしても、これ以上接近させるのは危険だ。
ショウタ君が。
レイアちゃんは逆に気楽そうだった。
「そのままだとバイキンとか入らない?」
「入らないよ」
「ほんとに?」
「たぶん」
「たぶんだって」
レイアちゃんが笑う。
「眼帯とかしたら?」
「眼帯」
「うん。可愛いのあるじゃん」
彼女が少しだけ首を傾げる。
「ものもらいの時、レイも付けてたよ。黒いやつ」
「……なるほど」
「絶対似合うと思う。あんた可愛いし」
少しだけ沈黙。
そして、彼女は小さく笑った。
レイアちゃんもつられて笑う。
ボクだけが、何に納得したのか分からなかった。
かと思えば、また顔を伏せて端末をイジり始めた。
この子のやることはよく分からない。
「おい。こいつはマシな“世界”もってねーの?」
「この子は、そういうのじゃないんだよ」
「……昨日はいなかったよな、こいつ。
他のとこから来たってことだろ。
他の世界か、島がどっかにあって、そこから来たんだろ?
あちこち移動できるなら、こいつに良いとこ見つけさせるなり、
そこに連れていくなり出来るんじゃねえの?」
やはり、この子は馬鹿ではない。
でも空腹のせいもあるのだろう、またイライラし始めている。
彼女を見る。
まだ端末をいじってる。
「この子にはそういう事はできないよ」
「じゃあ、お前の事故物件から選べってことかよ、結局」
「そうだね、あの中から選んでほしい」
「…………」
「力になれず申し訳ない」
そう告げた瞬間。
「全部! ダメだって! 言ってんだろ! どうにか! しろって! マジで!!」
テーブルを叩きながら怒鳴る。
カップが揺れる。
中身がこぼれる。
さらに身を乗り出して、手を伸ばし、テーブル越しにボクの襟首を掴んできた。
ポットが落ちて、割れる音。
「あぁ」
力任せに引っ張られて、腰が椅子から浮く。
テーブルの上に引っ張り上げられる。
ショウタ君の顔が近い。
その目には凄まじい怒気、そして——迷子がいつも見せる、何か。
「ちょ、ショー君! やり過ぎだって!」
レイアちゃんが止めに入ったけど聞かない。
「殺す! こいつ殺す!!」
これはさすがに、まずい。
「ねぇ。うるさいよ」
一瞬、しんとする。
彼女だ。
自分のカップを右手に避難させた彼女が、いつの間にかこちらを見ていた。
「ショウタ君には、理解できなかったかな?」
全員が彼女を見る。
「てるは『どこで死ぬか早く選べ』って言ってるの」
いつもの声と顔で、さらりと言った。
そしてお茶を一口。
みんな、少しだけ固まった。
レイアちゃんも、驚いた顔で彼女を見ている。
ショウタ君はボクを突き飛ばして立ち上がる。
そのままテーブルを回り込み、無言で彼女へ詰め寄った。
彼女はただカップを持ったまま、ぼんやりショウタ君を見ていた。
そんな彼女の髪を、ショウタ君が掴み上げた。
「あ」
反射的に声が出た。
まずい。
次の瞬間。
ショウタ君の手が、弾かれるようにして髪から離れた。
「うお!?」
彼の体が浮く。
床から数十センチ。
関節が軋むような音がする。
「いってぇ!?」
「ショー君!?」
レイアちゃんが悲鳴を上げる。
ショウタ君だけが、一瞬何が起きたのか理解できていない。
彼女はその間も、普通にお茶を飲んでいた。
「やめてやめて」
「こいつ、触った」
「うん、見てた。分かるけど降ろしてあげて」
少し間。
ショウタ君の体が、ふわりと地面へ戻る。
着地と同時に後ずさる。
「っ、んだよ今の!」
「……警告するのを怠ってしまった。この子は危険だから、敵対しないで」
ショウタ君は彼女を見る。
彼女はもう興味を失ったみたいに、カップへ口を付けていた。
怒っている様子がないことが、余計に怖かったのかもしれない。
「……っ、キモいんだよ片目野郎!!」
叫んで、逃げた。
橋を渡ったところで振り返る。
「クソガキ!! このチビ!!」
「はぁ?」
彼女が初めて少し顔をしかめた。
「平均以上あるんだけど」
「あるわけねーだろ!! どこのホビット族ですか〜!」
ショウタ君はそう叫び返すと、一目散に小屋へと駆け込む。
扉が乱暴に閉まる音。
静かになった。
「……」
「……」
東屋に残されたレイアちゃんが呆然としている。
まぁ、そうなる。
割れたポットを拾おう。
飛び散ったお茶をハンカチで拭く。
カップは無事だ。
頭上から、彼女たちの会話が聞こえてきた。
「あ、あははー……ごめんねえ、うちのバカが……はは」
「あっちが勝手に触った」
「まぁそうだよねえ、セクハラだったかもお?」
割れた破片をまとめる。
「……ショー君、大丈夫かな」
「アレでは死なないよ」
「そういう意味じゃなくて、うん」
彼女がカップを置く音。
「レイアちゃん」
「え?」
「てるのリストにある、昆虫転生のやつ」
「……あっ。あのキモいやつ?」
「うん。あれが一番マシだと思う」
「えー……」
「タスクが明確だから」
「たすく?」
「やることが分かりやすいって意味。
敵がいて、味方をつくって、生き延びる、とかね」
彼女は淡々と続ける。
「とてもシンプル。構造的にも安定してる可能性が高い」
「でも虫だよ?」
「慣れるよ」
「慣れたくないよぉ……」
レイアちゃんの困ったような声。
「……ショー君の方が、虫とか絶対無理だと思う」
「じゃあ一人で行けば?」
沈黙。
「……え?」
「ショウタ君抜きで」
「いや、でも」
「別に一緒じゃなくてもいいでしょ」
「え、いや…………うーん」
静かになる。
ようやく片付けが終わって、椅子へ座り直す。
そこには、腕組みして難しい顔をしたレイアちゃん。
お茶を飲み干し、端末を閉じる彼女。
「てる」
「うん?」
「ログの編集、やってみたけど上手くいかなかった」
「えぇ」
「大きく分割したり、ブロックで省略はできても、書き換えはできなかった」
「え、まぁ。ログを編集なんてしちゃいけないからね」
「……そうだね」
少しだけ沈黙。
「じゃ、行くね」
「うん。またおいで」
彼女が立ち上がる。
風が吹く。
明るい髪が揺れる。
「いってらっしゃい、掃除屋」
その子は振り返らず、片手だけ軽く振った。
神のログを入手することに成功した。
私の端末にコピーしたものであれば改変が可能と思われたが、
結果として意味を変えてしまうような編集は制限された。
マスターログとの不整合を許さない仕様なのかもしれない。
この異世界群では、誰が何をしても基本的にはログが生成される。
神、主人公、そして“場”のログは、
それぞれ別属性として扱われている可能性がある。
興味深い。




