小島てるのログ 前
自分の庭を見て回るのが、朝の日課だ。
窓を開けて、小屋に風を通す。
いい天気だ。
玄関前の石畳に降りて、池を眺める。
二本の橋。
中央に浮かぶ小島。
白い東屋。
穏やかな水面。
今日は半時計回りで見て行こう。
これは気分で決める。
小屋の横を通ると、昨日干したハーブが少し揺れていた。
ミント、カモミール、レモングラス。
あとで摘み直そうかな、と考えながら、そのまま石畳を歩く。
小屋から見て右手側の道には、広葉樹が作る木陰のエリアがある。
木陰にはピクニックベンチを置いてみた。
こういった木陰がないと、人はどうにも落ち着かないらしい。
迷子の人たちもだいたいこの辺りに寄りつく。
泣く人もいるし、怒鳴る人もいるし、池をずっと眺めてる人もいる。
そういえば先日の子も、このベンチで膝抱えてたなぁ。
結局、最後まで行き先を自分では決められなかった。
まぁそういう人もいる。
小島に続く橋はまだ渡らない。
まずはこのまま外周をぐるりと回ることにする。
これも気分、特に決まったルートはない。
木陰を抜けると視界が開き、音もなく流れる心地よい風を感じる。
庭の外に広がる雲海がよく見える。
小屋から一番遠いこの辺りは、芝生を広めに残してある。
寝転べる場所もあった方がいいかなと思って。
でも、そういった行動をする人は殆どいない。
代わりにタバコやお菓子の袋が落ちていることはある。
ゴミはポケットに入るだけ、とりあえず回収しながら歩く。
反対側の橋の手前で立ち止まる。
池に葉っぱが浮いていた。
「あぁ」
これは朝のうちに取っておきたい。
橋の横に立て掛けてある網を取って、水面をゆっくり撫でる。
葉っぱに、小さい枝。
小さい虫まで一緒に入ってしまったので端へ逃がす。
それと、橋の下にペットボトルが引っかかっていた。
赤いラベルに、知らない文字。
これは保管しておこう。
網を戻し、小島へ渡る。
三歩目で橋が少し鳴った。
ここはあとで締め直そう。
東屋の柱に、蔦が少し伸びて絡んでいる。
放っておくと梁までいってしまう。
少しだけ整える。
東屋の椅子がずれているので戻す。
テーブルには薄い輪染みが一つ増えていた。
これはあの子か。
コースター使わないからなあ。
ハンカチを池の水で濡らし、軽く拭く。
端から端まで、歩き回っても数分。
小学校の校庭くらいの広さ、と言った人がいた。
これがボクの庭のすべて。
この庭は壊れない。
でも壊れないだけで、傷まないわけじゃない。
ちゃんと手入れしないと少しずつ軋む。
……まぁ、こんなものだろう。
一旦、小屋へ戻る。
裏手の湧き水を汲んで、火にかける。
ティーカップを二つ並べる……やっぱり一つ戻す。
ハーブは適当に選ぶ。
今日はミントでいいか。
ティーセットを持って、小島へ。
椅子に座って池を眺める。
水面には雲が映っていた。
下にも空があるみたいだ。
静かだった。
カラン。
小さな鐘の音が鳴った。
「あ、来た」
“迷子”だ。
草原エリアの一角。
転移座標の辺りに、光が滲む。
数秒遅れて、人影が二つ、芝生の上へ転がり出た。
「うわっ!?」
「ってぇ!」
二十代くらいの男女だった。
男の方は金髪。
女の方はピアスだらけ。
どっちもジャージ姿で、少しガラが悪い。
転がった勢いのまま、男が立ち上がる。
「うお!? なんだここ!?」
そのまま庭の外側へ歩き出そうとする。
「あ、待って待って」
慌てて駆け寄る。
「勝手に動かないで。端の方、落ちるから」
「あ?」
二人が反応する。
ボクを見て、池を見て、橋を見て、またボクを見て。
振り返って外側を見る。
そこでようやく、自分たちがどこにいるのか理解したらしい。
「…………空の上? は? 死んだ?」
女の方が声を漏らし、男の方は黙る。
まぁ、だいたいみんな最初はこうなる。
意外と騒がないパターンなのは助かる。
さて、仕事モードだ。
「こんにちは。小島てるです」
二人が振り返る。
ボクはいつもの笑顔を作る。
「ここは安全だから。まず、勝手に端へ行かないでね」
「あっちの木陰にどうぞ。そこで順番に説明するね」
二人は顔を見合わせながら、ぎこちなく木陰の方へ歩いてくる。
男の方はまだ落ち着きなく周囲を見回していた。
「これはアレだな、異世界ってやつかもな」
「やっば。ウケるんだけど」
二人とも、さっきよりずっとよく喋る。
まぁ、そういうタイプも結構いる。
ピクニックベンチへ案内する。
女の方はするっと座り、男の方は立ったまま外側を見ている。
「すっげぇ……こんなの映画じゃん」
木々の隙間から雲海を見下ろして、笑う。
「なあ、これ、異世界転生ってやつだよな! 借金とか全部チャラじゃん!」
女の声も明るい。
「やば、もうバイト行かなくていいじゃん!」
それ、前にも聞いたなぁ。
誰だったっけ。
まぁいいか。
転生じゃなくて転移だけど、まぁそれもいいか。
「飲み物いる?」
「おう」
「ミントティーだけど」
「いりまーす」
男の方は笑いながら受け取った。
女の方も続いて受け取る。
この二人は、理解が早い。
ただ、あまり期待させると面倒なことになる。
早速はじめよう。
向かい側へ座る。
「じゃあ、順番に説明するね」
「おなしゃす、女神様!」
男がヘラヘラ笑いながら言う。
「ボク、そういう感じじゃないんだけど」
男だし。
まぁ、訂正するほどでもないか。
「まずこの庭は、異世界に来ちゃった人たちの待合室みたいな場所です」
「おー」
「へー」
「で、ボクはこの場所の管理をしてる。
神、って言った方が分かりやすい時もあるかな」
「マジで神!?」
「やっば、すげぇ!」
楽しそうだ。
細かい話は、この二人には不要だろう。
「で、ここへ来る人たちは、“行き先がない人”です」
男が止まる。
「……んー?」
「異世界に呼ばれたけど、受け入れ先が存在しなかった人たち」
沈黙。
風が木を揺らす。
「いや、待て待て」
男の方が眉をしかめた。
「ちゃんと説明しろ」
「普通はね、特定の世界が、特定の人を呼ぶ。
主役とか、救世主とか、そういうものになる人を選んでね。
でもたまに、ただ呼ばれただけで行き先が未定の人もいる。
そういう人たちがここへ来る」
「……あ?」
男の表情が明らかに険しくなる。
女の方も、カップを持ったまま固まっていた。
「君たちは今のところ、どこの世界にも受け入れられてない」
沈黙。
男が舌打ちする。
「いやいやいや。異世界モノってそういうのじゃねぇだろ」
女も不満げだ。
「なんで勝手に呼んでおいてハズレ枠みたいになってんの?」
まぁ、ここは毎回、確実に揉める。
だからこう続ける。
「まぁまぁ、順番にやるから」
とりあえず落ち着かせる。
「今から君たち、それぞれの話を聞かせてもらいます。
そのログを流して、“受け入れてもいいよ”って神様がいるか確認する」
「あ? 面接とか、スカウトみたいな感じか?」
「まぁ近いかな」
「ふん」
男の方はまだ不満そうだったけど、説明自体には興味があるらしい。
「で、面接は基本、一人ずつやります。
二人一緒でもいいんだけど、その場合ちょっとログが読みにくくなる。
読みにくいと、不利になるかもしれない」
「ログってなに?」
「ボクと君たちの会話の記録だよ」
本当はかなり違うんだけど、今そこを説明しても混乱するだけだろう。
男がミントティーを飲む。
「で、どうすんの?」
「片方ずつ、ここで話聞く。
待ってる方は庭を見ててもいいし、小屋の近くまでなら歩いても大丈夫」
「端は?」
「落ちる」
「死ぬ?」
「分からない。少なくとも戻って来れない。
ちなみに君たちはこの池で溺れても死ぬ。
ここにずっと住み続けても、食べるモノがなくて死ぬ。
気をつけて行動してほしい」
二人は混乱しながらも耳を傾けている。
やはり、見た目に反して理解は早い。
「じゃ、先どっち?」
女の方が男を見る。
「お前先でよくね?」
「えー」
「別に減るもんじゃねーし」
まぁ、この二人ならそんな感じか。
男の方が立ち上がる。
「じゃ、ちょっとその辺見てくる。橋渡っていい?」
「いいよ。でも池には落ちないでね」
「落ちねーよ」
男は笑いながら歩いていく。
池を覗き込んだり、雲海を見たり、芝生を蹴ったり。
まだ、異世界観光の途中みたいな顔をしている。
ベンチへ座り直す。
女の方もカップを置いて、少し姿勢を正した。
さて。
まずは名前から聞こうかな。
ー
(省略)
ー
ふう、やっと終わった。
「……お疲れ様。じゃあこのログを他の神様に共有するね」
「おう。で、結果はいつ出るんだ?」
たっぷりと“武勇伝”を語った男は、面接前よりさらに気が強くなっていた。
「三十分から一時間くらいかな」
本当は、即座に分かる。
異世界間に時間の概念はあってないようなものだから。
でもボクはいつも、あえて少し間を空ける。
ボクにも迷子にも、この待ち時間はあった方がいいから。
この二人は“不採用”だった。
拾う神なし。
どう伝えるべきかを思案する。
池に小石を投げ込んで遊ぶ彼らを眺めながら……やめてほしいなぁ。
「結果が出ました」
小島の東屋に新たにティーセットを準備して、声をかける。
少しでも落ち着いてもらうために、カモミールにした。
芝生の端っこで雲海バックに自撮りしていた二人がドタドタと駆け寄ってくる。
「どこだ? どんなとこだ?」
「チートちょうだいチート! あたし空飛びたい!」
まずは向かいの椅子に着席を促す。
どちらも、すでに興奮している。
お茶は……すすめても無駄かな。
「結果としては、君たちを受け入れる世界はありませんでした。
なのでボクが預かっている世界の中から行き先を選んでほしい」
一口で代案まで言い切る。
間を開ける方がこじれる。
「……お」
「ふぅん?」
「力になれず申し訳ない。この中から選んでほしい」
「待て。……待て」
勢いで押し切るパターンで行きたかったけど、男が制してきた。
「お前が預かってる世界というのを、なんで最初から出さない?」
男——翔汰といったかな。
横暴な面があり、賢くはない。
だけど、決して馬鹿ではない。
仕方がない。
それにどうせ分かってしまうことだ。
「ボクが紹介できる世界は、簡単にいえば人気がないんだ。
創造した神が手放した世界ばかりで、いわゆるチートも期待できない」
そう伝えながら冊子にまとめた“リスト”を手渡した。
男はボクを睨んだまま、受け取らなかった。
正直に説明したつもりだったけど、むしろ警戒させてしまったらしい。
代わりに女が受け取り、冊子を開く。
やがて、二人で食い入るように読み始めた。
この後の展開を想像しながら、お茶を飲んで待つ。
女——麗亜という子がひそひそと質問し、男がそれに答えてる。
最近の迷子は異世界関連の知識持ちが多い。
迷子に限っては、それが必ずしも良いことではないのだけれど。
しばらくすると、男がものすごい剣幕で睨みつけてきた。
「……テメェ。てる。おい。ふざけてんのか?」
来た来た。
ティーカップをコースターに置いて、二人を見る。
「全部、ダメダメじゃねーか」
「……てる。これはひどいよ」
まぁ、そうだよね。
それは本当にそうなんだけど。
「すまない。この中から選んでほしい」
男が無言でリストを机へ叩き付けた。
ティーセットが音を立てて揺れる。
女も露骨に嫌そうな顔をしていた。
男が低い声で言う。
「お前さ、これどういうつもりでリストアップした?」
「比較的、安全な世界から順に並べてるよ」
「これで!?」
男は声を裏返らせ、リストを指差しながら捲し立てる。
「“言語共有不可。意思疎通は夢を介してのみ可能な世界”」
「キモ!」
「“昆虫に転生して動植物と戦う世界”」
「キモすぎ!!」
「“空を見た者から順に発狂する世界”、じゃねーよ! 意味わかんねえよ!!」
「ほんっとキモい!!!」
「あ、それはそのままの意味かな」
「だから説明になってねぇんだよ! まっすぐ殺しに来てるだろこんな設計!」
怒鳴られる。
まぁ、そこは怒ると思っていた。
「本当に申し訳ないんだけど、そういう所しかないんだ」
「いや、待て待て待て」
男が額を押さえる。
「もっと普通の異世界ねぇのかよ……スローライフとか。農業とか。
そういうやつでもいいんだ。もう刺激は求めないからよ」
そういうのはきっと、普通に回る世界なんだろう。
ボクにも迷子にも、縁がない世界だ。
けど、これをそのまま言うのはよろしくない。
どうしたものかと考えていると、男がハッとして顔を上げた。
「小島てる」
「なに? ショー君どうしたの!?」
「事故物件ばっか扱ってるサイトあるじゃん」
「あー……あるね」
「まさかそこから取ってんの?」
「逆だよ」
なんとなく答える。
「昔、迷子……今の君たちと同じ状況だった誰かが同じこと言って。
それで“じゃあ、お前は小島てるだ”って名前くれた」
「はぁ!?」
「ボク、元々名前なかったし」
男が頭を抱える。
その反応も、まぁいつものことだった。
「いやいやいやいや。無理無理無理」
「ねぇてる……これ以外ないの?」
「あるよ」
二人の顔が少し明るくなる。
「もっと条件悪いのなら」
沈黙。
女がリストを閉じた。
男が深いため息をつく。
「じゃあ探せよ。もっとマシな世界」
「今すぐは難しいかな」
「探せよ」
「ボクにも出来ることと出来ないことがあるから」
「お前は! いまんところ! なんにも出来てねえだろう、が!!」
男は立ち上がり、東屋の柱を蹴った。
埃が落ちてくる。
ティーカップにも入る。
あぁ。
「……とにかく、こんなとこ行かねぇから」
ボクに目一杯顔を寄せてそう言うと、くるりと反転して橋を渡っていく。
「小屋、借りるぞ」
「うん?」
「お前がマシなトコ見つけるまで、待つ。行くぞレイア」
女も頷く。
「ね、タバコ吸っていい?」
「あ、火事だけ気をつけて」
「急にリアル。ウケる」
二人はリストを持ったまま、小屋の方へ歩いていく。
止めなかった。
小屋の扉が閉まる。
はぁ。
しばらくして、窓が開いた。
「おーい、てるー!」
男の声。
「食うモン何もねーじゃん」
「ここには無いよ」
「買ってこいよー」
「買える場所がないよ」
「食い物もってくるか、まともな行き先を見つけろー。
早くしねーと、この庭ぶっ壊しちゃうよ?」
大きな声と窓が閉まる音が響く。
そのあと、また静かになった。
まぁ。
こういうことも、長くやってればある。
はぁ。
ー
朝だ。
東屋の天井をぼんやり眺めながら、しばらく動かなかった。
昨夜はここで休止した。
体が少し痛い気がする。
池の水面は静かだ。
空も晴れている。
とりあえず、いつも通り見て回ろう。
橋、やっぱり少し軋む。
締め直すつもりだったんだっけ。
あれ、それは反対側だったかな。
木陰のベンチ。
靴のまま乗ったのかな、泥がついてる。
ハンカチを池で濡らして拭く。
小屋の目の前の池に、何かが浮いている。
吸い殻。
あと紙くず。
……リスト破っちゃったのか。
窓から投げ捨てたのだろう、池の手前にも幾つか落ちている。
「あぁ」
網を持ってきて、すくい上げる。
紙くずはポケットに。
小屋の裏手へ回る。
ハーブの植え込みが少し踏まれていた。
ミントが折れている。
レモングラスも一部潰れていた。
それと。
「あー……」
植え込みの根元が濡れていた。
まぁ、うん。
人間、切羽詰まるとそういうこともある。
手桶に水を汲んで流しておく。
そのまま小屋の扉へ向かう。
開かない。
内側から何かつっかえているらしい。
中から寝息も聞こえる。
「ショウタくーん」
返事なし。
「レイアちゃーん」
返事なし。
まぁいいか。
それより。
お茶、どうしようかな。
しばらく扉を眺めてから、東屋へ。
昨日のティーセットを持ってきて、裏手の湧き水で洗う。
干していたハーブは無事だった。
潰れていないところを少し摘む。
ミント。
あと、カモミールも少し。
小屋に入れないから、お湯が作れない。
仕方ないので、湧き水をティーポットに汲む。
東屋へ戻り、椅子に座る。
ハーブを指先で揉むと、少しだけ香りがした。
崩してティーポットに入れる。
味は、するような、しないような。
……まぁ、これはこれでいいか。
風が吹く。
芝生が揺れる。
その時。
「てる」
声。
振り返る。
橋の向こうに、女の子が立っていた。
「あぁ、君か」
その子は、いつもの顔でこちらを見ていた。




