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記録08 ツキルとミチル⑤



 停車場通りは静まり返っていた。


 黒い影は、じっとミチルへ顔を向けている。


「次は、貴女の話を聞かせて」


 ミチルはすぐには答えなかった。


 さっきまでの軽口も、誤魔化すみたいな笑顔もない。


 代わりに、少し困ったみたいな顔で頭を掻く。


「うーん……」


 その仕草だけは、いつものミチルだった。


「……そんな大した話じゃないんだけどなぁ」


「ミチル?」


 ツキルが震える声で反応する。


「ツキル。あっちでの記憶って、どこまである?」


「“あっち”……元いた世界……ですか」


 考え込むツキルを待たず、ミチルが続ける。


「ツキル、お弁当食べてたよね。学校の非常階段で」


「…………はい。そう、でしたね」


 ツキルがぽつりと語る。


「あなたとおしゃべりするには、教室は騒がしすぎましたからね」


 込み上げた懐かしさに、ツキルは弱々しい笑顔を浮かべる。


「あなたは、階段を一気に飛び降りたり。いつも通り元気でした」


「その後すぐ、こっちに来たんだ。……その記憶はある?」


 ツキルの表情が曇り、訝しげに深く考え込んだ。


 そしてすぐにハッとする。


「分かり、ません」


「あれ……私は、どうやってこの世界に……?」


 ミチルは少しだけ視線を逸らす。


「だって、しょうがなかったんだよ」


 ぽつりと。


「最初、本当に一人だったし」







「わ! なになに?! これどこ!?」


 目の前の景色が一瞬で変わった!


 変な街、変な服、煙っぽい匂い。

 わ、電車が道を走ってる!

 いいのこれ!?


「な、なにが起きたあああああああ!!」


 ……と、こんな感じで、

 とりあえず大きく騒ぐのが私の仕事。


 細かいことはツキルに任せよう!

 さぁツキル!

 どうしよう!!


「…………」


「あれ?」


「……ツキル?」


「ツキルさーん」


「……おーい?」







「知らない街でさ。知らない人ばっかで」


 ミチルが苦笑する。


「みんな変な格好してるし」


 ツキルは何かを言いかけて、俯く。


 Aも、ただじっとミチルを見ている。


「……でも、ツキルがいなかった」


「それが、なんか……無理だったんだよね」







「あ! ツキル!!」


 パッと立ち上がった時にツキルの髪が見えた!

 なんだ、すぐ横にいたの!

 でもそっちを見るとツキルがヒュッて逃げる。

 今度は反対側にツキルの髪がヒラリ。

 で、そっちを見るとまた逃げる。


「なんだぁ? 訳わかんない状況なのに遊びたいのかあ? 余裕あるじゃんツキル!」


 その場でくるくる、くるくる。

 そんなことをしばらくやってて、ようやく気がついた。

 これ私の髪だ。


 近くのお店のガラスに映る自分の姿を見る。

 肩口で揃えた黒髪。

 ちょっと不機嫌そうな顔。

 細っこい身体。

 よく知ってる女の子。


「ツキルじゃん!!!!」


 思わず叫んだ。

 ガラスに映るツキルも同時に叫んだ。


 通行人が振り返る。

 あれ、私の声きこえてる?

 あれ、というか、


「え、待って待って待って!!」

「なんで!? なんで私ツキルなの!?」


 ガラスに駆け寄って顔をくっつける。

 どう見てもツキル。

 自分の口から、ツキルの声が出てる。


 意味分かんない。


「ツキル!!」


 周りを見る。

 いない。


「ねぇツキルってば!」

「どこどこどこどこ!?」

「やだって!」


 返事、ない。

 急に息が苦しくなった。


 いつもならいる。

 右か左か、前か後ろに。

 帰り道も。

 教室も。

 家も。


 ずっと。

 なんか喋ってるか、

 勉強してるか、

 呆れてるか、

 ため息吐いてるかして。


 なのに。


「……うっそでしょ」


 知らない街とか、変な世界とか、

 そんなのどうでもよくなるくらい。


 無理だった。







「最初はずっと泣いてて」


「でもお腹はへるから、何かしなきゃって」


「だから、働いて、ごはん食べて、その時は幸せで」


「でも夜になると、さみしくてまた泣いて」


 しばし沈黙。


 霧の向こうで、路面電車のレールが微かに軋んだ。


「だから、いっぱい話しかけた」


「隣にいるつもりで」


「街歩く時も。寝る時も、起きた時も。働いてる時も」


「ツキルなら、なんて言うかなって」


 ツキルが顔を上げる。


 ミチルは続ける。


「そしたら、返事してくれるようになっていった」







 色んな仕事をした。

 ごはん食べなきゃいけないから。


「これとこれ、どこどこに届けてきてくれないかい?」

「使わなくなった納屋、片付けたくてねえ」

「うちの犬っころ、探してくれねえか」

「ケンカだ、誰か止めろ!」


「なんでも屋だねぇ、あんた」


「生きるためだからね!」


 昼は元気だった。

 ツキルの身体、ヒョロヒョロなのにちゃんと動く。

 だから走り回った。

 色んな人に話しかけて、笑って、お仕事もらって。


 働いた後のごはんは、本当に美味しい。

 デザートは、ヤバい!

 団子、羊羹、あんみつ、クリームソーダにプリン。

 ツキルはこういうの、全然食べなかった。

 これを知らないのは人生損してるよ!

 ねぇツキルも……


 夜になると、ダメだった。

 周りに誰もいなくなるから、静かで。

 布団かぶって寝ようとしても、いつも泣けてきて。


 「……ツキル」


 毎晩、空いてる隣へ向かって話しかけた。


「今日さ、変なお客いたんだよ」

「あと絶対あれぼったくり」

「ねぇ聞いてる?」


 返事はない。

 それがほんとに怖くて。

 いつまでも慣れなくて。

 だから私は、勝手にツキルの返事を想像した。


『稼いだ分をその日に使い切ってたら、破綻してしまいますよ』


「はいはい、言うと思った」


 空いてる隣に向かって返す。

 最初はそれだけだった。

 私が勝手に“ツキルならこう言う”をやってただけ。


 でもやめなかった。

 やめたら、本当にツキルが消えてしまう気がしたから。


 街を歩く時も。

 ご飯を食べる時も。

 仕事をする時も。

 ずっと、隣にツキルがいるみたいに喋り続けた。


 街の人たちに、変な目で見られるようになった。

 お仕事も減っちゃった。

 でも気にしない。

 だって、ツキルがいない方が嫌だったから。


 ツキルの姿も想像してみた。

 いつも見てたし、この身体ツキルだし、簡単だった。

 私にしか見えない、ツキルが出来上がった。


 ツキルは歩くとすぐに疲れちゃう子だし、

 何か読んでるか、黙って考えてることが多い。

 私はそんなツキルに合わせた。

 ツキルが立ち止まったら私も止まって、ツキルが眺めるものを私も見て。

 なかなか動かない時は、電柱に登ったり、路面電車を追っかけたりして。

 ツキルと居る時の私らしく振る舞った。


 街での私は、すっかり変人扱いだった。

 お仕事は、危険なものが増えた。

 怪しい集まりに参加してきてくれとか、

 怖そうな人たちの素性を調べろとか。

 

 その夜も、知らない男の人たちをつけていた。

 路地裏の角でしゃがんで、こっそり覗き込んでた時。



『ミチル、後ろです』



 囁くような声がした。

 頭の中じゃなく。

 ちゃんと、耳の横で。


 振り返る。

 ツキルが、どこか違う場所を見ている。

 その視線を追っかけると、別の男たちが歩いてくる。

 

 危ない、私ぜんぜん気づいてなかった。

 

 ………………ということは。


 私が見ていないものを、

 ツキルが見た?


「ツ、ツキル……」

 

 恐る恐る、その黒髪にさわる。

 さらりと指を滑った。

 逃げない。

 消えない。

 あったかい。


「…………ツキルぅぅぅうううううう!!」


 思いっきり抱きついた。

 ツキルが、そこにいた!


「あなた阿呆ですか! 尾行中ですよ!」


 さわれる、きこえる。

 ツキル。

 ツキルだ!

 ツキルが来た!


「ツキルだぁぁ! あああああぁぁ!!」


「放しなさい! 気でも触れましたか!? あ、ほら!」


 すぐに男たちが集まってきた。

 私はツキルの手を取って、一気に駆け抜けた。

 

「あはははは!! やったああああああ!!」


「ちょ……うるさ……速……」


 ずっと笑いながら逃げ回った。

 誰も追ってこなくなっても、しばらく走り回った。


 宿に戻ってからは、いっぱい泣いた。

 それからツキルにいっぱい説教された。

 ネチネチネチネチ、いっぱい叱られた。

 嬉しかった。


 落ち着いた頃にツキルが言った。


「ミチル、お金はあとどれだけ残っていますか?」

「うっ……これはひどい」

「やり方を変えないと、もう限界ですね」

「やはり、しっかりと事業化しなければ」

「なんでも屋ではなく、きちんと看板を立てるべきです」

「お金の管理は私がします。拠点も必要ですね」

「この世界の法律や制度も調べないと……」


 私はずっと、涙と鼻水を撒き散らしながら頷いてた。


「うんうんうんうん! やろうツキル!」


「準備は殆ど私がやるんですけどね……。はぁ……」


 もう一人じゃない。

 本物のツキルがいる。







 ミチルは、Aを真っ直ぐ見返す。


「ツキルは来てくれた。時間がかかっただけ」


 Aは「なるほど」と頷きながら聞いている。


 対照的に、ツキルは血の気が引いた表情で、目を逸らす。


 確かに覚えている、

 その辺りから、私の記憶は繋がっている。


 だが、これではまるで……


「ツキルちゃんは他の人にも見えていたの?」


「もちろん!……あ、まぁ、徐々にって感じ?」


 誤魔化すような感じではなかった。


 Aは軽く頷くと、続きを促す。


「それで、どうなったの?」


「もちろん、ツキルと一緒の生活の始まりだよ!」







 街の人たちは最初、私たちを見てギョッとした。

 目を合わせず、逃げるみたいに避ける人もいた。

 子どもには、泣かれた。

 

 私のテンションがおかしかったのもある。

 しかたないじゃん。ツキルいるんだよ?

 同じ女の子が二人いるのも珍しかったのかもしれない。

 服も髪型も同じ。

 お金に余裕が出るまで、どうしようもない。


 私はツキルがいれば平気だったけど、

 難しい話を担当するツキルは、やりにくそうだった。

 私が話しかけて、打ち解けて、ツキルにバトンタッチ。

 その瞬間が一番ギョッとされた。

 ツキルもツキルで、

 頭は良いのに他人と話すのがほんとに苦手で。

 思ったように順調には行かなかった。


 でも、面白がって私たちを手伝ってくれる人もいた。

 大家のおじさんとか、新聞記者の三条とか。

 あとあいつだ、梟野きょうの

 後の『奇天烈マフラー』。


 そうやってどうにか部屋を借りて、

 飛び込み営業して、

 なんでも屋も結局やりながら、

 お金を貯めたり、使ったり、

 美味しいもの食べたり、ガマンしたり。


 看板にするお仕事の話になった時、私は「探偵」を提案した。

 なんでも屋のパワーアップバージョン! くらいのつもりだった。

 あとなんかツキルっぽい!


 ツキルは少し考えて、「ありですね」と言ってくれた。

 そして理由をいっぱい並べた。


「初期費用が最少で済みます」

「資格や免許も要りません。実績と営業でやれます」

「この世界、まだ警察が万全ではありません」

「科学捜査もまだまだ未熟です」

「こっそり解決してほしい。そんなニーズもあります」

「変人にも務まります」

「不本意ですが、私たちは好奇の目で見られがちですからね」


「……あと、正しさにこだわる事が許されます」


 難しいことは分からなかったけど、たぶん最後のが本音。

 ツキルは、そういう女の子だもんね。


「いいね! やろう!」







「それでね、探偵として働き始めてから」


 ミチルの声が明るくなる。


「ツキルもだんだん、街の人たちに馴染んでいったんだ」


 ツキルの肩が小さく揺れる。


「最初に私が話しかけて、ツキルが入りやすくして」


「街の人も、依頼人も、犯人や黒幕も」


「普通にツキルとしゃべるの」


 霧の向こうで、風が鳴る。


「気付いたら、“そういうカタチ”になってたんだよね」


 ミチルはなぜか、少し困ったみたいに笑う。


「探偵はツキルで、私は助手」


「二人でサクマ探偵社」




 ミチルの話が終わっても、しばらく誰も口を開かなかった。


 最初に動いたのはツキルだった。


 俯いていた顔を、ゆっくり上げる。


「……なるほど、です」


 その声は、妙に落ち着いていた。


「辻褄が、合ってしまいました」


 ツキルは静かに続ける。


「私には、たしかに記憶の断絶がある」


「ですが、ミチルの記憶には連続性がある」


 小さく息を吐く。


「私の認識では、私がこの世界にミチルと共に転移して、生活していく中でミチルが実在するようになった、というものでした」


「ですが、私の記憶自体は今のミチルの話と符合します。自分が主体だという前提で、認識を歪め、整合性を取っていた」


「……つまり、この世界の私は、ミチルのイマジナリーフレンド」


「そして、ミチルに求められていく中で、実在するようになった」


「無茶苦茶な話ですが、そもそも異世界なんてものが存在する時点で、無茶苦茶ですからね……」


 ミチルは困ったみたいに笑った。


「でもさぁ」


 軽い声。


 なのに、妙に真っ直ぐだった。


「別に関係なくない?」


 ツキルが顔を上げる。


「関係……ない?」


「だってツキル、ツキルじゃん」


 当たり前みたいに言う。


「頭いいし、めんどくさいし、すぐ説教するし」


「甘いもの全然食べないし」


「あと声ちっちゃい」


「最後いります?」


 ミチルが笑う。


 ツキルはしばらく黙って。


 それから、小さく息を漏らした。


「……そうですね」


 少しだけ、肩の力が抜ける。


「私は、朔間尽そのものではないのかもしれない」


「ですが」


 ツキルは、黒い影を真っ直ぐ見返した。


「朔間ツキルではあります」


 Aは何も言わない。

 ただ、静かに続きを待っている。


「私たちからは以上です」


 ツキルが言う。


 もう、“供述する側”の声ではなかった。

 そこには、いつものツキルらしさが戻っていた。


「次は、Aさんの推理を聞かせてください」


「うん」


 静かな声。


「じゃあ、確認から始めよう」




 霧が流れる。


「まず、ここは“物語”で動く世界。ミステリ小説に近い構造をしてる」


 ツキルが頷く。


「……その認識は、私も同じです」


「必要な役割が成立すると、世界はそれを“正”として補強する」


「だから私は、Aさんを“怪異”としてこの世界へ固定しようとした」


「うん」


 静かな声で続ける。


「ミチルちゃんによって、“探偵ツキルと助手ミチル”が、この世界の正解になった」


 ミチルが首を傾げる。


「まぁ実際そうだし?」


「本来は違った可能性があると?」


 ツキルの問いにAが頷く。


「例えば、梟野きょうのさん」


「マフラー!」


 ミチルが即答する。


 ツキルは眉を押さえた。


「ハイカラ理学士さんですね……」


「彼、本当は探偵役だった可能性がある」


「えー?」


 ミチルが瞬きを繰り返す。


「身体能力に優れた転生者のミチルちゃん。高い頭脳を持つであろう理学士の梟野さん。あくまで可能性ですが、そういうコンビの物語として設計されていた可能性もありますね」


「……彼が主役なら、納得ですね」


「え、嘘!? ツキルまさか……」


「……素敵じゃないですか、彼」


 ミチルが「うげぇ」と嫌そうな顔をする。


 二人のやり取りを見届けて、Aは続ける。


「ですが彼は、役割を失った」


「ミチルちゃんが、ツキルちゃんを探偵役にしたから」


「設計が崩れ、彼は“サポートキャラ”にシフトした」


「そして、奇矯ききょうになっていった」


「ヤケクソになってマフラー伸ばしてるってこと!?」


 ツキルがジトリと、ミチルを睨む。


「伸ばしたって、いいじゃないですか」


「ツキル、センスおかしいよ!?」


 霧の向こうで、風が鳴る。


 Aが続ける。


「でも、それ自体は大きな問題じゃない」


「問題は、もっと深刻」


 黒い影が、二人を見た。


「ミチルちゃんは、この世界そのものを書き換えてしまった」


 静かな声。


「“ツキルとミチル”という怪異を、世界が受け入れるように」


 ツキルの呼吸が止まる。


「怪異って……」


「Aさん」


 ツキルが低く言う。


「今の私たちは、どう見えているんですか」


 黒い影は少し黙って。


 それから静かに答えた。


「体は一つ」


「呼吸も、足音も、一人分しかない」


 霧が流れる。


「二人それぞれ会話してるように見えるけど、実際は違う」


「一人の身体が、二つの状態を高速で往復し続けてる」


「例えば、動き回るミチルちゃんと、止まってるツキルちゃんが、同じ場所で同時に成立してる感じ」


「見てると酔う」


 ミチルの顔から、

 少しずつ表情が消えていく。


「なのに、この世界は、それを“普通”として処理してる」


「だから誰も疑問を持たない。いや、持たなくなった」


「この世界の物語も、あたかも“二人”それぞれ身体を持ち、存在するかのように描写している」


 Aは静かに続ける。


「でも本来、そんな存在は成立しない」


 沈黙。


「そして」


 Aが言う。


「もう、この物語は終わってる」


 ミチルが目を瞬かせる。


「終わってる?!」


「“朔間探偵社奇談”は、もう完結してる」


「新しい渦が発生しない」


「続編が始まらない」


 静かな声だった。


「だから今、この街には舞台装置しか残ってない」


 ツキルはハッとして周囲を見渡す。


 霧。


 風。


 街灯。


 路面電車。


 それだけが残され、ただただ繰り返していた。


 目を凝らしたその先は、暗く静まり返っている。


 街も、人々も、何一つ動くものがない。


 Aの身体と同質の、完全な黒に囲まれていた。


 ツキルが、小さく息を吐く。


「……だから、あなたは来た」


「うん」


 Aが頷く。


「修正するために」


 ミチルが、ゆっくりAを見る。


「修正って……」


 黒い影が答える。


「ミチルちゃんを、消去する」




 沈黙。


 ミチルは少し考えるように俯いて。


「……そっかぁ」


 困ったみたいに笑う。


「終わってたんだ、もう」


 霧が流れる。


 ツキルは目を閉じる。


 抵抗する意味はなかった。


 Aは、もう結論へ到達している。


 この世界が終端へ辿り着いていることも。


 ミチルが、この世界を変質させてしまっていることも。


 そして、それを修正する方法も。


 なら、今考えるべきは別だった。


 ミチルが消えた後、

 何が残るのか。


 何が、

 “朔間ツキル”として成立するのか。


「Aさん」


 ツキルが顔を上げる。


「もしミチルを消去した後、私が残った場合」


「その時の私は、“私”ですか」


 黒い影は、すぐには答えない。


 少しだけ、視線を伏せる。


「分からない」


「いえ、それで大丈夫です」


 ツキルの声は軽い。


「“構造フェチ”のAさんにも分からないなら……」


 ツキルはミチルの両手を取る。


 その表情を見たミチルの口元から、自嘲の笑みが消える。


 代わりに、ミチル本来の笑顔と、熱い涙がじわじわ溢れ出した。


「それは、私たちにはまだ可能性があるということです」


 私が私のまま残るなら、

 またミチルを想像すればいい。


 次はしっかりと身体を与えて、

 完全な“朔間ミチル”を成立させればいい。


 そして、また——




 Aは、ゆっくりと深く息を吐き、

 二人に聞こえないように配慮して、囁いた。


「ログを停止します」






 私にとって最大のミステリは『魂が一つ』であったこと。


 ミチルちゃんだけを選択的に消去する事は、おそらく不可能。

 それに、これまで通りであれば記憶は魂に内包される。

 ツキルちゃんが今のままで残る可能性は、低いと思われる。


 ただ、それは言うべきではない。

 最終的にはそう判断した。




 対象08、ミチルちゃんの消去を実行。


 世界に還された可能性の流れが、少しずつ動き始める。

 街はタイムラプスのように、急速に夜明けへ向かっていく。


 停車場通りには、一人の少女だけがぽつりと残っていた。


 重なりはない。

 ブレもない。

 完全な一人。


 少女は、ただ静かにこちらを見ていた。


 私は、その意味を確かめなかった。


 これ以上は、今の私の業務ではない。


 終端を確定。

 業務終了。




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