記録04 革職人と鉄の戦士④
その夜のことを、なぜか思い出す。
二度目の辻斬りから戻った日だった。まだ、すべてが壊れ切る前の、あの頃だ。
工房に入ると、親方が珍しく機嫌が良かった。
「飲むぞ」
そう言って、酒瓶を卓に叩きつける。
断る理由もない。手を洗い、向かいに座る。
粗末な料理と酒。それでも、悪くない。
親方はよく喋った。昔の話だ。
どこで仕事を覚えたか、どんな革を扱ってきたか、誰と喧嘩したか。
半分は自慢で、半分は愚痴だった。
話はやがて、家族の話になる。
「お前はどうなんだ」
そう聞かれて、少しだけ考える。
「離婚している。息子が一人。もうすぐ成人するはずだ」
「そうか」
親方は頷き、酒を煽る。
「俺はなぁ、家族はいねぇ」
「いたようなもんはいたが、みんな出てっちまった」
工房の奥を顎で示し、少し笑う。
「今は、お前くらいだ」
その言い方は、軽いようでいて、少し重い。
こちらも、軽く返す。
「息子に殺しをさせるのですかね」
一拍置いて、続ける。
「ふふ、極端な教育だ」
親方は顔をしかめ、すぐに視線を逸らす。
「……馬鹿言うな」
酒を注ぎ足す手が、少しだけ遅い。
それ以上は広げない。
代わりに、こちらから言う。
「大丈夫だよ、おやっさん」
酒を口に含みながら続ける。
「私は良い方向に理解している。ちゃんと終わらせるよ」
親方は、何も答えなかった。
ただ、小さく頷いた気がした。
それで、その話は終わった。
ー
街は、目に見えて変わっていった。
鉄の需要が増えている。武具の注文が増え、鍛冶場の煙が濃くなる。水路には、煤や油が混じり、以前よりも色が濁って見えるようになった。
戦の準備が進んでいるのは、誰の目にも明らかだった。
買い出しに出ると、その変化はより分かりやすい。
露店の並びが変わり、食料よりも資材の取引が増える。人の流れも違う。夜でも人が減らない。武装した者が当たり前のように歩いている。
そうした変化の中で、いくつかの噂が流れていた。
殺しが増えている、とか。夜の路地が危険だ、とか。
そういう話は耳に入る。
だが、それには特に興味はない。
必要なのは、結果だけだ。
街の中で、その名前はもう珍しくない。
だが、壁に貼られている紙に書かれているのは、別の呼び方だ。
広場の掲示板に、何枚も同じ張り紙が並んでいる。
指名手配。
見出しには、無機質な文字が並ぶ。
「連続辻斬りの科——不審なる黒鎧の者」
「鉄甲を纏いし正体不明の凶漢につき、生死を問わず召し捕らえよ」
どれも似たような書き方だ。
個人名はない。
特徴だけが、箇条書きで記されている。
添えられている似顔絵も、統一されていない。
あるものは滑らかな装甲、あるものは角ばった外形、あるものは過剰な装飾が描かれている。
共通しているのは、全身を黒で塗り潰されている点だけだ。
輪郭は曖昧で、一定しない。
観測が足りていない。
だが、それでも枚数は多い。
上から上へと貼り重ねられ、端の方は剥がれかけている。
更新され続けているのが分かる。
掲示板の前で、それを見上げる者たちが口々に言う。
「鉄の戦士」がまた出た、と。
その呼び方の方が、通りがいい。
紙に書かれている言葉よりも、そちらの方が早く伝わる。
賞金額も上がっている。
最初に見た時より、明らかに。
誰かが、結果を出している。
少しだけ、口元が緩む。
「……先を行かれているな」
こちらは、ここまで明確には残っていない。
少なくとも、奴のように、こうして賞金首になるほどには。
差がある。
理由は単純だ。
見せ方か、あるいは量か。
いずれにせよ、追いつく必要がある。
追い越す必要がある。
やることは変わらない。
ー
辻斬りの条件も、少しずつ変わっていった。
見回りが増えている。自警団や衛兵が夜の街を巡回するようになり、以前のように単独で動いている対象が減ってきた。
やりにくい。
だが、それは環境の問題ではない。
「最適な条件を前提にしているのが問題か」
歩きながら考える。
「環境依存の設計は良くない」
ならば、条件を変える。
孤立した個体を探すのではなく、群れの中から切り離す。
あるいは、最初から背後を取る。
実際にやってみる。
鉄鎧の背後から忍び寄り、首元の隙間に刃を入れる。
確実ではある。
だが、目撃者がいない。
結果が残らない。
証明にならない。
効率としては悪くないが、目的からは外れている。
「……これは、違うな」
手順としては成立している。
だが、最適ではない。
試行は続ける。
装備も詰める。回路の応答を上げ、起動時間を削る。割り込みの精度を上げ、無駄な動きを減らす。
辻も続ける。
だが、環境はさらに悪くなる。対象は減り、見回りは増える。
そして。
鉄の戦士の噂だけが大きくなる。
討伐対象として、名が挙がる。
人々の口に、はっきりと乗るようになる。
こちらの名は、そこまでではない。
それどころか、ほとんど無いとまで言える。
いずれにせよ、優勢なのは向こうだ。
差がある。
その認識自体は、もう変わらない。
……思考が、止まる。
原因は明確だ。
限界。
対象の減少でも、見回りの増加でもない。
こちらの処理が、頭打ちになっている。
同じ手順の繰り返し。
同じ条件への最適化。
出力は上がっているが、結果の伸びが鈍い。
効率が落ちている。
設計は成立している。
だが、拡張性がない。
このまま続けても、差は詰まらない。
ここまでか。
そういう設計だった、というだけの話だ。
「……………………いや」
そうではない。
そうあってはならない。
処理が追いついていないだけだ。
回数を増やせばいい。
条件を詰めればいい。
あるいは、さらに出力を上げればいい。
やることは変わらない。
続けるだけだ。
そう判断して、思考を閉じる。
続けなければ。
ー
ある日の朝、親方が工房に飛び込んできた。
息を荒げ、目を血走らせている。
「入ったぞ!」
そう叫ぶ。
「革鎧の受注だ!でかい口だ!」
言葉が少し噛み合っていない。
だが、意味は分かる。
「祝杯だ。好きなもん買ってこい」
金を押し付けてくる。
少しだけ考えてから、聞く。
「何人分だ」
「……あぁ?」
「職人は戻るのか」
親方は一瞬だけ言葉に詰まり、それから笑う。
「あー、あぁ、明日から来る。今日は俺とお前の祝いだ」
「そうか」
金を受け取り、外に出る。
市場で適当なものを買う。
肉と酒と、あといくつか。量は適当だ。余れば残せばいい。
ついでに、少しだけ歩く。
街の中を。
以前と同じ道を、同じように。
雰囲気は変わっている。
音が違う。匂いが違う。人の目が違う。
だが、完全に別物になったわけではない。
わずかに、残っている。
かつての形が。
それで十分だ。
ー
昼下がり、工房に戻る。
ここ最近は目立たぬよう勝手口を通り、裏庭から出入りしていたのだが、この日は表に回った。
職人が戻るなら、陽のあるうちに換気しておいた方がよいだろう。
荷の出し入れがしやすいよう、広く作られた表門を開け放つ。
止まっていた空気が動き出し、天窓から差し込む光の筋の中を、埃が舞う。
水場を抜け、張り場を抜ける。
静かだ。
私の歩く音だけが響く。
ガランとした食堂を抜け、作業台が並ぶ仕立て場に差し掛かる頃には、別の音が重なる。
刃物の擦れる音。木槌の打音。誰かの笑い声。
記憶の中の工房の音だ。
ここに人がいた頃の、密度のある気配。
あの音が戻るなら、悪くない。
そう思う。
裏庭へ抜ける通路が見える位置まで来る。
そこで、足を止める。
……気配がある。
均一ではない。隠しきれていない重さが、複数。
左右の柱の陰、梁の上、背後の荷の影。
囲まれている。
理解した瞬間、影が動く。
漆黒の鎧。
それらが視界の外側から、ぞろりと、一斉に姿を現す。
反応するより早く、射線が通る。
いずれかが放った矢が、左腕を貫く。
肉を裂く感触。
痛みを無視して、状況の把握を優先。
数は、十前後。
組織された動き。
一様に纏う、黒の全身装甲。
「……なるほど」
理解する。
「鉄の戦士は、集団だったか」
単独ではない。
だから、数が合わなかった。
こちらが一体ずつ処理している間に、向こうは複数で回している。
「どうりで、斬れども斬れども、名声が追いつかないわけだ」
矢を引き抜く。
回路を起動。
——『変身』
構造が展開し、龍皮が私の体を締め上げる。
接続正常、出力十分。
奴らの姿が、位置が、はっきりと見える。
距離を詰め、最も近い個体に接触を——
体が回転する。
意図しないタイミング、角度で、強制的に。
視界が横に流れる。
拳が空を切る。
「!?」
解析を挟む間もなく、視界の端に影。
後方から投擲された何かが、肩に着弾。
閾値を超過。
割り込み処理が走り、体が回る。
今度は背後に向けて蹴りが出る。
だが、対象がいない。
空振り。
それどころか、回転の勢いが殺せず、空を踏む。
接地が遅れ、床に叩きつけられる。
落下の衝撃は閾値未満、だが呼吸が一瞬止まる。
立て直しながら、思考をまとめる。
「……そういうことか」
クロスボウに、投げ槍。
見れば、刺又のような長柄の武具を持つ者もいる。
間合いを詰めさせない配置と装備。
攻めではない。
近づかせず、近寄らず。
割り込み処理を暴発させ、体力を削り、崩す。
こちらの条件を完全に読み、最適化された条件を整えている。
裏庭に通じる通路からは、さらに三体の鉄が、クロスボウを携えて侵入してくる。
条件が悪い。
ならば、私もここでは戦わない。
工房内に引き返す形で、逃げながら戦う。
俊足起動で包囲を抜けようとする私に、左右から二体の影が接近。
斬りかかるのではない、捕捉しようとする動き。
拳と蹴りで迎撃。
入る。
だが、追撃の余裕はない。
駆け抜ける。
「おやっさん!鉄だ!」
声が出る。
「鉄の奴らが乗り込んできた!逃げろ!」
叫びながら工房を駆ける。
返事はない。
代わりに、火が投げ込まれる。
いつの間にか、工房内の床に油が撒かれている。
機動力が落ちる。
炎が広がる。
工房が壊れていく。
作業台が砕け、革が焼ける。
行く先にも、新手の鉄が配置されている。
ことごとく、拳や足の届く範囲に入ってこない。
長柄の武具で距離を取られ、矢を向けられる。
誘導されている。
動線が制御されている。
対処が最適化されている。
不意に、背中に強烈な一撃。
割り込みが発動。
跳躍し、回る。
何もない空間に、全力の蹴り。
蹴りの反動が、収まらない。
処理できない。
踏み直そうとするが、床が滑る。
ここにも油。
接地が遅れる。
制御が噛み合わない。
そのまま、勢いよく食堂へ転がり込む。
長机に背中からぶつかる。
机をへし折りながら、さらに転がる。
木片が散る。
器が割れる。
後頭部を激しく地面に打ち付けながら、ようやく止まる。
一瞬、動けない。
外傷はない。
龍皮が受けている。
骨も折れていない。
だが、呼吸が入らない。
肺が動かない。
吸えない。
内部で、衝撃が残っている。
処理しきれなかったエネルギーが、そのまま残留している。
「……っ、」
息を吸おうとする。
入らない。
遅れて、浅く入る。
足りない。
視界がわずかに暗くなる。
それでも、判断は回る。
致命傷ではない。
回復可能。
時間があれば、立て直せる。
そう結論する。
だから、問題はない。
そのはずだ。
視界の外側から、影が落ちる。
漆黒の鎧。
一体、二体、三体。
増える。
増える。
仰向けに倒れたままの私へ、距離を詰めてくる。
今度は離れない。
私を囲む。
そして、そのまま、乗ってくる。
肩、腕、脚。
各部を押さえられる。
逃げ場を潰す配置。
力ではなく、重量で固定するやり方。
動けない。
完全に地面に張り付けられている。
合理的だ。
無駄がない。
……が、まだ、いける。
龍皮を貫き、私の命を奪わんとする一撃は、閾値を超えるだろう。
この状態からでも、入力が入れば、割り込みは動く。
それを利用すれば——
「首筋だ」
見えない位置から、誰かの声。
「隙間がある」
誰かに似た、震える声。
だが、特定できない。
小柄な影が一体、私の上に乗る。
装甲の重みを考えても、軽い。
首元に何かを当てがい、探るようにじっくりと、差し込んでくる。
ひんやりとした鉄が、喉に触れる。
そのまま、影の呼吸が荒くなる。
鉄が僅かに震える。
獲物を仕留める興奮か、あるいは。
私も含め、その場にいるすべての者が、それを見守る不思議な時間が流れた。
「……死ね」
鉄に、体重が乗る。
「死ね」
貫通。
冷たい。
熱い。
内部構造の破壊。
気道の閉塞。
「死ね!死ねぇ!」
声が近い。
裏返った叫びが、その若さを露呈させた。
溢れ出した熱い液体が、密閉された龍面の中を塗り潰していく。
「死ね……鉄の戦士!」
その言葉が、理解できなかった。
なぜそれを、こちらに向けるのか。
その疑問は解決しないまま、私は終わった。
ー
まだ息子が小さかった頃のことを思い出す。
私に似て、口数の少ない子だった。
誕生日に、特撮ヒーローの玩具を買ってやった。
腰に巻くタイプのものだ。
すぐに飽きてしまって、妻がフリマサイトで売ってしまったのだがね。
あれを初めて巻いたとき、息子は、大きな声で叫んだんだ。
「変身!」
あの時、なぜか、少しだけ泣きそうになった。
理由は分からない。
今も、分からない。
なぜ、それを思い出すのか。
それも、分からない。
そのあと、少しだけお話しした。
どう思ったかと聞かれたので、そのまま答えた。
「流れがきれいだった。
穏やかなものを無理に加速させて、
そのまま制御できなくなって、
最後まで戻らなかった。
最初にやったことの延長で全部が起きてる。
破綻も含めて、一貫してる」
そんな感じのことを伝えた。
少し褒められた。
それから、説教された。
他にもいくつか話したけど、
取り止めのない内容なので記録からは省く。†
メモ
現在の王都アステリアについて、簡単に観測を残す。
鉄工場の増設が確認される。配置は計画性に乏しく、水路沿いに無秩序に拡張している。
排水処理は不十分で、水路の流れは濁り、粘度が増している。流速も場所によってばらつきがある。
武装した人員の往来が多く、戦時体制が常態化している。終戦の兆候は見られない。
鉄装備の比率は引き続き上昇している。
全体として、資源と人員が継続的に消費されている状態が維持されている。
対象01の世界と類似する、汚染由来の長期的影響が考えられる。
対象04を消去。
終端を確定。
業務終了。




