記録04 革職人と鉄の戦士②
まだ、工房に活気があった頃。
ある日の、昼のまかないのときだった。
テーブルの向かいに座った男に、ここに来る前は何をしていたのかと聞かれ、少しばかり考えてから、設計だと答えた。
「設計?」
「小さな力で、大きなものを動かす仕組みを考える。図にして、順番を決めて、余計な部分を削っていく。そういうのを、ずっと」
うまく伝わるとは思っていなかったが、彼は意外にも「へえ」と、感心したように頷いた。
スープに浸したパンを口に運びながら続ける。
「そりゃあ、魔導回路みてえなもんじゃねえか」
「魔導回路?」
「そうだ。俺の担当だ。あとで見に来いよ」
食事のあと、言われた通りに作業場の奥へ行った。
なめし槽の酸っぱい匂いが薄れ、代わりに金属が焼ける乾いた香りと、どこか薬草に似た重たい甘みが鼻をつく。
男は作業台の棚から、指先ほどの小さな金属のチップをいくつか選び出した。
使い込まれて角の丸くなったホルダーへ、パズルの破片をはめるように手際よく、カチリ、カチリと、チップを並べていく。
「こうやってな」
それを熱を帯びたプレス機に固定し、切り出した革の裏側へ、渾身の力でレバーを叩き込んだ。
ジュウ、という音とともに、革が焦げる匂いが立ち、深い幾何学模様が刻まれる。
男は手慣れた動作で、細い針のついた小瓶を手に取った。
刻まれたばかりの溝の起点に、一滴、深い蒼色のインクを落とす。
インクは意志を持っているかのように、毛細管現象に従って、複雑な溝の隅々へと這い回った。青い脈動が革の裏側に広がり、やがてじわりと淡い光を帯びて、すぐに落ち着いた。
「これで、あとは着りゃあ、革がちょっと丈夫になる。効果付与ってやつだ」
私は黙って見ていた。
確かに、似ている。
入力があって、処理があって、結果が出る。
順序もある。
ただ。
「……決まってるんですね」
「何がだ」
「型や並びが。最初から」
男は肩をすくめた。
「そりゃそうだ。変えたらうまくいかねえからな」
もう一度、机の上を見る。
同じ形のものが、いくつも並んでいる。
同じ順番で、同じように処理されている。
私は、少しだけ頷いた。
「なるほど」
理解はできる。
ただ、まだ詰められる余地があるようにも思えた。
その時は、それ以上は何も言わなかった。
ー
工房の裏手、親方が寝泊まりする小屋の作業机には、見たことのない革が広げられていた。
色が違う。質感も違う。
一級品なのは、見れば分かった。
「龍皮だ」
親方は手を止めずに答えた。
「昔のもんだ。取っといた」
近くで見ると、確かに異質だった。
厚く、硬く、そして重い。刃物を当てても、簡単には通らないだろう。そして、古いには古いのだろうが、定期的に手入れされているのか、まだしっかりと「生きて」いる。
「これでやる」
親方は言った。
「証明してやる」
私は少しだけ考えて、そして、首を横に振った。
「……これじゃあダメだ、おやっさん」
親方の手が止まる。
「良い素材であることは分かるよ。でも、私には重い」
革の端を持ち上げる。
「動きが鈍る。それに、目立ちすぎる」
龍皮の模様は、隠しようがない。
「辻斬りに使うには、特徴がありすぎるよ。革装備の訴求……売り込みにも向かない」
親方は何も言わない。
こちらを見ている。
「あと」
少し迷ってから続ける。
「付与も、たぶん効かない」
「何だと」
「私は魔力がないので。既存のエンチャントだと、うまく拾えんでしょうね」
しばらく沈黙があった。
私は、そのまま言った。
「やり方を、変えてみませんかね」
親方の目が、わずかに細くなる。
「素材は、これでいい」
龍皮に触れる。
「ただ、そのまま使うんじゃなくて、分解して、他の素材も使って組み直す」
「重さも、分散できるはず」
言いながら、頭の中で形が組み上がっていく。
「それと、付与もやり直す」
「既存のやり方じゃなくて、別の、私でも使える形に」
親方は黙っている。
判断を待っているようにも見えたし、ただ聞いているだけのようにも見えた。
私は、最後まで言った。
「設計も含めて、任せてもらえないだろうか」
少しだけ、間があった。
その間に、自分の中で何かがはっきりした気がした。
やり方は、もう見えている。
あとは、詰めるだけだ。
ー
…………なんだ?
魔導回路の仕組みに興味があるのか?
いいだろう、私の理解に基づいたものにはなるが……
——説明しよう。
この世界の人々が言う魔導回路ってのは、要するに効率の悪い水路だ。
使い手の身体から魔力が流れ込み、武具に刻んだ溝の中をぐるぐると巡って、再び身体へと還っていく。 その魔力が淀みなく『循環』し続けている間だけ、武具は本来あり得ない硬さや鋭さを発揮できる。彼らにとっての魔導とは、その流れを堰き止めず、滞りなく回すための配管制御に過ぎない。
そして、この設計には致命的な欠点がある。
循環を前提にする以上、流れを急激に変えるような、複雑な命令を組み込めないのだ。無理に流れに強弱をつけたり、分岐を増やせば魔力が逆流し、使い手の肉体を内側から焼き切る。
だから彼らは、出力を一定に保つだけの単純な『ひな型』にすがり付くしかなかった。
だが、私は違った。
私は、魔力という奔流を一切通さない、世界で唯一の絶縁体だったからな。
最初は、魔力をどう確保するかという課題にぶつかった。発電機のようなものを作るか、電池を積むか……だが、答えは足元にあったよ。
この龍皮には、剥がされて、加工されてもなお、微弱ながら魔力が宿り続けている。数百年経っても死にきらない、休眠状態の微小セルがな。
私は、その微かな火種だけでシステムを立ち上げる、超低電圧の起動回路を組むことにした。
そして、その小さな出力をトリガーにして、皮の繊維の中で魔力を爆発的に増幅させる、独自の循環系を構築したんだ。
本来なら、そんな高エネルギーの循環は使い手の肉体を焼き切るが……私は絶縁体だ。
私という壁に守られた革の中だけで、魔力は逃げ場を失い、臨界点まで加速し続ける。
搭載できる命令や、同時に実行できる付与の数に、理論上の制限がないのだよ。
あいつらの魔導が、街をうるおす『静かな水路』ならば、私の魔導は、この円環の中で流れを極限まで加速させる『激流の渦』だ。
私自身が完璧な絶縁体でなければ、一瞬で消し炭になっていたような、正気じゃない論理実装さ。
なるほど。
流して安定させるんじゃなくて、
閉じ込めて増やすようにしたんだね。
掻い摘めば、その通りだ。
では続けよう。
ー
工房中の道具や資料をかき集め、すぐに作業台に向かった。
やり方はいくらでもある。
この世界のやり方に、私の知っているやり方を重ねればいい。
魔導回路の仕組みは、ある程度理解している。
あとは、それを詰めるだけだ。
条件を揃える。
無駄を削る。
効率を上げる。
そうすれば、結果は出る。
少なくとも、そのはずだ。
「……なるほど」
思わず、口に出た。
「面白いな」
作業を見ていた親方が、わずかに眉を動かした気がした。
だが、何も言わなかった。
次に、龍皮を手に取り、厚みと硬さを確かめる。
必要なのは、防御だけではない。
動きやすさと、非力な私の膂力を強化する仕組み。
それと。
どうせなら。
変形させてもいいかもしれない。
非戦闘時はコンパクトにまとめておき、必要なときに一気に展開する。
そういう構造なら、持ち運びも楽になる。
革鎧をまとった姿を誰かに目撃させ、その後に身を隠す際にも有効だ。
魔力増幅機構も加えやすい。
素材が革だからこそ、制御を加えて、ある程度の形状変化に対応できるはずだ。
頭の中で、いくつかの案が組み上がっていく。
条件を変え、順序を入れ替え、無駄を削る。
試してみたいことが、次々に浮かんでくる。
「もう少し、詰められるな」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
ー
試行錯誤はあるが、それも含めて回路の構築は順調だ。
私の引いた図面通りに、親方が革を削り出している間に、私は街に出た。
夜のアステリアは、昼とは違う意味で賑やかだった。
日が落ちると人の数は減るが、表通りには別の種類の人間が増える。酒場の灯りが通りに漏れ、開け放たれた扉の向こうで、笑い声や歌が混ざり合っている。
革鎧や鉄鎧を身につけた連中も、昼より目についた。傭兵だろうか、あるいは兵士か。肩当てや胸当てを外したまま、杯を傾けている者もいれば、そのままの格好で通りを歩いている者もいる。
装備の違いは、分かりやすい。
鉄は、重そうだ。継ぎ目が多く、動きも少しだけ遅れる。
革は、その逆で、音が少ない。
水路の水は、昼と同じ速さ、同じ高さで、何も知らないように流れている。
その音に混ざるように、靴底が石を擦る音や、衣擦れの気配が重なって、夜なりのリズムを作っていた。
歩きながら、少しだけ遠回りをする。
見慣れた通りでも、時間が違うだけで印象が変わる。昼間は人で埋まっていた場所が、今は隙間を持って見える。その分だけ、動きや流れが分かりやすい。
表通りから一つ入ると、空気が変わる。
灯りは減り、音も少し遠くなる。だが、人の気配が完全に消えることはない。誰かが通り抜け、また別の誰かが現れる。
狭い路地に入る。
昼には気づかなかった段差や、水の跡が目に入る。壁の近くは少し湿っていて、空気もわずかに冷たい。足音が、遅れて返ってくる。
水路が、すぐ脇を流れている。幅は狭いが、流れは速い。少し先で折れて、そのまま別の通りへ抜けている。
しばらく立って、様子を見る。
通る人間は、一定だ。多すぎず、少なすぎない。
……ここは、残る。
音が逃げない。
人も、ある。
少し考えてから、その場を離れる。
最初は、単純でいい。
試すだけでいい。
戻ってからは、工房に泊まり込んだ。
削り出された革に魔導回路を仕込む作業に、ひたすら打ち込んだ。
ー
革鎧は、それから半月ほどで形になった。
机の上に並び置かれた鎧は、最初に見た龍皮の印象よりもずっと軽く、分割され、整理されている。無理やり削った形ではなく、最初からそうであったかのように、自然にまとまっていた。
ヤスリを用いて銀面に施された起毛処理が、素材の出どころを完全に隠蔽している。初見では、ごく平凡な革鎧に見えるはずだ。フルフェイス、フルボディ仕様という、異様さを除けばだが。
親方が手を拭きながら、こちらを見る。
「……本当に、これでいくのか」
「ありがとう、おやっさん」
短く答えて、鎧に手をかける。
順番に装着していく。
親方も、黙って手を貸す。
留め具を締め、最後の一箇所を固定する。
重い。
想定よりも、ずっと動かない。
関節が、わずかに引っかかる。
面が視界を制限する。
足を踏み出そうとして、体勢を崩し、転びそうになる。
「おいおいおい」
親方が駆け寄って支え、眉を寄せる。
「こりゃあ、失敗じゃねえのか」
「いや」
親方をどかし、ゆっくりと息を吐く。
「まだ」
へそのやや下、丹田に手を当てる。
中心の位置を確かめる。
順番をなぞる。
内側に刻んだ回路を、頭の中で辿る。
——『起動』
わずかに、圧が変わり、革が沈む。
「……どうだ、動いたか?」
「少し」
次の工程に移る。
——『圧縮』
革が、軋むように収縮する。
頭、肩、腕、脚。
順番に折り畳まれ、中央へと寄っていく。
親方が一歩引いた。
「おい、なんだそれ……」
数秒。
全身を覆っていた鎧は、その一部は腰に巻きつくように収縮し、多くはひとつの塊——革製の胴嚢のようになって、丹田に収まった。元の大きさから考えれば、異様な縮み方だった。
塊の中心に、回転機構が露出する。
止まっている。
まだ、動かない。
「……これで終わりか?」
「ここから」
指で触れる。
ほんのわずかな抵抗。
指先で回す。
最初は重い。
引っかかるように、ゆっくりと動く。
次第に軽くなり、回転が続き、加速していく。
止まらない。
内部で、何かが噛み合い始める。
圧が上がり、空気が震える。
「……おい」
親方の声が、少し低くなる。
「それ、止まるのか」
「止まらない方がいい」
そのまま、回転を続ける。
限界を探る。
……来る。
次の瞬間、圧縮された革が、外へと弾けるように展開した。
腕、脚、胸部、頭、全身。
分割された部材が、元の位置へと戻りながら、同時に固定されていく。
さっきまでとは違う。
視野角が、肉眼よりも広く、鮮明だ。
そして、軽い。
いや、身体と地面の間にあった“手順”が、一つ消えている。
一歩。
床板が鳴る。
二歩。
さっきまで立っていた場所が、背後にある。
距離が、縮む。
意識よりも先に、身体が出る。
遅れはない。
力の抜けもない。
「……どうだ」
親方が、低く聞く。
「使える」
それだけ答える。
腕を振る。
空気が裂ける。
さっきとは、比べ物にならない。
「……気味が悪いな」
親方が吐き捨てるように言う。
「……あんなごちゃごちゃした回路で、まともに動いてやがる」
「ええ」
「壊れたらどうする」
「壊れる前提で使う」
少し間があった。
「……そうかよ」
親方は頭を掻いて、作業台に近づく。
「で、どこだ」
私はいくつかの箇所を指した。
「ここ、回転の立ち上がりが遅い」
「あと、この継ぎ目、展開のときに引っかかる」
親方が覗き込む。
「……無茶言うな」
「やれるでしょ」
そう言うと、親方は一瞬だけこちらを見て、鼻で笑った。
「……やるしかねえか」
そのまま、道具に手を伸ばす。
私は鎧を外しながら、次の工程を考えていた。
出力は足りている。
持続は、まだ。
展開のタイミングも、任意で制御できるようにすべきだ。
鎧の動きに対し、知覚が遅れる部分は、要調整。
今はまだ、付与を盛っただけの特注品程度だ。
ここから先は、実戦でなければ動かない。
ー
条件は、もう揃った。
あとは、試せばいい。
いろいろ説明してくれた。
面白かった。
必要な分だけ残す。




