記録04 革職人と鉄の戦士①
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この世界でどう生きて、どう終わったの?
……はい、どうぞ。
王都アステリアは、水の多い街だった。
中央を流れる川と、そこから枝分かれした水路が、城下町のあちこちに向かって、ゆっくりと行き止まりもなく流れていく。水は澄んでいて、昼は光を跳ね返し、夜は灯りをぼんやりと映す。
私は、その水の音が好きだった。
どこか懐かしく、静かで、落ち着くのだ。
最初にここへ来たときのことは、よく覚えている。
王宮の石の床がやけに冷たく、天井が高すぎて、どこを見ていいのか分からなかった。声を出せば、どこまでも届いてしまいそうな気がして、ためらった。それから、何かの儀式のあとらしく、不思議な格好をした何名かの人間たちが、私を囲むように立ち並び、驚きと、疲れを浮かべた顔をして、見下ろしていた。
召喚だとか、儀式だとか、そういうものが私をここに呼び込んだのだ、といった説明を一応は受けたのだが、詳しいことはよく分からなかった。分からないまま、いくつか検査のようなものを受けさせられた。
結果は簡単だった。私は何も持っていなかった。
魔力がない。反応もない。適性がない。使えない。
そういう分類になるらしい。
担当の男は、困ったような顔をしていた。
「……申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
謝る理由は、あるのだと思う。
呼び出すだけ呼び出しておいて、役割が用意できないのだから、筋としては通っている。
ただ、それにしては、ずいぶん丁寧だった。
こういう場合は、もう少し雑に扱われるものだと思っていた。
「まあ、仕方ない」で終わるか、あるいは、もっと簡単に切り捨てられるか。
そういうものだと思っていたのだが。
この人たちは、どうも違うらしい。
「このような事態は想定されておらず、本来であれば、もう少し……」
「いや、いいですよ」
私は途中で遮った。
「そういうものなんでしょう」
そう言うと、男は少しだけ、安心したような顔をした。
そのあとも、妙に丁寧だった。
住む場所を用意すると言われ、簡単な生活費の支援もあると言われた。街の案内もしてくれるし、仕事の口利きもできるという。
そこまでされる理由は、やはりよく分からなかった。
「せっかくですから」
と、その男は言った。
「この世界で、何かしていただければ」
その言い方が、なんとも素直で。
私は少し考えてから、頷いた。
ここに来る前のことは、あまり思い出したくない。
思い出せば、思い出すほど、あの世界は複雑で、面倒で、何をしても報われない気がしてくるからだ。
こちらは違う。至極単純だ。
良くも悪くも、考えたことが、そのまま行動になる。
その行動が、そのまま結果になる。
間違っていれば、間違ったまま進むし、正しければ、そのまま進む。
それだけだ。
それだけなのに、私はそれを、ずいぶんと気に入ってしまったらしい。
いくつか紹介された仕事の中で、最終的に選んだのは、城下町の外れにある革工房だった。
理由は、たいしたものではない。革製品が、少しだけ好きだったからだ。
それくらいの理由で決めていい、というのも、この世界らしいと思った。
工房は、表構えこそ古びてはいたが、中は奥に向かって広く続き、どこも手入れが行き届いていた。
干された革の匂いと、油の匂いと、少しの煙の匂いが混ざって、独特の空気を作っている。
親方は無口な男で、最初はほとんど何も教えてくれなかったが、見ていれば分かるだろう、という態度を崩さなかった。
他の職人たちも同様に、それぞれが別の作業をしていて、それぞれが勝手に動いているように見えた。
それでも、不思議と不満はなかった。
分かることだけを、分かる範囲でやればいい。
分からないことは、分からないままでいい。
そういう空気が、この場所にはあった。
革は、扱いが難しい。
水を含ませ、伸ばし、乾かし、削り、油を入れる。
同じことをしているつもりでも、仕上がりは微妙に違う。
私はそれを、どこか面白いと思っていた。
条件を揃えれば、結果も揃うはずだ。
そう思って試してみると、案外そうでもない。
そのズレを埋めるために、少しだけ工夫を加える。
また試す。
またズレる。
それを繰り返しているうちに、気づけば日が暮れている。
そういう時間が、嫌いではなかった。
むしろ、こういう時間のために、ここに来たのではないかと思うことさえあった。
武具の製作も、やがて任されるようになった。
革鎧は、鉄に比べれば脆い。
だが軽く、しなやかで、動きやすい。
適切に加工すれば、それなりに戦える。
少なくとも、この街では、そういうものとして扱われていた。
ある日、親方が言った。
「ドラゴンの皮なんてのは、ねえのかって顔してんな」
私は少し驚いた。
口に出したつもりはなかったが、顔には出ていたらしい。
「そういうのはな、もう何百年も前に絶滅しちまったよ」
そう言って、親方は鼻で笑った。
「残ってんのは、こういうもんだけだ」
手元の革を、軽く叩く。
乾いた音がした。
昼は、工房でまかないが出た。
これが、どうにも量が多い。
パンと、肉と、よく分からない煮込みが、連結された長机の上に大皿で並ぶ。
昼を告げる鐘が鳴ると、工房のそこかしこから油と獣の匂いをさせた職人たちが、吸い寄せられるように食堂へ集う。
革を叩く音とは違う、別の音が始まる。椅子を引く音と、皿の触れ合う音と、パンをちぎる音と、誰かの笑い声と、よく分からない愚痴と、その全部が混ざって、大変に騒がしい。
働いていると腹が減る、というのは本当らしい。
私は食が細い方だったので、最初は遠慮をしていたのだが、「食えるだろう」と言われて、そのまま押し付けられるようにして食べることになったのだが、意外と食べきれてしまうのだ。
味は、決して繊細ではないが、騒がしい場の雰囲気も相まって、妙に満足感があった。
寝泊まりは、城下町の外れにある小さな部屋を借りた。
部屋といっても、広さは寝台と机でほとんど埋まるくらいで、壁は少し湿っていて、窓も小さい。風が通るとは言い難いが、その代わりに夜は静かだった。
パソコンもネットもない生活は、最初のうちはどうにも不便で、時間を持て余すように感じもしたのだが、数日もすると、こういうものかと思うようになった。
むしろ、落ち着く。
物が少ないというのは、楽だ。
休みの日は、特に決めたことはせず、街を歩いた。
市場のあたりをぶらついて、見たことのない道具や、名前の分からない食材を眺める。値段を聞くと、大体は高いので買えないのだが、見るだけでもそれなりに面白い。
店主に話しかけられて、よく分からないまま説明を聞いているうちに、気づくと長居していることもあった。
ああいう時間は、嫌いではない。
水路は一体どこまで続いているのか。そんなことが気になって、一度、端から辿ってみたことがある。
最初は整備されていた道が、少しずつ細くなって、やがて人通りも減っていく。気がつくと、ほとんど誰もいない路地に出ていて、水の音だけが残っていた。
そこでしばらく座っていた。
特に何をするでもなく、水の流れと、建物が建物に落とす影の移ろいを眺めていた。
時間がどれくらい経ったのかは分からないが、帰るころには、妙に頭が軽くなっていた。
こういう生活を、しばらく続けていた。
特別なことは何もない。
ただ、朝起きて、働いて、食べて、少し歩いて、眠る。
それだけだ。
それだけなのだが、前にいた場所よりも、よほど分かりやすくて、よほど息がしやすい気がした。
私は、この世界のことを、少しずつ好きになっていたのだと思う。
そのときは、まだ、それをはっきりと言葉にしたわけではなかったが。
この世界には、この世界なりのやり方がある。
それで、十分だと思った。
ー
戦争の噂が流れ始めたのは、その頃だった。
最初は遠くの話だったが、次第に現実味を帯びてくる。
王都でも、兵の出入りが増え、武具の需要が高まっていった。
ただし、それは鉄の武具だった。
革製品の注文は、ある日を境に、ぴたりと止まった。
昨日まであったものが、急に消えたような感じだ。
受注分の納品がおわると、暇を出された職人たちは工房を去り、親方と、他に行くあてのない私だけが残った。
工房の中は静かになり、干された革だけが風に揺れていた。
私は道具の手入れや、古くなった薬品の処理をして過ごした。
親方は、最初のうちは何も言わなかった。
だが、数日もすると、様子が変わった。
裏手にある自室にこもり、夜遅くまで灯りをつけ、何らかの作業にかかり切りになったかと思えば、時が止まったかのような工房内を、うろうろと歩きまわるようになった。
ある晩、呼び止められた。
「おい」
振り向くと、親方が立っていた。
いつもより目が据わっている。
「革でもな」
親方は、ぽつりと言った。
「やれるはずなんだよ」
私は、少し考えた。
「……何が?」
「戦いだよ」
間を置かずに返ってくる。
「鉄なんかに負ける理由はねえ」
その言い方は、理屈というより、断言に近かった。
「……おやっさん、それはさすがに、って思うよ」
私は正直に言った。
「向き不向きはあるだろうし」
親方は、しばらく黙っていた。
それから、低い声で言った。
「証明すりゃいい」
嫌な予感がした。
「……どうやって」
親方は、こちらを見た。
真っ直ぐに。
逃げ場のない目だった。
「革を着て、鉄のやつを斬る」
言葉としては単純だった。
意味も、すぐに理解できた。
理解できてしまった。
「……それ、辻斬りするってことかい」
「そうだ」
迷いなく頷く。
しばらく、何も言えなかった。
頭の中で、いくつかの考えが浮かんでは消える。
やるべきではない。
効果があるとは思えない。
普通はそうだ。
誰がどう考えても、そうなる。
でも。
私は、この世界の人たちのことを、よく知っているわけではない。
この地に来てから、まだそれほど時間も経っていない。
それでも。
ここで見てきた人たちは、皆、まっすぐだった。
良くも悪くも、余計なことを考えない。
考えたことを、そのままやる。
それが正しいかどうかは、別として。
少なくとも、この場所では、それが“普通”だった。
外から来た私が、それを否定していいのか。
いや……否定する資格なんて、持ち合わせてはいない。
「……ここでは、それが“ちゃんとした考え方”なんだろ」
気づくと、口に出していた。
「だったら、外から来た私が、それを違うって言うのも、なんか違う気がするよ」
親方は何も言わない。
ただ、こちらを見ている。
少しだけ、考えた。
本当に、少しだけだ。
「やるよ」
私は言った。
「やらせてくれ」
その言葉を口にしたとき、もう迷いはなかった。
戸の向こうで、水路の音だけが、静かに続いていた。
メモ
ログ関連のスキル構築を見直し中。




