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二日目・休めない休日

 「ど、ど、どようびおやすみでい♪ お兄ちゃんと一緒に居られるでい♪」

 「ご機嫌だなぁ……」

 

 少年の右腕にへばりつきながら、即興で変な歌を歌う雨音。少年とほぼ同時に目覚めた雨音は、起きてからずっとこの調子だった。

 

 「だってだって、一日ずーっとお兄ちゃんと居られるんだよ? 雨音、土曜日も日曜日も大好き! なにしてあそぼっか? カップルごっこ? 新婚ごっこ? おしどり夫婦ごっこ? それとも……」

 「ちょっと待った」

 「?」

 

 右手を差し出して制止の姿勢を取る少年に、雨音が首を傾げる。

 

 「雨音と遊んでやりたいのは山々だけど……宿題が有るんだよ、俺には。それも、雨音と遊んでやりたい気持ちと同じぐらいたくさん」

 「しゅくだい……宿題! そっかぁ、お兄ちゃんは学校があるもんね」

 

 三連休に合わせて出された少年の課題は、五教科七科目のテキストがそれぞれ数十ページにも及ぶものだった。少年は学内では成績優秀者として分類されているが、それでもこれを片付けるには、少なくとも丸一日は費やす必要がありそうだった。

 

 「そういうこと。だから、悪いけど今日は宿題に集中させてくれ。明日と明後日はちゃんと遊んでやるから」

 「はぁーい」

 

 少年の頼みを、雨音はあっさりと飲む。元々雨音は、少年と一緒に居られさえすれば、その時間の過ごし方はあまり気にしないのだった。


 朝食を済ませてから雨音の部屋へと移動し、少年はさっそく宿題に取りかかった。勉学に励む少年を、雨音は脇でじっと見つめる。雨音はそれで、十分満足しているようだった。


 「……うーん……」


 そんな時間が暫く流れた後、少年の手が止まっていることに、雨音は気付いた。


 「お兄ちゃん、どうしたの?」

 「んー……ちょっと分からない問題が有ってな。類題から解法を持ってきたまでは良かったんだが、その先の計算がどうも出来そうにないんだ」


 少年は気付いていないが、それは教師がわざと入れた、現時点の生徒達では到底解けるはずのない問題だった。難問に触れさせることで危機感を煽り、学習意欲を掻き立てさせることを狙いとしたものだ。だが生来生真面目な性格の少年は、馬鹿正直にそれを解こうと、かれこれ二時間以上も悩み続けていた。

 

 「ふーん……ねぇ、雨音にもそれ見せてみて?」

 「見せてみてって……」

 

 両手を差し出してテキストを受け取ろうとする雨音に、少年は面食らう。雨音は少年より一つ下の学年だ。まして雨音はもう三か月以上学校に行っていない。そんな彼女にこれを見せたところでどうにもならないだろうと、少年は思った。

 

 「良いから、ね?」

 「まぁ、構わないけど……」

 

 強い押しに負けて、隣に座る雨音にテキストを渡す。雨音はそれを見ると、あごに手を当ててふんふんと考えるような仕草を見せる。

 

 「見ても分かんないだろ?」

 「うーん……多分だけど、こうじゃないかな?」

 

 そう言って、雨音がテーブルの上のシャープペンシルを手に取り、さらさらとノートの上に数式を書き流す。それを見た少年は、驚愕に眉を吊り上げた。合っている。

 

 「……正解だ」

 

 念のため解をもう一度検証し、やはりそれが正しいことを確かめてから言う。

 

 「ねぇねぇ、雨音すごい?」

 「ああ、凄い」

 「……えへへ。お兄ちゃんに褒められちゃった。じゃあじゃあ、ご褒美に」

 「はいはい」

 

 雨音が言い終える前に、少年は右手を雨音の頭に持っていき、その髪を撫でてやった。雨音が嬉しそうに喉を鳴らす。

 

 穏やかな表情を浮かべる雨音を見ながら、少年は考える。雨音は別に、天才少女という訳ではない。例えば将棋やトランプで勝負したら、十回中八回は少年が勝つだろう。そんな雨音がこんな難問を解けたのは、当然、努力の成果に他ならない。


 雨音は、どれだけの時間を、それに捧げさせられたのだろうか。雨音が自らの学力が如何にして身に着いたものか思い出すことがないよう祈りながら、少年はいつも以上に丁寧に、念入りに、雨音の頭を撫でてやった。


 「……あっ、そうだ! お兄ちゃん、良いこと考えた!」


 雨音がぱっと顔を輝かせる。雨音が頭を撫でられている最中に別のことに興味を示すのはかなり珍しい。


 「なんだ?」

 「お兄ちゃんの宿題、雨音が手伝ってあげる! 二人でやればきっとすぐ終わるよ!」

 「……いや、それは無理だろ」

 「どうして? 雨音、すうがく以外も得意だよ?」

 「そうじゃなくて、字でばれちまう。確実に」


 雨音の女の子らしい丸文字を思い出す。対する少年は、ワープロで打ったような機械的で角ばった筆跡をしている。誰が見ても書き手が違うことは一目瞭然だ。


 少年の懸念に、しかし雨音は笑顔を崩さない。にこにこ顔のまま、元気よく言う。


 「それならだいじょーぶ! 雨音、お兄ちゃんの字真似出来るから!」


 雨音がノートの上にさらさらと字を書く。


 「なっ……」


 雨音の書いた数式、ひらがな、カタカナ、漢字やローマ字に至るまで。その全てが、少年の筆跡とぴたりと一致していた。


 「雨音、お兄ちゃんが学校に行ってるあいだはずーっと、お兄ちゃんのノート見てるんだぁ。だから覚えてるの!」

「……楽しいのか、それ?」

「楽しいよ? お兄ちゃんが書いた字を見てるとね、お留守番してる時でも、ちょっとだけ寂しくなくなるんだ。お兄ちゃんはこれを書いた時どんな顔してたんだろ、どんなこと考えてたんだろって想像してると、なんだかお兄ちゃんが傍に居るような気がするの」


 笑顔の中にほんの微かな物悲しさを見せながら、雨音は言う。


 「……そっか」


 明日からは、掃除当番も委員会も、全部断ろう。少しでも早く家に帰ろう。

 少年はそう決めた。


 「じゃ、宿題手伝って貰っても良いか? 俺は理系科目が苦手だから雨音にはそっちを頼むよ」

 「がってん承知だよお兄ちゃん! ……えへへ、お兄ちゃんの役に立てて嬉しいなぁ」

 

 それから二人は、協力し合いながら、課題の山を切り崩して行った。数時間も掛からず、それらは片付いた。

 

 少年はその後、雨音の協力のお陰で浮いた時間の全てを、雨音の頭を撫でることに費やしたのだった。


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