森も、の弁当レシピ
児童館とは、児童福祉法第40条に基づき、18歳未満の子供が自由に利用できる児童福祉施設である。
専門の職員・・・児童厚生員が配置され、遊びを通じて子供達の健やかな成長を支えている。
また、施設によっては学童保育(放課後児童クラブ)が併設されている事もある。
これは、そんな場所でのある日の出来事である。
4年の隼人は箸を止めた。
今日、弁当を食べているのは20人程。いつも通りだ。何となくグループが出来ているのに、2年の和矢は少し離れて食べていた。他に2年もいるのに、誰とも話していない。2年なのに今年から学童に入ってきて、いまいち慣れていない。親が離婚したとかって話を聞いた。
まあ、そんな事もある。
その和矢の弁当を森もっちゃんが覗き込んでいる。
「それで足りてる~?」
いつもの調子でぼそっと声を掛けながら、栄養だの何だのと言い始めた。
「もりも・・・やってる」
隼人が呟くと、向かいに座る2年の那津もおにぎりにかぶりつくのを一旦止めて頷いた。
「やってるね」
まだ学童に慣れない和矢は困ったような顔をしているが、森もっちゃんは全く気にしていないようで、学校の話とか好きなゲームは何とか・・・他にもいろいろ話かけている。普段はそんなに長く話さないのに。
その様子を見ていると、隼人はふと去年の事を思い出した。
そういえばあの時も、こんな感じだったよな、と。
去年。まだ兄ちゃんが小学校に通っていた頃。児童館の学習スペース。兄ちゃんが宿題をしている横で、隼人は漫画を読んでいた。
すると、いつの間にか森もっちゃんが背後に立っていた。そして兄ちゃんの手元を覗き込む。
「こういうの、まだあるんもんなんやねぇ」
プリントを見ながら呟く。
「最近は配慮が必要な家庭もあるからって、消えたと思ってたけどぉ」
「勝手に覗くなっ」
兄ちゃんが慌ててプリントを隠そうとするが、森もっちゃんは全く気にした様子もない。
「ふむふむ」
何か考え込むように顎を撫でている。
「・・・実態調査も含まれてるのか」
ぼそりと呟く。
「スマホやゲームを持たせてても、朝食昼食抜きとか見えないからねぇ」
隼人はその言葉だけは、はっきり聞こえた。朝食昼食抜き。それは、うちの事だ。
母ちゃんは仕事でいない日が多い。朝早かったり、夜遅かったりもある。菓子パンが置いてあったり、お惣菜が置いてある事もあるけど、冷蔵庫の中に何もない日もある。
別に珍しい事じゃない。
だからその時、隼人はようやく気づいた。昨日の夜。兄ちゃんがあの宿題のプリントを広げて、ずっと困った顔をしていた理由に。
土曜日の朝。食べたものを書く。絵を描くスペースもある。昼。食べたものを書く。夜。食べたものを書く。
そして教科書を見ながら栄養素を書き込む。
日曜日の朝、昼、夜。次の土曜日と日曜日も合わせて、4日分。そんな宿題だった。でも、うちは・・・朝ごはんを食べてない時もある。
その週の土曜日もいつもと同じ、昼弁当は兄ちゃんと二人でおにぎりだった。
児童館で弁当を広げた時。
森もっちゃんは何となく周りを見回して、こっちに近づいてきた。
「おにぎり自分で作ってるのぉ?」
兄ちゃんが頷く。
「エライエライ」
ぽんぽんと頭を撫でる。兄ちゃんは嫌そうな顔をしたけれど、振り払わなかった。
「それにちょい足ししたら、いいよぉ」
「ちょい足し?」
「ワカメごはんの素とかねぇ」
森もっちゃんは指を一本立てた。
「ワカメはミネラルねぇ」
兄ちゃんが「何言ってんの?」 って顔になった。
でも、隼人は気づいた。あの宿題だ。兄ちゃんが広げていた家庭の教科書に書いてあった。ミネラル、炭水化物、たんぱく質、ビタミン、脂質。
土日、朝昼夜に食べたものを書いて。その栄養素を調べて書くやつ。頭の中で宿題と結びついた。
「あとはぁ、梅干とかぁ? ミネラルとビタミンあるねぇ」
森もっちゃんが、珍しく長く喋っている。
「ゴマは、脂質ねぇ。タンパク質もあるよぉ」
「ゴマ・・・」
「それに時々、サラダとか買ってもらえる?」
兄ちゃんは多分、意味も分からず頷いている。
「野菜も大事。ビタミンCとかねぇ」
「ビタミンC」
森もっちゃんは更に何か思いついたように「考える人~」なんて言いながら、空いていた椅子に座り、右手を顎に当てる。何それ? 新しいギャグでも思いついたの? 森もっちゃんがたまに変なのはいつもの事だ。皆にスルーされても平気な顔で、今日はまだしゃべり続けている。
「ツナ缶・・・は処理しにくいか」
「もりも~ぉ。処理? って」
兄ちゃんは相槌代わりに聞く。絶対わかってない。でも、俺が言うと絶対怒る。
「油とか水気を切るのが面倒だからねぇ」
「そうだよ、子供には難しいよねぇ」、と森もっちゃんは一人で納得している。
「おにぎりなら鮭フレークの方がいいかなぁ。鮭フレークもDHAとかぁ、ビタミンDとかぁ」
そこで兄ちゃんが、「あっ」と声を上げた。明らかに何かを思いついた顔だった。
「お?」
「それ、宿題に書ける」
やっと気づいたか。兄ちゃん遅いよ。突っ込みたいけど、隼人は黙っていた。
「書けるねぇ」
兄ちゃんの目が少しだけ輝く。兄ちゃん気づくの本当に遅い。
「ただねぇ、鮭フレークの瓶は開けると、そんなに持たない。ちょいお高いのを覚悟するなら、鮭フレークって使い切りパックもあるよぉ」
「おおっ」
兄ちゃんがさらに身を乗り出す。まるでゲームで宝の地図を見つけたみたいな顔だった。
森もっちゃんは満足そうに頷いていた。
「子供の成長にはぁ、適度な睡眠とぉ、適度な運動。それで、適度な栄養ぉが必要なのよ。うん」
「俺もできるー?」
突然、横から声が飛んだ。
1年生の那津だった。さっきから話を聞いていたらしい。目をきらきらさせている。
森もっちゃんはそっちを見る。
「ゴハン炊けるぅ?」
「炊けない」
「じゃあ、お父さんに一回か二回やってみたいって言える?」
「言えるっ」
那津は身を乗り出して、即答だった。
森もっちゃんが笑う。
「じゃあ大丈夫ぅ。練習すれば」
何が大丈夫なのか、隼人にはよくわからない。そんなので大丈夫なわけないだろって突っ込みたいけど、今の空気だと「何言ってんの?」って目を向けられるのは、きっと俺だ。
那津は真剣だった。本気で覚えるつもりらしい。
隼人はふと疑問に思った。
「でもさ」
那津と森もっちゃんがこっちを見る。
「ゴハン熱いぞ」
炊きたてなんて、俺だってさわれない。だから兄ちゃんが作ってる。
「どうやって握るんだよ」
すると森もっちゃんは、「あー」という顔をした。
「こうやってぇ・・・」
両手を胸の前で動かす。何かを説明しているらしい。だが、わかりにくい。
「まず茶碗にラップをつけてぇ」
空中に茶碗があるみたいに手を動かす。
「その上にゴハンを入れる」
見えないご飯をすくう仕草。
「で、ラップの端を閉じるぅ」
端をパタパタと包む真似。
隼人は何となく理解した。直接さわらないのか。なら熱くない。
「そんでぇ」
森もっちゃんは更に続ける。
「もう一つ茶碗かお皿を持ってきてぇ」
左手にも見えない茶碗が現れる。
「合わせてぇ」
指先を合わせる。
「で、振る」
ぶんぶん。
本当に振った。
一瞬、周囲が静かになる。話には参加してないが、他にも聞いている子達がいたみたいだ。皆の目が「嘘言うなよ」って言ってる。
「は・・・?」
意味がわからない。握るじゃないのか。
振る?
何を言っているんだ、もりも。さすがにそれはない。そんなので出来たら、苦労しない。
だが。
隣を見ると、那津だけは違った。ものすごく真剣な顔をしている。席替えの時とか。給食の余った牛乳をじゃんけんでもらう時とかみたいな。
そして小さく頷いた。
「わかった」
隼人は思わず突っ込んだ。
「わかったの!?」
「うん」
「何が!?」
「振るんだろ?」
「そこしかわかってないだろ!」
思わず叫ぶ。
兄ちゃんまで吹き出した。
森もっちゃんも笑っている。
「大丈夫大丈夫ぅ」
「絶対大丈夫じゃないっ」
「一回やればわかるぅ」
多分、その通りなんだろう。でも隼人には最後まで、どうして振るだけでおにぎりになるのか理解できなかった。
那津だけが、なぜか自信満々の顔をしていた。
そして、その日の帰り。
母ちゃんと兄ちゃんと俺で近所のスーパーへ行った。
自動ドアが開く。冷たい空気と、惣菜売り場の揚げ物の匂いが流れてくる。店内には買い物客がたくさんいた。カートの音。どこかから流れている聞いた事のあるようなないような音楽。
隼人はいつも通りだった。買い物なんて退屈だ。母ちゃんの後ろをついて歩きながら、今日のおやつを何にするか考えていた。
多分兄ちゃんも同じだと思っていた。いつもなら真っ先にお菓子売り場へ向かうからだ。
なのに。
「母ちゃん」
兄ちゃんが呼び止めた。
「ん?」
「ワカメごはんの素ってある?」
母ちゃんが足を止める。
「・・・え?」
兄ちゃんは真剣だった。
「あとゴマ。すりゴマがいいって」
「ゴマ?」
「梅干も」
母ちゃんの顔が固まった。隼人はその顔を今でも覚えている。驚いたような。戸惑ったような。何か聞き間違えたんじゃないか、「アンタ、何か変なもの食べた?」と思っているような顔だった。
「どうしたの急に」
「別に」
兄ちゃんは少しだけ視線を逸らした。
「おにぎりに入れようかなって」
「ああ・・・」
母ちゃんはまだ不思議そうだった。
無理もない。兄ちゃんが自分からそんな事を言うのは初めてだった。いつもなら、『ポテチ』 『チョコ』 『グミ』 『ラムネ』 その辺りが最優先だ。
なのに今日は違う。ワカメ。梅干。ゴマ。森もっちゃんが言っていたやつばかりだった。
隼人は何となく兄ちゃんを見た。兄ちゃんは平然としている。でも、しっかり覚えているのだ。宿題の事も、ビタミンCも、ミネラルも、あの話も。
だから隼人も負けじと言った。
「俺、鮭フレーク」
母ちゃんがこっちを見る。
「鮭フレーク?」
「うん」
「好きだったっけ?」
「好き」
本当はよくわからない。そんなの食べた記憶もない。でも、森もっちゃんが言っていた。DHAとか、ビタミンDとか、何かすごそうなやつ。
兄ちゃんがちらりとこちらを見る。そして少しだけ笑った。
「真似してる」
「してない」
「してる」
「してない」
母ちゃんが吹き出した。さっきまでの変な顔が少しだけ消えていた。
「はいはい」
そう言いながら買い物かごへ商品を入れていく。
ワカメごはんの素。梅干。すりゴマ。それから鮭フレーク。そのかごを見ながら、隼人は少しだけ不思議な気分になった。いつもならお菓子が入る場所に、今日は違う物が入っている。
たったそれだけなのに何だか少しだけ、大人になった気がした。
次の土曜日。
兄ちゃんは早速ワカメごはんの素と梅干を入れたおにぎりを作ってくれた。
那津も本当におにぎりを作ってきた。得意げな顔で弁当箱を開けた那津を見て、隼人は思わず身を乗り出した。
「マジで作ったの?」
「作った」
那津は腰に手を当てて、胸を張る。
弁当箱の中には、少しだけ平べったいおにぎり? が二つ入っていた。形は微妙だった。正直、おにぎりというよりラップに包まれた白い何か。
だが那津は満足そうだった。
「振った」
「振ったのかよ」
「振った」
森もっちゃん方式らしい。
隼人は笑った。
那津の父ちゃんも手伝ったらしいが、それでも自分で作った事が嬉しかったのだろう。那津は食べながら、作り方の解説をして、周りの子達に「すげー」とか言われ、最後まで偉そうだった。
森もっちゃんも褒めた。
「おお~」
ぱちぱちと拍手する。
「ちゃんとできてるぅ」
「だろ」
「エライエライ」
那津はますます調子に乗った。
「次はワカメ入れる」
「いいねぇ」
「ゴマも入れる」
「いいねぇ」
「梅干も」
「いいねぇ」
何だか二人だけで盛り上がっていた。
睡眠は大事、早く寝ろ。栄養も大事、給食は残さず食べろ。
あの日から、兄ちゃんは時々そういう言葉を口にするようになった。
1年前の隼人にはよくわからなかった。
ただ森もっちゃんがいつもより長めに話した後から、兄ちゃんの困った顔が少し減ったのだけは覚えている。
だから今思えば。
森もっちゃんは、おにぎりの話をしていたわけじゃない。別に宿題を手伝っていたわけでもない。兄ちゃんが困っている理由に気づいて。宿題にも使えて、普段のご飯にも使える方法を、一緒に考えていたのだと思う。
・・・で。
今も多分、同じ事をしている。
隼人は視線を落とした。自分の弁当箱を見る。今日の中身は、おにぎりが二つ。
玉子焼き。それから冷凍の唐揚げ。唐揚げは朝、自分で電子レンジに入れた。兄ちゃんも同じ弁当を持って部活へ行っている。
1年前までは、おにぎりだけの日も珍しくなかった。
でも今は少し違う。玉子焼きもある。唐揚げもある。ほんの少しだけだけど、増えた。
玉子焼きに箸を伸ばす。正確に言えば、玉子焼きじゃない。
ピンク色の花型シリコンカップ。百均で買った、少し大きめの電子レンジ用のやつだ。
これもすぐに100均に行って買ってもらった。本当は違う形が良かったんだけど、兄ちゃんと2人で探しまくっても、ちょうどいい大きさのはそれしかなかった。正直最初はちょっと恥ずかしかったけど、今は別に。兄ちゃんとお揃いだ。
それに卵を割る。キャベツをちぎって入れる。ゴマを少し。混ぜる。
1分チンする。
一回取り出してかき混ぜる。半生じゃないか確認する。
もう一回チンする。
兄ちゃんはいつもそんな感じで作る。
これも森もっちゃんが言っていたやつだった。
『弁当に生はダメねぇ。食べるまでの間に菌が繁殖して、お腹壊す事もあるからぁ』
『多少固くなったの食べても、死ぬわけじゃないから』
『混ぜるのは、箸でもフォークでも何でもいいけど、綺麗に洗ってあるやつでしてねぇ』
児童館で聞いた時は、それだけだった。
でも家に帰ると兄ちゃんはすぐにシリコンカップで試した。次の週には普通に作ってた。
隼人も横で見て覚えた。
森もっちゃんは変だ。聞いてもいないのに、ちらっと見て、急に横に来て話し始める。子供には難しい話も混ざっている。だけど、不思議と覚えている。そして気づくと家で試している。
兄ちゃんも。
俺も。
多分、他の子も。
箸で花型の卵を半分に割る。中には細かいキャベツとゴマが見えた。今日は普通の卵焼きより少し固い。でも嫌いじゃない。むしろ結構うまい。
隼人は口に入れながら、少し離れた場所を見る。
和矢の弁当箱を覗き込んでいる森もっちゃん。
「それで足りてる~?」
まだ言っている。和矢はまだ少し困った顔をしている。
那津は笑っている。
隼人も小さく笑った。また誰かの弁当レシピが増えるんだろうな、と。
昼食時間が終わる。
弁当を片付ける音が食事スペースに響いていた。子供達は水筒を抱えて遊戯室へ向かい、廊下には走る足音と笑い声が広がっていく。
土曜日の児童館らしい賑やかさだった。
「鬼ごっこする人ー!」
「やるー!」
「隼人、早く!」
そんな声が遠ざかっていく。
一方で職員達は片付けの真っ最中だった。悠子は机を拭き、忘れ物がないか確認する。少し離れた場所で、森本先生が床を掃いていた。気の抜けた表情。やる気があるのかないのかわからない顔。
それなのに子供の様子だけは異様によく見ている。
今も床を掃きながら、遊戯室へ向かった子供達の様子をちらりと確認している。多分、無意識だ。
「森本先生」
静かな声で呼ぶ。
森本先生は反射的に振り向いた。
「はい?」
何も悪い事をしていない人間の顔だった。本気でそう思っている。
悠子は内心でため息をつく。そこが一番厄介なのだ。表面上は穏やかな笑顔を浮かべる。
「ちょっといいですか」
「はい?」
森本先生は箒を壁に立てかけると、そのままこちらへ来る。
食事室の隅。
子供達の声が少し遠くなる場所へ、悠子は少し移動した。足を止める。森本先生も隣で足を止める。
「また余計な事言ってたでしょ」
森本先生は首を傾げた。本気で「何の事?」 と思っていそうだ。
「どれです?」
「全部です」
悠子は即答した。
森本先生は少し考える素振りを見せただけ。
「範囲が広いですねぇ」
「広いんです」
悠子は思わず眉間を押さえた。こんなやり取りも何度目だろう。森本先生は昔からこうだ。本人に悪気はない・・・と思いたい。もしかして、全てわかっててやっているのかと思う時もあるのだが。
「保護者から苦情が来たらどうするんですか」
食事の内容。家庭の様子。子供が家に帰ってぽろっと言った一言が大問題になる事もある。少し間違えれば、家庭批判と受け取られる。プライバシーの侵害。個人情報。最近は頓にうるさい。
森本先生は壁にもたれるような微妙な姿勢で答える。
「来てないですよねぇ」
「まだです」
「まだかぁ」
「まだです」
悠子の声に僅かに力が入る。
森本先生は全く気にしている風ではない。
「でも、その余計な事も言わないと、あの子達、栄養取れませんから。最近の給食、少ないですし」
珍しく真面目な声だった。
悠子はため息をつく。
「それはわかります」
本当によくわかる。職員会議でも何度も話題になる。
家庭事情は様々だ。
忙しい保護者もいる。経済的な事情もある。子供だけで食事を済ませる家庭も珍しくない。
だからこそ児童館がどこまで踏み込んでいいのかは難しい問題だった。
支援しなければ見過ごす事になる。
踏み込み過ぎれば越権になる。
放置すれば、何かあった時は批判の矢面に立つ。
どこまで行っても曖昧なまま綱渡りだ。
「昨日の夕食はハンバーガーとポテト」
森本先生がぼそっと言う。
「母親の方は一緒に食べていない。朝は抜きらしいですよぉ」
悠子の表情が曇る。心当たりがないわけではない。そんな話は珍しくないのだ。珍しくない事が問題だった。
「誰ですか」
「内緒で~す」
言いながら、森本先生は気の抜けた顔で、今度は窓の外、公園の方を見ている。こう答えるという事はまだ確証は持てていないのだろう。
「そんな事聞いてません」
でも即座に返す。森本先生は肩を竦めた。
「聞かれたから答えただけです~」
「そういう所です」
悠子は再び眉間を押さえた。
頭が痛い。だが反論もしきれない。
実際、森本先生が子供達から拾ってくる情報は馬鹿にならない。遊びの脇にいながら、片づけをしながら、おやつを配りながら、宿題を覗き込みながら、何でもない会話をしているように見える。むしろ仕事をせず、ぼぉっとしているように見える時もある。そんな雑談みたいな中に、妙に重要な事が混ざっている。
「また苦情来ますよ」
森本先生は少しだけ笑った。
「その時は」
深刻な話をしているなんて、思ってもいないような、いつもの調子だった。
「児童館・学童クラブは現在、子供の食育に力を入れる月間キャンペーン中なんです~って言っておいてください」
「そんなキャンペーンありません」
「今作りましたぁ」
「作らないでください」
森本先生は露骨に残念そうな顔をした。
悠子は大きく息を吐く。そして少し考えた。考えて。更にため息を吐いた。今、止めても、また来週には次の子に何かを教えている。必要だと思っているから止まらない。
「・・・やりましょうか」
「ん?」
「料理体験教室」
森本先生が瞬きをする。
悠子は事務的な口調で続けた。
「どうせ止めても言うんでしょう」
「・・・」
「でしょうね。・・・だったら正式な行事にします」
森本先生の目が少しだけ輝く。
「おお」
「来月早々に実施します」
「いいですねぇ」
「ただし」
悠子は口元を引き結んだ。深呼吸一つ。
「予算内」
「はい」
「衛生管理徹底」
「はい」
「アレルギー確認必須」
「はい」
「勝手なアレンジ禁止」
少しだけ間が空いた。
「・・・ま、ぁ」
「森本先生」
「はい」
悠子は諦めたように肩を落とす。返事だけは立派だ。森本先生はもう考え始めているようだった。
「第一回目はおにぎりでぇ」
「無難ですね」
「第二回目は卵かなぁ」
「まあいいでしょう」
「第三回目は味噌汁」
「いいですね」
「第四回目で鮭のホイル焼き」
「急に難易度上げないでください」
「・・・簡単ですよぉ。第五回目は炊飯器でケーキ」
「ダメですっ」
児童館の廊下の向こうから子供達の笑い声が聞こえる。
悠子は呆れたように森本先生を見る。本気で献立を考えているようだった。多分来週には子供達に話している。そして再来週には試作品を作っている。
そしてきっと。
また余計な事を教える。
悠子は小さく息を吐いた。
「・・・企画書、書いてくださいね」
悠子は念を押す。
すると森本先生は露骨に嫌そうな顔をした。
「ええぇ~」
心の底から面倒くさいと言わんばかりの声だった。
「書いてください」
「悠子先生は書類上手いからぁ」
ふにゃりと笑う。相変わらず、気の抜けた顔だ。だが、その言葉を悠子は一切信用していない。
そう言いながら森本先生の書類はほぼ完璧だ。行政提出用の報告書。予算申請書。事業計画書。外部団体への補助金関係の申請書類。
どれも差し戻しになった記憶がほとんどない。必要事項は漏れなく書く。余計な事は書かない。数字も根拠も整っている。読みやすい。無駄がない。
しかも本人は難しい顔一つしない。鼻歌混じりで書いているくせに、するすると書いて気づいたら完成している。そして通っていく。何なら職員会議で説明を求められても、『これとこれをこうしただけですよぉ』等と言う。
簡単そうに。
非常に簡単そうに。だが実際にやってみると全然簡単ではない。
悠子は何度もそれを経験している。だからこそ騙されない。少し腹立たしいと思っているのは内緒だ。こう思っているのもバレている気がしないでもないが。
「書いてください」
森本先生は観念したように肩を落とした。
「あー・・・」
大げさなため息。
だが悠子は知っている。この反応もただの演技だ。来週には書類は完成している。
しかも必要な資料まで揃えて。下手をすると予算案まで添付されている。実施スケジュールや手順書まで作ってくる。
悠子は小さくため息を吐いた。
仕事は出来ないわけじゃないのに面倒くさがる。面倒くさがるのに仕事は早い。早いのに目立つのは嫌がる。出来ないわけじゃない。本当に扱いにくい。
話は終わったとばかりに、森本先生はまた窓の外へ視線を向けている。遊ぶ子供の姿を確認しながら、頭の中は料理体験教室の事を考えているのだろう。
その顔を見ながら、悠子は肩を落とした。これじゃあ、どちらが先輩か後輩かわからない。ここの在職年数は森本先生の方が随分長い。
年齢は自分の方が上で、学校勤務の経験もある。児童への対応、親御さんへの対応・・・どちらも完璧とは言えないが上手くやっていたと思う。経験値で言えば、自分の方が上だとは思う。思うのだが、こういう時があると認めたくはないが、何かが違うと認めざるを得ない。
森本先生は窓の外を眺めながらぼそりと言った。
「じゃあ、おにぎり体験教室の材料費も計算しときますねぇ」
「・・・お願いします」
「ゴマとワカメと梅干しでぇ」
もう仕事の話になっている。やはり最初からやる気はあったらしい。
悠子は苦笑を飲み込んだ。本当に腹立たしい。だが、こういう所に何度助けられたか、わからないのも事実だった。
児童館の土曜日は、いつも通りだ。
読んでくださってありがとうございます(*_ _)
ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。




