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選べるって、ちょっと怖いね

 児童館(じどうかん)とは、児童福祉法(じどうふくしほう)第40条に基づき、18歳未満の子供が自由に利用できる児童福祉施設(じどうふくししせつ)である。

 専門の職員・・・児童厚生員(じどうこうせいいん)が配置され、遊びを通じて子供達の健やかな成長を支えている。

 また、施設によっては学童保育(がくどうほいく)(放課後児童クラブ)が併設されている事もある。

 これは、そんな場所でのある日の出来事である。



 児童館は、もう終わりの時間をとっくに過ぎている。

 遊戯室の電気は消され、館内は少しだけ暗くて、昼間より広く見える。さっきまで賑やかだった部屋が、嘘みたいに静かで、なんだか知らない場所みたいだと、(つむぎ)は思う。


 今日学童で残っているのは珍しく自分だけ。10人以上が残っている時もあれば、1人だけの時もたまにはある。


 顔を上げると、(もり)もっちゃんとバイトの小春(こはる)ちゃんが、まだ動いていた。中途半端に片づけられたおもちゃを箱に戻して、床を拭いて、ごみを纏めて。いつもは子供達の間を歩いている二人が、今はずっと大人だけの動きをしている。


 やっと、二人が座った。

 紬は少しだけ待ってから、本から顔を上げる。トランプやりたいなと思う。小春ちゃん、暇だよね、多分。


 声をかけようとした、その時。

「ねぇ、もりもぉ」

 小春ちゃんの声が、いつもよりちょっとだけ小さい。

「もりもって、この仕事長いよねぇ。私が小学生の時にもいたから」


 紬は、あ、と思う。その話、何となく聞いちゃいけない気がする。理由はわからない。でも、教室で先生が急に静かになる時みたいに、ここから先は何か違うとわかる空気がある。


 それでも、森もっちゃんは変わらない。

 いつも通りの、ゆるい顔。

 一瞬だけ、こっちを見た。目が合った気がした。紬は、反射みたいに息をひそめる。


「いたけどぉ、何ぃ? 昔の悪い事したのでも、謝るぅ?」

 軽い調子。いつもの森もっちゃんの声。

「悪い事なんてしてないしっ。じゃなくて、どうして、・・・この仕事続けてるの?」

 紬の手が、机の上で止まる。言葉を、飲みこむ。自分でも理由はわからない。

「別に子供が特別好きってわけじゃないんでしょ?」


 その先が、気になる。すごく気になる。でもトランプもしたい。今トランプしよって言ったら、多分この話、終わる。


 紬は、口を開きかけて・・・やめた。


「子供のいるとこで、なんて事言い出すの、営業妨害~」

 森もっちゃんが笑う。いつもの、ちょっとふざけた言い方。その軽さに、紬はほんの少しだけ息をつく。


 紬は、それでも知っている。

 京子せんせーは、前は保育士さんだった事。悠子せんせーは、学校の先生だった事。どっちも、結婚したとか子育てとかやめて、児童館のせんせーになったって事。


「で、急にそんな事聞いて、どうしたの~就職の話ぃ? 悠子せんせーにも聞いてなかったぁ?」

「聞いたけど、」


 小春ちゃんが、ちょっと困った顔をする。紬はその顔、見た事がある。わからない時の顔。

「うちのママと同じ事言うんだよねぇ、悠子せんせー。大学の友達から聞く、親の話と、何か違うの・・・」

 言いながら、自分でもうまく説明できていないみたいに、小春ちゃんは少しだけ眉が寄る。

 森もっちゃんが、一瞬だけ変な顔をする。ん? って顔をしてから、

「あー」

 って、わかったみたいな顔。


「小春さん、お兄ちゃんいたよねぇ」

「うん」

「悠子せんせーと、小春ママは同世代だわ~。所謂バブル世代だねぇ」

「・・・」

 紬は、バブルがわからない。シャボン玉みたいなやつ? と思う。

「そんで、大学の友達のママ達とは・・・」

 森もっちゃんが、少しだけ言葉を探す。さっきまでと、ちょっと違う間。

「時代が違うよぉ」

 ぽつん、と落ちる。静かな部屋に、やけに残る。


 紬は、何となく思う。同じ大人でも同じじゃないんだ、って。

「・・・就職氷河期世代、あたしも含めてねぇ」

 森もっちゃんが少しだけ笑う。でも、その笑いは、さっきまでよりも静かだ。

「教科書で見た事ある」

「教科書ね・・・」

 森もっちゃんが、くすっと笑う。


「それが聞きたいのぉ?」

 小春ちゃんが、さっきよりちゃんとした顔で頷く。

「うん」


「何ぃ、マリッジブルーならぬ、仕事ブルー?」


 森もっちゃんの声はいつもみたいに聞こえるけど、なんか違う気がする。軽く言うけど、小春ちゃんは笑わない。


 紬は、本に目を落とす。読んでいるふり。でも文字は全然頭に入ってこない。

 耳だけが、そっちに向いている。


「今は売り手市場だから、そんな心配ないと思うけどぉ」

「でも、聞きたい」

 その言い方が、ちょっと強い。


「あ・・・」

 そのとき、紬はまた森もっちゃんと目が合った。さっきみたいに一瞬だけ。見てる。多分、全部わかってる。紬は慌てて、本を持ち上げた。

 読むふり。でも、さっき読み終わった本だから、どこを見ていいかわからない。ページをめくるふりだけ、する。

 顔もちょっと隠す。・・・これで大丈夫、のはず。

 でも。

 なんか、森もっちゃんにはバレてる気がする。


「履歴書、リアルに手書きで100枚以上書いた事とかぁ?」

 森もっちゃんの声が、少しだけ遠くで聞こえる。

「あたしは当時からパソコン使えたからぁ、パソコンで印刷して出そうと思ったけどぉ」

 一回、間がある。

「手書きじゃないとダメだとかぁ」


 紬は本の隙間から、ちょっとだけ見る。

 小春ちゃんは、さっきよりもっと真面目な顔。

 森もっちゃんは笑ってるけど、ちょっとだけ目が違う。


「100枚・・・」

 小春ちゃんが小さく言う。紬も心の中で同じ事を思う。100枚って、ノート5冊分くらい? そんなに書くの、無理。手が痛くなる、絶対に。

「しかもねぇ」

 森もっちゃんが、指を一本立てる。

「書いても書いても、返事来ないのよぉ」

「え?」

「来てもねぇ、今回はご縁がありませんでしたって。今後のご活躍を心よりお祈り申し上げますって、紙一枚」

 紬はその言葉、何となく知ってる。でも、今の言い方だと、ちょっとだけ冷たく聞こえる。

「で、また新しく10枚くらい書くの~」

 軽く言う。でも、軽くない気がする。100枚書く事も、返事が来ない事も、よくわからない。

 でも、同じ事を何回もやるのに、終わらない感じ。それだけは、なんとなくわかる気がする。


「・・・」

「22で大学卒業して、まともな仕事はない。正規雇用されようと思ったら、タクシー運転手やパチンコ屋だったって話もあるくらい。今なら高卒でも大丈夫でしょ~」

 森もっちゃんの声は、いつもと同じ調子なのに、言葉だけが、少しずつ重くなる。


「転職先を探しても30くらいまでは、就職氷河期でぇ、求人はない。30過ぎれば、当時は中年の転職扱いだし~」

 紬は本のページを見ているふりをしながら、耳だけがそっちに引っぱられていく。数字はわかる。22は大学を卒業する歳。30歳はママより1歳下とか。でも、その中身は、よくわからない。


「第二新卒なんて、便利な言葉が出てきたのはもっと後。リーマンショックに、年越し派遣村」

 知らない言葉が、ぽんぽん出てくる。意味はわからないのに、全部、少しだけ寒い。冬みたいな感じ。


「公務員試験も年齢制限。倍率20倍だったか、30倍だったと思うよぉ。採用人数が若干だったしぃ」

 紬は、指を折ってみる。二十倍。三十倍。

 クラスのみんなでじゃんけんして、一人しか勝てない、みたいな。

 それくらいしか、思いつかない。


「同じ高校出て、国立大卒業して、学校の先生になろうとした子達も、だぁれも正規雇用されなかった。連絡来たと思ったら、臨時でどうですかぁって。次の年も採用試験受けるんだけど、勿論受からない。3年経っても4年経っても」

 3年。4年。それはわかる。でも、それが続く感じは上手くわからない。終わらない、みたいな響きだけが残る。


 その時。

 小春ちゃんの顔が、少しだけ止まる。笑ってない。でも泣いてもいない。ただ、考えてる顔。

 紬は、その横顔をこっそり見る。

「・・・そんなに?」

 小春ちゃんが、ぽつりと聞く。さっきより、ずっと小さい声。

「そんなに」

 森もっちゃんが、すぐに返す。間がない。その間のなさが、逆に重い。何がそんなに、なのかは、わからない。でも、そのそんなにの中に、たくさん何かが入っている事だけは、わかる気がした。


「同じ大学出た友達は、そこから大学院出たけど。30で死んだねぇ。知人レベルなら、もっといるしぃ」

 紬は、そこでページをめくる手を止める。死んだって言葉だけ、はっきりわかる。それだけ、強く聞こえる。

 教室で聞くのとは、ちょっと違う。


「他にはぁ、当時、海外青年協力隊の広告が山ほどあって、あたしの友達も行ったけどぉ。30過ぎくらいまでは結構連絡も来てたけどねぇ、1・2ケ月前の日付の手紙が届くの~」

 森もっちゃんは、遠くを見るみたいな目をする。今じゃない、どこかを見てる目。

「日本に帰国するたびに、仕事探してたけど、40くらいには諦めてたわぁ」

「・・・」

 小春ちゃんは、何も言わない。

 でも、指先が少しだけ動いてる。膝の上で、ぎゅっと握って、少しゆるめて。それを、何回か繰り返してる。

 紬は、それを見てしまう。見ちゃいけない気がするのに、目が離れない。


「・・・私さ」

 小春ちゃんが、ゆっくり口を開く。

「ママの話聞いて、内定幾つも貰って。ゴハンも食べさせて貰って、遊びにも連れて行って貰ってって・・・でも、友達の親の話聞くと、ブラックかどうか。給与とか待遇とか大丈夫? その内容が本当にあっているのか、って言われたって」

 その言い方は、いつもの軽さじゃない。


「私、そこまで考えて就職活動したかなあって。どこ行くかとか、何するかとか、一応考えたけど、」

 一回、止まる。

「でも、それって、ある前提なんだね」

 小さく笑う。でも、その笑いは、あんまり楽しくなさそう。

「ないって、あんまり想像してなかったかも」

「まあねぇ」

 森もっちゃんが、肩をすくめる。

「ない時代だったからねぇ」

 さらっと言う。でも、さらっと流れない。


「・・・あたしは、何とかここに雇われたけど」

 森もっちゃんの声が、少しだけ低くなる。

「毎日夜12時まで仕事とか、オマエの代わりは幾らでもいるとか~ 物語の中じゃなく、現実にあったねぇ。正規雇用がないから、とりあえずバイトでもなんでもして生活費を稼ぐしかない。5年働いても10年働いても時給700円とか800円とかで」

 紬は、その言葉を頭の中で繰り返す。代わりがいる。幾らでも。

 それは、ちょっと怖い。自分じゃなくてもいいって事でしょ。

「弱いやつは死ぬか、おかしくなるか・・・。家と親がいれば、引きこもりかニートか」


 そこで紬は、はっとする。胸の奥が、ちょっとだけざわっとする。話してる事は、ほとんどわからない。

 でも、聞いた事はある。似たような言葉。似たような空気。おばあちゃんと、お母さんが、台所で話してる時。

 少しだけ声を落として。困った顔で、おじさんの話をしてる時。・・・ニートだって。その言葉も知ってる。テレビでも聞いた事がある。あと、さっき出てきた言葉。・・・就職氷河期。


 紬は、本をぎゅっと持つ。

 部屋は静かなままなのに、さっきより少しだけ重くなってる気がする。空気が、見えないのに、増えたみたいに。

 小春ちゃんは、下を見ている。さっきの笑い顔じゃない。でも、泣いてもいない。

 考えてる顔。どこか遠くを見てる顔。

 紬は思う。

 大人の話は、よくわからない。でも時々わからないままでも、怖い。


「小春さん」

 森もっちゃんの声が、少しだけやわらかくなる。

「そこそこの所に就職、内定出たでしょ~」

 空気が、ほんの少しだけ動く。

「うん」

 小春ちゃんが答える。短い。でも、その一言に、さっきまでのいろんな事が、くっついてる気がする。

 紬は思う。

 そこそこって、どれくらいなんだろう。いいのか、普通なのか、ちょっといいのか。よくわからない。


「本当にぃ、その仕事を続けられるか~」

 森もっちゃんは、さっきまでの話とは違う言い方をする。

 ゆっくり。確かめるみたいに。

「とりあえず1・2年はやっていけるかぁ」

 数字が、今度は少し近く感じる。1年。2年。紬にもわかる長さ。でも、その中身は、やっぱり見えない。

「じっくり考えてみるのもいいと思うよぉ」

 その言い方に、さっきまでの重たい話と、同じ人が言ってるのに、少しだけ安心する。

 小春ちゃんは、すぐには答えない。目線を少し下げて、考えている。さっきみたいに、指先が少し動く。でも今度は、さっきよりゆっくり。


「・・・なんかさ」

 ぽつり、とこぼれる。

「選べるって、ちょっと怖いね」

 小さく笑う。でも、今度の笑いは、さっきより少しだけやわらかい。

「失敗したら、自分のせいって感じするし」


「まあねぇ。それが大人になるって事だからね~」

 森もっちゃんが、軽く頷く。

「でもぉ」

 森もっちゃんがちょっと笑った。

「選べるなら、選んだ方がいいよぉ」

 さっきのない時代とは、違う言い方。

「後から、あっちだったかもって思うの、地味に長く引きずるからねぇ」

 さらっと言う。でも、その長く引きずるが、少しだけ引っかかる。紬は、その言葉を何となく覚える。

 長く引きずる。

「・・・うん」

 小春ちゃんが頷く。今度は、さっきよりちゃんと。少しだけ顔も上がる。その顔は、さっきの困った顔とも、いつもの笑顔とも、ちょっと違う。考えた後、みたいな顔。


 紬は、それを見て思う。

 大人は考える時間が長い。すぐ決めないで、少し待ってる。

 その間に、いろんな事を思ってる。多分。

 よくわからないけど。


「・・・で、紬ちゃん」

 森もっちゃんが、ふっとこっちを見る。急に、いつもの声。

 小春ちゃんが黙る。

「まあ、でもぉ」

 森もっちゃんが、いつもの調子に戻る。

「いちお~仕事はあるしぃ、生きてるしぃ、こうしてトランプもできるしぃ?」

 完全に、こっちを見る。紬は、びくっとする。本を下げるタイミング、なくなった。

「ねぇ、紬ちゃん?」

 やさしい声。

 でも、逃げられないやつ。

「聞いてたでしょぉ?」

 バレてる。バレてるとは思ってたけれど。紬は、ゆっくり本を下げる。

「・・・ちょっとだけ」

「ちょっとじゃない顔してたけどぉ?」

 小春ちゃんが、くすっと笑う。さっきの顔じゃない。いつもの、小春ちゃんの顔。

 紬は、ちょっとだけ安心する。


「トランプ、するでしょ?」

 森もっちゃんが言う。

「する」

 紬は、さっとと答える。カードを素早く持ってきて広げる。テーブルの上に、ぱさぱさっと音が広がる。

 さっきまでの話は、カードの下に隠れるみたいに見えなくなる。でも、消えたわけじゃない。

 紬は思う。

 100枚書くとか。

 返事が来ないとか。

 よくわからないけど、なんか大変そうで。

 でも、その人が今、目の前で笑ってる。

 それが、ちょっとだけ不思議で。


「ババ抜きねぇ」

「いいよ」

「負けた人、片づけ追加ねぇ?」

「えー」

 笑い声が、さっきより大きくなる。

 部屋が、少しだけ昼間のような空気になる。

 紬はカードを引きながら思う。大人って、見えないところでいっぱい大変で。

 でも、それを、あんまり見せないで笑う。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
 時司 龍さん、こんにちは。 「児童館のせんせー 選べるって、ちょっと怖いね」拝読致しました。  もう閉館時間なのに、一人残っている、紬。  たくさん残っている場合もあるし、自分だけの事もある。 …
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