第五話:霧の吊り橋と、潰えぬ妄想
一行は、ゆらゆらと力なく、それでいて奇妙に足並みを揃えて歩き続けていた。
道は険しさを増し、いつしか山頂の切り立った稜線を渡り、深い渓谷に架かる心許ないつり橋へと差し掛かっていた。
周囲の風景は、乳白色の濃い霧に完全におおわれていた。
一歩足を踏み外せば奈落の底という状況でありながら、彼らがこれまで滑落しなかったのは、もはや奇跡というほかない。あるいは、あまりに現実離れした彼らの精神状態が、重力さえも混乱させているのだろうか。
デュランダル「……おい。おいヴァレリア、聞こえているか!?」
腰に帯びた聖剣デュランダルが、しきりに声を張り上げた。
百戦錬磨の知性を誇る聖剣でさえ、この濃霧と一行の迷走によって、今の正確な位置関係がわからなくなっていた。
デュランダル「おい! この先は断崖絶壁だぞ! ヴァレリア、返事をしろ! 誰か一人くらい正気に戻ったらどうなんだ!」
遮断された意識
しかし、ヴァレリアから答えが返ってくる様子は微塵もなかった。
彼女の瞳には、目の前の険しい橋も、聖剣の忠告も映っていない。ただただ、ぶつぶつと壊れた蓄音機のようにうわ言を繰り返している。
ヴァレリア「……そうよ。私は、月から降り立った美少女戦士……。覇者にして美しき勇者、ヴァレリア……。世界は私の輝きに平伏すの……。んふーっ、私が怖い、自分が怖いわ……」
一歩踏み出すごとに、腐りかけた吊り橋の板がギィ、と不吉な音を立てる。だが、彼女はその音さえも「私を称えるファンファーレ」として脳内変換しているようだった。
その後ろでは、ユウサクがタヌキのマカロニの身の上話に涙し、「君の里は僕が、僕が絶対に……っ」と鼻水をすすりながら虚空を抱きしめるように歩いている。
さらに最後尾では、ネネが「おかしい……何かがおかしいわ……計算が合わないのよ……」と、この世の物理法則そのものを疑うような独り言を漏らし続けていた。
聖剣の叫びも、谷底からの風の音も、彼らの強固な「自分だけの世界」には届かない。
冷静な足取りで一行を追うマカロニだけが、この異常な集団を忍びの隠れ里へと導く、唯一の道標となっていた。
隠れ里の主、マカロニ
霧がふっと晴れた。
視界が開けた先には、古びた日本家屋のような建物が立ち並ぶ、隠密な雰囲気の里が姿を現した。
一行が里の門をくぐった途端、周囲の茂みや屋根の上から、忍装束に身を包んだ無数のタヌキたちが音もなく降り立ってきた。
「おかえりなさいませ、マカロニ様!」
タヌキたちは一斉に跪き、先ほどまでの「可哀想な被害者」であったはずの少女に、最上級の敬意を捧げた。
マカロニは怯えた表情を消し去り、どこからか取り出したキセルに火をつけ、ふぅーっと紫煙を吐き出した。
マカロニ「……作戦変更だ。今までのやつらより、こいつらのほうが断然強いからな」
マカロニの声は低く、貫禄に満ちていた。彼女は冷めた瞳で、未だに「美少女戦士」とうわ言を言っているヴァレリアや、鼻水を垂らしているユウサクを見下ろした。
タヌキの村人「では、手はず通り、こいつらを使って『あの村』を……?」
タヌキの一人が、下卑た笑みを浮かべて問いかける。マカロニはキセルをくゆらせながら、短く答えた。
マカロニ「ああ。こいつらを使ってな」
釜茹での祝詞と、空間からの手
里の中央広場には、巨大な『釜』が用意されていた。その周囲には禍々しい「しめ縄」が張り巡らされ、ただならぬ妖気が漂っている。
いつの間にか、マカロニは装いを変えていた。
キセルを置き、凛とした巫女姿となった彼女は、広場の壇上に立ち、低く響く声で祝詞をあげ始めた。その背後では、ネネとヴァレリアが自我を失ったかのように地面に伏している。
デュランダル「起きろ! 起きろお前ら! 煮え湯を飲まされる気か!」
鞘の中で叫び続ける聖剣に、巫女姿のマカロニは冷徹な一瞥をくれた。
マカロニ「……黙れ」
一喝。
彼女は容赦なく聖剣デュランダルを掴むと、そのままグラグラと煮え立つ釜の中へと放り込んだ。
続けてマカロニは、用意されていたお神酒を一気に煽る。次第に彼女の瞳は虚ろになり、激しいトランス状態へと入り込んでいく。
マカロニが、跪くユウサクをスッと指差した。
すると、ユウサクはゆらーりと力なく立ち上がり、恍惚とした表情のまま、自ら服を脱ぎ始めた。彼は用意されていた清めの塩のようなものを己の体に塗りたくり、まるで導かれるように熱い釜の中へとその身を沈めた。
マカロニの祝詞が最高潮に達する。
マカロニ「……深淵より、其の御手をば差し伸べ給え。畏み畏みも白す――」
マカロニの声は次第にうなりを上げ、トランス状態のなかでリズミカルな絶叫へと変わっていく。
マカロニ「釜に満つるは怨嗟の泥、薪に焚くは魂の火! 理崩せ、次元を裂け!」
マカロニ「彼方の御手よ、貪り喰らえ。出でよ、掴め、引きずり込め――ッ!」
その瞬間、本来そこにあるはずのない空間の裂け目から、巨大な『手』が伸びてきた。
その手は、ユウサクと聖剣を飲み込んだ『釜』をまるごと掴むと、物理法則を無視した圧倒的な力で、暗黒の空間の中へと持ち去っていった。




