第五話:湯煙の蹂躙、トカゲの狂宴
湯気の中に潜んでいた「何か」は、もはや気配を隠そうともしなかった。
――わさ、わさ。
「ひゃうっ!? な、なんなんですかぁ!?」
浴槽の端でぷかぷかと浮いていたマカロニが、突如として裏返った悲鳴を上げた。白濁した湯の中から、ヌルリと湿った複数の手が伸び、彼女の小ぶりな胸を容赦なくもみしだいたのだ。
湯の中から姿を現したのは、不気味な鱗に覆われた爬虫類系の人型種――トカゲ男だった。その卑屈な顔には下卑た笑みが浮かび、二股に分かれた舌をチロチロと出し入れしながら、恐怖に凍りつくマカロニの首筋を執拗になめ上げる。
「いやあああああ!!」
マカロニの絶叫と同時だった。
――ドォォォォン!!
凄まじい破壊音と共に、湯船が大きく揺れた。
マカロニの背後にいた「トカゲ親父」の顔面に、凄まじい衝撃が走る。
猛然と湯を割って立ち上がったヴァレリアは、自身の股間の裂け目をさらすことなど微塵も気に留めず、ただ獲物を屠るためだけにその豪脚を高く跳ね上げた。一糸まとわぬ全裸で放たれた正確無比な前蹴りが、トカゲ親父の顔面に深くめり込む。
「この、不潔なトカゲが……。死にたいようだな」
蹴り抜いた姿勢のまま立ち上がる彼女の肉体は、修行によって鍛え上げられた鋼の筋肉に覆われていた。濡れた肌に生える銀色の産毛が、湯気に反射して神々しく、かつ猛々しく輝いている。
滑る足場、奪われる仲間
だが、事態はそれだけでは終わらなかった。洗い場の奥や天井、そして湯の中から、ゾロゾロとさらに多くのトカゲたちが這い出してきたのだ。
「ヴァレリア、こっちにも来てるわ!」
ネネが魔力を練ろうとするが、トカゲたちが放つ粘液と温泉の成分が混ざり合い、浴場全体が異常なほど「滑る」フィールドへと変貌していた。
トカゲたちは、ヌルヌルとした長い舌を鞭のように伸ばし、標的をヴァレリアに定めた。
「おのれ……! ぐっ、足場が……!?」
ヴァレリアが迎撃しようとするが、床がツルツルと滑り、自慢の剛力を踏ん張ることができない。トカゲたちの舌が彼女の四肢に絡みつき、その摩擦を奪っていく。
その隙に、別のトカゲたちがネネとマカロニに群がった。
「ちょっと、放しなさいよ! 火球――きゃあ!?」
「ユウサク様ぁ! 連れ去られるぅ! 人権侵害ですぅぅ!!」
抵抗も虚しく、二人はトカゲたちの物量に押し切られ、浴場の裏口へと連れ去られていった。
ヴァレリアの暴挙
残されたのは、舌に絡み取られたヴァレリア一人。
一匹の巨大なトカゲが、彼女を捕食しようと大きく口を開け、その頭部を丸呑みにせんと迫る。
「……持ち手が滑って、力が上手く伝わらんな。ならば」
ヴァレリアは自分を喰おうとするトカゲの口の中に、迷わず両腕を突っ込んだ。
そのまま、彼女はトカゲの上顎と下顎を、力任せにグイ――と押し広げる。
「どうする。このまま口を引き裂かれたいか、それとも大人しく吐き出すか、選ばせてやろう」
「ひ、ひいぃぃ!?」
トカゲが恐怖で目を剥き、逃げようともがくが、ヴァレリアの握力は逃がさない。
――ベキ、メキッ!!
「あ……。勢い余って割いてしまったな」
ヴァレリアの加減を知らない筋力によって、トカゲの亡骸が力なく地面に転がった。
彼女はふぅと溜息をつくと、飛び散ったトカゲの体液を丁寧に洗い流し、再び何事もなかったかのように湯船にどっぷりと肩まで浸かった。
「……ふぅ。全く、変な邪魔が入ったせいで、百数える修行の邪魔を……」
温かい湯が、戦いの熱を冷ましていく。
……十秒ほど経っただろうか。ヴァレリアは、ガバッと湯の中から顔を上げた。
「……はぁ!? ネネとマカロニが大変じゃないか!!」
筋肉の限界を追求するあまり、脳への酸素供給が遅れたのか。ヴァレリアの遅すぎる叫びが、無人の女湯に虚しく響き渡った。




