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小野はそれまでの雰囲気をガラリと変える。
「この世界に来た時丁度この店の前だったんだけど、焙煎される豆のいい匂いがしてて転移者そっちのけでこの店入ってさ。あ、黄泉竈食ひ(よもつへぐい)って知ってる?」
イザナミとイザナギの永遠の別れを描いた神話に登場するやつだ。神話にも精通している私は当然知っている。
「黄泉の国の物を食べたからイザナミは帰れなくなったってやつですよね?」
「そうそう、流石だね。それと同じように僕みたいなタイプは他所の世界の物を食べちゃダメらしいんだけど、マスターの珈琲がどうしても飲んでみたくて飲んじゃったんだよね」
体ごと落っこちてると言った小野は行った先で用意された体を使っているわけではない。逆に同僚さんやシルヴィア達はこの世界に与えられた体で存在し実体は自分の世界にあるわけだ。小野の言う僕みたいななタイプとは体ごと来ている者の事。黄泉竈食ひの話をしたと言う事は、自分の体ごと転移している者が異世界の物を食べてしまうとそこからはもう戻れないと言う事か。
一瞬でそこまで思考し瞬間的に驚愕の表情を表すと再び流石だねと褒められる。
「お察しの通り、僕の体はこの世界に縛られてもう元の世界には戻れないんだよねー」
小野はあっけらかんと言ってのけるが私はとても笑えなかった。何て事ないと言うように笑う小野が信じられなかった。自分の世界に帰れなくなったのに何でそんな平気でいられるのか。
「僕の事おかしいと思う?」
私の思いを感じ取ったのか小野は聞いてきた。
「ちょっと信じられなくて。私だったら笑っていられないと思うから」
「だよね。でも僕には帰りたい理由がないからさ」
小野にとって元の世界は会いたいと思う人がもう誰もいない世界だ。だから彼は好物の珈琲を飲んでしまえと思えたのか。それでも、、
「小野さんの世界には亡くなった方たちとの思い出はあるんじゃないですか?彼らを偲ぶ気持ちももうないんですか?」
それまでヘラヘラと笑っていた小野は私の言葉に急に無表情になる。他人の思い出や故人への想いを持ち出すべきじゃないかもしれない。それぞれが大事にしているもの、軽々しく踏み込んではいけない。でも、その地に眠る人をまるでもう何も無いみたいに言って欲しくなかった。
「どこに居ても、祈りは届くと思います」
ユエが言っていた。目に見えない者へかけた言葉はどこに居たってちゃんと届いてるって。
「それでも、近くに来てくれたらもっと嬉しいと思うんです」
だから私たちはお墓参りをするし、神社参拝をするんだ。そこに居ると思えばいるんだから。
「小野さんの大事な人たちは何処に眠っているんですか?その人達を思い出して偲ぶ時は彼らが居た世界が見えるんじゃないですか?」
居ると思えば居る、思いを寄せればまだそこに。そこはこの世界じゃなくて彼らが、小野が生きた世界だ。
「誰も居ないなんて言わないであげて下さい。帰りましょうよ!大事な人達のそばに!きっと方法はありますよお!協力、します、から、方法、探しましょうよお」
気づいたら泣いてしまっていた。
「まったくお前は」
「だって、、」
呆れながら雄真がハンカチを渡してくれる。涙を拭いていると小野が笑う気配がした。
「ありがとう千歳ちゃん。参ったな、相談する前に了承が得られるなんて」
「え?」
小野の言葉にずびっと鼻を啜って私は顔を上げた。




