第四巻 第五章 (節制、自制は善行に必要不可欠の基礎である)
第四巻 第五章 (節制、自制は善行に必要不可欠の基礎である)(節制、自制して肉体の快楽から自由に成らないと思考を制限されて悪事を犯してしまう)(節制、自制して食欲、性欲、睡眠欲が満ちるまで我慢しないと本来の快楽を味わえない)(善、善行を熟考しなさい)
さて、「ソクラテスが、どのような方法で、ソクラテスと共にいた友人達を、行動において、より強く(、正しく)したか?」を私クセノフォンは説明するつもりである。
最初に、ソクラテスは、「全ての気高い行為(、善行)には節制、自制という基礎が必要不可欠である」と確信していて、その確信にふさわしく節制、自制している人であったので、ソクラテスの友人達に、超越的に(節制、自制の鍛錬で)自身を鍛錬した人として自身をあらわした。
そして、次に、ソクラテスは、会話と議論によって、ソクラテスと同様に、他の全てよりも、節制、自制を、ソクラテスの友人達に勧めた。
このため、ソクラテスは、徳、善行の役に立つ諸々の物事(である節制、自制)を、自分に常に思い出させ続けたし、出会った全ての人達に常に思い出させ続けた。
私クセノフォンが知る限りでは、実例による証明として役に立つであろう、議論の主題が節制、自制である、次のようなエウテュデモスと(ソクラテス)の議論のように。
(次のようにソクラテスは話を始めた。)
「教えてください、エウテュデモスよ。『自由は、人にとっても、国家にとっても、気高いし、大いなる獲得物である』と、あなたは思いますか?」
(次のようにエウテュデモスは答えた。)
「私エウテュデモスは、自由よりも気高いものや大いなるものを思いつく事ができません」
次のようにソクラテスは話した。
「では、『肉体の快楽に支配されていて最善の事を行う事ができない人は、自由な人である』と、あなたエウテュデモスは思いますか?」
(次のようにエウテュデモスは答えた。)
「確実に、思いません」
次のようにソクラテスは話した。
「ええ!」
「なぜなら、『最善の事を行うのは、自由の特徴である』と、多分あなたエウテュデモスは思っているからです」
「また、『何らかのものが最善の事をするのを妨げているのは、自由を奪われているのである』と、あなたエウテュデモスは思いませんか?」
(次のようにエウテュデモスは答えた。)
「最も、確かに」
次のようにソクラテスは話した。
「『節制、自制しない事は、不自由に成る事である』というのが、確実に、あなたエウテュデモスの意見である、と思いますが?」
次のようにエウテュデモスは話した。
「神に誓って!」
「私エウテュデモスは、『そうである』と、とても思っています」
次のようにソクラテスは話した。
「では、あなたエウテュデモスが思うに、節制、自制しない人は、最も気高い事を行うのを妨げられているだけでしょうか? それとも、さらに、最も恥ずべき事を行うようにも駆り立てられてしまうでしょうか?」
次のようにエウテュデモスは話した。
「『節制、自制しない人は、最も気高い事を行うのを妨げられてしまう、のと同じくらい、最も恥ずべき事へ駆り立てられてしまう』と私エウテュデモスは思います」
次のようにソクラテスは話した。
「では、あなたエウテュデモスが思うに、最善の事をやめさせ、最悪の事を行うように強いる者どもは、どのような種類の主人でしょうか?」
次のようにエウテュデモスは話した。
「神よ!」
「最善の事をやめさせ、最悪の事を行うように強いる主人は、まさに最悪の主人です」
次のようにソクラテスは話した。
「では、どのような種類の奴隷に成るのが、『最悪である』と、あなたエウテュデモスは思いますか?」
(次のようにエウテュデモスは答えた。)
「『最悪の主人の奴隷に成るのが、最悪である』と私エウテュデモスは思います」
(次のようにソクラテスは話を続けた。)
「では、『節制、自制しない人は、最悪の種類の奴隷状態に縛られている』と思います。そうではありませんか?」
(次のように、他方のエウテュデモスは答えた。)
「『そうである』と思います」
次のようにソクラテスは話した。
「では、『知恵は、全ての物のうち、最善の物である』が、『魔女(に例える事ができる)、節制、自制しない事は、人に知恵を捨てさせてしまうし、人を知恵とは正反対である愚かさに陥れてしまう』と、あなたエウテュデモスは思いませんか?」
「『役に立つし利益をもたらしてくれる物事に関心を持ったり理解するために学んだりするのを、魔女に例える事ができる、節制、自制しない事は、妨げてしまう』と、あなたエウテュデモスは思いませんか?」
「『魔女に例える事ができる、節制、自制しない事は、人を、(役に立つし利益をもたらしてくれる物事から、)快楽へ引き離して、役に立つし利益をもたらしてくれる物事に関心を持ったり理解するために学んだりするのを妨げてしまう』と、あなたエウテュデモスは思いませんか?」
「また、人は善悪を十分に意識しているが、魔女に例える事ができる、節制、自制しない事は、頻繁に、人の機知を圧倒してしまって困惑させてしまって、最善の代わりに最悪を人に選択させてしまいますよね?」
(次のようにエウテュデモスは答えた。)
「はい。そう成ってしまいます」
次のようにソクラテスは話した。
「では、健全な精神、節制、自制している精神は、どうでしょうか?」
「節制、自制しない人よりも節制、自制している健全な精神が少ない人がいるでしょうか? いいえ! いない!」
「『節制、自制している精神の働きと、節制、自制しない心の働きは、正反対である』と私ソクラテスは思うのですが?」
(次のようにエウテュデモスは答えた。)
「私エウテュデモスは、それも認めます」
次のようにソクラテスは話した。
「節制、自制という徳、善行について、そうであれば、我々、人が専念するべき全ての物事(である善行)に対して徹底して専念する事に関連して、次のような事は、どうでしょうか?」
「節制、自制しない事よりも深刻に、何らかの物事が、人が専念するべき事(である善行)に専念するのを妨げてしまう事ができますか? いいえ! 節制、自制しない事が、最も深刻に、人が専念するべき事(である善行)に専念するのを妨げてしまう!」
(次のようにエウテュデモスは応えた。)
「『最も深刻に、人が専念するべき事(である善行)に専念するのを妨げてしまうのは、節制、自制しない事しか無い』と私エウテュデモスは思います」
次のようにソクラテスは話した。
「では、『節制、自制しない事は、人を襲う最悪の災いであり得る』と、あなたエウテュデモスは思いませんか?」
「節制、自制しない人が、役に立つ物事の代わりに、有害な物事を選ぶように誘惑されてしまうよりも有害な感化を受けてしまう事は有り得るでしょうか? いいえ! 節制、自制しない人は、役に立つ物事の代わりに、有害な物事を選ぶように誘惑されてしまう最も有害な感化を受けてしまう!」
「節制、自制しない事によって、人は、(心の中で)言いくるめられるような形で有害な物事に専念させられてしまうし、役に立つ物事を怠らせられてしまう」
「節制、自制しない事によって、人は、自分の意に反して、全ての人が冷静な感覚では避けるであろう事をするように強いられてしまいますよね?」
(次のようにエウテュデモスは応えた。)
「『節制、自制しない事は、最悪である』と私エウテュデモスは思います」
次のようにソクラテスは話した。
「『節制、自制は、節制、自制の欠如、節制、自制しない事とは、正反対の結果を人にもたらしてくれる』と考えるのは論理的ですよね?」
次のようにエウテュデモスは話した。
「そう考えるべきです」
次のようにソクラテスは話した。
「では、この節制、自制は、まさに最悪とは正反対の結果をもたらす原因であるので、正に最善の物ですよね?」
次のようにエウテュデモスは話した。
「それが自然な結論ですね」
次のようにソクラテスは話した。
「エウテュデモスよ、まるで『節制、自制は、人が獲得できる最善の物である』かのように見えます。そうではありませんか?」
(次のようにエウテュデモスは答えた。)
「実に、そうです、ソクラテスよ」
次のようにソクラテスは話した。
「ただ、さて、エウテュデモスよ、かつて、ある事実に気づいた事が、あなたには有りますか?」
(次のようにエウテュデモスは尋ねた。)
「どのような事実でしょうか?」
次のようにソクラテスは話した。
「結局、人を、ある人々が『節制、自制しない事に固有の世界である』と(誤って)考えてしまっている甘美な快楽の世界へ導く事ができる能力が節制、自制しない事には無いという事実です」
「節制、自制しない事ではなく、『節制、自制だけに(人にとっての)最高の快楽へ到達するための手段が有る』のです」
(次のようにエウテュデモスは尋ねた。)
「どのような手段で、節制、自制は人を(人にとっての)最高の快楽に到達させるのですか?」
「どうしたら、そう成るのですか?」
(次のようにソクラテスは答えた。)
「ああ、次のような手段によってです」
「節制、自制しない事によってでは、人は、飢え渇き(という食欲)や、性欲や、睡眠不足(という睡眠欲)を我慢できません」
(「禁欲、節制、自制は、飲食による本来の快楽、愛による快楽、甘美な幸せな睡眠への唯一の手段です。禁欲、節制、自制によって、食欲、性欲、睡眠欲による快楽が満ちるまで忍耐強く我慢する人が、食欲、性欲、睡眠欲による本来の快楽を勝ち取ります」)
「その理由は、次のように成ります」
「節制、自制しない事によってでは、人は、より明らかに、より頻繁に、くり返し生じる快楽の完全な結晶から隔絶してしまいます」
(「節制、自制しない事によってでは、人は、最も必要な、全てに浸透している、喜びの源泉について何か話せるほど味わえる事から隔絶してしまいます」※別の版)
「節制、自制によってのみ人は前述の労苦を我慢する事ができるし、節制、自制だけが、前述の食欲、性欲、睡眠欲という人に共通の、ありふれた事例において記憶するに値する全ての(人にとっての本来の)快楽を人にもたらしてくれる力の一部なのである」
(次のようにエウテュデモスは答えた。)
「あなたソクラテスの話は正しいです」
次のようにソクラテスは話した。
「さらに、『美しい善い』何かを学ぶ事に何らかの喜びが存在するならば、」
「また、自分の肉体を人に正しく管理させる事ができたり、自分の家族を人に善く統治させる事ができたり、自分の友人達と自国の役に立つ事を人に自ら証明させる事ができたり、自分の敵を人に圧倒させる事ができたりするかもしれないような法則、規則を自身に忍耐強く応用する事に何らかの喜びが存在するならば、」
「美しい善い何かを学ぶ事、自分の肉体を正しく管理する事、自分の家族を善く統治する事、自分の友人達と自国の役に立つ事を自ら証明する事、自分の敵を圧倒する事は、利益の源泉、だけではなく、最も深い充足感の源泉に成るし、」
「美しい善い何かを学ぶ事、自分の肉体を正しく管理する事、自分の家族を善く統治する事、自分の友人達と自国の役に立つ事を自ら証明する事、自分の敵を圧倒する事で、節制、自制している人は、善行の成果を獲得できる」
「節制、自制しない人には、(人にとっての)本来の快楽、善行の喜び、真の利益、最も深い充足感、善行の成果のうちの、いずれか一つのうちの、一部も一塊も無いのである」
「なぜなら、『節制、自制しない人は、(肉体の快楽という)最も手近な快楽に関心を持つように(肉体の快楽によって)縛られてしまっているので、前述のような善行への関心が最も低く成ってしまうため、善行を行う能力も最低に成ってしまう』と断言して良いに違いないのである」
次のようにエウテュデモスは応えた。
「ソクラテスよ、あなたはよく、『私ソクラテスが思うに、肉体の快楽に支配されてしまっている人は、善行に全く関心が無い』と話していますね」
(次のようにソクラテスは尋ねた。)
「では、エウテュデモスよ、節制、自制しない人と、最も愚鈍な野獣は、何が違うというのですか?」
「全ての高みを目指す事を放棄してしまっている人、最善の探求をあきらめてしまっている人、快楽によって自分の五感を喜ばせようとだけ努めてしまっている人は、最も愚かな牛よりも優れているというのか……? いいえ!」
「実に、節制、自制している人だけが、『隠されている宝』を発見できるのである」
「言動については、節制、自制している人は、善を熟考して選択して、また、悪から離れて、前述の、善行を理解して、善行(と悪行)の分類に従って、善行を選択する」
(「言動については、節制、自制している人は、『黄金』、『善』を選択して、また、『滓』、『無価値なもの』を捨てて、前述の、善行を理解して、善行と悪行の分類に従って、善行を選択する」※別の版)
(次のようにソクラテスは言い加えた。)
「このようにして、言ってみれば、人は善と幸福の絶頂に到達するし、このようにして、人は論理的な思考と議論の能力が最大に成るのである」
(「このようにして、人は、幸福と完成へ、より近づいて、真理を明かして話す能力が最大に成るのである」※別の版)
「まさに『議論』という名前は、人々が集合して協力して熟考して、理解し、物事の分類に従って物事を選択する、『選択』という言葉に由来している」
「そのため、人は、この(善行という)務めのために可能な限り自ら(節制、自制を)用意する義務が有るし、本気で決心して、他の全てよりも、善行(、善)について探求する義務が有る」
「なぜなら、善行は超越への正道であるし、善行は同胞を指導するのに最もふさわしい人(として自身)を創造するし、善行は議論の教師に成るのに最もふさわしい人(として自身)を創造するからである」




