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ええっ、わたしがアールに?

 んんん?


 わたし、小さくなった?


 というのも、視線がいつもより低くなっている気がする。


 周囲を見まわすと、すごく広い場所に立っている。


 多くの男性が行ったり来たりしていて、そのすべての男性が軍服に身を包んでいる。


「『アージェント・ルプス』、将軍がお見えだぞ」


 だみ声で上を見上げると、軍服姿のかっぷくのいい男性がこちらを見おろしている。


 っていうか、いまなんて言ったの?


「アージェント・ルプス」?


 アール? どういうこと?


 そのとき、自分がネックレスをしていることに気がついた。ネックレスみたいなものといった方がいいかしら。


 ネックレスをすると首が真っ赤になってしまう。だから、いっさい装着しないのに、いまは首になにか装着している感覚がある。


「将軍」


 ハッと見上げると、目の前に侯爵が立っている。


 ひえええええっ。将校服姿の彼は、いつにも増して威圧感がある。


「譲ってもらってすまないな」

「お気になさらず。将軍はこいつと仲がいいですからね。引き取っていただいてうれしいですよ。こいつも、その方がしあわせになれます」

「そうだな。わが軍の一番の功労者だ。余生はゆっくりすごしてもらおう」


 侯爵は、強面にやさしい笑みを浮かべてまたこちらを見おろした。


 そのやさしい笑顔にドキッとした。


 一度たりとも見せてくれたことのない笑顔だったから。


「将軍、おめでとうございます。奥方を迎えられたとか。だったら、ルプスのような強面の成犬よりモフモフの仔犬の方がよろしいのでは?」

「そうだな。だが、おれのかわりに妻を守ってもらうつもりなんだ。おれのような年上で粗暴で気の利かないおっさんに側にいられたのでは、妻もかわいそうだ。それならば、まだ犬の方がマシだろう。それがまた、妻が小さくて可愛らしくてな」

「これはこれは、ごちそうさまです。まさか将軍がこんなになってしまうとは。デスクワークに移るというのも、その奥方にメロメロのせいなのですな」

「ああ」


 頭上で交わされる会話に驚きを禁じ得ない。


 本人を目の前にしてそんなこと言う?


 というか、わたしって認識されていない?


 すぐそこに水溜りがある。近づいてみた。首からリードがつながっている。


 もしかして、わたしって……。


 なぜか冷静になれた。パニックになったりなんてことはない。


 水溜りをのぞきこんでみた。


 すると、そこにかぎりなくぼんやり映っているのは、まぎれもなくアールだった。


 予想通りだった。


 ということは、わたしって死んでしまったの? 階段から落ちて?


 小説みたいに過去にさかのぼった?


 そんなこと、ほんとうにあり得るの?


 それとも、これはアールの記憶で見せてくれているだけ?


 それだったら、わたしがアールの姿になっている説明がつかないわね。


「さあ、ルプス。わが親友よ。屋敷へ行こう。そして、これからおれにかわって妻の側にいてやってくれ。そして、守ってくれ。これまでおれや多くの兵士たちを守ってくれたように」


 いつの間にか侯爵がリードを握っている。


 彼は、わたしのことを……。


 そこまで考えたとき、目の前が真っ暗になった。



 瞼を開けると、大きなクッションの上で丸くなっていた。


 見慣れた部屋。


 ダウリング侯爵邸の自室である。


 そっと周りを見渡すと、どうやら床の上のクッションの上で眠っていたみたい。


 このクッションは、侯爵のにおいがする。柑橘類の香水のにおいである。いつものわたしだったら、この彼のをさわやかだと感じたはず。だけど、いまはアールになっているから物凄くきつく感じられる。


 侯爵が寝台のすぐ横に椅子を置いて座っている。


 寝台をのぞきこむその表情は、憔悴しきっている。


 ドキリとした。


 そんな憔悴しきった表情もまた、初めて見てしまった。


 同時に、彼が寝台をのぞきこんで見つめているのがだれかを察したことに対してもドキリとした。


 クッションの上でそっと立ち上がってみた。


「キャン」


 余りの痛みに、自分では痛いと声に出してしまった。しかし、いまの自分は人間ではない。だから、人間の言葉ではなく、犬の鳴き声になってしまった。


「アール?」


 侯爵が気がついたらしく、椅子から立ち上がってこちらにやって来た。両膝を折り、わたしと目線を合わせる。


 彼は、アールのことを「屋敷に入れるな」とか「おれは犬が嫌いだ」とか「おれに近づけるな」とか、ずっとそんなふうに言っていた。だから、出来るだけその言いつけを守っていた。

 一番最後にわたしがキレて飛び出す前だけ、アールはわたしの叫び声をきいて心配し、屋敷の二階まで来てしまったに違いない。おそらく、彼を預けていたブルーノの制止をきかず、駆けつけてくれたのだ。


 それはともかく、いま、わたしは知っている。


 侯爵は、ほんとうはアールが大好きだということを。ほんとうは、戦友で大の仲良しだということを。


 ほんとうは、アールはわたしの為に連れて帰ってきてくれたということを。


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