20話 救うべきもの
長くなってしまいました。
闇すら覆いつくす黒が、パール騎士団副団長、アルミール・ガリュースの禍々しき身体に纏わりつき、より一層その邪気を増す。
悠に剣術を教えていた時の好青年だった彼の姿は、もう面影すらなくなっていた。だが、さながら脱皮した蝶の様に、なにかの呪縛から解放されたような笑みを浮かべつつ悠を睥睨する。
アルミールはナイフを手からあっさり離し、腕を掴んでいた悠の手を振りほどく。もう必要ない、とでも云うように、彼の足は地面に転がるナイフを蹴り飛ばした。
「全部お見通しだった、ってことか。流石に予想外だよ、ユウ・ツルギ。あからさまに判るボロは出してなかったはずだけど、一体どこで気がついたんだい?」
「どこでも何も、不自然なところしかなかったよ。まず利き手。アクセサリが左手についてた事から、アリシアは左利きだ。だが模擬戦の時、アリシア……を真似てたあんたは、シャルに右手を差し出した」
悠の言葉に、アルミールがおお、と茶化すように合いの手を入れる。
何が、おお、だ、と、悠は内心悪態をつく。見ているだけでも不愉快なフォルムのアルミールは、悠の心を見透かしたかのように意地悪く笑った。
「それだけじゃない。喋り方、声の抑揚から別人のように違ってた。それと、俺の固有魔術の『マリオネット』を見ても反応が薄かったのは、事前に訓練用のカカシに仕掛けた小型魔導カメラであれの存在を知ってたからだろ? もし本物のアリシアだとすれば、明らかに下に見ていた俺達を監視する必要なんてないもんな」
「……でもそれだけじゃ、僕がアリシアちゃんに擬態してたんだ、っていう事にはならないんじゃないの?」
「そうだな。これまでの情報だけじゃ、誰が犯人か、っていうことには結びつかない。……だから、誰が犯人なら不自然じゃないのか考えた」
悠の表情は、今まで見せた事の無い程真剣だ。
怒っているのか、それとも別の感情か、彼の顔を見ただけでは分からない。しかし、アルミールを見る彼の瞳は、強く、そして大きな意思を宿していた。
「犯人の目的は、多分俺とシャルに危害を加える事だ。となれば必然、犯人は俺らの存在が邪魔な奴ってことになる。だとすれば、学院の生徒や教師は動機がないから除外。単に出る杭を叩く目的だとしても、魔術が使えない2人に、わざわざこんな手の込んだ事をする理由が無いからな。……つまり犯人は外部の人間。それでいて、俺らが脅威となりうる存在だと知っている奴、という事だ。そうしたら……ひとり。握手した時、剣を毎日振ってる割に、手が綺麗すぎるイケメンがいたなと……」
瞬間、アルミールがその場から消えた。――否。正確には、透明化……だ。
予想外だが、慌てない。慌てれば相手の思うつぼだ。
悠は冷静に周囲を見渡す。真剣に、観察し、走った。そして地面のナイフをゆっくりと拾い上げ、臨戦体勢をとる。
ナイフと言っても、ガランを殺すには不意打ち前提だったのか、特に殺傷力があるものではない包丁だ。しかし、今この状況においては、悠にとって何よりも役立つアイテムである。
『ケヒヒ……! そうだよユウくん! 魔王様の命令で、邪魔な君達を殺すのさ! ところでそこまで解っているなら、アリシアちゃんが何処に居るのかも解っているんだろうね?』
虚空から、声がする。見えないが、アルミールが嗤っている事だけは理解できた。
空気のゆらぎが伝わってくる。風を切る音が鼓膜を小さく震わせ、悠は静かに目を閉じた。
幾ら不可視の存在であろうと、悠の目……頭脳は、抜かり無く捉えるのだ。
刹那、悠は何もない所に向けてナイフを振り抜いた。
肉を切り裂く感触が、悠の震える腕に伝わる。初めて人を傷つけた感触に少し不快感を覚えるが、悠にそんな暇はない。
一撃は入れた。しかし、悠が持つナイフでは明らかに、異形のアルミールを倒すには至らない。
「解ってはいる……。が、当然お前も何か仕掛けてるんだろう」
『どうだろうね!? 教師を呼ぶ!? ザンネン不正解! 僕にはアリシアちゃんどころじゃなく、この学院全体を消し飛ばす準備がある!!』
(――来るッ)
悠は瞬時に、右側に向けて防御の体勢をとった。
悠が構えたナイフに、見えない刃が衝撃を与える。常人では考えられない程の膂力を以て放たれたその攻撃は、ナイフを容易くぐにゃりと折り、悠を勢いのままに吹き飛ばした。
一気に壁まで叩きつけられ、悠の肺から空気が押し出される。初めての感触だった。生きているのが不思議な程の衝撃。身体全体に鈍痛が走り、防御した手には力が入らない。
見えない相手。しかしある程度であれば、今どこに居るかを推理する事でカバーは出来る。
だが、1対1のこの状況においては、それも難しい。思考と行動を同時にしなくてはならないのだから。
『どうしたツルギ!! 負けるのか!? このボクに負けるのかツルギ! 純然たる天才な君が、凡才で才能もないボクに負けるのか!? ああ魔王様ありがとう、ボクは今生まれ変われる!』
アルミールの言葉には、歓喜の情がこの上無いほど籠もっている。
興奮状態。そして悠はと言えば、ダウン状態だ。余りにも危険。
――思考と行動を、焦らず、的確に、そして同時に行う事は、当然難しい。
悠でなければ、の話だが。
『さぁ死ね! パールちゃんには君の首を送りつけておくよツルギッ!!』
アルミールが姿を表した。
もはや弱り果てた悠には姿を見せても問題ないと確信したのか、慢心に溢れた笑顔を見せて彼に迫る。
手のひらで、漆黒のエネルギーの塊が渦を巻いて肥大化していく。死を連想させるそれは、まず間違いなく人を殺すモノだ。
「……ふっ」
悠は笑った。死を目前に頭がおかしくなったか、と、アルミールは思う。
しかし、そんな事は関係ない。今居るのは、獲物と、狩人だけ……。
……彼女の手が、微かに動いた。
「『マリオネット』ッ!!」
少女の声が、暗い部屋に響く。
悠の身体が動いた。常人には考えられない程の速度で。
即座に立ち上がり、アルミールの手を躱して、彼の手首をぐにゃりと曲げる。
『があああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアあああ!?』
絶叫が響く。
それは、地獄の裁きを受ける亡者の様に。執念すらも介入する余地のない絶対的な痛みに、アルミールは抗う術なく倒れ伏した。
黒が、アルミールの胸を貫いていたのだ。
ならば裁きを下す鬼とは? それは、純白の無垢なる少女。
天使に近いその少女は、ゆっくりと立ち上がって、悠に柔和な笑みを向ける。
「サンキュな、シャル。助かった」
「こちら、こそ。ユウさん、眠ってしまっていてすみませんでした」
シャル・ホワイトは、そう言って悠に礼をした。
シャルが目覚めそうな事は、瞼の動きで分かっていた。とは言え、今の機転がなければ悠は間違いなく死んでいた。頭下げるのは俺の方なんだが、と悠は苦笑してシャルの頭に手を置く。
悠が創った魔術、『マリオネット』。その対象は、何も無機物のみに定まらない。
人間ですら、短時間なら操れるのだ。
目が覚め、悠とアルミールの姿を見たシャルは、とっさに魔術を詠唱。悠の身体を操作して、アルミールの魔術を返す事で状況を打開した。精巧な技術と思考能力の為せる技である。
「状況が良くわからないんですけど……何があったんですか?」
アルミールの方を見、シャルが恐る恐る、といったふうに言う。
悠はアルミールを一瞥すると、歯を食いしばって言った。
「……すまんシャル。多分まだ終わってない。あそこの悪魔を抑えておけるか?」
「え……は、はい!」
シャルは深呼吸をして、『マリオネット』を詠唱し、アルミールと自身の神経を繋げる。
終わりではない。悠のその言葉が意味するものは、なんとなく解った。
鳥肌が立つ。今まで感じたこともない程に禍々しい気配が、胸に大穴が空いたまま倒れ伏したアルミールから噴出していた。
『マリオネット』によりシャルの支配下にある限り、アルミールは自由に動けない。しかしそんなことを忘れさせる程に、隙間から見えた彼の表情は恐怖を掻き立てた。
『ふ……ふふふ……ははッ!? ボクが? ボクが負ける? 残念だったねツルギ!! ご名答だよツルギ君!! まだ終わってない、アリシアちゃんがいるからね!!』
「……ッ!?」
ピッ、ピッ、ピッ……。
不気味な電子音が鳴り響く。地球では聞いたことがある音だ。しかし、この世界で聞けるはずがない音でもある。
悠は罠を踏まないよう走った。そして、入り口近くのタイルを踏み、罠を作動させる。
地面が開いた先には――アリシア・グレイス。
猿轡を噛まされた状態で涙目で震える、1人の少女が縛られて閉じ込められていた。
そしてその胸には……タイマー。そして、筒のようなものがいくつか束ねられている。
時限爆弾だ。
「なっ……」
『はははそうだよその表情だ!! 大方場所は見抜いていたようだけど、これは見抜けなかったろう? 助けるか? ムリだよ!! 取り外したら爆発、放置しても時間で爆発!? 魔力の供給はアリシアちゃんからだから、殺せば止まるんだよ!! まあつまりどう足掻こうと、アリシアちゃんはジエンド!! ああ愉快だ!』
捲し立てるように言うアルミールは、狂気的に嗤いながらじたばたと暴れる。子供のようなその言い草に、アリシアは怯えからか嗚咽を漏らして泣いた。
……悠は今、選択を迫られているのだ。
状況からしてアルミールが言っている事は、ほぼ間違いなく真実。生徒全員の命を優先するか、0%に近い確率に賭け、アリシア1人を優先するか。
嗤い声が、耳に障った。
悠は動かない。否、動けない。
賭けたくない。確実な選択を、悠だって選びたい。だが救うなら、賭けなくてはならない。
天才とて分からない事もある、と、かつて彼に誰かが言った。悠にとっては、今がその状況だった。
『おいおい何を迷ってるんだ? お前がどう動こうと、どちらにせよ救えないんだぞツルギ!? その女はお前を、そしてそこの白髪をバカにした!! 今すぐに殺せば止まるのに、何を迷う必要がある? お前が救うべきは誰なんだ!?』
悠の額を、汗が伝う。
思考がこんがらがる。迷うことなどないはずだった。冷静に考えて、1人の命と1000人もの命。
とるべき選択は決まっているのに。
――――悠。おまえはどうしたい?
心の中で、声が響いた。
記憶の中のその声は、優しく、力強い。
悠の手が、自然とアリシアを抱き上げる。
いつの間にか、シャルが彼の隣に座っていた。
「ユウさん」
変わらぬ笑顔を、悠に向ける。
「あなたが何を選んでも、私はあなたの道を行きます」
「……済まんが、時間がない。猿轡と手はそのままでやらせてもらう」
悠の手が、爆弾に触れた。
次の瞬間。
動き出す。悠の手が、頭脳が、身体が。
悠の手が、爆弾を慎重に曲げ、形を変えて行く。時計を見極め、脳内に設計図を組み立てる。もしもこの爆弾の仕組みが地球のものと近いのなら……と一縷の希望を抱き、次へ次へと進んで行った。
紡がれる。希望の糸が。
それは極細で、目に見えないかもしれない。だが、確かに存在する。
悠の脳は、それを今にも手繰り寄せようとしていた。
『なッ……何故!! 何故だツルギ!! お前はアホなのかッ!? 助からない、と言ってるんだ!! 無駄に足掻かず、その女の首を絞めろ!!』
焦りの感情が、アルミールの口を動かす。
しかし、悠の手は動き続ける。大丈夫、大丈夫と呟きながら。
アリシアの頬を、一筋の涙が伝った。悠は微笑み、その涙を優しく手で拭う。
「泣くな。初めはクソ生意気で嫌いだったけど、間違いなく笑ってた方が可愛いよ、お前」
アリシアは頬を真っ赤に染めた。
その間も、もう片方の手は動き続ける。爆発のポイントは的確に回避されつつ、素手で、どんどん解体作業が進められる。
そして魔術のような手腕は、ついに成功の希望を手繰り寄せた。
『やめろッ!! 命を無駄にするな!! 怖くないのか? 偽善もいい加減にしろッ!! 人は弱いんだ!! 弱いから力を求める……ボクのように!! 失敗したら全員死ぬ!! 分からないのかクズが……』
「うるさいよ、お前」
悠の口から、弾丸のような鋭さを持つその言葉が放たれたのと同時、アルミールの口は縫い付けられたかのように動かなくなる。
さして大きな声でもない。しかし、アルミールはその声に、途方もない威圧感を感じた。
形容しきれない。恐怖とも異なる感情。しかしそれは、彼を狂気から目覚めさせる。
「泣いてるから助けるんだ。生きてるから助けるんだ。――助けたいから助けるんだ。悪いか、変な色ヤロー」
シャルが笑った。
アリシアが、押さえきれなくなったかのようにぼろぼろと透明の涙を流す。
あと少し。
あと少しだ。
「――今度デートしろよ、約束だぞ?」
土曜日まで休載します。
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