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眠れぬ死神と眠らせの調香師 ――不眠症の辺境伯に拾われた私の甘く危険な夜と、愚者たちに贈る破滅の香り  作者: セキド烏雲


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第8話 リスに拒絶を、王子に死の宣告を

 それから3日後。


 ドンドンドン!!


『開けろ!ここにザークレシアがいるのは分かっているんだ!』


 館の外から、耳障りな怒声が響いた。

 この金切り声のような高い声。間違えるはずがない。


(なんで……)


 よりによって、ヴェスペル様が任務で不在の今。どういうわけか、あの男がこの辺境の館にまで押しかけてきたのだ。


 私の背筋が、冷たく凍りついた。


 ◇◇


 エントランスホールへ向かうと、そこには館を警備する騎士を権力で強引に押しのけ、ずかずかと踏み入ってきた二人の姿があった。


「いた!お前、こんな辺境に隠れやがって!」


 顔を醜く歪ませたアデル殿下。


 旅の疲れか、いつも豪奢な服は埃に汚れ、自慢の金髪も油で乱れている。


 その横には、鼻につく桃とバニラの臭い香水を漂わせ、物凄い形相で私を睨むミリア様。


 その姿を見た瞬間、反射的に心臓が跳ねた。


 婚約破棄を突きつけられた夜会の記憶。突き刺すような冷ややかな視線。


 あのとき都で、私を社会的に抹殺した「絶対的な権力」の象徴が、今再び目の前にいる。


 ドレスの裾を強く掴み、震えそうになる指先を必死に隠す。

 喉の奥からせり上がる恐怖を、冷たい唾液と共に飲み下した。


「……何の御用でしょうか。私はもう、殿下とは何の関係も――」


 私が努めて冷静に告げると、アデル殿下は顔を真っ赤にして叫んだ。


「何の用だと!?お前が残したレシピだ!あれは欠陥品だ!本物をよこせ!」

「欠陥?」

「そうだ!手順通りに調合しても、父上の――大公陛下の発作が治まらない!むしろ苦しみだした!わざと嘘のレシピを残したな!?」


 アデル殿下によるいわれのない追及に、私は困惑を禁じ得なかった。

 その私の表情を読み取ったかのように、横にいたミリア様が口を挟む。


「あのレシピ。長ったらしい説明ばかりでぇ、要点を押さえていないのよねぇ……。『香りが開いたら』とか、『波長が青から紫に』とかぁ。そもそも感覚だよりだしぃ」


 ミリア様の言いようのなかに、殿下の語る「嘘のレシピ」という具体的な指摘は見当たらない。


 つまり――。


(この人は、自分が失敗した言い訳を殿下に吹き込み、それを真に受けた殿下が感情のままに私に責任を擦り付け、再び都合よく使うとしているだけだ)


 直感的に、すべてを理解した。


「ミリア様、その記述は、宮廷魔術師なら肌感覚で分かることです。ご面倒かもしれませんが、アウルス陛下のためにレシピ通りに作って――」


 私が冷静に説明していると、ミリア様は突然その大きな瞳に涙を浮かべた。


「う……うぅ……ひどい……。あなたはいつもそうやって、知識をひけらかして。私たちを蔑むんですよぉ」


 知識をひけらかしても、蔑んでもいない。


 私やミリア様のように、宮廷魔術師資格を持つ者なら備わっていて当然の知識と経験を語っただけだ。


 それを、か弱い令嬢の演技で、見事に自分を「被害者」に仕立て上げる。その手腕だけは、もはや称賛に値する。


「ミリア様、そのように泣くことはやめて――」


 ダンッ!


 苛立ちを隠せないアデル殿下が、革靴で床を強く踏み鳴らした。その破壊音が、私の鼓膜を暴力的に叩く。


「っ……」


 条件反射で体が竦む。


「いつも口答えばかり、没落貴族が!わきまえろ!いちいち意見を挟むな!」


 大公世子による絶対命令。


 押し黙るほか選択肢のなくなった私に向かって、アデル殿下はこれ見よがしにため息をついた。


「まったく、私たちがわざわざ出向いた意図すら読めていない。頭の悪い貴様に教えてやろう。『都に戻れ』と、そう言っているんだ!」


 頭が悪いなどと言われる所以はない。

 そもそも、殿下ははじめ『帰還命令』など匂わせていなかった。


 私とミリア様のやり取りから、「レシピは正しいが、ミリアには作れない」と察したから、咄嗟に掌を返したのだ。


「まぁ、都に戻す以上は、側室にして夜の相手くらいはさせてやる。これほどの光栄はないだろう?さあ、嬉し泣きしてすがり付いてこい!」


 どこまでも傲慢。権力を盾に、都合よく私を利用することしか考えていない。


 それが、怖い。


 圧倒的権力を傘にした威圧。


 殿下からすれば、私など拭けば消し飛ぶような取るに足らない存在だ。


 その命令は、この領にいる限り絶対。

 逆らうことは許されない。反逆すれば、私だけでなく、私を匿ったこの館の人々にまで累が及ぶかもしれない。


 それが嫌でたまらない。

 せっかくこの辺境地に逃げてきたのに。


(私は、ここにいたら、駄目なんだ。もっと遠い国へ逃げなきゃ駄目だったんだ)


 過去の絶望がフラッシュバックし、再び心が押しつぶされそうになった。


 それでも――。


 今の私には、あの時とは違うものがある。


(私の仕事を認めてくれた人がいる。私の安眠香を必要としてくれる人がいる)


 守りたい場所が、ここにある。


 私は震える膝にありったけの力を込め、冷めきった瞳で明確に告げた。


「お断りします」


 予想外の拒絶に、殿下の表情がピキリと凍りついた。


「なんだと!?」

「私はこの地で新しい生活を始めました。あなた様の身勝手な命令を聞く義理はありません」

「き、貴様……没落貴族の分際で、次期大公であるこの私に逆らうか!」


 殿下の顔が朱に染まり、理性のか細い糸が切れる音がした。


「者共!こいつを捕らえろ!引きずってでも連れ帰れ!一から教育し直してやるのだ!」


 殿下が連れてきた近衛兵たちが、一斉に剣に手をかけ――。


 ジャリッ。


 抜刀の音が、死刑宣告のように響いた。


 言ってしまった。でも、言ってやった。


 全身から血の気が引いていく。

 私のなかで、人生への諦めが黒く広がっていく。


 でも、私一人で済むなら。それでいい。

 ヴェスペル様が不在でよかった。


 ご迷惑をおかけしてしまうから。


 近衛兵の無骨な手が、私の腕に伸びてくる。視界が絶望で暗く染まっていく。


 その時だった。


 フワリと、私の鼻腔を、あの匂いがかすめた。


 重厚な沈香の奥に微かなムスクと鉄を潜ませた、深く危険な夜の香り。


「私のレシアに、なんの用だ」


 その低く甘い声を聞いた瞬間、凍りつき、消え入りそうだった私の世界が、一気に息を吹き返した。


「……閣下」


 音もなく現れたヴェスペル様。


 私に手を伸ばそうとしていた近衛兵の首元には、すでに彼の大剣の冷たい刃がピタリと当てられていた。


「……ぐ……ッ!?」


 本能に直接訴えかける絶対的な死の気配。彼らの筋肉は恐怖で硬直し、指一本動かせなくなった。


「――不在時に、騒々しい」


 遠方での任務から、予定より早く戻ったヴェスペル様は、氷のような灰色の瞳でアデル殿下たちを見下ろした。


「ひっ……!」


 アデル殿下が短い悲鳴を上げ、恐怖に顔を引きつらせて後ずさる。そして、震えながら息を吸い込んだ。


「ぶ、無礼者!私は大公世子アデルだぞ!貴様のような辺境の伯爵程度の者が、ディケム家の前で剣を抜くとは――」


 でた。階級による分からせ。


 この領地にいる限り、次期大公であるアデル殿下に意見することは、明らかな反逆行為。しかし――


「だからなんだ」


 ヴェスペル様は冷たい眼差しを崩すことなく、靴の裏の泥でも払うように殿下の言葉を遮った。


「な……ッ!?」


 信じられないといった表情で、震えながらもヴェスペル様を睨みつける殿下。

 その表情を見て、ヴェスペル様は嗜虐的な笑みを浮かべた。


「貴様は、この優秀なレシアに、権威の傘に頼らなければ対抗できぬのだな。大公世子という着ぐるみを剥ぎ取れば、中には何一つ残らない。空っぽの無能が」


「き……きさまぁっ!」


 凶悪な、冷酷な、そして大公宮の誰一人として口に出せなかった真実の言葉を、正面から、何の躊躇もなく、ヴェスペル様は言い放った。


 あまりの強烈な言葉に、いつもなら顔を赤くして大声で反論するアデル殿下は、ただわなわなと震えることしかできない。


「大公の心中、推して知るべしだ。私のレシアに粘着する『病魔に等しい無能』を、序列の都合で世継ぎに指定せざるを得ないのだから。私がお前なら、国のために自死してでも席を譲るだろうよ」


 これ以上ない激しい罵倒。


 ヴェスペル様は、私が喉の奥にしまっていた正論に、地獄の呪詛を加えて百倍にしてぶつけてくれたのだ。


 胸の奥で燻っていた重い鉛が、一気に弾け飛ぶようなカタルシスを感じた。


「ぐぅぅ……。言わせて、おけば」


 反論しようにも、ヴェスペル様が突きつけた残酷な真実と、彼が放つ強烈な殺気により、殿下は震えて言葉を繋ぐことができない。


 興味を削がれたように、ヴェスペル様は眉間の皺を深めながら、視線を横のミリア様へと向けた。


 その時。待っていたと言わんばかりにミリア様が動いた。


 アデル殿下の腕にしがみついていた彼女は、一歩前に進み出ると、わざとらしく首を傾げてヴェスペル様を見上げる。


「あのぉ……ヴェスペル様ぁ?」


 甘ったるい猫なで声。熟れすぎた桃とバニラ香が強すぎる香水とともに。


 彼女は自分の細い身体を強調するように両手を胸の前で組み、上目遣いでヴェスペル様を見つめた。


「私ぃ、こんなことしたくないんですけどぉ……アデル様がどうしてもって言うからぁ……」


 ミリア様は、華奢で可憐な容姿を最大の武器にしていた。


 細い手足、潤んだ瞳。計算され尽くしたあらゆる「か弱さ」で、これまで数多の男を手玉に取り、私からすべてを奪っていった。


「ヴェスペル様のような強くて素敵な殿方が、どうして彼女なんかを?もっと可愛い子、たーくさんいると思いますよぉ?」


 彼女は小動物のように震える演技をしながら、


 ヴェスペル様の腕に白魚のような手を伸ばす。

 触れれば落ちる。そう信じて疑わない、傲慢な自信。


 しかし――。


 バチンッ!


「きゃっ!?」


 ミリア様の手が触れる寸前、ヴェスペル様は煩わしい虫でも払うように、無造作にその手を叩き落とした。


「――なんだ、この不快なリスは」


 ヴェスペル様は、極めて不快そうな表情で吐き捨てた。


「え……?」

「鼻が曲がりそうだ。趣味の悪い香水を浴びるほど飲んでいるのか?吐き気がする。失せろ」


 視線すら留めない。路端の石ころに向ける興味すら持ち合わせていない、完全なる無関心と拒絶。


「あ……ぅ……」


 ミリア様の顔が、恥辱で真っ赤に染まる。

「自分は可愛い」「男なら誰でも優しくする」という絶対の自信。


 それが私の目の前で、完膚なきまでに叩きのめされ、粉々に砕け散った瞬間だった。


 ヴェスペル様は、羞恥に固まるミリア様を空気のように無視し、再びアデル殿下へと冷たい視線を戻した。


「それで、私のレシアに、なんの用だ?」


 一歩、ヴェスペル様が踏み出す。


「ひいっ!」


 ミリア様は悲鳴を上げてアデル殿下の背後に隠れ、アデル殿下もまたガタガタと震え出した。


「わ、私に手をかけてみろ!!ち、父上が!……大公陛下が黙っていないぞ!!」

「そうか。それはよかったな」


 余りにもあっさりと、心底どうでもよさそうに返すヴェスペル様。


 そして彼らはようやく理解したのだ。


 目の前の男にとって、自分たちの色仕掛けも肩書きも、紙切れ以下の意味しか持たないことを。


「いいか、レシアに用がないならすぐ帰れ。用があるなら――今ここで、私の前で言ってみろ」


 ヴェスペル様が、獲物をいたぶるようにゆっくりと告げた。


「ひいっ!来るなっ!!」


 アデル殿下たちは、転がるように屋敷から離れようとする。

 そこへ、ヴェスペル様はさらなる宣告を背中へ投げつけた。


「貴様は、自分の身でも案じていろ」


 ヴェスペル様は、凶悪な笑みを浮かべた。


「私のリスト。次の順番は、お前だぞ」


 それは美しいけれど、心臓が止まるほど危険な「死神」の笑み。


「えっ……あ。う、うそだ……そんなはず」


 私にはその言葉の意味が分からなかった。

 しかし殿下の顔からは、みるみると血の気が引いていき、その股間から、じわりと暗い染みが広がっていく。


 失禁。


 あまりの恐怖に、王子の尊厳など完全に消え失せていた。


「あ、あ、あ……」


 殿下は酸欠の水槽の魚のように口をパクパクと開け、ついには白目を剥き、泡を吹いてその場に倒れ伏した。


(ヴェスペル様のリスト……?彼の裏稼業の執行対象のこと?ということは。まさか……)


 気絶したアデル殿下は近衛兵たちによって引きずられ、ミリア様ももはや媚びる余裕などなく、なりふり構わず馬車へ駆け乗ろうとする。


 その時、逃げ遅れた最後の近衛兵に、私は静かに声をかけた。


「待ってください」


 私は懐から小瓶を取り出し、震える近衛兵の手に押し付けた。


「その瓶には、アウルス陛下に贈ろうと準備していた『竜血華』の香薬が入っています」

「……な、なぜ」


 近衛兵はヴェスペル様の殺気に当てられながらも、なんとかそれを受け取る。


「領地を支える陛下に確実に届けてください。アデル殿下でもミリア様でもなく、『ザークレシアの調合したものだ』、と」


 私は、這いつくばって逃げる元婚約者たちに聞こえるよう、冷たく言い放った。


 ◇◇


 嵐が去り、馬車の車輪の音が完全に遠ざかると、エントランスには静寂が訪れた。


「……怪我はしていないな」


 ふいに、硬く大きな手が私の頬を包み込んだ。


 見上げると、先ほどまでの氷のような殺気をすっかり潜めたヴェスペル様が、私を間近で覗き込んでいた。


 その灰色の瞳は、隠しきれない焦燥と熱で揺れている。


(この人は、本当に私のことを……)


 彼の、沈香と微かなムスクの深く危険な香りに包み込まれた瞬間、私の中で張り詰めていた糸が、ふつりと切れた。


 絶対的な権力で私を潰そうとした、アデル殿下。


 あの理不尽な絶望から、この人は、たった一言で私を完全に守り抜いてくれたのだ。


 足の震えは、もう恐怖によるものではなかった。


 彼から注がれる圧倒的な庇護と、火傷しそうなほどの執着に、心が痺れて立っていられない。


「まったく……。外出を禁じて安心していた自分が愚かだった」


 ヴェスペル様は深くため息を吐くと、私の腰に腕を回し、強引にその広い胸の中へと引き寄せた。


「っ、閣下……」

「レシア。お前は、私が置いて出かけることすら、できなくさせる気か」


 ぽん、と優しい手が頭を撫で、そのまま私のうなじへと滑り落ちる。


 彼の熱い指先が、私の首筋の脈打つ場所を、獲物を確かめるように執拗になぞった。


 守られている。

 私は、この人に。


 かつて私を虐げた、あの絶対的な権力者からも。


 だからこそ、私は彼に庇われるだけのか弱い存在にはなりたくない。


「そんな。私は、閣下の足手まといにはなりたくは……」


 言いかけた私の言葉は、不意に落とされた熱い唇によって、あっけなく塞がれた。


「えっ……んっ!?」


 周囲には、館の騎士たちや使用人が何人も控えているというのに。


 彼はそんな視線など一切気にも留めず、私の唇を割り、甘く、深く、私の息を容赦なく奪っていく。


 それは明らかな「所有の証」であり、この女は俺のものだと周囲に知らしめる、獣のようなマーキングだった。


「ふぁ……、あっ……」


 腰を抱く腕の力が強まり、抗うことなどできず、ただ彼の胸にすがりつくことしかできない。


(あぁ……そうか)


 初夜まで絶対に身を許さない――


 かつて私が頑なに守っていたその矜持は、私を真っ直ぐに見てくれない男から己を守るための『冷たい鎧』だったのだ。


 私を丸ごと求め、すべてを懸けて守り抜いてくれるこの人の熱の前では、そんな鎧は――あの密室の馬車の中で、彼に息もできないほど貪られたあの時から、跡形もなく溶け落ちていた。


 銀の糸を引いてゆっくりと唇が離れると、ヴェスペル様は私の赤くなった耳元に唇を寄せた。


「……ずっと、この香りに飢えていた」


 鼓膜を撫でる、低く掠れた声。

 彼から漂う雄の匂いが、私の理性をじわじわと溶かしていく。


「久しぶりの夜だ。今宵は……覚悟しておけ、私の愛しい専属調香師」


 耳たぶを小さく甘噛みされ、ビクリと腰が跳ねる。


 それは、もはや安眠を求める患者の声ではない。


 極限まで理性をすり減らした死神からの、熱く、甘く、逃げ場のない「捕食宣告」だった。

 アデル殿下の横暴も、圧倒的死神の前では文字通り手も足も出ませんでしたね!

「スカッとした!」「ざまぁ展開が最高!」と思っていただけた方は、 ぜひ★で評価お願いいたします!

 皆様の応援が、ランキング上昇への最大の原動力となります。 次回もスカッとする展開(と甘い展開)をお届けしますので、応援よろしくお願いいたします!

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