第7話 死神伯の籠に漂う、焦がれた香り
蒸留器からシュウシュウと立ち昇る、青々とした薬草の苦味と、重く湿った生温かい湯気の匂い。
ここは館の調合室。
ヴェスペル様が館の古い調合室を、私が使いやすいように改良してくれた夢のような空間だ。
ここで私は、閣下を眠らせる安眠香や、恩のある大公陛下に贈るための『竜血華』を使った香薬を調合している。
……はずなのだが。
(どうしよう。全然、集中できない)
どうもあの日以来――西の洞窟からの帰りの馬車の中での、あの、甘くて、少し焦がれるようなできごとを思い出してしまい、手元が狂って仕方がないのだ。
シュウ……ジュウ……ゴゴッ。
黒煙が上がる。
「シア、いる?」
調合室に入ってきたルズガーナが、目を丸くした。
「って、あんた何してんのそれ!?」
彼女の指摘で、私は間違えて『夜光茸』を直接火にかけてしまい、真っ黒に燃え上がっていることに気がついた。
「ひゃっ!!」
慌てて水魔法を展開し、ボヤを消し止める。
「……これは、相当重症ね」
ルズガーナは呆れたように腕を組んだ。
「あの日、洞窟の帰りに、閣下に何されたの?」
心臓が、トクンと大きく高鳴る。
私は真っ黒に炭化した夜光茸をピンセットで取り除き、使い物にならなくなった灰を処理しながら、彼女の視線から逃れるように俯いた。
「特に。なにも」
言えない。
私に好意を寄せる親友だからこそ、あの熱っぽい視線や体温を思い出すだけで、口をつぐんでしまう。
「ふーん?あの日、私は閣下に滅茶苦茶怒られたんだけど。『レシアを殺す気かっ!!』って」
「あはは……。でも、学校の卒業課題を作るために二人で行ったダンジョンと比べると、普通の洞窟だったよ?」
「ほーんと。閣下、シアが来てから変わったよ。人に、ましてや女に興味を持つような人じゃあなかったのにさ」
ルズガーナは肩をすくめた。
「せっかく辺境地でシアとイチャイチャできると思ってたのに。まさかアイツに妨害されるなんて」
「アイツって……主でしょう?で、ルズは何しに来たの?」
「そうそう!ねぇ、街の通りに、焼き立てのアップルパイがすっごくおいしい店見つけたの!明日の昼、一緒に行かない?」
アップルパイは、私とルズガーナの学生時代からの大好物だ。
「い、行こうっ!って……あ」
私は途端に肩を落とした。
「ごめんなさい。そう言えば私、閣下が戻ってくるまで、外出禁止だった」
ヴェスペル様は、私が再び危険な場所へ行くことを異常なまでに懸念し、出張で不在の間、私に「館の外へ一歩も出るな」と告げていったのだ。
「うわ。でた!不器用男の異常な独占欲!」
ルズガーナは大げさに片手で頭を抱えた。
「だから、ごめんねルズ。一週間もすれば戻られると思うから、それから……」
「いやいや、シア。それ、帰ってきたら余計に行けなくなるやつ!あんた、完全にあの死神にロックオンされちゃってるから!」
◇◇
【ミリア視点】
時を同じくして。
都、フロースフォンスの大公宮。
「ミリア!!」
豪奢な天蓋付きベッドの上で、私――ミリア・エル・バーベナが爪の手入れをしていると、バンッ!と乱暴に扉が開いた。
ノックもせずに転がり込んできたのは、私の婚約者――アデル・フォン・ディケム殿下だった。
「あら、殿下?どうなさったのですか?そのような汗だくで」
私は磨き上げた爪にふっと息を吹きかけ、視線を向ける。
殿下の顔色は土気色で、見苦しいほどに歪んでいた。
「どういうことだ?!ミリアの作った香薬は、父上に全く効かないぞ?!」
「はぁ?」
私は眉をひそめた。
ザークレシア――あの生意気で身分の低い女が残していった調合手順書。
私は確かに、あれを見ながら作った。
だけど、正直、あんな意味不明なメモなど、解読するだけで頭が痛くなるような代物だった。
ところどころに挟まれる『火加減は魔力の波長に合わせて』だの『香りが開いてきたら』だの、私からすれば感覚的な記述ばかり。
それに、『魔力の波長を青から紫へ遷移させる』とか、学院で習ったこともないことまで書かれている、全くの欠陥レシピだ。
他の宮廷魔術師たちも再現できず、結局「それっぽく」適当にやるしかなかったのだけど――
「あれぇ?おかしいですね。私はレシピ通りに作りましたけどぉ」
「じゃあなんでだ?!父上の容態はここ最近悪化する一方だ!!昨夜など、酷くうなされていたそうだ!!」
殿下が金切り声を上げる。うるさい男だ。
アウルス大公が早く他界すれば、彼の時代が来る。
『父上が死ねば、私が次期大公だ。そうすればお前は正妃として好き放題できるぞ』
そう言っていたのは、殿下自身なのに。
私からすれば、アウルス大公にはなるべく早く退場いただきたい。毒の成分をあの香薬に混ぜたいくらいなのに。
(……面倒くさい)
それに、そんな訳の分からない薬を作っている暇があるなら、私はお肌や髪の手入れをしていたい。
最高級の茶葉で淹れた紅茶を飲みながら、この私をさらに映えさせる、新しいドレスのデザインを考えていたいのだ。
この地位にいるのは、楽をして、そういう贅沢をするため。苦労するためではない。
だからこそ、アウルス大公の症状悪化は、私のせいであってはならない。
(そう、あの女。ザークレシアのせいにするべきだわ)
「あ、分かりましたわ」
私はポンと手を打った。
「あの手順書が嘘なのですわ。卑しいあの女は、私たちどころか、恩のある大公様にも仇で返そうと、ニセモノのレシピを渡して逃げたのです」
「な、なんだと……?!」
「そうでなければ、優秀な私が失敗するはずありませんもの」
私が自信満々に言い放つと、殿下はすぐに顔を真っ赤にした。
「ぐぬぬ……!それが本当なら許されぬ!恩知らずめ!」
殿下とあの女の間で何があったのかは知らない。だけど、その安いプライドが傷つけられ、あの女をやたらと憎悪しているのは確かだ。
だから、その怒りをあの女へ向けるのは、赤子をあやすより容易いことだ。
「ええ、ええ。本当に、ひどい女」
私は同調し、彼の感情をさらに煽ってやる。
「よし、ミリア!お前も来い!!ザークレシアの向かった辺境、ノクタリアへ走るぞ!!」
「……えっ?」
爪磨きの手が止まる。
何で、そうなるのか。
「は、私も……?!ノクタリアって、あの魔物がウヨウヨいる最果てですよ?」
「当たり前だっ!!私ではレシピが分からん。調合ができるお前も私に帯同し、あの女に正しいレシピを吐かせろ!今、父上が死んだら、あの女を追い出した俺たちの立場も危ういんだぞ!」
殿下は私の腕を掴むと、強引に部屋から引きずり出そうとする。
「ちょ、ちょっと!待ってください!準備が!」
最悪だ。
なんで高貴な私が、あんな田舎まで直接出向かなきゃならないの?!
馬車の中は狭くて居心地が悪いし、何日も揺られたら腰が痛くなる。
ストレスで私のお肌が荒れたら、どう責任取って
くれるのよ!
(……全部、あの女のせいだわ)
私は込み上げる苛立ちと不満を、卑しい没落貴族出身のあの女、ザークレシアへと向けた。
(待っていなさい)
この不便な旅の責任も、大公の病状悪化の責任も、全部あんたになすりつけてやるから。
あの女は一生、泥にまみれて私の踏み台になっていればいいのよ。
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