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眠れぬ死神と眠らせの調香師 ――不眠症の辺境伯に拾われた私の甘く危険な夜と、愚者たちに贈る破滅の香り  作者: セキド烏雲


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第4話 消えた材料と不穏な警告。私は一人魔物の巣くう洞窟へ

【ザークレシア視点】


 状況が、飲み込めない。


 天蓋付きの巨大なベッドの中。


 私の体は、鋼のような腕に隙間なく拘束されている。

 背中には、死神伯――ヴェスペル様の体温。


(ど、どうしてこうなったの!?)


 今回調合したお香は、正直なところ自信があった。不眠症の治療は成功させることができた。

 朝まで副作用もなく、魔力波長も安定していた。


 その結果、彼の抱き枕にされている。


 いや、待って。冷静に考えなさい、私。


 これは、ただの雇用主と労働者の関係。私は魔術師として雇われただけ。


 昨日出会い、この今も、私に付着した残り香で、ただ不眠症の治療をしているだけ。


 アデル殿下から生涯のトラウマになるような捨てられ方をした私。もう男に求めるものなんか、一切ない。


 あるはずがない。


 ……なのに。


「……ぅ、ん」


 耳元で、甘えたような寝息が聞こえる。

 心臓が、大きく跳ねた。


(え、ちょっと待って。なにこれ)


 初めて出会ったときの、私を射殺すような冷徹な瞳の男と同一人物とは思えない。


 目の下のクマはまだ消えていないけれど、眉間の深い皺は嘘のように消えて、穏やかな顔をしている閣下。


 まるで、甘えてくる子犬みたい。

 いや、子犬にしては顔が凶悪すぎるか。


(……いやいや、何を考えてるの私!)


 彼は死神。『死神伯』。


 昨日、いきなりナイフ投げてきた危険な男だよ!?

 なのに、なんで。なんで、こんなに……胸が。


 逃げ出そうと身じろぎすると、回された腕の力が強まった。


「……行くな」


 寝言なのか、意識があるのか。

 掠れた低い声が、背筋をゾクゾクさせる。

 また、心臓がうるさく鳴った。


(やばい。私の身体。何一つ学習してない!)


 大公宮での婚約破棄の後、もう色恋沙汰なんてこりごりだと思っていた。

 今後は仕事に生きていこうと決めたはずだった。


 なのに。

 なんで、身体が、こんな反応してるの?


 ――ああ、もう。


 顔が、熱い。

 耳まで真っ赤になってるのが、自分でも分かる。

 こんなの、違う。


 彼は私の髪に顔を埋め、イヌ科の魔獣のようにスンスンと鼻を鳴らしている。


 でも――胸の奥が、じんわりと温かい。

 アデル殿下にとって私はただの道具、父親の命をつなぎとめる乳鉢だった。


 父も母も同じ。私を没落から成り上がるための強壮剤としか見ていなかった。


 でも、この人は違う。


 この人は、私の仕事を、私の魔術を、私の存在を、必要としてくれている。そんな気がする。


 そう思うと、胸が、苦しいくらいに熱くなる。


 サワッ⋯⋯


 彼は私の頭を大きな手で優しく撫でた。


 駄目なのに。

 その手つきがあまりに優しくて、抗う力が抜けていく。


 徹夜明けの疲れと、彼の体温。

 そして何より、彼から漂う沈香と微かなムスクの危険な香りに包まれて、私の意識も朦朧としてきた。


(……すこしだけなら。いいよね)


 どうせ、もう逃げられない。

 この腕の中は、悔しいけれど……実家のベッドよりも温かくて安心できる。


 私は小さくため息をつき、その腕の中で静かに目を閉じた。


 胸の奥で、氷のように強張っていた何かが、静かに溶けていくのを感じながら。


 ◇◇


 眩しい光が差し込む食堂。私は、親友からの尋問を受けていた。


「で?食べられたの?」


 スープをちまちまと啜りながら、ルズガーナが痛烈なひと言をぶち込んできた。


「ぶはっ!!ごほっ!!」


 私は思わずパンを喉に詰まらせる。彼女の深い青の瞳は、獲物を狙う狩人のように据わっている。


「ち、違うから!昨晩はただ、不眠症の治療の一環として……」

「へぇ。治療ねぇ。治療で『朝チュン』するんだ」

「誤解を招く言い方はやめて!」


 ルズガーナは「いや、昼チュンか」と不満げに頬杖をついた。


「はぁ。せっかくシアが私の元に来てくれたと思ったのに」

「それは私も嬉しいよ。親友のルズと同じ場所で働けて」

「親友……ねぇ」


 ルズガーナの不満は止まらない。


「閣下は中央の貴族たちが『死神伯』なんて呼ぶ危険人物だよ?血生臭いし、目つきは悪いし、何より――」


 彼女は身を乗り出し、私の手を取った。


「私の大事なシアが、あの危険な匂いだらけの男に取られるのが嫌」

「ルズ、ヴェスペル様は一応あなたの主でもあるんだけど」

「それはそれ!」


 ルズガーナは学院時代と変わらない。


 彼女と過ごした魔術学院の学園祭で、私が男装して騎士の役をしたときから、ずっとこう。


 私は彼女の中の何かを目覚めさせてしまったのだ。


 ただ、その変わらなさに、私は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。


「そういえばルズ」


 ルズが暴走しそうだったので無理やり話を変える。


「香の材料が切れかかっているのだけど、この館に在庫はある?」

「んー?なんてやつ?」

「『夜光茸ナイト・マッシュ』。精神安定作用のある」

「あー……それ、材料棚にあるのが全部だわ。出入りの商人も、最近の戦争の影響で物流が止まってて、全然入ってこないって嘆いてたし」

「商人も?!じゃあ街にもないの?!」

「街どころか、国中の在庫が枯渇してるって」


 困った。


「……どうしよう」


『夜光茸』は、ヴェスペル様のための安眠香になくてはならない主原料。

 せっかく眠れるようになったヴェスペル様を、またあの悪夢の夜に戻すわけにはいかない。


「西の洞窟に自生してるって噂なら聞いたことあるけど」

「本当!?なら、私が採りに行こうかな」

「行くの?……魔物の巣だから気をつけてね。私もついていけたら良いんだけど、この後、東の砦でゴブリン退治の任務が入ってるのよね」


 ルズガーナはわずかに考えを巡らせた。


「ま、シアなら、このあたりのどの洞窟でも余裕だろうけどさ」

「買いかぶりすぎだから。ま、場所さえ分かれば。採取は専門分野だし」


 私は迷わず洞窟行きを決意した。


 トラウマを溶かしてくれたヴェスペル様。彼の安眠を守れるなら、洞窟の一つや二つ、なんてことない。


「……シア、昔から素材のことになると見境ないわよね。場所は地図に書いておくから。無理はしないでよ?」

「ん。ありがとう、ルズ!」


 そんなこんなで、私は香の材料を確保するため、採取道具と地図を片手に、足早に館を出た。


 ◇◇


 街の空気は、都とは違う独特の緊張感と活気に満ちていた。


 高い外壁に囲まれた、要塞都市ノクタリア。


 この地は、フロースフォンスの最果てに位置する、人と魔物の境界の領域。


 この辺境を統治するヴェスペル様は、都の貴族から「死神伯」として恐れられているのだが、この街に住む人々を見れば、この地に住まう民達にとって、彼の存在がいかに心強く、そして慕われているかがよく分かる。


「おーい、今日は壁の外には近づくなよー!閣下が『大型』が出るかもって警告してたぞ!」

「へへっ、どんな魔物が出てもヴェスペル様が叩き斬ってくれるさ。ここにいる限り安全だ。俺たちは安心して畑を耕そうぜ」


 すれ違う荷運びの男たちも、路地裏で遊ぶ子供たちも、その表情に怯えはない。

 彼らにとってヴェスペル様は、死神という恐ろしくも最強の守護神なのだ。


 私は、その信頼の厚さを肌で感じ、主に仕える身として自分のことのように誇らしくなった。


(……民たちのためにも、守護神様にはしっかり寝ていただかないとね)


 私は決意を新たに、道具屋の扉を開いた。


 ガタガタッ!


 カウンターの奥で、私を見るなり道具屋の主人が腰を抜かして倒れる。


「お、驚いた……。こんな武骨な店に、とんでもないべっぴんさんが……。お嬢ちゃん、この街の生まれ……じゃあないよな?」

「はい、最近着任したばかりで」

「そうだろ?この辺境には、お嬢ちゃんみたいな美人は滅多にいない。館の魔術師、ルズガーナ様が半年前に来たときも腰を抜かしたが……まさか半年で、また腰を抜かすことになるとはね」


 全く、大げさな人だ。

 でも、確かにルズガーナの美しさはお世辞じゃなくて本当だ。


「ご主人。洞窟での採取に適した道具をいただけますか?ミスリル製のピックと、密閉硝子の瓶を」

「……ほう。本格的だな。何に使うんだい?」

「お香の材料を採りに。キノコが必要で」

「お香かい。道理で、お嬢ちゃんからは良い匂いがするわけだ。……この街の血生臭さを忘れさせてくれる、優しい匂いだ」


 主人は鼻を鳴らすと、手際よく注文した道具を並べてくれた。

 その中から私が選んだ道具を見て、主人の目の色が変わる。


「いい道具を選ぶねぇ。……ただ、護衛はいないようだが。一人かい?気をつけるんだよ。壁の外は、都の近くの森とは訳が違うからな」

「はい、肝に銘じます。……西の洞窟あたりなら、日没までには戻れると思いますので」


 私は代金を支払い、店を出た。


『夜光茸』の群生地までは、馬を使えばすぐだ。

 ヴェスペル様が戻られる夜までには、最高の安眠香を作って待っていられるだろう。


 ◇◇


 ザークレシアが去った後の道具屋。


 主人は、カウンターに置かれた銀貨を数えながら、独り言を呟いた。

「いやぁ。とんでもないべっぴんさんだった。……だがあんなか弱そうな娘さんが、たった一人で西の洞窟に……」


 そこで、主人の手がピタリと止まった。

 顔から血の気が一気に引いていく。


「……ん?あの娘、西の洞窟と言ったか?」


 西の洞窟。


 そこは希少な素材の宝庫だが、同時に、この街の騎士やベテラン冒険者達ですら近寄らない魔物の巣窟。


「いかん!!あそこは魔物が巣食う危険地帯だ!!……おい、ちょっと待て!!お嬢ちゃん!!!」


 主人が慌てて店の外へ飛び出したときには、すでに紅い魔術師の姿は、白檀とネロリの清廉な残り香だけを残し、雑踏の中に消えていた。

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