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眠れぬ死神と眠らせの調香師 ――不眠症の辺境伯に拾われた私の甘く危険な夜と、愚者たちに贈る破滅の香り  作者: セキド烏雲


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第21話 死神伯と安眠の調香師。――目覚めた朝は、君の香りに包まれて

 鉄が錆びたような臭い。それが、俺の幼少期の記憶の全てだ。


『ヴェスペル、隠れていなさい……っ!』


 押し入れの隙間から見たのは、鮮血に染まる母の最期。

 父も、幼い弟たちも、貴族同士の醜い嫉妬と権力争いの果てに、首を掻き切られて死んだ。


 無力だった俺は、復讐を誓った。


 力をつけ、魔王領への遠征軍に志願し、魔物を屠り、さらに力をつけた。

 そして帰還後、両親を陥れた者たちを一人残らずこの手で葬り去った。


 それからだ。俺が「死神」と呼ばれるようになったのは。


 国を守るため、汚れ仕事を引き受けた。もう二度と、大切なものを奪われる絶望を味わいたくない。だから俺は、誰も寄せ付けず、独りで闇を歩いてきた。


 だが――そんな俺の前に、ザークレシアという光が現れた。凍りついた心を溶かし、安眠を与え、愛することを教えてくれた、月下の薔薇。


 俺は慢心していた。もう最強の力を得たのだと。二度と失うことはないのだと。――その慢心が、この悪夢を招いた。


 ◇◇


「ア”ア”ァァァァァッ!!!!」


 俺の喉から、獣のような咆哮が迸った。

 視界が真っ赤に染まる。


 ミリアが撒き散らした麻痺毒による体の自由など、激情の前では何の意味も持たなかった。無理やり神経を焼き切り、筋繊維を引きちぎる勢いで、俺は腕を伸ばした。


「ヒギィ……ぐ……げッ!!」


 俺の手が、ミリアの細い首を鷲掴みにし、宙へと吊り上げる。


「貴様……!よくも……よくも俺の全てを……ッ!!」


 握力に全魔力を込める。へし折る。すり潰す。塵一つ残さず消滅させてやる。殺意が沸点を超え、俺がトドメを刺そうとした、その時だった。


「あ……が、ぁ……!?」


 俺の手の中で、醜悪なそれは見る間に老け込み、肌がボロボロと崩れ落ちていく。

 短剣の呪いが、限界を迎えた奴の魂を全て飲み込み、存在そのものまでを食らい尽くしたのだ。

 腐臭を撒き散らしながら、かつて令嬢だったモノが、ただの不快な骨へと成り果てる。


「勝手に死ぬな卑怯者がアァァ!!!殺させろぉぉぉぉぉ!!!」


 手の中に残ったのは乾いた骨だけ。俺はその乾燥した残骸を、地面に叩きつけて無慈悲に踏み砕き、ただの塵へと変えた。


 達成感などあるはずがない。それに、こんな汚らわしい塵芥ちりあくたに、俺の時間を一秒たりとも割くわけにはいかなかった。


「レシア!!」


 俺は這うようにして膝をつき、血の海に沈む愛しい身体を抱き起こした。


「レシア……!目を開けてくれ……っ!」


 呼びかけても、返事はない。

 純白だったドレスが、残酷な赤に染まっている。

 俺は震える手で彼女の傷口を押さえたが、生温かい血は指の隙間から溢れ出していく。


(止まれ……!なぜ止まらない……ッ)


 魔力を注ぎ込もうとするが、破壊しか知らない俺には、彼女の命を繋ぎ止めることなどできない。


 身体が冷たい。血の気が引いていく。あの日の、錆びた鉄の匂いがフラッシュバックする。俺の腕の中で、また一番大切なものが冷たくなっていく。


「嫌だ……置いていくな……!」


 ようやく手に入れた、俺の生きる意味。

 俺の光。俺一人で、この先の永遠の闇を歩けというのか。


「俺の命をやる……!魂でも、なんでも全部やるから……!だから、逝くな……ッ!俺を独りにしないでくれ!!」


 なりふり構わず、喉が裂けるほどに叫んだ。死神の威厳などいらない。ただ、彼女さえいればいいのだ。


 俺の目から、みっともないほど熱い雫が溢れ出し、彼女の蒼白な頬に落ちる。


 その時。キラリと何かが光った。彼女の首元。切り裂かれた傷の奥で、俺が贈った「深紅の宝石」が砕け散っていた。


(……これは)


 サーイェ家に代々伝わる、守護の紅玉。


 俺とザークレシアとの初夜。

 お互いの輪郭が溶けるほどに愛し合ったあの時、俺が『魂の半身』として彼女に預けたその石が、身代わりとなって激しく弾け飛んでいた。


 まるで、サーイェ家の血が、歴代の当主たちが――彼女を『俺の唯一の妻』として認め、その命を賭して呪いの刃を喰らい尽くしたかのように。


 刃は彼女の肌を裂きはしたが、致命の深さには届いていなかったのだ。

 俺は震える手で、彼女の首筋に触れた。


 トクン……トクン……。


 弱々しい。だが、確かに脈打っている。


「……んぅ……」


 長い睫毛が震え、俺が愛してやまない琥珀色の瞳が、うっすらと開かれた。


「……ヴェス……ペル、様……?」

「レシア……ッ!!レシア……ああ……!」


 俺は彼女の折れてしまいそうなほど華奢な身体を、壊さないよう、けれど二度と手放さないよう、強く強く抱きしめた。そこには、確かな温もりがある。


「……すまない……俺は、お前を守れなかった」


 血に塗れた彼女の髪に顔を埋め、俺は懺悔するように声を震わせた。


「あのまま、お前を失っていたら……俺は狂っていた。頼む、不甲斐ない俺を許してくれ。いや、許さなくてもいい……だが、俺から決して離れないでくれ。もう二度と、絶対にこんな怖い思いはさせない。俺の全てを懸けて、お前を外界のあらゆる悪意から守り抜いてみせる。だから……っ」


 奇跡のような命に縋り付いて懇願する。


 俺の言葉を静かに聞いた彼女は、痛むであろう身体を起こし、俺の涙で濡れた頬にそっと、温かい手を添えた。


「泣かないでください……閣下」

「……今泣かないで、いつ泣くんだ」


 俺は彼女の傷口にハンカチを押し当てながら、子供のように声を詰まらせた。

 彼女はそんな俺の頭を優しく撫で、砕けた宝石の欠片を握りしめながら、聖母のように微笑んだ。


「守って……くれました。あなたが。……この宝石が」

「レシア……」

「閣下の身体が毒で動かなくても……あなたが私を想い、護ろうとしてくれたその『魂』が、身代わりになって呪いの刃を砕いてくれたのです。だから、自分を責めないで」


 彼女は、俺の首元に両腕を回した。


「私は、あなたの深い愛に生かされたのです。……ありがとう、私の死神様」


 その途方もなく優しい言葉と笑顔を見た瞬間。俺の心を長年縛り付けていたトラウマと、己の無力さに対する『死神』の呪いが、完全に浄化されていくのを感じた。


「シアァァ!!?」

「姉さんッ!!」


 遠くから、麻痺毒が解けたルズガーナとエミルが、泣き叫びながら転がるように駆け寄ってくる。彼らの声が、俺たちを生者の世界へと完全に引き戻してくれた。


「……レシア」


 俺は彼女の額に、祈るような口付けを落とした。


「……誓うまでもなく、俺はお前を愛する。永遠に」

「はい。……私も、永遠にヴェスペル様を愛します。誓うまでもありません」


 月光の下。


 互いの血と涙でぐちゃぐちゃに染まりながら、俺たちは狂おしいほどに確かめ合うように、深く、長く、盟約の口付けを交わした。


 もう二度と、互いの魂が離れることのないように。


 ◇◇


 それから、数カ月後。


 季節は巡り、ノクタリアには柔らかな春の風が吹いていた。


 平和を取り戻した館の執務室。


「レシア……王都から書状だ」


 俺はアウルス大公陛下から届いた、豪奢な封筒を開封した。


「これって……正式な打診よね?」


 隣で覗き込むのは、すっかり傷も癒え、以前よりも血色の良くなった妻、ザークレシア。


 その首元には、傷痕を隠すために俺が贈った、黒いレースのチョーカーが巻かれている。

 白い肌に黒が映え、妖艶な美しさを引き立てていた。


「あぁ。この辺境はルズガーナに任せて、中央へ来いということらしい」


 手紙には、こう記されていた。


 アデルの悪事、ムジナの爪の壊滅、そしてゲルハルトの不正暴露。それらの功績を称え、俺を次期大公――つまりフロースフォンス全体の統治者として迎え入れたい、と。


 アデルは廃嫡され、辺境のさらに奥地へ追放された。

 ミリアとゲルハルトは行方不明として処理された。障害はなくなった。俺が首を縦に振れば、ザークレシアは大公妃となる。


「どうするの?」


 彼女が不安げに俺を見上げる。俺はニヤリと笑い、ペンを執った。


「返事はこう書くつもりだ。『まだまだお若い大公陛下、生涯現役で励め』とな」

「ふふっ……。不敬ですよ、閣下」


 彼女が嬉しそうに笑う。


「私も……しばらくはこのままがいいです。この地で、あなたと、そして……」


 彼女は言葉を切り、少しはにかむように頬を染めた。そして俺に身体を預け、慈しむように自身の下腹部をそっと撫でた。


 その仕草に、俺の胸が熱くなる。


「あぁ。そうだな」


 俺は彼女の腰を抱き寄せ、そのお腹をそっと撫でた。


「俺たちの家は、ここだ」


 部屋の外から、ガタゴトと物音が聞こえる。ルズガーナとエミルが、聞き耳を立てているのだろう。


「隈おじさん、大公になるの?ってことは、姉さんは大公妃!?」

「しっ!エミル、声が大きい!……でも、断る気満々ね、あの夫婦」


 エミルは、姉の幸せそうな表情を隙間から見て、悔しそうに、けれど安心したように溜息をついた。そして、隣にいるルズガーナを見つめる。


「……ま、姉さんが幸せならいいや。じゃあ、僕も自分の幸せを探そうかな」

「ん?なによ」

「ルズのこと。責任持って『女の子』扱いしてあげるって言ってるんだよ」


 エミルがルズガーナの手を取り、生意気にも指に口付けを落とす。


「なっ……!?なにそれ、小生意気なプロポーズのつもり!?百年早いわよ!」

「えー!?顔赤いよ?」

「赤くない!!それに……『女の子』扱いするのは私だから!」


 二人のじゃれ合いを聞きながら、俺とザークレシアは顔を見合わせて笑った。


 窓の外には、穏やかな陽光と、どこまでも続く青い空。


 不眠症の死神はもういない。

 ここにあるのは、愛しい妻の香りと、騒がしくも温かい仲間たちの気配だけ。


 俺は妻を抱き上げ、光の射す窓辺へと歩み寄った。

 『眠れぬ死神と眠らせの調香師』を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました! 不器用な死神伯と有能な調香師のハッピーエンド、いかがでしたでしょうか?


 もし「最後まで読んでよかった!」「最高に甘かった!」と思っていただけましたら、 最後に★評価をいただけると、作者にとってこの上ない喜びになります。

 また、作品フォローやレビューコメントも、次回作を執筆するための最大のエネルギーとなります。 ここまでザークレシアとヴェスペルの物語を応援してくださり、本当にありがとうございました!


※本編はここで終了となりますが、この後、ノクタリアの日常編に続いていきます。ザークレシアとヴェスペルの蕩けるような甘い関係や、ルズガーナやエミルはどうなるの!?と気になる方は、是非とも引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。

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