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眠れぬ死神と眠らせの調香師 ――不眠症の辺境伯に拾われた私の甘く危険な夜と、愚者たちに贈る破滅の香り  作者: セキド烏雲


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第15話 死神の敗北。ライバルは愛しい彼女の血縁者

【ヴェスペル視点】


 執務室で書類に目を通していた俺の耳に、エントランスの方から聞き慣れない声が届いた。


「やっと会えた……っ!」

「嘘……エミル!?どうしてここに!」


 レシアの声だ。驚愕と、親しげな甘い響き。

 もう一つの声は、中性的で若い声だった。


 ピキリ、と。手元のペンにヒビが入る。

 俺は舌打ちをし、足早にエントランスへと向かった。


 そこには、泥跳ねで汚れた学園の制服を着た少年が、俺のレシアに縋り付くように抱きついていた。


 奴はレシアと同じ赤毛だが、深みも色気もない、ただ若々しさが鼻につく鮮烈な紅。

 そんな安っぽい赤に、レシアの白く柔らかな指が、慈しむように梳き入れられている。


(……待て。なんだ、あの距離感は。近すぎないか?)


 視界が真っ赤に染まった。

 俺が今、どれほどの自制心を動員し、彼女に触れたい衝動を血を吐くような思いで抑え込んでいるか。


 どこの馬の骨とも知れぬ小僧が、俺の努力をあざ笑うかのようにベタベタと……。


 あそこは俺の定位置だ。その手の感触も、その距離も、俺の特権。


 腹の底でドス黒い炎が爆発しそうになるのを堪え、低い声で威圧した。


「……貴様は」

「あ、閣下!すみません、騒ぎ立ててしまって……」


 レシアが慌てて反応する。だが、少年と離れようとはしない。


「やけに親しげだが。その者は誰だ」


 小僧は俺の威圧に怯むどころか、あてつけのようにレシアの腕を掴み直した。……よほど死にたいらしい。


「申し出が遅れました。私は、エミル・リンデン」


 少年はレシアを庇うように前に出ると、生意気にも俺を真っ直ぐに睨みつけた。


「ザークレシアの、弟です」


(……弟?)


 レシアから、実家に弟がいることはそれとなく聞いていた。


(……斬り捨てようとすら思ったが。弟なら仕方ない……。だが)


 俺は「極めて不本意」というオーラを全身から隠そうともせず、二人に近づいた。


 エミルの肩を、物理的な圧を込めて引き剥がし、レシアの腰をこれ見よがしに抱き寄せて自分の側へと引き込んだ。


「あっ……閣下!?」

「そうか、義弟殿か。私はヴェスペル。彼女を『妻』に迎える予定の男だ。……以後、気安く触れるのは最小限にしていただきたい」


 実の弟相手に、俺は「血の繋がり」という最強のカードに対抗できる唯一の手段――「婚約者」という立場を全力で盾にした。


 まだ、レシアにすら正式に話していないのに、だ。


「か、閣下!?」


 レシアは俺の「妻」という言葉を聞き、顔を赤らめ目を見開く。


 彼女のその反応が、愛しくて堪らない。


 のだが。


 エミルとかいう不本意な義弟は、俺を値踏みするように上から下まで眺めると、あろうことか、ふんと鼻を鳴らした。


「……実家を追い出されたって聞いて心配してたけど……ちゃっかりしてるな、姉さんは。でも、真面目でお人好しだから、都合よく使われてるんじゃ……」


 奴はレシアの腕にすり寄り、ブツブツと何か呟きながら俺へ挑戦的な流し目を送ってきた。


 そして。


「……ねえ姉さん、こんな『クマの酷いおじさん』のどこがいいの?」


 ピキッ。


 俺の中で、年長者としての器がひび割れる音がした。


 おじさん。クマが酷い。

 俺は無意識にエントランスの鏡へと視線を走らせる。


 ……確かにクマは出やすい体質だが、おじさんと呼ばれるほど老け込んではいないはずだ。


『弟』という立場を笠に着た、なんという生意気な口の利き方。

 思慮深く、理知的なレシアと似ても似つかない根源的な邪悪。


(コイツ……別の親の腹から生まれ直させてやりたい……ッ!)


 俺には決して手に入らないレシアとの『血の繋がり』。それを盾にするこの小僧の特権を奪い、今すぐ『赤の他人』に変換して、レシアとの繋がりを断ち切りたいとすら思った。


 俺がそんな大人気ない思考を巡らせていた、その時。


「あっ……」


 エミルの身体がぐらりと揺れ、そのままレシアの方へと倒れ込んだ。


「エミル!?……すごい熱!」

「ごめん、姉さん……。姉さんの顔を見て安心しちゃったら、急に力が……」


 荒い息を吐き、ぐったりとするエミル。

 どうやら、雨の中を強行軍でここまで辿り着いたらしい。


「くっ……。仕方ない」


 俺は鬼畜ではない。レシアの不本意極まる義弟を、この状態で邪険に追い出せば、彼女に嫌われてしまう。


「おい、客室を用意しろ!替えの服と、看病のための湯を持て!」


 我が家の家政を担う騎士たちにテキパキと指示を出すと、エミルは熱に浮かされた瞳で俺を見た。


「……ご親切に、どうも。……『おじさん』」


 感謝の言葉に、たっぷりと棘が乗っている。


 俺は奥歯を噛み締めながら、この小生意気な義弟を睨み返した。


 バチバチと、不可視の火花が散る。

 最近平穏だった私の館に、とんでもない嵐がやってきたようだ。


 ◇◇


【ルズガーナ視点】


 館の騎士から、「ザークレシア様に客人が来ている」と聞き、私――ルズガーナ・フォン・グレイスは急いで客室へと向かっていた。


(シアに客人?嫌な予感しかしないんだけど!)


 彼女を虐めた都の連中とか、嫉妬で狂った変な奴じゃないでしょうね?


「失礼しまーす……」


 そっと客室の扉を開ける。


 そこには、ベッドの傍らで甲斐甲斐しく看病するシアの姿があった。


 そして壁際では、腕を組んだヴェスペル様が、まるで獲物を監視するガーゴイルのように鋭い眼光を放っている。


 なんだこの異様な空間。


 ツッコミを入れようとした私の視線は、ベッドに横たわる「人物」に釘付けになった。


「あ、ルズ。お疲れさま」


 返事すら忘れて、私は息を呑んだ。

 そこにいたのは、私の「好み」という概念を完膚なきまでに叩き壊す、暴力的なまでに可憐な美少女だった。


「こんにちは、はじめまして……。エミルと申します」


 ベッドから、今にも消えてしまいそうなほど儚げな声がした。

 シアの深い紅とは異なる、無垢で鮮烈なあか


 陽の光を透かすルビーのように煌めくその髪に、私は一瞬で目を奪われた。


 熱でほんのりと染まった頬。


 そして、庇護欲を激しく刺激する、破壊的な微笑み。


(……っっ!?!?)


 心臓を、太い矢で丸ごと射抜かれたような衝撃だった。


 か、可愛い!!

 私の好みドストレートの、超絶美少女!!


「いつも、姉がお世話になっております……コホッ」


(姉!?シアにこんな可愛い妹いたっけ!?ていうか私のこと知っててくれたの!?)


 私はたまらずシアに駆け寄り、彼女にしか聞こえない声で耳打ちした。


「ってかシア!こんな超絶可愛い妹がいるなら、早く教えてよ!!」

「えっ?いや、弟なんだけど」


 ……は?

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