第12話 ノクタリアへ向かう新たな足音
カラン……カラン。
ノクタリアに祝福の鐘の音が鳴り響く。
閣下と私たちは、この地の有力商人の結婚式に招かれていた。
(……羨ましい)
純白のドレスに身を包み、大勢の祝福を受ける花嫁を見つめ、私は小さく息を吐く。
アウルス大公陛下が来訪された日、私たちは実質的な「関係の公認」をいただいた形となっている。
けれど、それを公にすることはできない。
「死神伯」と呼ばれるヴェスペル様がフロースフォンスの裏稼業を担っているうちは、「弱み」とも言える私の存在を大々的に宣伝するのはリスクが高すぎるからだ。
それは分かる。
完全にそのとおりだと思う。
だけど。
(やっぱり……羨ましい)
儀式としての誓いには、やはり憧れる。
けれど、私の感情でヴェスペル様を悩ませるようなことは、絶対にあってはならない。
私は今の幸せだけで十分なのだと、自分に言い聞かせた。
「ねぇ。閣下の目の下の隈……元に戻ってない?」
不意に、隣から鋭いツッコミが飛んできた。
花束に埋もれたルズガーナが、遠くで挨拶回りをしているヴェスペル様と、私をジト目で見比べている。
「そ、そうかな……?」
「まさかとは思うけど。……マンドラゴラの効果、まだ続いてるわけ?」
図星を突かれ、目が泳ぐ。
私はルズガーナと同じく民から受け取った大量の花束に顔をうずめ、必死に赤面を隠した。
マンドラゴラの騒動以来、私は民たちから「館の新しい専属魔術師」として認知され始めていた。
その結果がこれ。
「そ、そんなことより!ルズ、その花束すごいことになってるね!」
「シアもでしょ」
私は彼女の疑念に満ちた視線を、抱えた花束の壁で物理的に遮断した。
――実際、今の私たちは大変なことになっている。
式が終わり、立食パーティに移った途端、新郎新婦そっちのけで参列者が殺到してしまったのだ。
「ザークレシア様、先日はありがとうございました!おかげで商売が順調で!」
「才色兼備にも程があります。ザークレシア様、是非とも我が倅と……」
「ルズガーナ様、その凛々しさ。たまりません……結婚してください!!」
私達の腕の中は、抱えきれないほどの花束で埋め尽くされている。
二人合わせれば、花屋が開業できそうな有様だ。
「はぁ……。ゴツい男から花なんてもらってもねぇ……」
ルズガーナが困り顔で呟いた、その時だった。
「あ、あのっ……ルズガーナ様……これ……っ」
おずおずと近寄ってきたのは、深窓の令嬢といった風情の愛らしい少女。
彼女は震える手で、ルズガーナに一通の手紙を差し出した。
「……ふふ。ありがとう、子猫ちゃん」
ルズガーナは花束の隙間から手紙を受け取ると、流し目でクールに微笑んだ。
その美貌に射抜かれたのか、少女は顔を真っ赤にして「きゃあ!」と逃げていく。
その背中を見送りながら、ルズガーナがニヤリと唇を舐めた。
「ふ、ふふふ……かかった!上玉の獲物が!」
「ルズ、見境なさすぎ。あの子が食べられないことを祈るわ」
相変わらずのハンター振りだ。
「仕方ないじゃん。私の最愛のシアを、あの『獣』に取られちゃったんだし」
「獣って言わないで。一応、ルズの雇い主でもあるんだから」
そんな軽口を叩き合いながら、私たちは再び、華々しい新郎新婦の姿を見つめた。
「……ねぇシア。やっぱり、憧れる?」
ルズガーナが、珍しく真面目なトーンで聞いてきた。
私は首を横に振る。
「ううん。私は、隣にいられるだけでいいから」
「あー。そういえば、酷い婚約破棄されたもんねぇ。トラウマ?」
「もう!ルズ!せっかく癒えた心の傷を!」
口を尖らせて抗議する。
でも、今となってはこうして笑い飛ばせる程度には、傷は癒えていた。
(なに欲張ってるんだろ。私は。ほんとバカみたい)
絶望の淵にいたあの頃の私は、今のこの境遇は想像すらつかないだろう。
(彼の隣にいるだけで、こんなにも幸せなのに)
そんな私の視線は、こちらに向かって歩いてくるヴェスペル様の動きを追っていた。
「……うお。お前たちは、ドライアドか?」
挨拶回りを終えて戻ってきたヴェスペル様が、花に埋もれた私たちを見て目を丸くした。
「ヴェスペル様。これ、全部領民の方々からいただいたんですよ」
「……ふん。人気者だな」
彼は花束の山を見ると、ふいっと顔を背けた。
その横顔が、どこか不機嫌そうに歪んでいるのを、私は見逃さなかった。
◇◇
館に戻ってからも、ヴェスペル様の不機嫌は治らなかった。
いや、むしろエントランスホールに積み上げられた追加の「貢物」を見て、悪化していた。
「ザークレシア様!農家からの差し入れです!」
「奥方様!騎士団からのお礼です!」
「チッ……。どいつもこいつも」
ヴェスペル様は子供のように唇を尖らせると、花束の一つを睨みつけた。
その殺気だけで花が枯れそうだ。
普段、「死神」と恐れられている彼が、ただの野菜や花束に嫉妬している。
そのギャップがおかしくて、私はつい吹き出してしまった。
「閣下。そんなに怖い顔をしないでください。皆さんが、こんなに歓迎してくださっているのですから」
私がそう言って微笑みかけると、彼は深いため息をつき、不機嫌そうに目を細めた。
「……分かっている。だが、私の特権が侵されているようでならん」
「ふふ、独占欲が強いのですね」
「……お前がそうさせた」
彼は私の頭をクシャリと撫でると、気まずさを誤魔化すように足早に執務室へと戻っていった。
その背中を見送りながら、ルズガーナがやれやれと肩をすくめる。
「不器用な男ね⋯⋯早く首輪つければいいのに」
その声は隣にいる私にも聞こえない、微かな囁き。
「え?何?」
「あー、なんでもない」
彼女はニヤリと悪戯っぽく笑うと、そそくさと去っていった。
◇◇
一日の執務を終えた。
私が自室でくつろいでいると、ノックの音がしてヴェスペル様が入ってきた。
その手には、私がヴェスペル様の剣ダコ用に調合した『ハンドクリーム』の小瓶が握られている。
「……マンドラゴラの叫び声は、肌にも悪いと聞く」
彼はベッドサイドに腰掛けると、ぶっきらぼうに言った。
別にそんな効能はないけれど、彼なりの口実なのだろう。
「手を出せ、レシア。……疲れているだろう」
「え?いえ、そんな……自分で塗れますから」
「いいから」
有無を言わさぬ圧力。
私は大人しく両手を差し出した。
彼はクリームを自身の指に取り、私の手の甲へゆっくりと伸ばしていく。
ヴェスペル様の手は、大きく、長く、綺麗だが、剣ダコが出来ている。
「……美しい手だ。触ると壊れてしまいそうなくらい」
彼はクリームを馴染ませながら、一本一本、私の指を愛撫するように摩る。
指の付け根から、指先へ。
関節の節々を確かめるように、執拗に、丁寧に。
「ん……くすぐったいです、閣下」
「じっとしていろ」
彼の指が、私の左手の薬指に差し掛かったとき、動きが止まった。
親指と人差指で、薬指の付け根を挟み込むようにして、ゆっくりと回す。
「……細いな」
「そうですか?」
「……この部分。しっかりと塗っておかないといけない」
彼は私の左手を持ち上げると、その薬指の付け根に、熱い口付けを落とした。
「っ……!」
心臓がトクンと跳ねた。
彼の熱い吐息が、指の付け根にかかる。それはまるで、見えない誓いの刻印を押されているかのようで。
「領民に慕われるのは良い。誇らしいことだ。……だが」
彼は濡れた瞳で私を見上げ、切なげに眉を寄せた。
「心まで渡すなよ。……お前は、私のものなのだから」
「……はい。もちろんです」
心地よい空気が、部屋を満たしていく。
彼の体温、吐息、そしてクリームのバラの香り。
私は自然と身体の力を抜き、彼に身を預けた。
(今夜も……してくれるのかな)
最近続いた熱い夜を思い出し、少し身構える。
けれど、彼は私を優しく抱きしめるだけで、それ以上先へ進もうとはしなかった。
ただ、抱きしめる腕の力が、徐々に、骨が軋むほど強くなっていく。
「……閣下、苦しいです」
「……すまん。少しだけ、このままでいさせてくれ」
彼の顔が私の首に、そして胸に埋められる。
耳元で聞こえるのは、ドクン、ドクンという早鐘のような心音と、熱っぽい溜息。
「目の前に極上の餌があるのに、食えないというのは……なんという拷問だ」
「えっ?」
「いや……こちらの話だ」
彼は私の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、名残惜しそうに、ゆっくりと身体を離した。
「……よし。補充完了だ。……これなら、朝まで耐えられる」
「補充……?」
「ああ。……おやすみ、レシア」
彼はどこか憑き物が落ちたような、それでいて必死に何かを堪えるような顔で微笑むと、私の額に口づけをして何か呟きながら部屋を出ていった。
「……早く、準備を整えねば。私が理性を失う前に」
バタン。
(……なんだったんだろう)
私の薬指に残る熱。
それが、彼にとっての「最大の忍耐」の証だったなんて、今の私は知る由もなかった。
◇◇
一方その頃。
フロースフォンスの都の片隅、リンデン男爵家。
激しい雨が降りしきる中、一台の馬車が屋敷の前に止まった。
降り立ったのは、まだ学園の制服を着たままの少年。
「おお、エミル!よく戻った!」
「待ちわびたぞ!さぁ入れ!」
玄関で待ち構えていた両親が、猫なで声で息子を出迎える。
「……急に呼び戻すなんて、何事ですか。僕はまだ、課程の途中なのに」
エミルは不快げに眉を寄せ、濡れた髪をかき上げた。重要な試験を放り出してまで戻ってきたからだ。
「学業は今日までだ!それより家を継ぐんだ!」
「そうよぉ。お前は優秀なんだから、早く働いて稼いでおくれ」
両親の言葉に、エミルは冷ややかな目で室内を見回した。
「……姉さんは?」
開口一番、彼が発したのはその言葉だった。
「あ??あの恥晒しの名を口にするな!」
娼婦間で流行りの香水の匂いを纏った父親は、忌々しげに吐き捨てる。
「アイツは大公世子殿下との婚約を破棄されたんだよ!我が家の恥だ!」
「そうよぉ。高い教育費をドブに捨てたようなものだわ。地下室に入れて反省させてやろうとしたら、勝手に出て行ったの」
賭博場の酒と煙、そして銀貨の臭いに塗れた母親は、その手でエミルの左肩を掴む。
「まったくだ。恩知らずなアイツのことは忘れろ。これからはお前が――」
父親の手が、エミルの右肩に触れようとしたその時。
「……ふざけるな」
低く、地を這うような声。
エミルの瞳から、一切の感情が消えた。
「……出て行った?だって……?」
彼から漂う激しい憎悪のオーラ。
しかし、それすら感じ取れない父親。
「あぁ、お前としても良かっただろう?姉を差し置いてこのリンデン家を継げるんだからな」
その瞬間。
エミルは無言で踵を返すと、再び雨の中へと歩き出した。
「お、おい!?どこへ行くんだ!?」
「待ちなさいエミル!?」
背後からの叫びに、彼は一度だけ足を止めた。
「お前らがそうだから、姉さんは出ていったんだ!」
エミルは両親に最上級の軽蔑の眼差しを向けた。
「僕はもう、この家には戻らない。……姉さんを探しに行く」
「な、なんだってぇええ!?」
「ま、待って!!学費は!?私たちの老後はどうなるのぉぉ!?」
絶叫する両親を尻目に、少年は躊躇なく門扉を蹴り開けた。
姉の残した微かな痕跡。それを辿るために。
最後までお読みいただきありがとうございます。
★を入れて応援していただけると、執筆の大きな励みになります!
作品フォロー(ブックマーク)もよろしくお願いいたします!




