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死に化粧屋  作者: 海来
44/44

44話

 陽月と実月を見守る聖流は、目を閉じていても陽月の体が強張るのを感じていた。握った手から陽月の心が緊張していく様子が聖流の心にしみ込んで来る。

『聖守、何をやってる』

 聖流は眉根にしわを寄せ陽月のもう片方の手のひらにのる兄である白竜の顔を睨みつけた。兄は陽月は自分が守って見せると約束していったではないか、なのに何故、陽月がこれほど体をこわばらせ緊張を強いられているのか。陽月は今、自分に助けを求めていると感じる、呼ばれていると感じるのだ。

 だが、このまま無防備な状態で三人を置いていく事は出来ない。自分まで実月の夢に入ってしまえば、彼らを守る者がいなくなってしまう。

『やはり、俺が行くべきだった。くそっ』

 そう叫んだとき、陽月の部屋の窓枠がガタガタと音を立て窓が開いた。

『ひでーな、そっちが呼んでおいて開けておいてくれないなんて。海からここまで来るだけでも一苦労なのに』

 顔を出したのは、竜になれなかった卵をタツノオトシゴとして海に返す役目を担う子守だった。タツノオトシゴではなく人間の青年の姿だが、その美しい顔はみるみる鬱血していく。自分の首を絞めながら部屋に引きずり込んだのは、怒りに顔をゆがませている聖流だ。

『誰がお前を呼んだ、子守』

 子守はじたばたと聖流の手を振りほどこうともがいた。手が離れると、その場にへなへなと座り込んでしまった。戻った呼吸に喉が鳴る。子守はやっとの思いで強張った笑みを浮かべた。

『あなたではないもう一人の竜神さまに呼ばれた。4人を腹の中に入れて隠れていろって……自分が戻るまで……』

『聖守か。何のためにお前などに守りを頼む』

 子守の美しい眉が片方だけ上がった。

『そりゃあ竜神さま。俺の腹の中はそん所そこいらの隠れ家よりも安全だ。それはよーく知ってる筈じゃないですか』

 確かにそれは間違いない。子守の腹の中に入り、安全な場所まで移動して隠れていてもらえれば、夢魔を撃退して三人が無事に戻るまで、敵に襲撃される心配はないだろう。それに、今すぐにでも陽月を助けに行きたい思いに気がはやる。

『わかった。お前に守りを頼む。ただし、隠れるのは天界だ。それまでは気を抜くな。竜神の祠とここ以外は結界に守られていないからな。陽月を危険にさらしたら、お前の命は無いと思え』

 子守は何度も肯いた。この竜神を怒らせるようなまねは決してしたくない。子守はまだまだ人の世を謳歌したいのだ。それに、陽月と言う竜神の巫女のことは気に入っていた。ほわりとした優しさの中に芯の強さを感じる。何よりも、この恐ろしい竜神を掌で転がしている感じが好感度をあげている。

『必ず。守ります』




 子守は境内を歩いていた。もしも魔界の者が見張っていても、自分が何をしているか分からない様に、いつもと変わらぬ様子を演じているが、内心ではかなり緊張を強いられていた。祠に近づけば近づくほどに、そこここに、魔界の者の気配を感じる。

 祠の結界を目の前にして、子守は行く手に現れた者の姿に一瞬心ひかれた。

『こんなところで何をしているのかしら』

 紅い唇から発せられた声は、子守の脳髄にしみ込むように甘い。魔物だ。魔物だが、とても美しい女だ。

『それはこっちのセリフだな。あんたはここで何してるんだろう』

 子守の答えが終わる前に、女は子守と唇が触れるほどに近づいていた。ふふっと笑った女の熱い息が子守の唇にかかる。

『お前を食べるためよ』

『俺を食べても、あんまり美味くはないと思うけどな。ちょっと、離れてくれないかな』

『お前は美味しいにきまってる。とんでもなく上等な匂いをさせてるじゃないの』

 そう言った女の爪が、子守の腹に刺さった。子守は女の外見とは違う背筋を冷たくさせる気を感じ取った。このままなら、自分は腹の中の者達を守ることができない。この女よりも強い能力を自分はもっていないだろう。だが、と思う。

 子守の足がすっと動いて女の足の間に滑り込んだ。女が自分の足の間をちらっと見た。

『何してるのよ。あんたとやる気はないのよ、食べるんだから』

 女の爪が深く食い込んでくる。その瞬間、子守の姿が消えた。目の前から姿を消した子守を探して女は辺りを見回すがどこにも子守の姿はない。

『どこに行った』

 ふと見た足元に血だまりを見つけた。その血だまりは、女の足元にある水たまりへと流れていた。くそっと歯噛みして、女は結界の向こうにうっすらと見える竜神の祠を睨み付けた。

『お前の正体だけはわかったよ。天界の子守』

 子守は水たまりから竜神の祠の下を流れる地下水へと入り込んでいた。たまたま夕方に降った雨のおかげで雨水は地面を通って地下水脈まで細い細い水路を作っていた。砂利や土の粒の間を抜けて、子守にしか通ることの叶わない水路だ。

『結界の中で待ってる方がいいに決まってるがなぁ。あの竜神様に天界に隠れろって言われてるし、仕方ないか。このまま天界までいこう』

 ちっと舌打ちしてから子守は地下水脈を海へと向かって進み始めた。

   




 実月の心の中はどろりとした粘膜で覆われ、その粘膜から伝わってくる感情は悲嘆。陽月は聖守に言われた通りに実月の心に寄り添っていた。このまま実月の心に寄り添っていると自分自身を失いそうだ。実月の苦しみの闇は深い、そばにいる者を飲み込んでしまう勢いがある。

 目の前で老いた実月が膝を抱え震えている。

「助けて。私どうすれば実月を救えるの。教えて」

 陽月の声は震えていた。その震える声に別の声が重なる。

『みつき、みつき、こっちにきて。さあ、わたしをだきしめてちょうだい。みつき、むかしのように、さあ』

「おばあちゃん……」

 陽月は辺りを見回すが、祖母の姿は見当たらない。だが、実月にはその声が聞こえたのだろうか、よろよろと立ち上がって陽月の方に向かって歩いてくる。

「葉月、葉月なの……いいの、私があなたに触れてもいいの……」

「そうよ、美月わたしよ。さあ、ここにきて抱きしめてちょうだい」

 陽月は自分の喉に手を触れた。今、自分の口から出た声は自分のものではない。柔らかな話し方、落ち着きのある声は、祖母の葉月のものだ。そう思っている間にも美月がしっかりと体を抱きしめてきた。自然に陽月はその体を抱きしめ返していた。

『陽月、少しの間だけ、私に体を貸してちょうだい』

『おばあちゃん……いいよ、おばあちゃんなら、どうぞ……美月の為なんでしょう』

『ええ、そうね。美月を奪われないために』

「葉月、私を許してくれるの。あなたを裏切って、大切な物を奪って、あなたを苦しめた……そう、苦しめたのよ。許されないわ。私には葉月にこうして貰う資格が無いのよ」 

『そうね、あなたが私のもとを去った時、とても辛かった。悲しくて寂しくて……でも、許せないことなんかじゃないのよ。こうしてあなたは帰って来てくれた。私の命は尽きて体はあなたの傍には居られないけれど、心はいつでもそばに居られるわ』

 美月は抱きしめてくれる葉月の頬により一層頬をよせた。

「本当に、本当に心はいつでも私の傍にいてくれるの。こんな私のそばに……」

『ええ、ずっとよ。あなたの中にある女神の欠片は、私の魂と共に天界へと持って行くわ。あなたが自分の中の闇を恐れることはもうしなくていいの。女神の欠片の残した空洞は、私の癒しの力で塞げるし、私の魂の一部はそこに留まるの。だから、ずっと一緒にいるのよ。美月、私たちは初めから一つだったの、だからこれからも一つ。ね、そうでしょう』

 抱き合った二人の体は仄かに輝きはじめた。陽月の体から何かがすっと抜けて行き実月の体へと移って行く。その実月の体からほわりと灯りが浮かび出た。灯りの中にきらりと光る小さな欠片が見える。

『もう戻らなくてならないわ。ほら、私は実月の中に残っている。大丈夫よ、これからはずっと一緒なの』

 まあるい灯りは空へと昇って行った。

『おばあちゃん』

 陽月はどうやって祖母が助けに来てくれたのか全くわからなかったが、自分が強く念じる力はきっと亡くなった祖母にも届いたのだと思った。

『実月、そしておばあちゃん。これからよろしくお願いします』

 実月は陽月を抱きしめて泣いていた。もう大丈夫だと、葉月が助けてくれたと、声を詰まらせながら泣き続けた。やっと泣き止むと顔を上げて陽月を見つめた。

「もう大丈夫。自分のやってきたことを償うことが出来る。これからは強くなれるわ」

『そうね、実月おばあちゃん。私を見守っていて』

 頷いた実月は不思議そうに陽月の肩を見つめている。

「その肩に乗っているのは聖流じゃないの」

 そう言われて陽月は自分の肩に目をやると間違いなくそこにぐったりとした小さな銀竜がいた。慌てて肩から持ち上げて掌にそっと乗せる。

『聖流、どうしたの』

 掌の竜はあっという間に人の形を取って地面に落ちた。罵詈雑言を吐きながら聖流が陽月をにらんだ。

『いつも言ってるだろう。名を呼ぶな。何度言えば分るんだ』

『だって仕方ないじゃない。聖流がどうかなったのかと思って。大体、実月の夢の中に来るはずじゃないでしょ。三人の体を守ってなきゃいけないのに』

 聖流が立ち上がって頭の上から陽月をもう一度睨みつけた。

『お前に言われなくてもそんな事は承知だ。子守に頼んでから来たんだ。お前が助けを呼んだから』

「私があなたを呼んだの」

 本当は助けを呼んでいたわけではない。ただ、陽月が自分を呼んでいるのだと感じただけだと言うのが、なぜか言いにくかった。陽月に否定されたら、きっと気持ちの置きどころに困ってしまうだろう。それに、実際には自分では実月を救うことが出来ないと思った。それは陽月にも難しそうに見えて、どうしても葉月の助けがいると思い立ったのだ。

『お前が、俺を呼んだと思った。でも、実月の夢に入ったら俺では助けにならんし、葉月を彼岸に迎えに行った。葉月を連れて来るのはだな、えらく大変でだな、あーそれも急いだから、んーとだな』

 怒った顔のままで何かぐずぐずと言っている聖流が陽月にはたまらなく愛おしく想えた。確かに自分は実月の心を救うことが出来そうになかった。実月の過去の所業に圧倒されていて、その魂を救う術を持っていないと思えたのだ。祖母が来てくれなかったらどうなっていたことか。

『聖流、ありがとう。おばあちゃんがいなかったら、どうしていいか分からなかった。でも、彼岸ってどこにあるの。そこに行けばおばあちゃんにまた会えるの』

 聖流は大きく息を吐き出した。竜の姿なら煙を吐いていただろう。

『いや、彼岸は死者の休息所だ。生者は行くことは出来ん。俺は竜神だからな。ちょいと力を使ってあそこの連中に気づかれん様に葉月を連れてきた。葉月はもうあっちに戻ってる。というか、葉月があの場に留まっていたのは、きっと気になる事があったからだろうな。死出の旅に出てはいなかった。だから助かったんだがな』

『そっか、おばあちゃんはきっと実月のことも、私のことも気になって心配してたんだね。死んでからもまだ人のことばかり考えて、おばあちゃんらしい』

 陽月は聖流の手をぎゅっと握った。

『そうよ、助けて欲しかった。助けてって叫んだ。その声を聞いてくれたのは、聖流だった、ホントにありがとう、聖流』

 繋いだ二人の手に実月の手が重なった。

「ありがとう。ゆっくりお礼をしたいところだけど、何か聞こえるわ。ここはどうやら私の夢の中らしいけれど、聞こえてくるあれは……私にはわからない。けどおぞましいとしか言えない」

 二人も既にそれを聞いていた。空気を裂く甲高い叫び声。それがねっとりと体にまとわりついてくるようで、皮膚がむずがゆくなってきた。聖流が二人を守るように自分の背に庇う。




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