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黒の貴公子  作者: 健康


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18/22

18話 大魔術師ケンダーヴァル

 ◇◆◇◆


 ここは塔烈中立都市セナアプアの上界、フクロラウドの魔塔。

 その地下深く、巨大な正方形の舞台〝根源の柱間〟に、研ぎ澄まされた魔力の氣配が満ちていた。中央には、かつて大魔術師ケンダーヴァルの名を名乗った男、フクロラウド・サセルエルが大柄な体躯で佇む。人族風の貌を持つが、その身に纏う魔術師系統の装備と溢れ出る濃密な魔力は、彼が人ならざる存在であることを示していた。


 彼の眼前には、異質な生命体の鋼と肉皮でできた巨大な魔術書、〝異界ノ天秤書〟が召喚され、爆発染みた魔力が迸っている。

 その輝きは渦を巻き、不可思議に波打つ円状の膜へと変化し、フクロラウドの魔塔の各所や、アケミの迷宮の様子を映し出していた。


 ケンダーヴァルの周囲には、彼に絶対の忠誠を誓う大眷属たちが控えている。

 猛将ドキビル、闘氣のモモル、ヴァラキア、金髪の女性ダシュル。禍々しい輝きを放つ長杖を持つ大魔術師エルミナも静かに佇んでいた。彼らは皆、ケンダーヴァルの言葉を待っている。


 そして、この根源の柱間の上下左右に広がる壕の地下深く。

 そこには四体の岩巨人(マウントジャイアント)が、異界と魔法の鎖で繋がれ、その岩の背中でフクロラウドの魔塔の巨大な構造体を支えている。

 彼らは単なる柱ではない。ケンダーヴァルの意志と魔力によって束縛され、使役される、意志ある大眷属なのだ。その巨躯は微動だにしないが、ケンダーヴァルの魔力が高まると、ひび割れた岩肌を走る魔法の鎖がギリ、と軋むような音を立てて鈍い光を放つ。


「フクロラウド様」


 ダシュルが呼びかけると、周囲の者たちも一斉にケンダーヴァルに視線を向けた。

 ケンダーヴァルは鷹揚に頷く。

 ケンダーヴァルの斜め上空に浮かぶ異界ノ天秤書からは、膨大な量の魔線が放出され、それが大氣に干渉するように、遠いアケミの迷宮をクォータービューの映像として皆に共有された。


「アケミという名のダンジョンマスターの迷宮か。厄介な者たちが集っているようだ」


 ケンダーヴァルの声が、根源の柱間に響く。

 猛将ドキビルが、


「ハルゼルマの小童、ウタジめが……かような時に、アロトシュの破片が強い反応を示すとは……そして、エイハブラ地方にゼルビア山脈の迷宮とは、遠すぎる」


 その言葉に皆が頷いた。

 ケンダーヴァルは見守っていた。

 ヴァラキアは、


「迷宮とは少々予想外ですね……しかし、ハルゼルマ家がかつて所有していた〝血妙魔ブラッドハイマジック十二指血始祖剛臓エピズマ・オリジナルズ〟の欠片の反応は確かです……ケンダーヴァル様、そろそろ本格的に刈り取っても良い頃合いかと思いますが、どうでしょうか」


 ケンダーヴァルは、ヴァラキアの言葉を聞くと、


「……そうだな。これからの追跡は楽になるだろう。ウタジの体を得られれば、我の〝血妙魔・十二指血始祖剛臓エピズマ・オリジナルズ〟の性能も飛躍的に上昇する」

「「「はい」」」


 そこで、闘氣のモモル・ヴェルゲーノが、


「では、ケンダーヴァル様、ウタジの〝血妙魔・十二指血始祖剛臓エピズマ・オリジナルズ〟の覚醒が始まったと?」

「そうだろう。ソレグレン派の<血魔力>と吸血神ルグナドの<血魔力>、その因果律が絡み合ったとも言えるか」


 ケンダーヴァルの言葉に、暫し沈黙が流れた。


「外宇宙の吸血鬼(ヴァンパイア)集団……」

「あぁ、地下で放浪を続けていたとされる」

「ならば、我々が直に動く必要がある相手に、格上げすべきか。カテゴリーSSSの相手がウタジということに?」


 ヴァラキアの言葉に、皆が頷く。

 モモル・ヴェルゲーノは、


「しかし、ここからはるか西方のゼルビア山脈での反応。ウタジたちも迷宮に留まらず動くと思います。その動きに合わせての追跡は、不可能ではないですが、厳しいですよ」

「ふむ。すでにケヒハラに、タチガレスを含め、五十人以上は倒されている」


 猛将と渾名されるドキビルが、苦々しくその名を口にした。 ケヒハラたちは彼の直属ではないが、主のために働いていた者たちだ。その報告に、モモルたちも表情を硬くした。


 長杖を持つエルミナが、


「ケンダーヴァル様、崩壊している旧【セントライン王国】の廃れた都市には、幾つか所有が空いている魔塔がございます。そこの魔塔の中には依然として開いたままの【幻瞑暗黒回廊】がありますから、それを利用すれば、西のゼルビア山脈までの移動は楽です。しかし、軍団規模での追跡となりますと、他の勢力に目を付けられることは必定ですからね」


 ドキビルは、


「ならば、我が直々に移動し、狩ってくれる!」


 拳を握りしめて発言。

 ドキビルは元、四眼四腕のデクルゼ族。

 ケンダーヴァルによって、魔神ゲサファルトの片腕と左肺と臓腑の一部の魔手術を受けて、強化を施された大眷属となっている。

 隣のエルミナが眉毛を釣り上げ、


「お待ちになって、ドキビル。私たちは追跡プランを提案したけど、目的はウタジの回収よ。それに、ここも今は色々と忙しいんだから」


 やんわりとそれを制した。


「ふむ、上界、下界、常にわしの部下が目を光らせている」

「常に? 【血銀昆虫の街】の権益は【天凛の月】にすべてを奪われたけど?」


 モモルの発言にドキビルの四つの目の内、二つが見開き、苛立ちを現しにして、


「おい、ケンダーヴァル様も許可を出した【白鯨の血長耳】と【天凛の月】たちの活動の邪魔をしろと? だいたい、お前たちも槍使いの実力は見ただろうに、そして、その槍使いとあのレザライサの【血月布武】の躍動だ……そんなところにわざわざ介入とは、己の命を捨てるようなもの」


 声を強めながら皆に語る。

 モモル・ヴェルゲーノはその視線と言葉を受け流すように挑発的に豊かな胸を反らせた。やれやれ、と両手を軽く上げてから「……そんなことは分かってるわよ」と言うと、ドキビルは口を動かす前に、モモルは腕を伸ばし、それを封じてから、


「慌てない、ふふ――」


 と背もたれに体重を掛け、ブラジャー装備の乳房を揺らしつつ、両手を上げ、


「武力で介入しろとは言ってない。交渉の余地を残すようにぐらいは動いて欲しかったってだけよ」

「……ハッ、わしにモモルのような機敏さを求められても困る」

「それは……」

「そして、混乱した戦いの場で、ドラアフル商会とフクロラウド大商会の名を出したところでな……そして、お前も分かっているように、単純な武力での行動も【血月布武】の前ではかすむ」

「「……」」


 その言葉に沈黙が流れた。ケンダーヴァルも、


「ふむ、モモル・ヴェルゲーノにエルミナよ、ドキビルを責める必要はない。【闇の枢軸会議】……その中核、【闇の八巨星】の一部は【天凛の月】と【白鯨の血長耳】によって大きく力を削がれたのだ。更に、我らのあの場での、選択も正解だった……」

「はい、現状の塔烈中立都市セナアプアを見れば、『サセルエル夏終闘技祭』以後の結果は……一目瞭然ですわね」


 と、黙っていたダシュルも発言。

 ヴァラキアも、


「はい、【闇の枢軸会議】に所属していた有象無象の闇ギルドと連む上院下院の評議員たちは、【テーバロンテの償い】と共に、地下の秘密通路ごと……まさに……毒沼の汚物を焼き尽くす如く、そのすべてを、【血月布武】によって下界は掃除され尽くされたようですからな。ドキビル殿が、いかに猛将と呼ばれていようとも、さすがに……バルミュグの【魔の扉】ごと魔界王子テーバロンテが魔界から消えるとは考えもしなかったはずです」

「「「……」」」


 ケンダーヴァルの大眷属たちは頷き、


「混沌の源、槍使い。その【天凛の月】は【白鯨の血長耳】だけではない。【魔術総武会】と繋がっており、有力な上院評議員をも己の眷族にした。だからこそ、ドキビルの現状の対応は、限りなく正解に近いのだ」

「「……」」

「主……ありがとうございます」


 ケンダーヴァルは頷いた。ドキビルは笑顔を見せる。

 モモル・ヴェルゲーノは、


「そうね、下界の荒れ模様は、凄まじいモノがあったし、だからこそドキビルは、塔烈中立都市セナアプアに居てもらわないと困る。この魔塔がある上界だって微妙なバランスの上に成立しているんだから」


 ドキビルは、二人に、


「グランドストラテジーは、ネドーの一件以来、変化し続けている。その対応は、お前たちも同じはずだ」


 ケンダーヴァルはモモルたちに頷き、もう少し詳しく上界と下界のことを話すように指先を数回動かす。

 大眷属たちは、そのケンダーヴァルの動きから、氣持ちを読み、頷いた。


「……うん」

「そうねぇ、評議員たちの所有する浮遊島と、それに伴う様々な権益に、評議宿に魔法学院も様変わりに近いから、対処に大変よ」

「そう! 【魔術総武会】が絡む【幻瞑暗黒回廊】の所有者も変化しているし、しかも闇神リヴォグラフ側の【異形のヴォッファン】の動きが強くなった」


 エルミナはモモルの言葉に頷いて、


「はい、【幻瞑暗黒回廊】の中で【魔術総武会】の大魔術師たちと激戦が今も繰り広げられている。この流れは暫く変わりそうにないですね。その影響で、【幻瞑暗黒回廊】の出入り口を有した魔塔は、どの世界でも、かなり危険です。突如として消える魔塔が続出、評議員が所有する魔法学院では魔法ギルドに左右されず、独自に【幻瞑暗黒回廊】を封じる流れが加速している」

「「……」」


 ケンダーヴァルは、


「……うむ。ドキビルはこの魔塔を含めた守りを、エルミナとモモルの持つ組織網と連携を強めてもらおう。各浮遊島の管理に、評議員が所有する魔法学院と空魔法士隊の監視に加え、【天凛の月】と【白鯨の血長耳】の動向にも氣を配る必要がある」

「「「……」」」

「はい」

 

 モモル・ヴェルゲーノ、エルミナは沈黙し、ドキビルは了承するように返事をして、ヴァラキアは頷く。続けて、闘氣のモモル・ヴェルゲーノが、


「ケンダーヴァル様、それでも、遠いエイハブラのゼルビア山脈にいるウタジたちへの追跡を行うのですか?」

「そうだ」

「……分かりました」


 長杖を持つエルミナが、


「遠くとも、案を提示し続けるのが私たちの役目……」

「うん……では、〝シャンドラの極大転移陣〟の使用のプランは?」

「そうですわね……そのプランもあります。軍団規模でエイハブラ平原と【エイハーン王国】の王都グノーシスに送り込めます」


 エルミナとモモル・ヴェルゲーノの言葉にケンダーヴァルたちは思案げの表情を浮かべた。エルミナは話を続け、


「また、大型飛空戦船ウルフファーは、現在ご存じのように、使えません。古のソサリー種族の魔力豪商オプティマスと、聖櫃(アーク)の〝極魔核ストライダー〟と〝キャッスル秘霊水珠〟など、多数の取り引きが控えていますので」

「ふむ」


 モモル・ヴェルゲーノは、


「追跡ですが、ウタジとケンダーヴァル様の〝血妙魔・十二指血始祖剛臓エピズマ・オリジナルズ〟の一部と共鳴した、アケミの迷宮核の方も氣になります」


 エルミナがモモルの言葉に、長杖を軽く床に打ち付け、カツン、と乾いた音を響かせる。その杖の先端から光が放たれる。


「そうですわね、あの迷宮核と、迷宮そのものも異質かと。旧時代の魔術体系とは異なる理で構成されているように見えます。ウタジの、〝血妙魔・十二指血始祖剛臓エピズマ・オリジナルズ〟の起因による物ならば、追跡は簡単です。そして、アケミの迷宮核も、ケンダーヴァル様が入手されたら、その知識は深淵に至るでしょう」


 ケンダーヴァルは満足げに頷いた。


「アケミが管理している迷宮核を調べる必要があるが……現状は、オプティマスとの取り引きのほうが重要だ。後回しとなる。また大本のウタジの〝血妙魔〟が……どの程度、ウタジと融合しているのか、それを見極める必要があるだろう……」

「はい……そして、もう現れては来ないようですが、黒き環(ザララープ)を越えてきたとされるソレグレン派の<血魔力>を扱う連中は予想を超えてきますからね」


 ダシュルの言葉にケンダーヴァルは頷き、


「そうだ、できれば……生きたまま確保を狙いたい」


 と発言し、鋭い視線をヴァラキアに向けた。


「ヴァラキア」


 と呼びかける。そこにいるヴァラキアが立ち上がった。

 見た目は端正な顔立ちをした男性だが、内実は異形の能力を有している。ケンダーヴァルの秘術と秘宝によって歪な進化を遂げた、彼の力の代理行使者。その瞳は冷たく、世界の理を見通すかのようだ。そのヴァラキアは「我が主……」と、恭しく頭を垂れた。


 ケンダーヴァルは、両手を組みながら、


「ヴァラキアよ、アケミの迷宮へ向かえ」


 ケンダーヴァルの声には、絶対的な支配者の冷徹さが宿る。


「ウタジを確保し、ミレイを排除せよ。そして、迷宮核を奪取しようか。道中の邪魔をする者は、地上も地下も関係なく容赦なく排除しろ。戦神ヴァイスの戦神教、水神アクレシスの水教団、吸血神ルグナドの諸勢力、人族のエイハーン国の軍隊、冒険者、ドラゴン、闇神リヴォグラフの眷属や、悪神デサロビアの眷族に、亜神ゲロナス、荒神ゲシュミュルなど、すべてを蹴散らせ、奴らに我が力の片鱗を見せつけてやるがいい」


 ヴァラキアの顔に、愉悦に歪んだ笑みが浮かんだ。

 主の偉大なる計画の一部を担える歓びと、異質な力を行使できる興奮が全身を駆け巡る。


「フフ、御意に、我が主ケンダーヴァル様。このヴァラキア……必ずや期待に応えてご覧にいれましょう。旧時代の残滓ども、そして主が目を付けられた獲物……その、すべてを回収し、コレクションに加えて見せましょう」


 ヴァラキアは再び空間に溶け込み、その場から消え去った。

 残された大眷属たちは、主の命令の遂行を見守るべく、静かに佇んでいた。

 根源の柱間を満たす魔力は、更に濃密さを増していく。地下深くの岩巨人たちに繋がれた鎖が、再び不氣味な光を明滅させた。


◇◆◇◆


 アケミの迷宮へ向かう前に、ヴァラキアはケンダーヴァルの指示通り、パイロン家の拠点の一角に立ち寄った。

 かつて吸血神ルグナドの十二氏族として栄華を誇ったこの家も、今やケンダーヴァルの力に屈服し、その支配下にある。


 ヴァラキアを迎えたのは、パイロン家の現<筆頭従者長>イサシュと、<筆頭従者>のエリザベスだった。

 二人の高祖級吸血鬼(ヴァンパイア)は、紳士スタイルのヴァラキアの背後に、その紳士服と粘着質な物質と繊維で繋がっている大柄の外骨格の異形を見ては、その底知れぬ魔力の前に、恭順の姿勢を示して深く頭を垂れる。


 ――その異形は、まるで生きた悪夢のようだった。

 紳士服から伸びる無数の黒い繊維が、巨大な蜘蛛の巣のように空間を侵食し、その先端には骨と肉が混在した触手が蠢いている。時折、触手の表面に無数の瞳が開いては閉じ、見る者の正気を蝕むような視線を放つ。


 ヴァラキアは、二人の目に宿る恐怖と屈辱の色を見逃さなかった。

 それを更に抉ることに愉悦を感じるヴァラキアは、


「我が主の命令、滞りなく進んでいるだろうな?」


 ヴァラキアの声は冷たく、詰問に近い響きを持つ。

 その声と共に、彼の周囲の空間が微かに歪み、<魂圧・恐慌の波紋>が放たれる。見えない重圧が二人の吸血鬼を押し潰すように襲い、彼らの膝が震え始めた。


「はい、多数の<従者>を用意しています」

「ふむ、怠慢があれば、お前たちの存在そのものを、このヴァラキアが根源から歪めてくれる」


 <筆頭従者長>イサシュは震えながら、


「め、滅相もございません、ヴァラキア様。手筈は万全に……」


 逆らえぬ……この男だけではない、ケンダーヴァルの前では、我ら高祖の誇りすら塵芥に等しい……! パイロン家の先代の女帝は……と屈辱に奥歯を噛みしめるイサシュ。


 その思考を嘲笑うかのように、ヴァラキアは鼻を鳴らし、


「フン、無能が、貴様らの怯えは、血が腐りきっている証拠だ。我が主の力に触れれば、その血も魂も、より有効に利用できるというのに。それとも、元<筆頭従者長>ヴィオレッタと、その妹<筆頭従者>ルクレツィアのようになりたいか?」


 ヴァラキアはエリザベスの顎を掴み、侮蔑的な視線でその美貌を見つめた。


「貴様もだ、エリザベス。その程度の力で高祖の名を汚すな。大人しく主の駒となっていれば良いものを」


 ヴァラキアの指先から、<歪曲侵蝕・存在改竄の指>が発動する。

 空間がわずかに歪むような異質な魔力が漏れ出し、エリザベスの頬に触れた瞬間、彼女の美しい肌が一瞬、醜く捻じれた。まるで内側から何かが這い回るように、肌の下で筋肉が勝手に動き、骨格が軋む音が響く。

 

 エリザベスは悲鳴を押し殺し、屈辱に顔を歪ませるが、ヴァラキアの圧倒的な力の前には抗う術を持たない。

 

「ああっ……!」

「フフ、これはほんの挨拶だ。我が主の<血妙魔・十二指血始祖剛臓>に比べれば、児戯に等しい」


 ヴァラキアが指を離すと、エリザベスの顔は元に戻ったが、恐怖で全身が震えていた。

 パイロン家は、完全にケンダーヴァルの掌中にあるのだ。


 ヴァラキアは彼らの無能さと屈従を嘲笑いながら、まるで床に落ちた汚物でも払うかのように、いくつかの簡単な指示を吐き捨てる。

 <筆頭従者長>イサシュは、すぐに消え、大量の<従者>を連れて現れると、ヴァラキアは、


「数はたしかだ、よくやった――ケンダーヴァル様も満足するだろう」


 そう言いながら、ヴァラキアは両手を広げた。

 背後の異形が更に巨大化し、天井に届くほどの高さまで膨れ上がる。無数の触手が鎌首をもたげ、その先端から血のような赤い光が漏れ始めた。


「――<血魂血臓・禁断収蔵聖域・魂縛ノ血書庫>」


 ヴァラキアの足下に、血の魔法陣が展開される。

 それは単なる円ではなく、無数の古代文字と歪んだ幾何学模様が絡み合い、まるで生きているかのように脈動していた。

 魔法陣から立ち上る血の霧が、巨大な図書館の幻影を形成する。本棚には無数の血で書かれた書物が並び、天井からは鎖で繋がれた繭のようなものがぶら下がっている。


「「「え!?」」」

「「うあぁぁ」」


 パイロン家の吸血鬼(ヴァンパイア)たちは、その異空間に吸い込まれていく。

 最初は足から、まるで底なし沼に沈むように。彼らが必死に抵抗しようとしても、血の触手が彼らの四肢に絡みつき、引きずり込んでいく。


「助けて……!」

「いやだ、いやだぁぁぁ!」


 悲鳴を上げる吸血鬼たちに、異形の眷族たちが群がる。

 それは本のページから這い出てきた、文字と血肉が混ざり合った怪物たちだった。彼らは吸血鬼たちを包み込み、その体を徐々に紙片へと変換していく。


 皮膚が羊皮紙のように薄くなり、血管が文字の羅列に変わる。骨は本の背表紙となり、魂は血のインクとなって、新たな禁書の一部と化していく。

 最後に残った彼らの意識は、永遠に本の中で囚われ、ヴァラキアの力の一部として利用されることになる。


 <筆頭従者長>イサシュと<筆頭従者>エリザベスは、ただ呆然と、その地獄絵図を見ているしかなかった。

 同胞たちが次々と本へと変えられ、血の図書館へと吸い込まれていく様は、まさに悪夢そのものだった。


 ヴァラキアは満足げに、変化を遂げた血の書物の一冊を手に取る。

 ページをめくると、そこには先ほどまで生きていた吸血鬼の顔が浮かび上がり、無言の絶叫を上げていた。


「フフフ、良い標本だ。ケンダーヴァル様の研究に役立つだろう」


 ヴァラキアは愉悦に満ちた顔色で、「ではな、次は貴様らの番かもしれんぞ」と言うとパイロン家の拠点を後にした。

 

 残された二人は、ヴァラキアの悪意に満ちた背中を、憎悪と恐怖の混じった視線で見送るしかなかった。

 床には、取り込まれなかった吸血鬼たちの衣服の切れ端と、血の痕跡だけが残されていた。

 

 逆らえば待つのは存在の歪曲、魂の隷属……いや、それ以上に恐ろしい、本としての永遠の幽閉。

 ケンダーヴァルの秘術の実験台となる運命だけだと、彼女たちは、嫌というほど理解していた。


 ◇◆◇◆

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