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 男は周囲を一通り歩き回ると、ある場所で立ち止まった。

 耳をすますと、内から外へ向かって風が吹く音がかすかに聞こえる。複雑に絡まりあっている蔦を払い除けると、果たしてそこに洞窟の入口が現れた。

 男は小さく笑みを浮かべ、ためらうことなく洞窟の中へと足を踏み入れた。


 中の空気はひんやりとしていて心地よい。

 天井の所々に小さな穴が開いており、そこから日の光が入ってくる。おかげで普通に歩ける程度には明るい。

 男の足音が静かな洞窟に響く。それを聞いて、天井に止まっていたコウモリたちがキィキィと鳴いた。


 しばらく歩くと広い空間に出た。

 横には地底湖がある。なみなみと湛えられた水は、差し込む日光を反射して青く輝いていた。

 天井からはつらら状の石灰石が無数に垂れ下がっている。周りにある岩の形も奇妙に波打っていた。どうやらここは鍾乳洞のようだ。

 男は辺りを一通り見回したが、動くものを見つけることはできなかった。彼は小さくため息をつくと、周囲を探索し始めた。

 数分後、彼は洞窟の奥の方へつながっているであろう通路を見つけた。しかし、その道の中央に何やら妙な物がある。


 それはどうやら石灰岩のようだったが、少しばかり特徴的だった。

 よく見ると座り込んだ人のような形をしている。道を塞ぐようにしていることもあって、男はそれがまるで番人であるかのような印象を受けた。

 彼が何気なくそれに手を伸ばした瞬間、ピシリと鋭い音を立てて岩に亀裂が入った。

 男がとっさに飛び退いて距離をとる。

 コーティングされた石灰岩が剥がれていき、その中身が姿を現した。


 岩の中から出てきたのは猿のような生き物だった。

 全身は黒い体毛に覆われており、頭髪は特に長い。余分な肉が付いていないしなやかな体だ。腕は人のそれと比べて二倍ほどの長さがある。

 長い間岩の中に居たせいか、顔は青白い。瞳孔の開ききった目がぎょろりと男の方を見た。


 「見つけたぞ」


 男は低い声で呟くと、ゆっくりと左腕を上げて大猿を指差した。


 「お前を殺しに来た」


 彼が二言目を発した瞬間だった。

 突然大猿の腕が伸びて、男の真横にあった岩を打ち砕いた。

 無数の破片が飛び散り、無防備な体に襲い掛かる。男はそれを避けようとしなかった。

 小さな欠片は分厚い筋肉に弾かれ地面に落ちたが、一つだけ大きな破片が彼の左腕に深々と突き刺さる。鋭く尖ったそれは肉を裂き、骨を砕いて向こう側へと貫通した。

 男は全く動じることなく、猿を睨み付ける。


 「そうかそうか、信じられんか」


 彼は腕に刺さった石片を無造作に引き抜き、脇へと放り投げた。

 腕にはぽっかりと大きな穴が開いている。しかし、すぐに変化が起こる。

 傷がみるみる内に塞がり始めた。

 洞窟内に肉が再生する湿った音と、骨が伸びる乾いた音が反響する。

 グロテスクな演奏が終わった時には、男の左腕はすっかり元通りになっていた。


 「安心せよ。人間など、とうの昔にやめている」


 その一言を皮切りにして、戦いの火蓋は切って落とされた。

 大猿の右腕が瞬時に伸びる。明らかに元の長さの倍以上になっていた。

 不意打ちならばまだしも、すでに男はそれを一度見ている。身をわずかにそらして攻撃をかわし、地面を蹴って前へと飛び出した。

 そのまま大猿の懐へと潜り込む。勢いを殺さず、左の拳で腹に一撃。

 手応えはあったが、十分ではない。そう判断した男が右腕を振りかぶる。

 しかしその前に大猿が、男のパンチの勢いを利用して横へと跳び跳ねた。再び両者の間合いが開く。

 距離があるならば、リーチに勝る大猿のほうが有利である。


 再び大猿が右腕を伸ばす。

 全く代わり映えのしない攻撃に、男は呆れたような声を漏らした。

 当然あっさりとかわす。先程と同じように距離を詰め、左手で殴り付ける。

 しかし男の一撃は空を切った。

 予想外の事態に彼の動きが一瞬止まるが、すぐに我に返り横へと飛び退く。

 激しい音とともに、衝撃が地面を走る。一瞬前に男が立っていた位置に、小さなクレーターが出来ていた。


 男が上へと視線を移す。大猿は天井に張り付いていた。

 攻撃すると同時に左腕を伸ばし、頭上の鍾乳石を掴んでいたのだ。

 男は小さく舌打ちをした。

 大猿は男のリーチの外に居座ったまま、一方的に攻撃を加え続けた。

 男はいったん離れようと試みるが、石のつららを伝って移動する大猿は存外に素早い。

 足元に転がる石ころを投げつけるが、軽々とかわされてしまう。

 猿の伸縮自在の腕による猛攻で、徐々に男は追い詰められていった。 


 男はいかにして猿を引きずり下ろすか考えていた。

 ある一つの策が浮かぶ。

 猿は最初、あの通路を守るように座り込んでいた。あそこを通ろうとすれば、飛び降りてでも阻止してくるのではないか。

 あくまで可能性でしかないが、試す価値はあると彼は思った。

 もし猿が通路に興味を示さなかったとしても、問題はない。

 狭い通路の中では動きが制限される。開けているここで戦うよりも、向こうに誘い込んだほうが幾分かはやり易いはずだ。

 大猿の攻撃をかわしながら、徐々に通路の方へ移動する。

 ある程度近付いたのを見計らうと、男は大猿に背を向け、通路へと走った。


 事はおおむね彼の予想通りに進んだ。

 男が通路に走ると、大猿はそれを止めようと天井から下りてきた。

 しかし、ただ一つだけ想定外の事があった。大猿の反応が素早すぎたのだ。

 猿は男が向かう先を見るや否や、リミッターが外れたかのような動きで移動し、彼の前に立ち塞がった。

 男が反射的に足を止める。猿はその隙を逃さない。

 伸ばされた腕は男の腹に直撃し、そのまま彼を壁に叩き付けた。

 確かな手応え、致命の一撃。

 背後の壁によって逃げ場を失ったエネルギーは、男の体中を暴れ回り、蹂躙し尽くした。

 勝利を確信した大猿は、高い声を上げた。


 「分からんなあ、分からんなあ。なぜそこまでして拒むのか」


 大猿が驚愕したように目を見開く。

 土煙が晴れると、そこには男が二本足で立っていた。

 全身のいたるところから血が吹き出している。しかし、男の目は未だに強い光を宿していた。


 「気になって仕方がない。そこをどけ」


 大猿はその要求に対して、耳をつんざくような悲鳴で答えた。

 片や満身創痍、片やほぼ無傷。どちらが優勢なのかは目に見えて明らかである。

 にも関わらず、大猿は男に気圧されつつあった。


 「聞く耳持たずか。なるほど」


 おもむろに男が右腕を振り上げる。


 「はあッ!!」


 男が気迫を発すると、それに応じて右腕から角が生えた。

 拳から突き出るように現れたそれは、鋭利にして強靭。およそ貫けぬ物など無さそうである。

 腕の動きとともに角の表面が波打ち、波紋が広がる。


 「しからば貴様の首をば取りて、あの世へ送ってくれようぞ」


 男は深紅に輝く角を大猿に突き付け、そう宣言した。


 止めを刺そうと、大猿が左腕を伸ばす。

 男はその場を動かず。右腕を振りかぶり、それを真正面から切り捨てた。

 本体から切り離された腕が、赤いしぶきを上げて宙を舞う。

 たった一振りで形勢は逆転。

 しかし、意外にも大猿は冷静だった。その双眼はじっと男を見据えている。


 大猿の右腕が急激に膨らみ始めた。毛皮の上からでも、血管が大きく脈打っているのが見て取れる。

 数秒後、そこには異常に肥大化した右腕があった。

 大猿がそれを振りかぶる。男も応じて右腕を構える。

 お互いの渾身の一撃が空中でぶつかり合った。

 角が大猿の拳を貫き、粉砕する。

 膨れ上がった血の風船がはじけ、男の全身を真っ赤に染めた。


 顔にかかった血を手で拭い、男は大猿を見た。

 すでに大猿は立つことすらままならなくなっていた。

 全身の血液を右腕に集め、叩きつける。自殺行為とも言える大技を破られた大猿にもはや一欠片の力も残っていない。

 放っておいてもじきに死ぬだろう。

 男は大猿に近付き、右腕を振り下ろした。

 首が胴から離れて落ちる。すでに抜けきっていたせいか、血はほとんど流れなかった。


 大猿が命を賭して守ろうとした場所に、男は足を踏み入れていた。

 突き当たりは小さな部屋のようになっている。何かが壁にもたれかかっているのが見えた。

 全体が苔むしていて、崩れている箇所も多い。一見なんなのか判別しにくい。

 しかし、男はすぐにそれが白骨だと悟った。

 近付こうとして、男は硬い何かを踏みつけた。

 赤茶けた、半円状の物体。彼は拾い上げたそれをしばらく眺め続けていた。

 

 

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