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 鬼が炎の中から現れた。

 二メートル近い巨体は一歩踏み出すごとに大地を揺るがす。

 全身を覆う甲殻は真っ赤に焼けている。岩石、金属、動物や植物、ありとあらゆるものが溶け固まってできた鎧は、赤鬼のシルエットをより禍々しいものに見せていた。

 数多の命を溶かし込んだそれは、鬼にとって身を守る甲冑であるとともに、敵を焼き尽くす武器でもあった。

 その顔面も赤い甲殻で覆われている。深く落ち窪んだ眼窟は底が知れず、大きく裂けた口から覗くのは巨大な牙。まさしく悪鬼の如き形相である。

 

 赤鬼はユニコーンを一瞥し、その上に何かが乗っているのを見ると、少しの間立ち止まった。

 しかしそれも束の間、すぐに目線をユニコーンに戻し、再び歩みを進めた。


 赤鬼と対峙するのは純白の一角獣。鬼の放つ圧倒的な威圧感にも動じることなく前へと進む。

 上に跨がる青年が何やら叫んでいる。これ以上進むのを止めようとしているようだ。

 ユニコーンがそれを強引に振り落とす。抵抗むなしく地面に叩きつけられた青年は、力なくうめき声を上げた。


 もはや誰にもこの二体を止めることはできない。

 赤鬼とユニコーンはある程度まで歩み寄ると、お互いに示し合わせたかのように止まった。

 双方の視線が交差する。赤鬼の目は見えないが、ユニコーンのそれにはこれ以上無いほど明確な殺意が映し出されていた。

 たとえ物心ついたばかりの幼子であろうと、これから何が起こるのかは容易に予想することができるだろう。

 青年が立ち上がろうとするが、膝から下が存在しない足では立ち上がることは適わない。

 地面に這いつくばりながら喉が裂けんばかりに叫んでいるが、それがユニコーンの耳に届くことはない。


 ユニコーンが身をかがめ、白銀に輝く角を赤鬼に向けて構える。

 赤鬼もそれに応じて両の腕を左右に広げた。大気の流れとともに陽炎が揺らめく。

 辺りを取り巻く火炎がごうと音を立て、いっそう大きく燃え上がった。

 殺気が混じった空気が重圧を伴って青年を押し潰す。いつしか彼は声を出すことをやめていた。

 聞こえるのは二体と一人の息遣いのみ。炎が激しい音を立てて燃え盛っていたが、やがてそれも青年には聞こえなくなる。

 彼らの周りだけ、まるで世界から切り離されたかのように静まり返っていた。 

 青年は呼吸をすることさえ忘れ、瞬きひとつせず二体の挙動に見いっていた。


 先に仕掛けたのはユニコーンだった。

 蹄が深く地面をえぐる。大地を踏み込むことで得られた力は、全身の筋肉によって増幅され、爆発的なパワーを生んだ。

 輝く軌跡を残して標的まで一直線に進む。その姿はさながら弓から放たれた矢の如し。

 数メートルの距離を一瞬にして詰め、敵の懐へと到達する。

 白い閃光が鬼の胸を貫いた。


 しばしの沈黙。実際にはほんの数秒しか経っていなかったが、青年にとってその時間は永遠のようにも思えた。

 二体はお互い微動だにしない。

 ユニコーンの角が鬼の心臓を貫いたのだ。敵は死にあいつは生き延びたのだ。

 そう思った青年が歓喜の声を上げたその時。


 赤鬼がその両腕でユニコーンを抱きしめた。

 無数の火柱が白い体から生えるように上がった。


 燃える、燃える。

 白が赤になり、肉が火になり、灰が風になり、生が死になる。

 炎が消えたとき、そこにユニコーンはいなかった。

 輝きを失った角だけが、赤鬼の胸に残っていた。


 「オオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 赤鬼が天を仰いで咆哮する。

 周囲の炎がその叫びに呼応するように揺れた。

 赤鬼の全身から白煙が立ち上る。

 しばらくの間、鬼は咆哮し続けた。


 「殺してやる」


 大音量の雄叫びの前ではかき消えてしまうような、かすかな声。

 しかしそのつぶやきが発せられた瞬間、鬼の声はぴたりとやんだ。

 空気の壁を通しても、はっきりと伝わる殺気。その先には立ち上がった男がいた。


 男は赤鬼に向かって、一歩一歩確実に近づいて行く。その足取りに迷いはない。

 その間、赤鬼は一切動くことなく、ただ迫り来る彼を見つめていた。

 男が赤鬼の目の前にたどり着く。

 頭二つ分ほどの身長差。彼も決して小さい方ではないが、これではまるで大人と子供である。しかし男に怖じ気づくような素振りは全く見られない。


 男の右手が、赤鬼の胸に突き刺さったままの角に伸ばされ、それを掴んだ。

 高温に熱せられた角が彼の手のひらを焼く。

 赤鬼はまだ動かない。

 このまま角を押し込んでしまえば、心臓を貫けるかもしれない。今ここでユニコーンの仇を討てるかもしれない。

 そんな甘い考えが男の頭をよぎる。

 しかし、彼は掴んだ角を押し込むことはせず、逆に引き抜いた。

 分厚い胸から流れた血潮が、焼けた甲殻にあたって赤い霧になる。

 赤鬼はいまだ動かず。ごつごつとした顔からは蒸気が上がっている。


 「殺してやる」


 ユニコーンの形見を強く握りしめながら、男が言葉を発した。

 瞳からあふれた涙が、彼の頬を止めどなくつたう。


 「待ってろよ、必ず殺してやる。絶対に殺してやるよ」


 いつしか雨が降り始めていた。

 赤鬼の体に落ちた雨が、白い霧になって辺りを包む。

 霧が晴れた時、赤鬼の姿はどこにもなかった。

 


 

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