王都中編 7
レオは窓から少しだけ顔を覗かせ、外の様子を確認する。
「……三人いる」
「三人?」
ミアが小さな声で聞き返した。
「ああ。さっきからこっちを窺ってる。偶然通りかかったって感じじゃないな」
その言葉に、ラズの顔が強張った。
「もしかして……」
先ほどまで話していたことを考えれば、ラズが何を想像したのかはルナにも分かった。
「でも、どうするつもりなんだろう」
ルナも窓の方を見る。
「こんな昼間に、町の中で何かするとは思えないけど……」
「普通ならな」
レオもそう答えた、そのときだった。
——ガチャ、ガチャ。
玄関の方から、扉を探るような音が聞こえた。
「……え?」
ルナが息を呑む。
レオの表情が変わった。
「入ってくる気だ」
すぐに三人を振り返る。
「俺が二階に引きつける。三人は台所に隠れて、合図したら裏から逃げろ」
「レオ一人で?」
「時間を稼ぐだけだ。外に誰か残るかもしれないから、絶対に先に出るな」
そう言うと、今度はミアを見る。
「二人を頼む」
「……分かった」
ルナもラズの手を取った。
「行こう」
四人が動き出した直後、玄関から鈍い音が響いた。
——ドンッ。
扉が大きく揺れる。
「早く!」
レオに促され、ルナたちは急いで台所へ向かった。
レオはそのまま階段を駆け上がっていく。
もう一度、玄関から大きな音がした。
そして三度目——何かが壊れる音が響いた。
ルナはラズの手を握ったまま、息を潜める。
隣ではミアが裏口を気にしながら、じっと耳を澄ませていた。
やがて、床を踏む音が聞こえた。
一人ではない。
男たちが家の中に入ってきたのだ。
「二階か?」
「探せ」
低い声が聞こえる。
その直後、二階から大きな物音がした。
レオだ。
「上だ!」
男の声が響き、階段を駆け上がる足音が続く。
ルナはラズの手を握ったまま、じっと待った。
やがて二階から剣がぶつかる音が聞こえ始める。
そして——。
「二人しか来てない!」
レオの声が響いた。
「一人足りない! 気をつけろ!」
その声に、ミアがすぐに裏口に目を向けた。
「ルナ、ラズ。ちょっと下がって」
二人を後ろに下がらせると、ミアは扉の横に立つ。
外から、かすかに足音が聞こえた。
やはり誰かいる。
ミアは一度ルナを見ると、扉に手をかけた。
次の瞬間——勢いよく扉を開ける。
「ぐっ!」
扉のすぐ外にいた男にぶつかり、鈍い音がした。
「今!」
「ラズ、行こう!」
ルナはラズの手を引き、開いた扉から外に飛び出した。
ミアも続こうとしたが、体勢を立て直した男がその腕を掴む。
「待て!」
「っ!」
「ミア!」
ルナが振り返る。
「大丈夫! 先に行って!」
ミアは掴まれた腕を無理に引こうとはしなかった。
カレンから教えられたことを思い出すように、相手の手の向きに合わせて身体を動かす。
「なっ——」
男の力が緩んだ瞬間、その手から腕を抜いた。
勢い余った男が大きく体勢を崩す。
「ミア!」
「平気! 走って!」
ミアもすぐにルナたちのところに走ってくる。
三人はそのまま市場の方に向かおうとした。
しかし、背後から荒い足音が聞こえる。
「待ちやがれ!」
背後から男の声が飛んでくる。
「早く!」
ミアが叫ぶ。
ルナはラズの手を引いて走ろうとする。
背後から迫る足音に、ラズが思わず振り返った。
「ラズ、早く!」
けれど、迫ってくる男の姿を見た瞬間、ラズの足が止まった。
街道で襲われたときのことを思い出したのか、その顔が強張る。
「来ないで!」
ラズが咄嗟に男に向けて手を伸ばす。
その瞬間、男の目の前の地面に炎が噴き上がった。
「えっ……」
驚いた声を上げたのは、ラズ自身だった。
「ラズ!」
ルナも思わず声を上げる。
炎は男との間を遮るように大きく燃え上がった。
追ってきていた男も驚き、慌てて足を止める。
けれど、ラズは炎を見つめたまま動かない。
「どうしよう……」
その声が震える。
「消えない……!」
ラズが慌てて手を下ろしても、炎はすぐには消えなかった。
むしろ大きく揺らめき、勢いよく燃え続けている。
「ラズ、動くな!」
そのとき、聞き覚えのある声が飛んできた。
直後、マシューが駆け寄ってくる。
燃え上がる炎に片手を向けると、その周囲を覆うように魔力を広げた。
炎が大きく揺らぐ。
やがて勢いが弱まり、そのまま小さくなって消えていった。
「……消えた」
ラズが呆然と呟く。
「何をした?」
マシューに聞かれ、ラズはまだ炎があった場所を見つめながら答えた。
「いつもの『ファイア』と同じように火を出そうとしたんだ。でも、あの人を止めたくて、いつもより強くしようとしたら……」
「いつもの『ファイア』って、生活魔法のか?」
「うん」
「火属性の魔法は?」
「使ったことない……」
「誰かに教わったことは?」
「ない」
マシューはそれを聞くと、納得したように頷いた。
「分かった。今はもう使うな。話はあとだ」
そう言って、ラズを自分の後ろへ下がらせた。
「マシュー!」
ルナが声のした方を見る。
リアムやディオン、数人の騎士も駆けてくる。
追ってきていた男は逃げようとしたが、すぐに騎士たちに取り押さえられた。
「ルナ、みんな無事?」
リアムの声に、ルナははっとする。
「リアム!」
ほっとしたのも一瞬だった。
「レオがまだ中にいるの!」
ルナは家を振り返る。
「男が二人いて、レオが一人で——」
最後まで聞くより早く、リアムの表情が変わった。
「分かった」
短く答えると、リアムはすぐに家に向かって走り出した。
「リアム!」
後ろからディオンの声が飛んでくる。
「レオを見てくる!」
「分かった。気をつけろ!」
リアムはそのまま壊れた扉から家の中へ飛び込んだ。
◇◇◇
中に入ると、すぐに剣がぶつかる音が聞こえた。
リアムが音のする方に向かうと、一階でレオが男と剣を交えている。
床には倒れた椅子が転がり、階段の途中にはもう一人の男が倒れていた。
「レオ!」
リアムが呼びかける。
レオはこちらを振り返ることなく、振り下ろされた剣を受け流した。
リアムもすぐに加勢しようと手を上げる。
だが、その直後、レオが相手の剣を大きく弾いた。
「くそっ!」
男が体勢を立て直し、もう一度剣を振るう。
レオは身体をずらしてそれをかわすと、一気に距離を詰めた。
相手の腕を狙って剣を打ち込む。
「ぐっ!」
男の手から剣が落ちた。
間を置かず、レオは男の身体を蹴って床に倒す。
「動くな」
剣先を向けられ、男は顔を歪めたまま動きを止めた。
そこでようやく、リアムは上げていた手を下ろす。
「……ずいぶん上手くなったね」
「来たなら手伝えよ」
「手伝おうとしたよ。でも、その前に終わったから」
「そうかよ」
レオが呆れたように答えた、そのときだった。
階段の方から、かすかな物音が聞こえた。
二人がほぼ同時にそちらを見る。
先ほどまで倒れていた男が、ゆっくりと身体を起こそうとしていた。
すぐそばに落ちている剣に、その手が伸びる。
「まだ動けるのか!」
レオが剣を構え直す。
だが、そのときにはすでにリアムが片手を向けていた。小さな雷が走る。
「がっ……!」
男の身体が大きく震え、そのまま再び床に倒れた。
レオは倒れた男を確認してから、リアムを見る。
「……助かった」
「今度はちゃんと手伝ったでしょ?」
「ああ」
レオは小さく息を吐いた。
「二人同時は、まだ大変?」
「さすがに二人はきつい。一人倒すまで余裕なかったからな」
「でも、一人は先に倒したんでしょ?」
「まあな」
レオは少しだけ照れくさそうに答えた。
その直後、外から複数の足音が近づいてくる。
入ってきたのは、ディオンが連れてきた騎士たちだった。
「リアム殿下、ご無事ですか」
「うん。こっちは二人。二人とも動けないよ」
騎士たちはすぐに男たちを拘束する。
「外は?」
「団長の指示で、家の周囲を確認しています。今のところ、他に怪しい者は見つかっていません」
「そう」
どうやらディオンは、まだ他にも仲間がいる可能性を考えているらしい。
「ルナたちは? 外にいるんだよな?」
レオが尋ねる。
「うん。マシューも一緒だから大丈夫だよ」
「そうか……」
それを聞いて、レオはようやく安心したように息を吐いた。
「俺たちも外に行こう」
リアムはレオとともに家を出た。
外では、ディオンが戻ってきた騎士から報告を受けていた。
「裏手にも怪しい者はいません」
「周辺は?」
「確認しましたが、それらしい者は見つかっていません」
「分かった。引き続き周囲を見ていてくれ」
ディオンが指示を出している間に、外で捕らえられた男も家の前に連れてこられた。これで三人全員だ。
「レオ!」
家から出てきたレオを見つけると、ルナが真っ先に駆け寄った。
「大丈夫だった?」
「ああ。怪我もない」
「よかった……」
ルナがほっと息を吐く。
ミアもレオの姿を上から下まで確認した。
「本当に平気?」
「平気だって。それより、お前たちこそ大丈夫だったのか?」
「あたしは大丈夫。ちゃんと逃げられたよ」
ミアはそう言って、自分の腕を見る。
「捕まったときも、自分で外せたし」
「おお。ちゃんと役に立ったんだな」
「もちろん」
少し得意そうに胸を張るミアに、レオが笑った。
四人とも大きな怪我はないようだ。
だが、まだ終わったわけではない。
ディオンが拘束された男たちの前に立った。
「誰の指示だ?」
三人は顔を見合わせる。
「……俺たちは、あの子供を探せって言われただけだ」
「誰に?」
男は答えなかった。
ディオンがしばらくその顔を見たあと、静かに尋ねる。
「ベケット伯爵のところからか?」
その名前を聞いた瞬間、男の表情がわずかに変わった。
リアムもそれに気づいた。
しばらく黙っていたが、やがて諦めたように息を吐く。
「……伯爵家の人間から頼まれた」
「ラズを探せと?」
「ああ。見つけたら知らせろって言われてた」
「この家に押し入れとも言われたのか?」
「いや」
男は首を横に振った。
「見つけたら知らせろって言われてただけだ」
「なら、なぜ勝手に押し入った?」
男は少し黙ったあと、吐き捨てるように答えた。
「宿からいなくなったあと、見つけるまでどれだけかかったと思ってる。ここでまた逃げられたら面倒だろ」
「それで命令を無視したのか?」
「中にいるのも、ガキみたいな女二人と若い男一人だった。そいつさえ何とかすれば、子供を連れていけると思ったんだよ」
リアムは思わず眉を寄せた。
「早く見つけろって何度も言われてたんだ。見つけたって報告して、また逃げられるより、そのまま連れて帰った方が早いと思っただけだ」
つまり、この三人はラズを見つけたあと、ベケット伯爵側へ報告することなく、勝手に家に押し入ったらしい。
「それで命令を無視して、家に押し入ったのか」
ディオンの声が低くなる。
家への襲撃そのものがベケット伯爵側の指示だったわけではない。
それでも、これで一つはっきりした。
ベケット伯爵側が、ラズを探していた。
先ほど伯爵邸で聞かれたという「まだ見つからないのか」という言葉も、やはりラズのことだったのだろう。
「こいつらを第二騎士団へ連れていけ。詳しい話はそこで聞く」
「はい」
騎士たちが三人を立たせる。
リアムは連れていかれる男たちを見送ってから、ラズに目を向けた。
「ラズも大丈夫?」
声をかけると、ラズは小さく頷いた。
「うん……」
けれど、すぐにマシューを見る。
「あの……さっきの火、どうして消えなかったの?」
不安そうに尋ねるラズに、マシューは少し考えてから聞き返した。
「お前、火属性の魔法は使ったことがないんだよな?」
「うん。さっきが初めて」
「じゃあ、どうやって火を出した?」
「同じ火だから、『ファイア』と同じようにすればいいと思ったんだけど……違うの?」
「違うな」
マシューははっきり答えた。
「生活魔法の『ファイア』は、火を灯す程度の魔法だ。さっきお前が出したのは、火属性の魔法だ。同じ火でも、扱い方まで同じってわけじゃない」
「そうなんだ……」
ラズは少し驚いたように自分の手を見る。
「使い方を知らないまま、魔力を込めすぎたんだろう。火を出せても、制御の仕方が分からなかったんだ」
「……うん」
ラズは不安そうに自分の手を見る。
「今度、ちゃんと教えてやる」
「本当?」
「ああ。火属性を持ってるなら、使い方は覚えておいた方がいい」
「うん」
ラズは今度はしっかりと頷いた。
リアムは四人を見た。
街道で襲撃に遭ったときとは、ずいぶん違う。
あのときは突然のことに何もできずにいた。
けれど今回は、それぞれが自分にできることをしていた。
もちろん、危険だったことに変わりはない。
もう少し到着が遅れていたら、どうなっていたかも分からない。
それでも、四人がこの王都で過ごしてきた時間は、無駄ではなかったのだろう。
「ラズ?」
ルナの声で、リアムもラズを見る。
ラズは先ほどまでとは違い、何かを考えるように俯いていた。
やがて顔を上げると、リアムとディオンを見る。
「あの……」
「どうした?」
ディオンが尋ねる。
ラズはすぐには答えなかった。
一度ルナたちを見る。
ルナが静かに頷いた。
それを見たラズも、小さく頷き返す。
そして、改めてリアムたちに向き直った。
「二人に、話したいことがあるんだ」
その言葉に、リアムは隣にいるディオンを見る。
「お前の家族が襲われたことについてか?」
ディオンが尋ねると、ラズは頷いた。
「うん」
少し緊張した顔をしている。
それでも、逃げるように目を逸らすことはなかった。
「たぶん……お父さんたちが襲われたことにも、関係してると思う」
リアムとディオンは顔を見合わせた。
街道で保護したあと、詳しいことを話そうとしなかったラズが、ようやく自分の意思で話そうとしている。
リアムは何も急かさず、ラズを見る。
「分かった」
ディオンもラズに向き直る。
「聞かせてくれ」




