王都中編 6
一方、その頃。
第二騎士団の執務室で、ディオンは机いっぱいに広げた資料を見つめていた。
調べているのは、ベケット伯爵についてだった。
昨日捕らえた男の取り調べで、ベケット伯爵との関係を疑わせる反応があった。
もちろん、それだけで伯爵を疑うことはできない。
だが、ヒンス男爵とのつながりもある。
気になったディオンは、これまでの窃盗事件とベケット伯爵との関わりを改めて調べさせていた。
「……ここか」
ディオンは一枚の資料を手に取った。
一連の窃盗事件では、ベケット伯爵側も被害を届け出ている。
伯爵家が所有し、宝石や装飾品の取引に使っている倉庫から、商品が盗まれたことになっていた。
だが、改めて記録を調べてみると、その一部に不自然な点が見つかった。
「この品は?」
ディオンが資料の一か所を指す。
「伯爵家が盗まれたと届け出ているものです」
「仕入れの記録は?」
「それが……確認できませんでした」
騎士は別の資料も差し出した。
「他にもいくつかあります。帳簿上は盗まれたことになっていますが、いつ、どこから仕入れたものなのか分からない品がありました」
「そうか」
記録が残っていないだけという可能性もある。
これだけで被害そのものが偽装だったとは言えない。
それでも、調べるだけの理由は十分にあった。
「引き続き確認してくれ。俺は陛下に報告してくる」
「はい」
ディオンは資料をまとめると、王宮に向かった。
アーサーの執務室に通されると、そこには先客がいた。
「あれ、ディオン兄」
リアムとマシューだった。
「二人とも来てたのか」
「研究の途中経過を報告しにね」
リアムが答える。
「ディオンはどうした?」
「ベケット伯爵について、少し気になることが分かりました」
リアムとマシューがいるのを見て、ディオンは二人にも目を向ける。
「ちょうどいい。二人にも聞いてほしい」
ディオンは持ってきた資料を机の上に広げた。
「一連の窃盗事件では、ベケット伯爵側も被害を届け出ています。ですが、改めて調べたところ、盗まれたとされる品の一部に仕入れの記録がありませんでした」
「記録がない?」
アーサーが資料に目を落とす。
「はい。いつ、どこから仕入れたものなのか確認できない品がいくつかあります」
「それって、本当に盗まれたものなの?」
リアムが尋ねた。
「分からない。単に記録が残っていないだけかもしれないからな。ただ、昨日捕らえた男がベケット伯爵の名前に反応したこともある。一度きちんと調べた方がいいと思っています」
アーサーはしばらく資料を確認してから頷いた。
「分かった。詳しく調べろ。ただし、今の段階ではまだ確かな証拠はない。慎重に進めろ」
「はい。そのつもりです」
ディオンは頷いた。
「念のため、伯爵邸の近くには騎士を二人置いています。今は出入りを見てもらっているだけですが」
「ああ。それでいい」
話が一区切りついたところで、ディオンはリアムとマシューを見る。
「それと、ラズについても気になることが分かった」
「ラズ?」
リアムの表情が変わる。
「ああ。神殿で確認した。あの子には『空間収納』のスキルがある」
「空間収納……」
リアムが少し考える。
「物を別の場所にしまっておけるスキル?」
「そうだ。それも、判定のあとにヒンス男爵が何度かラズの家を訪ねている」
マシューが眉を寄せた。
「ヒンス男爵が?」
「ああ」
ディオンは頷く。
「それだけじゃない。昨日捕らえた男も、ラズに空間収納のスキルがあることを知っていた」
「それなら、やっぱり街道で襲われたことと関係があるの?」
「その可能性が高いと見てる」
ディオンはそこで一度言葉を切った。
「ヒンス男爵がなぜラズの家を訪れたのかは分かってない。ラズ本人も、襲われる前に何があったのかまでは、まだ騎士団に話していないからな」
「……そうだったね」
リアムが呟く。
街道で両親を亡くしたばかりだったこともあり、無理に事情を聞き出すことはしていなかった。
本人が落ち着くまで待つことになっていたのだ。
「ただ、街道の襲撃を依頼した男がラズのスキルを知っていた以上、無関係とは考えにくい」
ディオンはマシューを見る。
「それで、お前に頼みがある」
「俺に?」
「ああ。しばらくラズのそばにいてもらえないか」
マシューは少し意外そうな顔をした。
「護衛ということか?」
「念のためにな」
ディオンは頷いた。
「騎士をつけることもできる。だが、ラズがまだ騎士団に事情を話していないところを見ると、警戒している可能性もある」
街道で助けたときから顔を知っているマシューなら、見知らぬ騎士を突然つけるよりは警戒されにくいだろう。
マシューは一度アーサーに視線を向けた。
「ああ。俺からも頼む」
アーサーの言葉に、マシューは頷く。
「分かりました。私でよければ」
「じゃあ、俺も——」
「お前は駄目だ」
リアムが言い終わる前に、ディオンが遮った。
「なんで?」
「お前は目立つ」
「マシューだって同じじゃない?」
「そういう意味じゃない。王弟がずっとそばにいたら、何かありますと言っているようなものだろう」
「……」
リアムは不満そうな顔をしたものの、反論はしなかった。
「それに、今のところは念のためだ。すぐに何か起きると決まったわけじゃない」
「分かったよ」
リアムが渋々引き下がった、そのときだった。
扉が強く叩かれた。
「陛下、ディオン団長。至急お伝えしたいことがあります」
ディオンがすぐに扉に顔を向ける。
「入れ」
入ってきたのは、ベケット伯爵邸の様子を見させていた騎士の一人だった。
「何かあったのか?」
「はい。先ほど、伯爵邸の裏口に一人の男が入りました。何度も周囲を確認していたため、気になって様子を見ていたのですが……」
「それで?」
「邸の者と短い時間話したあと、すぐに出てきました。すべては聞き取れませんでしたが、『まだ見つからないのか』という言葉は確認できました」
ディオンの眉がわずかに動く。
「何かを探している?」
「そのように聞こえました。相手も、まだ見つけられていないというような返答をしていました」
「その男は?」
「すでに伯爵邸を離れています。私は報告のためこちらへ。もう一人はそのまま邸の監視に残しています」
「そうか」
ディオンは考え込んだ。
ベケット伯爵について調べ始めたばかりのところで、不審な男が裏口を訪れた。
しかも、何かを探しているらしい。
それがラズだと決まったわけではない。
「……ラズのこととは限らないよね?」
リアムも同じことを考えたらしい。
「ああ」
ディオンは頷いた。
「だが、襲撃を依頼した側がラズのスキルを知っていたことが分かったばかりだ。今の状況で放っておくわけにもいかない」
もともとマシューに護衛を頼もうとしていたところだ。確認しておいた方がいいだろう。
「ラズのところへ行く」
「俺も行こう」
マシューがすぐに立ち上がる。
「俺も」
「リアム」
ディオンが名前を呼んだが、今度のリアムは引かなかった。
「さっきとは状況が違うでしょ。それに、街道であの家族が襲われたときには俺もいた。ラズがルナたちと一緒にいることを認めたのも俺だ」
ディオンは少し考え、アーサーを見る。
アーサーも止めなかった。
「分かった。ただし、勝手な行動はするな」
「分かってる」
「なら行くぞ」
三人は急いでルナたちの家へ向かうことになった。
◇◇◇
同じ頃。
露店を終えて家に戻ると、四人は片付けを済ませてから食卓を囲んでいた。
「疲れたぁ……」
ミアが椅子の背にもたれかかる。
「でも、全部売れてよかったね」
「肉巻き串なんて、昼過ぎにはなくなったもんな」
「うん。思ってたよりずっと早かった」
ルナもカップを両手で持ちながら笑う。
朝から動き続けていたので疲れてはいたが、それ以上に満足感の方が大きかった。
そんなことを考えていると、それまで静かに座っていたラズが口を開いた。
「……あの」
「どうしたの?」
ルナが見ると、ラズは膝の上で両手を握っていた。
今日一日、ずっと楽しそうにしていた顔から、笑みが消えている。
「話したいことがあるんだ」
いつもとは違う様子に、三人もラズに目を向ける。
ラズはしばらく黙っていた。
やがて意を決したように顔を上げた。
「僕、少し前に属性判定を受けたんだ」
「属性判定?」
「うん。火属性だった。でも、それとは別に……スキルがあるって言われた」
ルナは驚いてラズを見る。
「スキル?」
「『空間収納』っていうスキル」
「空間収納……」
「物を別の場所にしまっておけるんだ」
「そんなことができるの?」
ミアも驚いたように聞き返す。
「うん」
ラズは小さく頷いた。
「判定のあと、領主様が家に来たんだ。お父さんが僕のスキルのことを話したら、すごく喜んでくれて」
ラズの住んでいた町では、属性判定の結果によって領主から声をかけられること自体は、それほど珍しい話ではなかったという。
「僕の町では、判定の結果がよければ、領主様から仕事を紹介してもらえることもあるって、昔から言われてたんだ。僕は珍しいスキルだったから……」
「じゃあ、領主様が家に来ても不思議には思わなかったんだね」
ルナが尋ねると、ラズは頷いた。
領主はラズの将来についても気にかけてくれた。
「スキルがあるなら、ちゃんと勉強した方がいいって。学園に通うなら、一度王都を見てきたらどうかって」
「王都を?」
「うん。馬車も用意してくれるって」
それまで王都に行ったことのなかったラズにとって、それは大きな話だった。
両親も、息子の将来を考えてくれる領主に感謝していたという。
「それで、王都に行くことになったの?」
「うん」
ラズは一度言葉を切った。
「そのとき、領主様からお願いされたんだ。王都に行くなら、ついでに荷物を届けてほしいって」
「荷物?」
「小さな箱だった。僕の空間収納に入れて、王都に着いたら、指定された人に渡してほしいって」
ルナたちは黙って続きを聞く。
「お父さんもお母さんも、最初は何も変だと思ってなかった」
馬車を用意してもらい、王都を見に行く機会まで作ってもらった。
そのついでに、領主から預かった荷物を届ける。
それだけのことだと思っていた。
「僕も、領主様はいい人なんだって思ってた」
ラズは俯きながら、小さな声でそう言った。
最初の荷物は、言われた通り王都で待っていた相手に渡した。
それからしばらくして、領主はまた同じように荷物を頼んできた。
二度目もラズは空間収納に入れて王都まで運び、指定された相手に渡した。
「でも、帰ってきてから、お父さんとお母さんが話してるのを聞いた」
ラズは膝の上に視線を落とす。
「今度頼まれても、断った方がいいんじゃないかって」
「何かあったの?」
ルナが尋ねる。
「もらったお金が多すぎるって言ってた。荷物を届けただけなのに、こんなにもらえるのはおかしいって」
最初は領主からの厚意だと思っていた。
だが、二度目ともなれば、両親も疑問を持ち始めたのだろう。
「それで、もうやらないって?」
「うん。でも……また領主様が来たんだ」
三度目だった。
今度は父親が断ったという。
「もう十分よくしてもらったから、これ以上はって。でも、領主様がこれで最後だからって何度も頼んできて……」
これまで世話になったこともあり、最後には父親も断り切れなかった。
「それで、また荷物を預かったんだ」
「でも、今度は届けなかったんだよね?」
ルナが尋ねると、ラズは頷いた。
「うん。お父さん、やっぱりおかしいって言ってた。それで、その日の夜に、お父さんが荷物を開けたんだ」
それまでラズたちは、預かった荷物の中身を確認したことはなかった。
領主から頼まれたものだったからだ。
「開けたあと、お父さんとお母さんがずっと話してた。僕には詳しく教えてくれなかったけど……」
ラズはそこで言葉を止めた。
それから少し迷うような様子を見せたあと、片手を何もない空間に伸ばす。
「ラズ?」
ルナが見ている前で、その手が途中から見えなくなった。
「えっ?」
ミアが目を丸くする。
すぐにラズが手を引き抜く。
その手には、一通の封筒と小さな包みが握られていた。
「これ、お父さんが僕に持ってろって」
ラズが包みを開く。
中から出てきたものを見て、ルナは息を呑んだ。
「……そのブローチ」
宝石のついたブローチだった。
見覚えがある。
この家に引っ越してきた日の夜、ラズがベッドに腰掛けて見つめていたものだ。
「これ……お父さんの大切なものじゃなかったの?」
あのとき、ラズが「お父さん」と呟いていた。
だからルナは、父親の形見なのかと思っていた。
ラズは首を横に振る。
「違う。預かった荷物の中に入ってたんだ」
「そうだったの……こっちの封筒も?」
「うん。一緒に入ってた。絶対に捨てるなって言われた」
ルナは封筒に目を向けたが、今ここで勝手に開くべきものではない気がした。
「お父さんが僕に渡したの。誰にも見せないで、ここに隠しておけって」
ラズは自分の空間収納を示すように手を握った。
「それから、お父さんたちは王都に行くって決めたんだ」
「荷物を届けるため?」
「違う」
ラズはもう一度、首を横に振った。
「騎士団に話すって言ってた」
領主には何も告げず、家族三人で王都を目指した。
「でも……王都に着く前に、あの人たちが来た」
ラズの声が小さくなる。
ルナたちにも、それが誰のことなのかすぐに分かった。街道で馬車を襲った男たちだ。
「あの人たちに馬車を止められて……お父さんとお母さんが……」
そこまで言ったところで、ラズは俯いた。
ルナは何も言わず、続きを待った。
「僕が空間収納なんて持ってたから、こんなことになったのかなって……」
ラズは俯いたまま、ぽつりと呟いた。
「僕のせいで、お父さんとお母さんまで……」
「ラズ……」
ラズは膝の上で手を強く握りしめた。
「馬車が襲われたときも、怖くて……何もできなかった」
外から聞こえてくる大きな声や剣のぶつかる音に、ただ身を縮めていたという。
「でも、しばらくしたら静かになって……レオが来てくれた」
名前を呼ばれ、レオがわずかに目を見開く。
「俺?」
「うん」
ラズは頷いた。
「馬車の中にいた僕に声をかけてくれたから」
「……」
レオは何とも言えない表情でラズを見た。
実際にあの男たちを捕らえたのは、レオだけの力ではない。
けれど、何が起きたのか分からず怯えていたラズにとって、最初に自分に手を差し伸べてくれたのがレオだったのだ。
「だから、レオと一緒なら大丈夫だと思った」
「……そっか」
レオが小さく答える。
「でも、あの人たちの仲間がまた来るかもしれないって思ったら、怖くて……」
だから孤児院に行くことにも頷かなかった。
知らない場所で、知らない人たちに囲まれるより、ルナたちのそばにいたかったのだという。
「騎士団に話すのも怖かった」
「どうして?」
ミアが優しく尋ねる。
「領主様も、ずっといい人だと思ってたから」
ラズは膝の上で手を握りしめる。
「お父さんもお母さんも領主様を信じてた。僕も信じてた。でも、たぶん違ったから……誰を信じればいいのか、分からなくなった」
それに、とラズは続ける。
「お父さんたちも、荷物を運ぶのを手伝ったから。騎士団に話したら、お父さんとお母さんも悪いことをしてたって言われるかもしれないって……」
何を運んでいたのかも、何が起きていたのかも、ラズには分からない。
分からないからこそ、怖かったのだろう。
「だから……言えなかった」
ラズはゆっくり顔を上げた。
ルナ、ミア、レオを順番に見る。
「ずっと黙ってて、ごめんなさい」
しばらく誰も何も言わなかった。
最初に口を開いたのはルナだった。
「謝らなくていいよ」
ラズがルナを見る。
「怖かったんだよね。それでも、今こうして話してくれたんだから」
「……怒ってない?」
「怒ってないよ」
ルナが答えると、ミアも大きく頷いた。
「あたしも。話してくれてよかったって思ってる」
ラズは二人を見て、それからレオに視線を向ける。
レオは少し考えてから口を開いた。
「ただ、これは騎士団に話した方がいいと思う」
その言葉に、ラズの表情が強張った。
「騎士団に……?」
「ああ」
レオはラズの前にしゃがみ、目線を合わせる。
「そのブローチと封筒もそうだし、お前の父さんたちが運んでた荷物のことも、俺たちだけじゃ何も分からないからな」
「……」
「でも、一人で話しに行けって言ってるわけじゃない」
レオがそう言うと、ルナも頷く。
「私たちも一緒に行くよ」
「うん。もちろんあたしも」
ミアも続く。
「だから、ちゃんと調べてもらおう?」
ラズはしばらく黙っていた。
それから手の中のブローチを見下ろし、小さく頷く。
「……うん」
その返事を聞いて、ルナはほっと息をついた。
「じゃあ——」
そのときだった。
——ガタン。
外から、何かがぶつかったような音が聞こえた。
「……?」
ルナが窓の方を見る。
レオはすぐに立ち上がった。
「待て」
先ほどまでとは違う低い声に、ルナたちの動きが止まる。
レオは静かに窓に近づき、外の様子を窺った。
「どうしたの?」
「……誰かいる」
ルナも息を潜めて窓の方を見る。
家の外を、人影が横切った。




