王都前編 8
それから数日が過ぎた。
ミアとレオは、時間があるときにはオルソン侯爵家に通い、カレンやジェフリーたちから訓練を受けるようになった。
ルナも商業ギルドの調理場を借りながら、ムギボを作っては委託販売を続けている。
最初の三十本が売れてから少しずつ数を増やしてみたが、今のところ売れ行きは悪くない。
一度買った人がまた買ってくれることもあり、少しずつではあるものの、ムギボを知っている人も増えてきた。
そんなある日。
ルナは一人で商業ギルドを訪れていた。
「こんにちは」
「こんにちは、ルナさん。ちょうどよかったです」
受付で声をかけると、メーガンが書類を手にやってきた。
「ムギボについて、お話があります」
「ムギボですか?」
「ええ。魔法研究所から問い合わせが来ています」
「研究所から?」
思わぬ名前に、ルナは目を丸くした。
以前、リアムたちのところに差し入れを持っていったことはある。
あのときは研究所の人たちにも食べてもらったが、それと何か関係があるのだろうか。
「以前、研究所に差し入れされたそうですね。そのあと何人かの研究員がこちらでも購入したようで、評判がよかったそうです。仕事の合間でも食べやすいので、研究所でまとめて購入したいと」
「本当ですか?」
「ええ。週に二百本ほど用意できないか、という問い合わせですね」
「二百本……!」
これまで一度に作った数より、ずっと多い。
「毎週ですよね?」
「その予定です。ただ、継続して受ける以上、決められた日に毎週用意しなければなりません。難しければ、数を減らしてもらうこともできますよ」
「……そうですよね」
一度だけなら、頑張れば作れるかもしれない。
けれど、毎週となれば話は違う。
自分一人で二百本を作り続けるのは大変だ。
これまでミアやレオにも手伝ってもらっているが、二人には訓練や冒険者としての活動もある。
「少し考えてもいいですか?」
「もちろんです」
メーガンはすぐに頷いた。
「皆さんにも相談してから決めた方がいいでしょう。継続して納品するものですから、最初に無理のない数を決めることが大切です」
「はい。今日みんなに相談してみます」
ルナが頷くと、メーガンはもう一枚の書類を取り出した。
「それと、これだけ継続して販売するのであれば、ムギボの商品登録をしておいた方がいいでしょう」
「商品登録?」
「商品名を商業ギルドに登録する制度です。登録しておけば、他の商人が同じ名前で商品を販売することはできません」
「そんな制度があるんですね」
「ええ。それから、ムギボの場合はレシピも登録しておいた方がいいかもしれません」
「レシピも?」
メーガンが頷く。
「登録から五年間、同じ製法をそのまま使って商品を販売されないようにするものです。もちろん、同じ材料を使った別の商品まで禁止するものではありません」
「なるほど……」
潰し麦も麦蜜も、誰でも手に入れられるものだ。
それらを使ったお菓子を、禁止しようとは思わない。
けれど、何度も試作して決めた作り方をそのまま真似され、商品として売られるのは少し違う気がする。
「五年が過ぎたら、同じ作り方で売ってもいいんですか?」
「ええ。ただし、商品登録が続いている間は『ムギボ』という名前は使えません。商品名とレシピは別に登録されますから」
「分かりました」
ルナは少し考えてから頷いた。
「両方、お願いします」
「分かりました。では、必要な書類を用意しますね」
メーガンに教えてもらいながら、商品名や使っている材料、作り方など、必要な項目を記入していく。
レシピの内容は誰でも見られるわけではなく、商業ギルドで保管され、模倣について問題が起きた場合に照合するのだという。
手続きを終えたところで、ルナは以前から気になっていたことを思い出した。
「あの、メーガンさん。前に相談した部屋のことなんですけど」
「台所付きの部屋ですね」
「はい。もう一度探してもらえますか?」
「もちろんです。条件は以前と同じですか?」
「はい。四人で住めて、台所があるところでお願いします」
王都に来てから何度かムギボを販売し、しばらく滞在する見通しも立ってきた。
以前から考えていたこともあり、そろそろ本格的に部屋を探してもいいだろう。
「分かりました。少しお待ちください」
メーガンは何枚かの書類を確認し、その中から三枚を取り出した。
「今の条件でしたら、この三軒ですね」
一軒目は市場に近くて便利だが、その分家賃が高い。
二軒目は安いものの、四人で暮らすには少し狭い。
三軒目は市場や商業ギルドから少し離れるが、四人で暮らせる広さがあり、台所もついている。
「実際に見てから決めてもいいですか?」
「もちろんです。毎日暮らす場所ですから、書類だけで決めない方がいいでしょう。日程が決まったら、職員に案内させます」
「ありがとうございます。みんなにも話してみます」
ルナは三軒の情報を持ち帰ることにした。
その日の夕方。
宿に戻ったルナは、三人に研究所からの注文について話した。
「週に二百本?」
ミアが驚いたように聞き返す。
「うん。毎週」
「すごいじゃん!」
すぐに笑顔になったミアとは対照的に、レオは少し考える。
「二百本か。今までよりかなり増えるな」
「そうなの」
ルナは頷いた。
「一回だけならできると思う。でも、毎週だから……。二人にずっと手伝ってもらうことになるのもどうかなって思って」
「別にいいよ」
ミアはあっさりと答えた。
「あたし、ムギボ作るの楽しいし」
「俺も時間があるときなら手伝うぞ」
「でも、二人とも訓練とか依頼があるでしょ?」
「毎日作るわけじゃないんだろ?」
「うん。週に一回、まとめて作れば大丈夫だと思う」
「なら、今のところは問題ないんじゃないか?」
レオに言われ、ルナは少し考える。
「……じゃあ、二百本でやってみてもいいかな」
「やってみようよ」
ミアが笑う。
「ありがとう」
ルナも笑い返したものの、少しだけ気になることがあった。
これまでは、自分たちで食べるものを作るついでのような感覚で手伝ってもらっていた。
けれど、これから作る二百本は、最初から売るための商品だ。
(ずっと手伝ってもらうなら、それもちゃんと考えないと駄目だよね……)
今すぐ答えを出す必要はない。
けれど、二人の手伝いを当たり前にしてはいけない気がした。
「それと、部屋の候補も見つかったよ」
ルナは商業ギルドから持ち帰った三枚の紙を広げた。
「本当?」
「うん。条件に合うところが三軒あるって。今度、みんなで見に行こう」
「ああ。実際に見てから決めた方がいいしな」
「楽しみだね」
ミアも嬉しそうに三枚の紙を覗き込んだ。
翌日、ルナは再び商業ギルドを訪れ、研究所からの注文を週二百本で受けることをメーガンに伝えた。
決められた日にまとめて納品し、代金は商業ギルドを通して受け取る。
材料が揃わないなど、どうしても納品が難しい場合には、事前にギルドに連絡することも決められた。
「こちらで問題ありませんか?」
「はい」
「では、この内容で手続きを進めます」
メーガンが書類を受け取る。
これまでは、作ったムギボをギルドに預け、誰かが買ってくれるのを待っていた。
けれど、今度は違う。
毎週、決まった数を買ってもらえる。
ルナにとって初めての継続的な取引先だった。
「最初から無理をしてはいけませんよ」
メーガンが念を押す。
「一度二百本を作ることと、毎週二百本を作り続けることは違います。決まった日に、決まった数を、同じ品質で納める。それも商売です」
「はい」
ルナはしっかりと頷いた。
美味しいものを作るだけではない。
毎週きちんと注文に応えることも、商売を続けていくためには必要なのだ。
◇◇◇
数日後。
ルナたち四人は、商業ギルドの職員に案内され、候補となった三軒を見て回っていた。
一軒目は立地がよく、買い物にも困らなそうだったが、やはり家賃が高かった。
二軒目は家賃こそ安かったものの、実際に四人で入ってみると少し窮屈に感じる。
そして最後に訪れたのが、三軒目だった。
「こちらが台所です」
「わぁ……」
案内された台所を見た途端、ルナの表情が明るくなる。
ギルドの調理場ほど広くはないが、普段の料理をするには十分だった。
調理道具を置く場所もあり、食材をしまっておける棚もある。
「ルナ、嬉しそう」
「だって、いつでも料理できるんだよ」
ミアに言われ、ルナは笑った。
「やっぱりここが一番いいんじゃない?」
「俺もそう思う」
レオも部屋の中を見回す。
寝室もいくつかあり、四人で暮らしても問題なさそうだ。
ラズは少し離れたところで、小さな部屋を覗いている。
「ラズはどう?」
ルナが声をかけると、ラズは振り返った。
少し考えてから、小さく頷く。
「……ここがいい」
「そっか」
ルナは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、ここにしようか」
「ああ」
「うん!」
四人の意見が一致し、その部屋を借りることに決めた。
家賃は一か月二十五銀貨。
最初は家賃の前払いに加えて、保証金も必要になる。
職員から説明を聞き終え、ルナが財布を取り出そうとすると、レオが口を開いた。
「家賃、俺も出すぞ」
「え?」
ルナが振り返る。
「でも、レオのお金は冒険者の依頼で稼いだものでしょ?」
「だから何だよ」
レオは不思議そうな顔をした。
「俺もここに住むんだから、払うのは当たり前だろ」
「でも……」
「俺だって冒険者として稼いでる。ルナ一人に全部払わせる方がおかしいだろ」
そう言われると、ルナも反論しづらい。
「それなら、あたしも出すよ」
今度はミアが口を開いた。
「ミアも?」
「だって、あたしも住むんだから」
「でも……」
ルナは少し考えた。
そこで、先日考えていたことを思い出す。
「じゃあ、ミアには毎週のムギボ作りをお願いしてもいい?」
「毎週?」
「うん。レオには今までみたいに、時間があるときだけ手伝ってもらうつもり。でも、ミアには毎週お願いすることになるから、その分を家賃の代わりにしたらどうかな」
売るための商品を、毎週決まった数だけ作る。
それなら、ミアに手伝ってもらうことも、きちんと考えなければならない。
「だから、ミアには家賃を出してもらわない。その代わり、ムギボ作りを手伝ってもらう。それでどう?」
「でも、それで足りるの?」
「今の二百本ならね。もっと作る量が増えたり、ミアにたくさん手伝ってもらうようになったら、そのときは別にちゃんと払うよ」
ミアは少し考えてから頷いた。
「……分かった。じゃあ、その代わりちゃんと手伝うからね」
「うん。お願い」
ルナが笑う。
ラズは三人の話を黙って聞いていた。
「じゃあ、決まりだね」
こうして、王都で暮らす新しい部屋が決まった。
部屋が決まると、今度は新しい生活に必要なものを揃えることになった。
もともと旅をしていたため、それぞれ着替えや最低限の日用品は持っている。
けれど、部屋で暮らすとなれば、それだけでは足りない。
ルナたちは市場を回り、必要なものを一つずつ買い揃えていった。
台所で使う鍋や皿、保存用の容器。
掃除に使う道具や、部屋で使う細かな日用品も必要だった。
「思ったよりいろいろいるね」
荷物を確認しながらミアが言う。
「うん。でも、これくらいあればしばらく大丈夫かな」
ルナも買ったものを確認してから、隣にいるラズを見る。
「ラズは?」
「……?」
「何か必要なもの、ない?」
新しい家では、ラズが使う部屋も決めている。
必要なものがあれば、今のうちに揃えておこうと思ったのだ。
けれど、ラズは少し考えてから首を横に振った。
「……いい」
「そっか」
無理に買う必要はないだろう。
そう思って店を出ようとしたところで、近くに食器が並んでいるのが目に入った。
「あ、そうだ。食器もいるね」
ルナが足を止める。
「ラズの分も選ばないと」
「……僕のも?」
「もちろん。これから毎日使うんだから、自分で選んだら?」
ラズは少しだけ迷ったあと、並んでいる食器に目を向けた。
「どれでもいいよ」
「……じゃあ、これ」
少ししてラズが手に取ったのは、一つのカップだった。
「それにする?」
「うん」
「分かった。じゃあ、それにしよう」
その後はミアとレオも加わり、皿や器など、四人で使うものを相談しながら選んでいった。
買い物を終える頃には、思っていた以上の荷物になっていた。
「これ、持って帰るの大変じゃない?」
ミアが荷物を見て苦笑する。
「何回かに分ければ大丈夫だろ」
「私も持つよ。ラズも手伝ってくれる?」
「……うん」
それぞれ荷物を持ち、四人は新しく借りた家に向かった。
扉を開けると、まだ何も置かれていない部屋は静かだった。
「今日からここで暮らすんだね」
ミアが嬉しそうに中に入っていく。
「まず荷物を置こう。片づけないと」
「その前に台所を見るんだろ?」
「……見るけど」
「やっぱり」
レオに笑われ、ルナは少しだけ頬を膨らませる。
そんな三人のあとから、ラズも部屋に入った。
その手には、先ほど自分で選んだカップの入った包みがあった。
「ラズ」
ルナに呼ばれ、ラズが顔を上げる。
「今日から、ここで一緒に暮らすんだよ」
「……うん」
ラズは小さく頷いた。
こうして四人の、王都での新しい生活が始まった。
◇◇◇
荷物を片づけた翌日、ルナたちは騎士団を訪れていた。
宿を出て部屋を借りたため、ラズを保護している場所が変わったことを伝えておく必要があったのだ。
受付で事情を話し、新しい住所を伝える。
これだけで用事は終わるはずだったが、しばらく待っていると一人の騎士がやってきた。
「待たせたな」
その姿を見て、ルナは慌てて姿勢を正した。
以前、リアムから話を聞いたことがある。
目の前にいるのは、リアムの兄であり、第二騎士団を率いる団長でもある王弟ディオンだった。
「初めまして。ルナと申します」
ルナは久しぶりに、貴族令嬢だった頃と同じ礼を取った。
「ミアです」
「レオです」
隣ではミアも、フィールズ家で身につけた礼で頭を下げる。
ディオンはそんな二人を一瞬見たあと、わずかに眉を上げた。
だが、それについて何かを尋ねることはなかった。
「そんなに緊張しなくていい」
ディオンが苦笑する。
「今日は王族として会っているわけじゃない。騎士団長としてラズのことを確認したかっただけだ。楽にしてくれ」
「はい……」
そう言われても、相手は王弟である。
すぐに緊張しなくなるのは難しい。
「君たちのことは、リアムとマシューから聞いている。街道の件は助かった」
「いえ……私たちはほとんど何も」
ルナが答える。
「犯人を捕らえ、ここまでラズを連れてきてくれた。それだけでも十分だ」
ディオンはそう言ってから、ラズに目を向けた。
ラズは知らない大人を警戒しているのか、レオのすぐそばに立っている。
「ラズの様子はどうだ?」
ルナはラズを見てから答えた。
「少しずつ落ち着いてきていると思います」
「そうか」
「ただ、あの日のことはまだ……」
「話せそうにないか」
「はい」
事件について聞こうとすると、ラズは口を閉ざしてしまう。
そのため、ルナたちも無理に聞き出そうとはしていなかった。
「それでいい」
ディオンはすぐに答えた。
「今は無理に話させる必要はない。こちらでも調べられることは調べている」
「ありがとうございます」
ルナは頭を下げた。
「あの……」
今度はミアが口を開く。
「ラズの親戚は見つかったんですか?」
ルナも気になっていたことだった。
「ああ。そのことなんだが……」
ディオンは少し間を置いてから答える。
「母親の親族と思われる者が遠方にいることまでは分かった。ただ、まだ確認が取れていない」
「そうなんですね……」
「連絡を取るにも時間がかかる。本人で間違いないのか、ラズとの関係がどうだったのかも調べる必要があるからな」
ディオンの視線がラズに向く。
「もう少し時間がかかると思う。それまで、悪いがラズを預かっていてもらえるか?」
「もちろんです」
ルナは迷わず答えた。
「私たちは大丈夫です」
「そうか。助かる」
ディオンが頷く。
「何かあれば騎士団に知らせてくれ。ラズが事件について何か話したときも、無理に詳しく聞こうとせず、そのまま教えてもらえればいい」
「分かりました」
用件を終え、ルナたちはディオンに挨拶をして騎士団をあとにした。
建物を出ると、ミアが大きく息を吐く。
「緊張したぁ……」
「普通でいいって言われただろ」
「レオだって緊張してたじゃん」
「俺はしてない」
「嘘。最初すごく固かったよ」
「……ちょっとだけな」
二人のやり取りを聞いて、ルナが笑う。
「でも、優しそうな人だったね」
「リアムのお兄さんなんだよね?」
「うん。あんまり似てなかったけど」
「本人たちの前では言うなよ」
「分かってるよ」
そんな話をしながら歩いていると、市場の方から料理の匂いが漂ってきた。
ルナは思わずそちらを見る。
「そういえば、今日のご飯どうしようか」
「もうご飯の話?」
ミアが笑う。
「だって、せっかく台所があるんだよ?」
「ルナ、昨日からずっとそれ言ってるぞ」
「いいでしょ。やっと好きなときに料理できるんだから」
「……肉がいい」
不意に、小さな声が聞こえた。
三人が同時にラズを見る。
突然注目されたラズは、少し戸惑ったように目を逸らした。
ルナはくすっと笑った。
「じゃあ今日は、お肉を使った料理にしようか」
「俺も賛成」
「あたしも!」
「決まりだね」
帰りに市場に寄っていこうと話しながら、四人は歩いていく。
ほんの少し前までなら、何もいらないと首を横に振っていたラズ。
昨日は、自分で使うカップを選んだ。
そして今日は、自分から食べたいものを口にした。
ルナはそのことには触れず、小さく笑った。
「じゃあ、お肉を買って帰ろう」
「……うん」
今日から帰る場所は宿ではない。
四人で暮らす、新しい家だ。
今夜は何を作ろう。
そんなことを考えながら、ルナは三人と一緒に家へと帰っていった。




