王都前編 2
「この先に小さな町がある」
マシューが御者に確認してから、ルナたちに振り返った。
「馬車なら、それほどかからないらしい。お前たちは先に町に行ってくれ」
「マシューたちは?」
「俺とリアムはここに残る。こいつらを放っていくわけにはいかないからな」
マシューの視線の先には、拘束された男たちがいる。
五人とも手を後ろで縄に縛られ、武器も一か所に集められていた。
それでも、このまま誰も見張らずに置いていくわけにはいかない。
リアムも頷いた。
「町に着いたら、街道で襲撃があったことを自警団に知らせて。場所は御者さんが分かってるから」
「分かった」
レオが答える。
「それと、あの子も一緒に連れていった方がいい」
リアムがそう言って、少し離れたところに立つ少年に目を向けた。
少年は何も話さない。
ただ青ざめた顔で俯いていた。
レオがそばまで行く。
「俺たちは近くの町に行く。一緒に来るか?」
返事はなかった。
レオは急かさず、その場で待つ。
やがて少年は、ほんのわずかに頷いた。
「分かった。行こう」
ルナたちは少年とともに、再び馬車に乗り込んだ。
馬車がゆっくりと動き出す。
けれど、先ほどまでとはまるで違っていた。
誰も口を開かない。
ミアは俯いたまま、自分の手を見つめている。
レオも窓の外に目を向けたまま、黙り込んでいた。
少年はレオの近くに座り、膝の上で両手を強く握っている。
ルナも何を話せばいいのか分からなかった。
頭に浮かぶのは、先ほどの女性の姿ばかりだった。
助けなければと思った。
『キュア』を使った。
ポーションも飲ませようとした。
それでも、助けることはできなかった。
ルナは膝の上で手を握る。
馬車の車輪が地面を転がる音だけが、静かな車内に響いていた。
やがて、御者が前から声をかけてきた。
「町が見えてきました」
顔を上げると、街道の先に建物が見え始めていた。
大きな町ではない。
街道沿いに宿や店が並ぶ、小さな町だった。
町に入ると、ルナたちはまず自警団の詰所に向かった。
「街道で人が襲われてたんです!」
ルナたちが事情を説明すると、すぐに数人が動き始めた。
「場所は分かるか?」
「はい。私が案内できます」
御者が答える。
「犯人は五人です。全員拘束して、今は仲間が見張っています」
レオが続けると、自警団の男が頷いた。
「分かった。すぐ向かおう」
そこで、男はレオのそばに立つ少年に目を向けた。
「そっちの少年は?」
「襲われた馬車に乗っていました」
ルナが答える。
男は青ざめたまま俯いている少年を見る。
「話はできそうか?」
「まだ何も」
レオが答えると、男は少し考えてから頷いた。
「今は無理に聞かない方がよさそうだな」
それからルナたちを見る。
「悪いが、俺たちが戻るまで一緒にいてもらえるか?」
「はい」
何人かが武器を手に外に出ていく。
御者も場所を案内するため、彼らと一緒に現場に戻ることになった。
その姿を見送ってから、ルナは隣にいる少年を見る。
ここまで来ても、一言も話していない。
「……とりあえず、宿を探そう」
レオが静かに言った。
ルナとミアも頷く。
近くにあった宿で部屋を取り、少年と一緒に中に入った。部屋に着くと、レオが少年に声をかける。
「俺たちは隣の部屋にいる。何かあったら呼んでくれ」
少年はレオを見上げた。
しばらくして、わずかに頷く。
「……分かった」
初めて聞いた返事は、ひどく小さな声だった。
「一人で大丈夫か?」
レオが尋ねると、少年はもう一度頷いた。
「……うん」
今はこれ以上、何かを聞くべきではないだろう。
ルナたちはそれ以上声をかけず、少年を部屋に残して外へ出た。
隣の部屋に移ってからも、誰もすぐには口を開かなかった。
ミアは椅子に座ったまま俯き、レオは壁に背を預けている。
ルナもベッドの端に腰を下ろした。
しばらく沈黙が続いたあと、ミアがぽつりと呟く。
「あたし……何もできなかった」
ルナが顔を上げた。
「何をすればいいのか、全然分からなかった。弓を使った方がいいのか、逃げた方がいいのか……ずっと迷ってて」
ミアは膝の上で両手を握る。
「結局、何もできないまま終わっちゃった」
「……私もだよ」
ルナは小さく答えた。
「悲鳴が聞こえたとき、助けなきゃって、それしか考えてなかった」
倒れた女性の姿が、また頭に浮かぶ。
「周りにまだ男の人たちがいることも分かってたのに、何も考えずに馬車から降りようとして……」
ルナは自分の手を見つめた。
「あのときミアが止めてくれなかったら、私も襲われてたかもしれない」
「でも……」
「そうなったら、みんなをもっと危険な目に遭わせてたかもしれない」
今になれば分かる。
けれど、あのときはそんなことを考える余裕すらなかった。
「お前らだけじゃない」
それまで黙っていたレオが口を開いた。
「俺も全然駄目だった」
「レオも?」
「ああ」
レオは自分の手を見る。
「魔物なら、襲ってきた瞬間に剣を振れる。だけど今日は……相手が人間だと思ったら、身体が動かなかった」
レオはそこで言葉を切る。
「どう攻撃すればいいのか、一瞬分からなくなった」
そして、悔しそうに手を握った。
「けど、マシューは違った」
ルナとミアも黙ってレオを見る。
「あいつは相手が武器を持ってるって分かったら、すぐに動いてた。二人を相手にして、それでも殺さずに抑えてた」
「リアムも……」
ミアが小さく続ける。
「こっちに二人が走ってきたとき、すぐ魔法を使ってたよね」
「うん」
ルナは頷いた。
リアムもマシューも迷っていなかった。
周りを見て、自分が何をすればいいのかを判断して、すぐに動いていた。
「……もっと、できたことがあったのかな」
ミアがぽつりと言った。
レオは少し考えてから首を振る。
「分からない」
そして、握っていた手をゆっくりと開いた。
「でも、次は今日みたいにはしたくない」
その言葉に、ルナも顔を上げる。
「うん」
すぐに何ができるようになるのかは分からない。
それでも、今日のことを何も考えずに終わらせたくはなかった。
三人はそれぞれ考え込んだまま、しばらく何も話さなかった。
夕方になり、リアムとマシューが宿に戻ってきた。
「おかえり」
ルナたちが迎えると、リアムが軽く手を上げる。
「ただいま。自警団への引き渡しは終わったよ」
「犯人たちは?」
「全員、町の自警団に預けた。詳しいことはこれから調べてもらうことになる」
マシューが答え、それから隣の部屋へ目を向けた。
「少年は?」
「ずっと部屋にいる。さっき一度様子を見たけど……」
「話せそうか?」
ルナは少し迷ってから答えた。
「少しなら。でも、あまり無理はさせたくない」
「ああ。必要なことだけ聞く」
マシューたちは少年がいる部屋へ向かった。
中に入ると、少年はベッドに腰掛けていた。
レオの姿を見ると、ほんの少しだけ表情が緩む。
マシューはそれに気づいたのか、レオを少年の近くに残したまま、自分は少し離れた椅子に腰を下ろした。
「少しだけ話を聞いてもいいか?」
少年はしばらく黙っていたが、小さく頷いた。
「名前は?」
「……ラズ」
「ラズか。いくつだ?」
「……十二」
マシューが続ける。
「街道に止まっていた馬車を調べた。少し離れた街道脇に、男の人が一人倒れていた」
ラズの身体が強張った。
「その人は……父親か?」
「……うん」
小さな返事だった。
マシューは少し間を置いてから、もう一度口を開く。
「外にいた女性は?」
「……母さん」
それきり、ラズは俯いてしまった。
膝の上で握られた手が、わずかに震えている。
マシューはしばらく待ったが、それ以上質問することはなかった。
「分かった。今日はもう聞かない。続きは落ち着いてからでいい」
ラズがゆっくりと顔を上げる。
「……うん」
それを確認すると、マシューは立ち上がった。
ルナたちもラズを残し、静かに部屋を出た。
「何があったのか、ほとんど分からなかったね」
リアムが小声で言う。
「あの状態なら仕方ない」
マシューはそう答えた。
「無理に聞いたところで、まともに話せないだろう」
「これから、ラズはどうなるの?」
ミアが尋ねる。
「そのことも自警団と話してきた」
マシューは少し考えてから続ける。
「この町には、身寄りのない者を長く保護できる場所がないらしい。それに、事件については王都の騎士団にも報告することになる」
「王都に?」
「ああ。身元や親族を調べるにしても、王都の騎士団に任せた方がいいそうだ」
リアムも頷く。
「俺たちが王都に向かってることも話したよ。俺とマシューの身元も確認してもらった上で、できればラズを王都の騎士団まで連れていってほしいって頼まれた」
「そうなんだ……」
ルナは閉じた扉を見る。
「でも、ラズにも聞いた方がいいよね」
「そうだな」
レオが頷いた。
十二歳なら、自分がこれからどこへ行くのかも分からないまま連れていくわけにはいかない。
しばらくして、レオとルナはもう一度ラズの部屋を訪れた。
「ラズ」
レオが声をかける。
「俺たちは明日、王都に向かう」
ラズは黙ってレオを見る。
「この町の自警団から、王都の騎士団まで一緒に連れていってほしいって頼まれた。王都なら、親戚がいるかどうかも調べてもらえるらしい」
ラズの視線が少し下がった。
「……どうする?」
長い沈黙のあと、ラズが口を開いた。
「……行く」
「俺たちと一緒でいいか?」
「……うん」
小さいながらも、今度ははっきりとした返事だった。
「分かった。じゃあ、明日は一緒に行こう」
レオがそう言うと、ラズはもう一度頷いた。
こうして翌日は、ラズも一緒に王都を目指すことになった。
夕食を終えたあと、ルナとミアは部屋に戻った。
ラズは夕食にもほとんど手をつけず、早めに自分の部屋に戻っている。
ミアはベッドに寝転んだまま、ぼんやりと天井を見つめていた。
いつもなら眠るまで何かしら話しているのに、今日はずっと静かなままだ。
ルナもベッドに腰掛けながら、昼間のことを思い出していた。
これまでの旅では、今日のような危険な目に遭ったことは一度もなかった。
今回は自分たちが狙われたわけではない。
それでも、これから旅を続けていけば、同じようなことが起こらないとは限らない。
今度は自分たちが襲われることだってあるかもしれない。
「……」
ルナは小さく息を吐き、窓の外に目を向けた。
すでに日は傾き、辺りは薄暗くなっている。
何気なく宿の裏手に視線を向けると、見覚えのある姿があった。
「レオ……?」
レオがマシューと向かい合い、何かを話している。
声までは聞こえないが、マシューはしばらくレオの話を聞いたあと、静かに頷いた。
すると二人は少し広い場所へ移動し、互いに剣を抜いた。
「……練習?」
ルナは窓の外で向かい合う二人を、しばらく黙って見つめていた。
「ミア……外を見に行かない?」
声をかけると、ミアは天井を見たまま小さく首を振った。
「……あたしはいい」
「そっか。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「うん」
宿を出て裏手に回ると、剣を打ち合わせる音が聞こえてきた。
レオとマシューが、少し離れた場所で向かい合っている。その様子を眺めている人影が、もう一つあった。
「リアム」
「あ、ルナ」
リアムが振り返る。
「どうしたの?」
「窓からレオたちが見えたから」
ルナが二人に目を向ける。
レオが踏み込み、マシューに剣を振る。
マシューはそれを受け流すと、すぐにレオの手首に剣の腹を当てた。
「そこだ」
「……っ」
「倒すことだけ考えるな。武器を落とさせればいい」
レオが悔しそうに眉を寄せる。
「もう一回」
「ああ」
二人が再び距離を取る。
「レオから頼んだんだよ。少し付き合ってほしいって」
リアムが言った。
「やっぱり……」
昼間、三人で話したことを思い出す。
レオもずっと気にしていたのだろう。
「ミアは?」
「部屋にいる。ずっと考え事してるみたい」
「そっか」
リアムもそれ以上は聞かなかった。
しばらく二人で、レオたちの様子を眺める。
「……今日みたいなこと、またあるのかな」
ルナがぽつりと呟いた。
「分からない。でも、旅をしてたら危険なことに遭う可能性はあると思う」
「そうだよね」
今日のように、人が人を襲うところを目の前で見たのは初めてだった。
「私、助けなきゃって、それしか考えられなかった」
「うん」
「ミアが止めてくれなかったら、私まで危なかったかもしれない」
リアムは少し黙ってから言った。
「次に同じことがあったら、今日より考えられるんじゃない?」
「そうかな」
「少なくとも、今日のことをちゃんと考えてるならね」
ルナはリアムを見る。
励ますような言い方ではなかった。
ただ、当たり前のことを言っているような口調だった。
「……うん」
少しだけ気持ちが軽くなる。
それからしばらく、二人は黙ってレオたちの稽古を眺めていた。
剣を打ち合わせる音が、静かな裏庭に響く。
やがてリアムが、少し空気を変えるように口を開いた。
「そういえばさ。前に水魔法のこと話したの覚えてる?」
「氷を作れるかって話?」
「うん。かなり冷やせるようにはなったよ」
「本当?」
リアムが片手を差し出す。
その上に水が集まり、丸い水の塊が浮かんだ。
「触ってみて」
ルナは恐る恐る指先を伸ばす。
「冷たっ!」
予想以上の冷たさに、慌てて手を引っ込めた。
リアムが笑う。
「冷たいでしょ?」
「びっくりした。こんなに冷たくできるようになったの?」
「練習したからね」
「すごい!」
ルナはもう一度、今度はそっと水に触れてみる。
やはり冷たい。
「これなら夏に冷たい飲み物が飲めそう」
「最初に考えるのがそれ?」
「だって……」
思わず笑うと、リアムがこちらを見る。
「……何?」
「いや。やっと笑ったなと思って」
「え……」
「……ずっと暗い顔してたから」
言われて、ルナは少し目を見開く。
「……そんなに?」
「結構ね」
リアムは手の上の水に視線を戻した。
「ただ、まだ凍らないんだよね」
「そうなんだ」
「もっと冷やせばいいと思ってたんだけど、ここから先に進まなくてさ」
困ったように水を見つめる。
「また試してみるよ」
「うん。頑張って」
リアムが水を消す。
少し離れたところでは、レオとマシューの稽古もそろそろ終わるようだった。
「私も戻ろうかな」
「うん。今日はもう休んだ方がいいよ」
「リアムもね」
「分かってる」
ルナはリアムに小さく手を振り、宿に戻った。
部屋に入ると、ミアはすでに布団に入っていた。
「おかえり」
「ただいま」
ルナも自分のベッドに入る。
目を閉じれば、やはり昼間の出来事が浮かんでくる。
すぐに忘れることなどできそうになかった。
それでも、先ほどよりほんの少しだけ気持ちは落ち着いていた。
ルナは布団を引き寄せると、静かに目を閉じた。




