マレットの町 7
最初の商品が売れてから、少しずつ店の前で足を止める人が増えていった。
「よかったらどうぞ! 試食できますよ!」
ミアが声をかけると、今度は三人組が立ち止まった。
「これ、芋なの?」
「はい。油で揚げて、塩を振ってるんです」
「へえ。変わってるね」
一人が試食を口にすると、すぐに表情を変える。
「美味しい」
「じゃあ私も」
「私も食べてみたい」
三人とも試食をすると、そのまま店の前にやってきた。
「三つください」
「はい! 少しお待ちください!」
ルナが返事をしている間にも、別の客がミアから試食を受け取っていた。
「俺も一つもらおうかな」
「ありがとうございます!」
さらに一人。
気がつけば、店の前には揚げ芋を待つ客が何人も並んでいた。
「……思ったより増えてきたな」
列を見たレオが呟く。
「ああ。このままだと間に合わなくなる」
マシューはすぐに周囲を確認すると、レオに声をかけた。
「レオ、次に使う分をまとめて切ってくれ」
「分かった」
レオはすぐに芋と包丁を持ち、空いている調理台で作業を始めた。
「ルナ」
「なに?」
「俺も揚げる。やり方を教えてくれ」
「マシューも?」
「お前一人じゃ間に合わないだろ」
確かに、すでに何人も待っている。
「分かった。芋を入れる前に水気が残ってないか確認して。一度に入れすぎないようにしてね」
「ああ」
「色がこれくらいになったら上げて、しっかり油を切ってから塩を振るの」
「分かった」
ルナがもう一度手順を見せると、マシューもすぐ隣で作業を始めた。
「熱いから気をつけてね」
「それはお前もな」
「うん」
二人で揚げ始めると、先ほどより早く商品を出せるようになった。
「ミア!」
ルナが顔を上げる。
「もう試食はいいかも!」
「うん、あたしもそう思ってた!」
いつの間にか、試食を勧めなくても列を見て足を止める人が出てきていた。
ミアは残っていた試食を片づけると、急いで店に戻る。
「お待たせしました! 次の方どうぞ!」
そこからは、ミアも客の対応につきっきりになった。
注文を聞き、代金を受け取り、出来上がった揚げ芋を渡していく。
レオはひたすら芋を切り、ルナとマシューは次々と揚げていく。
揚げた芋の香ばしい匂いが辺りに広がり、その匂いに気づいて足を止める人も増えていった。
列ができているのを見て何を売っているのか覗きに来る人。
揚げ芋を待つ間に、机に並んだ香り袋を手に取る人。
先ほどまで、ちらりと見られるだけだった店とは思えないほどだった。
そんな中——。
「こっちの袋は少し大きめなんですよ」
リアムだけは、変わらず香り袋を見に来た客と話していた。
「色もいろいろあるから、好きなものを選んでね」
「どれが一番人気なの?」
「今のところはこれかな。でも、こっちも綺麗だよね」
並んだ袋を一つずつ見せながら、楽しそうに説明している。
揚げ芋を待つ客の中にも、リアムの話を聞いて香り袋を手に取る人が少しずつ増えていた。
「リアム、余裕あるね……」
ルナが思わず呟く。
「ちゃんと売ってるよ」
聞こえていたらしい。
「そうだけど……」
その時、ミアの声が飛んできた。
「ルナ! 揚げ芋、二つ追加!」
「分かった!」
ルナはすぐに鍋に向き直る。
「マシュー、そっちは?」
「もう上がる」
「じゃあ、こっちは次の分入れるね」
「ああ」
注文はしばらく途切れなかった。
ルナとマシューは鍋の前を離れられず、レオは次々と芋を切り、ミアは注文と会計に追われている。
その横で、リアムだけは朝とほとんど変わらない様子で客と話していた。
「……すごいな、あいつ」
芋を切りながらレオが呟いた。
「リアム、意外と接客向いてるのかな……」
ルナも手を動かしながら答える。
「本人が楽しんでるだけだろ」
マシューはそう言って、揚がった芋を鍋から取り出した。
しばらくして。
「ルナ」
「待って、今こっちが——」
「香り袋、全部売れたよ」
「……え?」
ルナの手が止まった。
ミアも振り返る。
「全部?」
「うん」
リアムが指差した先を見る。
朝にはたくさんの香り袋が並んでいた机の上には、もう一つも残っていなかった。
「ええっ!?」
「もう売れたのか?」
レオまで驚いて手を止める。
「なんでそんなに驚くの?」
リアムが不思議そうに首を傾げた。
「だって、さっきまでまだあったよね?」
「ずっと売ってたからね」
「ずっとって……」
ルナは呆然と空になった机を見る。
みんなで乾かして、縫って、花を詰めて作った香り袋。
一つ売れただけでもあんなに嬉しかったのに、それが今はもう一つも残っていない。
「ルナ、喜ぶのはあとだ」
マシューに言われ、はっとする。
「あっ、そうだった!」
まだ揚げ芋を待っている客がいる。
ルナは慌てて鍋に向き直った。
それからもしばらく忙しい時間が続いたが、昼を過ぎた頃になると、ようやく客足が少し落ち着き始めた。
「……落ち着いた?」
ミアが恐る恐る店の前を見る。
まだ広場には多くの人がいるものの、先ほどまであった列はなくなっている。
「あっ!」
その時、ミアが今さら思い出したように声を上げた。
「香り袋、全部売れたんだった!」
「そうだった……」
ルナもようやく実感する。
朝、自分たちで一つずつ並べた香り袋は、もう一つも残っていない。
「本当に全部売れたんだね」
「だから、さっきからそう言ってるよ」
リアムが笑う。
「だって、あの時は忙しくてそれどころじゃなかったんだもん」
ミアが言い返す。
ルナは空になった机を見ながら、嬉しさが込み上げてくるのを感じた。
「……全部売れた」
最初は、一つも売れないかもしれないと思っていた。
それが、用意した分すべてが誰かの手に渡ったのだ。
「やったね、ルナ!」
「うん!」
二人で顔を見合わせて笑う。
「リアムもありがとう。いっぱい売ってくれたんだね」
「どういたしまして。結構楽しかったよ」
「やっぱり楽しんでたんだ」
「うん。またやってもいいくらい」
「王弟の仕事じゃないだろ」
マシューが呆れたように言った。
「休暇中なんだからいいじゃん?」
そんな二人のやり取りに、ルナは笑う。
そこで、ふとお腹が鳴りそうになった。
そういえば、朝食を食べてからずっと動きっぱなしだ。
「……みんな、お腹空いてない?」
「空いた!」
真っ先に答えたのはミアだった。
「俺も腹減ったな」
「俺も」
レオとリアムも続く。
時間を確認すれば、いつの間にか昼を大きく過ぎていた。
「もうこんな時間なんだ……」
忙しくて、まったく気づかなかった。
「まだ揚げ芋は残ってるし、全員で店を離れるわけにはいかないよね」
「交代で食べればいいだろ」
マシューの言葉に、ルナは頷く。
「じゃあ、何か買ってこようか」
「俺も行くよ」
リアムがすぐに手を挙げた。
「リアムも?」
「五人分でしょ? 一人じゃ持つの大変じゃない?」
「それもそうだね」
今なら客も少ない。
ルナはマシューたちに店を頼み、リアムと一緒に昼食を買いに行くことにした。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
「ああ。こっちは見ておく」
店を離れたルナとリアムは、昼食を買うため広場の中央へ向かった。
昼を過ぎても、祭りは多くの人で賑わっている。
食べ物を売る露店の前にはあちこちに人が並び、美味しそうな匂いが漂っていた。
「何がいいかな」
「すぐ食べられるものがいいんじゃない?」
「そうだね。店に戻らないといけないし」
二人で露店を見て回り、肉と野菜を挟んだパンを人数分買う。
飲み物も用意して、店に戻ることにした。
その途中、隣を歩いていたリアムがふいに口を開いた。
「ルナ、楽しそうだね」
「え?」
「お店。すごく楽しそうにしてたから」
言われて、ルナは少し考える。
朝は本当に売れるのか不安だった。
最初の客が来た時には慌てて、列ができてからは休む暇もなかった。
それでも——。
「……うん。楽しいかも」
大変だったけれど、嫌ではなかった。
自分たちで作ったものを誰かが買ってくれる。
美味しいと言ってもらえる。
それが思っていた以上に嬉しい。
「でも、リアムだって楽しんでたでしょ?」
「まあね」
リアムはあっさり認めた。
「楽しかったよ。いろんな人と話せたし」
「やっぱり」
ルナが笑う。
するとリアムも笑ってから、少しだけ声を和らげた。
「でも、よかった」
「何が?」
「最初はずっと不安そうな顔してたから」
ルナは目を瞬いた。
「そんなに分かりやすかった?」
「結構ね」
「……恥ずかしい」
「別にいいんじゃない?」
リアムは前を向いたまま続ける。
「でも今みたいに笑ってる方がいいよ」
「……」
思いがけない言葉に、ルナは一瞬返事に困った。
なんとなく顔を見られなくなって、抱えているパンに視線を落とす。
「……ありがとう」
小さく答えると、リアムはいつもと変わらない調子で「うん」と返した。
しばらくして店に戻ると、ミアがすぐに駆け寄ってきた。
「おかえり!」
「ただいま。パン買ってきたよ」
「待ってた!」
まだ時折客がやってくるため、全員で一度に休むことはできない。
まずミアとレオが食べ、その間はルナたちが店を担当する。食べ終われば交代して、今度はルナたちが遅い昼食を取った。
短い休憩を挟んだあとは、再び店を開く。
午後になっても揚げ芋は順調に売れていった。
午前中ほど長い列にはならなかったものの、客足が途切れることはほとんどない。
そして、用意していた芋も少しずつ減っていった。
「ルナ、もうこれだけだぞ」
レオが残っている芋を見せる。
「本当?」
朝にはたくさんあった芋が、残りわずかになっている。
「これなら全部売れるかも!」
ミアが嬉しそうに言う。
「最後まで分からないよ」
そう答えながらも、ルナも期待してしまう。
そして、それからしばらくして。
「揚げ芋を二つください」
「はい!」
ルナは残っていた芋を確認する。
「あ……」
「どうした?」
マシューが隣から覗き込む。
「これで最後」
最後の芋を鍋に入れる。
油の中で、細く切った芋が音を立てる。
ルナはその様子をじっと見守った。
きつね色になったところで取り出し、油を切って塩を振る。
二つに分けて、待っていた客に渡した。
「お待たせしました!」
「ありがとう」
客が揚げ芋を受け取り、代金を支払う。
その姿が離れていくのを見送ってから、ルナは空になった材料置き場を見た。
「……終わった?」
ミアが聞く。
「うん」
ルナは頷いた。
「全部売れたよ」
一瞬の沈黙のあと、ミアが両手を上げた。
「やったー!」
「本当に全部売れたな」
レオも嬉しそうに笑う。
「香り袋も揚げ芋も完売だね」
リアムが空になった机を見る。
「最初はどうなることかと思ったけどな」
マシューの言葉に、ルナは苦笑した。
「私も、一つも売れないかもしれないって思ってた」
朝は誰も立ち止まってくれなかった。
試食を始めて、初めて一つ売れて。
そこから少しずつ客が増えて、気づけば列までできた。
そして今、用意していた商品は何も残っていない。
「全部売れたんだ……」
改めて口にすると、嬉しさが込み上げてきた。
「みんな、ありがとう」
「何言ってるの」
ミアが笑う。
「みんなのお店だったでしょ?」
「……うん」
ルナも笑った。
五人で考えて、五人で準備して、五人で開いた一日だけの店。
大変だった。
失敗するかもしれないと不安にもなった。
それでも、とても楽しかった。
空になった机を囲みながら、五人は初めての完売を喜び合った。
その後は、みんなで店を片づけた。
使った鍋や調理道具をまとめ、机の上も綺麗にする。
借りていた道具を商業ギルドに返し、必要な手続きを済ませる頃には、すっかり夕方になっていた。
「疲れた……」
月花亭に戻るなり、ミアが椅子に座り込む。
「今日はずっと動いてたもんね」
「でも楽しかった!」
疲れていると言いながらも、その顔は満足そうだった。
ルナも同じ気持ちだった。
「まだ終わってないぞ」
マシューが言う。
「売上を確認するんだろ?」
「あ、そうだった」
ルナたちはテーブルを囲み、今日受け取ったお金を並べた。
ミアと一緒に金額を確認し、そこから材料費や出店料、道具の利用料を引いていく。
「……ちゃんと利益が出てる」
「よかったね!」
ミアが嬉しそうに笑う。
大きな金額ではない。
けれど、初めて自分たちで商品を考えて売った結果として残ったお金だと思えば、ルナには十分だった。
「物を売るって、こんな感じなんだ……」
ぽつりと呟く。
何を売るか考えて、材料を揃えて、値段を決める。
商品を作るだけではなく、どうすれば手に取ってもらえるのかも考えなければならない。
「料理を作るだけとは、全然違うね」
「そりゃそうだろ」
レオが言う。
「作って終わりじゃないからな」
「うん」
実際にやってみて、初めて分かったことがたくさんあった。
きっと自分がまだ知らないことも、それ以上にあるのだろう。
今日うまくいったからといって、次も同じように売れるとは限らない。
それでも。
「……楽しいかも」
ルナは手元に残った売上を見ながら、小さく笑った。
「これから商売するの?」
「まだ分からないよ」
ミアの問いに、ルナは笑って答える。
「分からないこともいっぱいあるし。でも、また機会があったらやってみたいな」
「その時も手伝うよ!」
「俺もいいぞ」
「俺もやりたい」
すぐにリアムまで加わる。
「リアムは本当に気に入ったんだね」
「結構向いてたと思わない?」
「自分で言うんだ……」
ルナが笑うと、マシューが小さくため息をついた。
初めての、一日だけの店。
大変なことも、不安なこともあった。
けれど、自分で考えたものを誰かが手に取り、喜んでくれる。
そんな一日を経験して、ルナの中にまた一つ、新しい選択肢が増えていた。




