マレットの町 6
当日の朝。
身支度を終えたルナたちは、一階の食堂に向かった。
「おはようございます!」
食堂に入ると、すでにソフィーが朝食の準備を手伝っていた。
「おはよう、ソフィー」
「いよいよ今日ですね!」
ソフィーに言われ、ルナは少し緊張しながら頷いた。
「うん。ちゃんと売れるといいんだけど……」
「大丈夫ですよ。私も最初はすごく緊張しましたから」
「そういえば、ソフィーは昨日からだったよね。どうだった?」
昨日は自分たちの準備に追われていて、店を見に行くことができなかった。
「思ってたよりずっと売れて、用意していた分は全部なくなりました!」
「本当?」
「はい。途中で足りなくなりそうになって、最後は少しずつ出してたくらいです」
嬉しそうに話すソフィーを見て、ミアが目を輝かせる。
「すごい!」
「ありがとうございます。でも、今日は昨日より少し多めに用意したので、もっと忙しくなりそうです」
「お互い頑張ろうね」
「はい!」
ソフィーと笑い合ってから、ルナたちも朝食を食べ始めた。
けれど、いつもより少し落ち着かない。
必要なものは揃えた。
何度も確認もした。
それでも、本当にお客さんが来てくれるのかは、店を開いてみなければ分からない。
「ルナ、さっきから全然食べてないよ」
ミアに言われ、ルナは自分の皿を見る。
「あ……」
「緊張してる?」
「ちょっとだけ」
「今からそんな調子でどうするんだよ」
レオが呆れたように言う。
「分かってるよ」
ルナは苦笑すると、残っていたパンを口に運んだ。
今日はきっと忙しくなる。
そのためにも、朝食くらいはしっかり食べておかなければならない。
朝食を終えると、五人は必要な荷物を持って月花亭を出た。
外に出たルナは、青く晴れた空を見上げる。
「いい天気でよかった」
「雨だったら大変だったもんね」
ミアも空を見上げる。
祭りも終盤ということもあって、町は朝から賑わっていた。
花で飾られた通りを、広場に向かう人たちが歩いている。
ルナたちはまず商業ギルドに向かった。
受付で手続きを済ませ、予約していた露店用の道具を受け取る。
商品を並べるための机や調理台。
芋を揚げるための大きな鍋。
そのほか、事前に頼んでおいた細かな調理道具も確認していく。
「これで全部だね」
ルナが確認すると、レオが荷物を持ち上げる。
「じゃあ、運ぶか」
「俺も持つよ」
リアムも手を伸ばし、マシューと三人で大きな道具を分担する。
ルナとミアも残りの荷物を抱え、広場に向かった。
この前確認した区画に着くと、ルナは一度辺りを見回した。
周囲の露店では、すでに店主たちが商品を並べたり、料理の仕込みをしたりと忙しそうに動いていた。
「あたしたちも準備しよう!」
ミアの声に、ルナも頷く。
「うん」
まずは机と調理台を置く位置を決める。
「鍋はこっちの方がいいかな。お客さんから少し離した方が安全だよね」
「ああ。火を使うなら奥にしておけ」
マシューと相談しながら調理台を奥に置き、その上に鍋を準備する。
レオは芋や油を使いやすい場所に運び、リアムは机を動かして店の形を整えていく。
ルナとミアは持ってきた匂い袋を一つずつ並べた。
「こうして並べると可愛いね」
色の違う小さな袋が並んでいるのを見て、ミアが嬉しそうに笑う。
「うん。頑張って作ったもんね」
最後に、商品名と値段を書いた札を用意することにした。
「こっちは『ラベンダーの香り袋』でいいよね」
「分かりやすいし、いいと思う」
問題はもう一つだった。
「フライドポテト……って書いても、みんな何のことか分からないよね」
「芋を揚げたものなんだろ?」
レオが言う。
「だったら『揚げ芋』でいいんじゃないか?」
「そのままだね」
「でも、何を売ってるかは分かるぞ」
「確かに」
初めて見る料理なのだから、変に凝った名前より分かりやすい方がいい。
「じゃあ、『揚げ芋』にしよう」
二つの商品名と値段を書き、それぞれ見やすいところへ置く。
ラベンダーの香り袋。
揚げ芋。
昨日までは何もなかった小さな区画に、机が置かれ、商品が並び、調理の準備も整った。
ルナは少し離れたところから、その光景を眺めた。
「……本当にお店になったね」
「なったね!」
ミアも隣に並ぶ。
広場の端にある、小さな一日限りの店。
立派な看板も、華やかな飾りもない。
それでも、自分たちで考えて、自分たちで準備した店だった。
「そろそろいいんじゃない?」
リアムに言われ、ルナは周囲を確認する。
「……うん。そうだね」
急に緊張してきた。
ルナは並べた商品をもう一度確認し、小さく息を吐く。
「じゃあ、始めようか」
広場を歩く人の数も少しずつ増えてきた頃、ルナにとって初めての店が開店した。
中央の露店が集まる辺りからは、楽しそうな話し声や店主たちの呼び声が聞こえてくる。
食べ物を手に歩く人や、花飾りをつけた子供たちも多い。
ルナたちの店の前にも、時折人が通っていく。
「いらっしゃいませ!」
ミアが元気よく声をかける。
その声にこちらを見る人はいる。
机に並んだ香り袋に目を向ける人もいれば、揚げ芋の札を読む人もいた。
けれど——。
「……行っちゃった」
ミアが小さく呟く。
少し気にする様子はあっても、立ち止まって商品を見る人はいない。
次に通った二人組も、店の方をちらりと見ただけで、そのまま広場の中央に向かってしまった。
店を開いてからしばらく経っても状況は変わらなかった。
人は通る。
こちらを見る人もいる。
けれど、最初の客はなかなか現れない。
ルナは並べた香り袋に目を落とした。
「……やっぱり駄目なのかな」
思っていた以上に、不安になる。
頑張って準備したからといって、売れるとは限らない。
頭では分かっていたはずなのに、実際に誰も立ち止まってくれないと、だんだん自信がなくなってくる。
「まだ始めたばかりだろ」
レオが言った。
「そうだよ。まだそんなに時間も経ってないし」
リアムも気にした様子はない。
「場所も端だからな。中央より人が少ないのは最初から分かってただろ」
マシューにも言われ、ルナは小さく頷く。
「うん……そうなんだけど」
もう一度、通りに目を向ける。
ちょうど一人の女性がこちらを見ながら歩いていた。
視線は一度、揚げ芋の札へ。
それから調理台に向かう。
けれど、やはり立ち止まることなく通り過ぎてしまった。
「でも、ちらっと見てくれる人は結構いるんだよね」
ルナが言うと、ミアも頷く。
「うん。あの人も見てたよね」
「興味がないわけじゃないのかな……」
ルナは考える。
香り袋も、この町ではあまり馴染みがない。
揚げ芋にいたっては、名前を見ただけではどんな味なのか想像しにくいだろう。
「見慣れないから、買うのを迷ってるのかも」
「食べてもらえたら、美味しいって分かるのにね」
ミアが残念そうに揚げ芋を見る。
「……食べてもらう」
その言葉に、ルナは顔を上げた。
「どうしたの?」
「そうだよ。買ってもらう前に、食べてもらえばいいんだ」
「買う前に?」
「うん。試食してもらうの」
前世の店でも、新しい食品を小さく切って客に配っていることがあった。
知らない食べ物だから買ってもらえないのなら、まず味を知ってもらえばいい。
「揚げ芋を小さくして、少しずつ食べてもらうの。美味しいと思った人だけ買ってくれればいいんだよ」
「それいいね!」
ミアの表情が一気に明るくなる。
ルナも、少しだけ希望が見えてきた気がした。
「やってみようか」
ただ待っているだけでは何も変わらない。
初めての店なのだから、できることを一つずつ試してみればいい。
ルナはさっそく、少量の芋を油で揚げた。
出来上がった揚げ芋を短く切り、試食用に用意した小さな木串に一つずつ刺した。
「これを食べてもらえばいいんだよね?」
「うん。でも、無理に勧めなくていいからね」
「分かってるって!」
ミアは試食を手にすると、さっそく店の前に出た。
ちょうど近くを歩いていた二人組の女性に目を向ける。
「あの、よかったら食べてみませんか?」
突然声をかけられ、二人が足を止めた。
「これは?」
「揚げ芋です。芋を油で揚げて、塩で味付けしてるんです」
「芋を油で?」
二人は不思議そうに店の方を見る。
「試食なので、お金はいりませんよ」
「じゃあ、一つだけ」
一人が手を伸ばした。
口に入れ、さくりと噛む。
「あら、美味しい」
「本当?」
「食べてみて」
もう一人も試食を受け取る。
「……美味しい。芋なのに、外がカリッとしてるのね」
「揚げたてはもっと美味しいですよ!」
ミアがすかさず勧める。
二人は顔を見合わせると、店の前までやってきた。
「じゃあ、一つください」
「はい!」
返事をしたのはミアだった。
一方、ルナは一瞬固まっていた。
「ルナ、注文!」
「えっ? あ、うん!」
慌てて鍋の前に向かう。
初めての注文だ。
何度も練習したはずなのに、急に手元が落ち着かなくなる。
「芋……芋を入れて……」
「ルナ、落ち着け」
隣からマシューの声が飛んでくる。
「分かってるよ」
そう答えながらも、ルナは慎重に芋を油に入れた。
ジュワッと大きな音がして、香ばしい匂いが広がる。
揚がるのを待っている間にも、ミアは次の人に試食を勧めていた。
「よかったらどうぞ!」
今度足を止めたのは、親子連れだった。
母親が少し迷ったあと、子供が先に手を伸ばす。
「おいしい!」
その声に母親も一つ食べる。
「本当ね。じゃあ、私たちも一ついただこうかしら」
「ありがとうございます!」
二組目だ。
ルナは嬉しく思いながらも、今は最初の注文を仕上げなければならない。
揚がった芋を油から上げ、余分な油を切る。
塩を振って、用意していた紙の容器に入れた。
「お待たせしました!」
ミアが受け取り、最初の客に渡す。
「ありがとう」
代金を受け取る。
その様子を見ながら、ルナは胸の奥がふわりと浮き立つのを感じた。
売れた。
自分たちの商品を、初めて誰かが買ってくれた。
けれど、喜んでいる暇はない。
「ルナ、次の分!」
「あ、うん!」
二組目の注文が待っている。
ルナは再び芋を油に入れた。
「少しお待ちくださいね」
ミアが親子に声をかける。
待っていた母親は何気なく机に目を向けた。
「これは何かしら?」
指差したのは、並べてある小さな布袋だった。
「ラベンダーの香り袋だよ」
近くにいたリアムが一つ手に取る。
「中に乾燥させたラベンダーが入っていて、部屋に置いたり、鞄に入れたりして香りを楽しめるんだよ」
「へえ……」
母親が興味を示し、リアムから袋を受け取った。
そっと鼻を近づける。
「いい香り」
今度は隣にいた子供も匂いを嗅ぐ。
「ほんとだ!」
「香水より気軽に使えるよ」
リアムが説明すると、母親は並んだ袋を見比べ始めた。
「どれにしようかしら……」
しばらく迷ったあと、一つを選ぶ。
「これもいただくわ」
「ありがとう」
リアムが代金を受け取った。
「ルナ、香り袋も売れたよ」
「えっ?」
芋を揚げていたルナが振り返る。
「本当?」
「うん。これが最初の一個」
リアムが空いた場所を指差した。
そこには先ほどまで、ミアと一緒に作った香り袋が並んでいた。
ルナは思わず、その場所をじっと見つめる。
揚げ芋だけじゃない。
ラベンダーを買って。
レオとリアムが乾燥させて。
ミアと一緒に袋を縫って。
マシューが一つずつ花を詰めた。
そうして作ったものを、知らない誰かがお金を出して買ってくれた。
「……売れたんだ」
たった一つ。
それでも、思っていたよりずっと嬉しかった。
「ルナ、芋」
「あっ!」
マシューに言われ、慌てて鍋に向き直る。
「危ない、忘れるところだった……」
「喜ぶのはあとにしろ」
「うん!」
そう返事をしながらも、ルナの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
初めて自分たちで考え、作り、売った商品。
その売り上げは、ルナにとって金額以上に嬉しいものだった。




