マレットの町 3
翌朝。
朝食を終えたルナたちは、そのまま月花亭の食堂に残っていた。
「みんな、昨日のことなんだけど……」
ルナがそう切り出すと、ミアがすぐに顔を上げた。
「お店のこと?」
「うん」
ルナは小さく頷く。
昨日、露店の準備をしていたソフィーを見て、楽しそうだと思ったのは本当だ。
ミアから自分もやってみたらと言われてから、ずっとそのことが頭に残っていた。
「実際に自分でお店を出すところまでは、まだ考えてなかったから……ちょっと迷ってて」
何を売るのかも決まっていない。
そもそも、自分に店なんてできるのだろうか。
「でも、やってみたいんでしょ?」
ミアに尋ねられ、ルナは少し考えてから頷いた。
「……うん。ちょっとだけ」
「だったら、やってみようよ。ルナがやりたいなら、あたしも手伝うから」
「俺も手伝えるぞ」
レオも続ける。
「一人で全部やる必要はないだろ」
「俺も手伝うよ。祭りで店を出すなんて面白そうだし」
リアムまで楽しそうに言う。
「みんな……」
ルナは嬉しくなりながらも、まだ少し迷っていた。
そんなルナを見て、マシューが口を開く。
「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「これからずっと店をやるって決めるわけじゃないだろ。祭りの間に一度試してみるだけだ」
「一度……」
「ああ。やってみて楽しかったなら、またやればいい。違うと思ったなら、それで終わりにすればいいだろ」
その言葉に、ルナは少し肩の力が抜けた。
確かに、今ここで将来を決める必要はない。
興味があるのなら、一度くらい試してみてもいいのかもしれない。
「……一日だけなら、やってみたいかも」
ルナがそう言うと、ミアの顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ決まり!」
「まだお店を出せるかも分からないよ」
「それは今から聞けばいいじゃない」
すっかりやる気になっているミアに、ルナは笑った。
「そうだね。まずはどうしたらいいのか聞いてみないと」
ちょうどその時、食堂にソフィーが入ってきた。
「おはようございます。朝食は足りましたか?」
「うん。ごちそうさま」
ルナは答えてから、さっそく尋ねてみることにした。
「ソフィー、ちょっと聞いてもいい?」
「はい。何ですか?」
「昨日話してた露店なんだけど……私も出してみようかなって思ってて」
「本当ですか!」
ソフィーが嬉しそうに目を輝かせる。
「いいですね! ぜひやりましょう!」
「まだ出せるか分からないけどね。それで、露店を出すにはどうしたらいいのかなって」
「あ、それなら商業ギルドに行けばいいですよ」
「商業ギルド?」
聞き覚えのある言葉に、ルナはマシューを見る。
「お祭りの露店は商業ギルドが管理してるんです」
ソフィーはそう言って、自分もそこで申し込んだことを教えてくれた。
「ただ、今年もすごく人気なので、もう空いてる場所は少ないと思います」
「そっか……」
祭りはすでに半分近くまで来ている。
今から申し込むのだから、それは仕方がない。
「でも、聞いてみないと分からないですよ。商業ギルドの場所、教えますね」
「ありがとう」
ソフィーから場所を教えてもらい、ルナは改めてみんなを見る。
「じゃあ、行ってみようか」
「うん!」
まだ店を出せると決まったわけではない。
それでも昨日までとは違い、ルナの中には少しだけ楽しみな気持ちが生まれていた。
ソフィーに教えてもらった道を進み、ルナたちは商業ギルドに向かった。
大通りから一本入ったところにある三階建ての建物で、入口には商業ギルドの紋章が掲げられている。
「ここだね」
ルナが扉を開けると、中にはいくつもの受付が並んでいた。
冒険者ギルドとは、ずいぶん雰囲気が違う。
依頼を探す冒険者たちで賑わっているあちらとは違い、こちらでは商人らしい人たちが受付で書類を広げたり、職員と話し込んだりしている。
壁際にも依頼書ではなく、貸店舗や取引に関する案内が並べられていた。
「なんか静かだね」
ミアが小声で言う。
「冒険者ギルドとは全然違うな」
レオも少し落ち着かない様子で辺りを見回していた。
空いている受付を探していると、一人の女性がルナたちに気づいた。
「ご用件を伺います」
眼鏡をかけた、きりっとした雰囲気の女性だった。
長い髪を後ろできっちりとまとめ、姿勢よく受付に座っている。
ルナたちはその前に向かった。
「花祭りで、露店を出してみたいんですけど……」
「露店ですね」
女性は手元の書類を確認してから、ルナを見る。
「商業ギルドには登録されていますか?」
「いえ、まだです」
「でしたら、先に登録が必要になります」
「やっぱりそうなんですね」
ハセンでマシューから聞いていた通りだった。
「初めてのようですので、簡単にご説明しますね。私はアリッサです。本日は私が担当いたします」
「お願いします」
ルナが頭を下げると、アリッサは一枚の案内を取り出した。
「商業ギルドでは、商売をする方の登録や、露店や店舗の管理、取引の仲介などを行っています。登録者にはランクがあり、最初は全員Fランクです」
「一日だけの露店でも登録できますか?」
「もちろんです。Fランクなら年会費はかかりません。ただ、最初の登録時に登録料が必要になります」
「分かりました」
その答えに、ルナは少し安心した。
「冒険者ギルドと少し似てるね」
ミアが言うと、アリッサが頷いた。
「仕組みとしては似ていますね。ただし、こちらで重視されるのは商売の実績と信用です」
ルナは納得して頷いた。
冒険者なら依頼をこなし、実力と実績を積んでいく。
商人なら商品を売り、取引を重ねて信用を積んでいくのだろう。
「それから、露店や店舗を利用する場合は、それぞれ別に利用料が必要になります」
「分かりました」
ここまで説明したところで、アリッサが眼鏡の位置を軽く直した。
「それでは、登録の前に花祭りの露店に空きがあるか確認しましょうか。今からですと、かなり限られていると思いますので」
「お願いします」
ルナは少し緊張しながら、アリッサが取り出した祭りの資料に目を向けた。
アリッサは出店状況が書かれた資料に目を通していく。
「そうですね……」
しばらくして、その指が一か所で止まった。
「三日後でしたら、一か所だけ空いています」
「本当ですか?」
ルナは思わず身を乗り出した。
「はい。ただ、場所はあまりよくありません」
アリッサが簡単な地図を広げて指差す。
祭りの露店が集まる広場の中でも、中心から外れた端の方だった。
「こちらは追加の出店用に用意されている区画です。人通りは中央ほど多くありません。それでもよろしいですか?」
「一日だけなんだし、いいんじゃない?」
ミアが地図を覗き込みながら言う。
ルナも少し考えてから頷いた。
「はい。大丈夫です」
「では、一日分の出店料はこちらになります」
提示された金額は、払えないほどではなかった。
もっとも、商品がまったく売れなければ、そのまま赤字になる。
(本当に商売するんだ……)
そう思うと、急に緊張してきた。
「それから、出店にはいくつか決まりがあります」
アリッサが別の紙を取り出す。
「指定された区画から商品や荷物を大きくはみ出させないこと。他の露店の迷惑になるような客引きをしないこと。飲食物を販売する場合は、商品が決まり次第、事前に申告してください」
「はい」
「衛生管理にも気をつけていただきます。火を使う場合も、必ず事前に申告してください。祭りでは人が多くなりますので、火の扱いには特に注意していただきます」
「分かりました」
今のところ何を売るのかすら決まっていないが、覚えておいた方がよさそうだ。
「あの、机や椅子などは自分で用意するんですか?」
ルナが尋ねる。
「持ち込んでも構いませんが、商業ギルドでも貸し出していますよ」
「借りられるんですか?」
「はい。露店用の机や簡単な屋根、商品を並べるための台などがあります。調理をする方には、露店で使える簡単な器具も一部用意しています」
旅の途中で大きな道具を持っていないルナにとってはありがたい。
「ただし、数には限りがあります。特に花祭りの期間中は利用者が多いので、必要なものが決まったら早めに申し込んでください」
「分かりました」
何を売るか決めたら、改めて必要なものを確認することになりそうだ。
説明を終えたアリッサがルナを見る。
「以上ですが、どうされますか? 登録されるなら、そのまま三日後の場所も確保できますよ」
「……」
ルナはもう一度、地図に記された小さな区画を見る。
場所は決してよくない。
何を売るかも、まだ決めていない。
それでも、昨日楽しそうに露店の準備をしていたソフィーの姿を思い出す。
「ルナ」
隣にいたミアが笑う。
「やってみようよ」
「……うん」
ルナは頷いて、アリッサに向き直った。
「登録します。それと、三日後の場所も借りたいです」
「承知しました」
アリッサはすぐに登録用の書類を用意した。
名前など必要な項目を書き込み、登録料と出店料を支払う。
手続きが終わると、アリッサから一枚のカードを渡された。
「こちらが商業ギルドの登録証です。ルナさんは本日からFランクとなります」
「ありがとうございます」
ルナはカードを受け取った。
冒険者ギルドのものとは違う、新しいカード。
手の中にあるそれを見ていると、少し不思議な気分になる。
「これでルナも商人だね!」
ミアが嬉しそうに言う。
「商人って言われると、まだ全然そんな感じしないけど……」
ルナは苦笑しながらも、もう一度カードに目を落とした。
一日だけの小さな露店。
まだ何を並べるのかさえ決まっていない。
それでも、本当に自分で商品を売ることになったのだ。
商業ギルドを出たルナたちは、そのまま三日後に借りた場所を見に行くことにした。
向かったのは、昨日も訪れた祭りの広場だった。
今日も多くの露店が並び、たくさんの人が行き交っている。
その中を進み、ギルドでもらった地図を頼りに広場の端へ向かう。
「この辺りだと思うんだけど……」
ルナは地図と周囲を見比べながら歩き、やがて足を止めた。
「あ、ここかな」
そこには今、露店は出ていなかった。
広場の中央には露店が隙間なく並び、道を歩く人たちも自然とそちらに集まっている。
それに比べると、この辺りはずいぶん落ち着いていた。
「本当に端っこだね」
ミアが辺りを見回す。
「中央とは全然違うな」
レオの言葉に、ルナも頷いた。
周囲にもいくつか露店はあるものの、中央ほど密集していない。
目の前を通る人もいるが、ほとんどは広場の中心に向かう途中か、店を見終えて戻っていく人たちだった。
アリッサが『あまりいい場所ではない』と言っていた意味が、実際に来てみるとよく分かる。
「お客さん、来てくれるかな……」
ルナが呟く。
「全然人が来ないわけじゃないし、大丈夫じゃない?」
リアムが通りに目を向ける。
ちょうど何人かの親子が話をしながら前を通り過ぎていった。
「それに、中央より空いてるから、ゆっくり見てもらえるかもしれないよ」
「そうだね」
ルナはもう一度、借りた区画を見る。
広さは十分にある。
机を置いて商品を並べても、五人で作業するくらいの余裕はありそうだった。
「ここに机を置くんだよね」
ミアが何もない場所を指差す。
「うん。商品はこの辺りに並べて……」
ルナも頭の中で店の姿を思い描いてみる。
今は何もない場所に机が置かれ、そこに自分で用意した商品が並ぶ。
そして、その前に立って、お客さんに商品を渡す。
「ここでお店をするんだ……」
口にすると、急に現実味が増した。
楽しみな気持ちと同時に、本当に売れるのだろうかという不安も湧いてくる。
「それで、ルナ」
隣にいたミアが尋ねる。
「何を売るの?」
「……それを今から考えるの」
「決めてなかったのか?」
レオが少し驚いたように言う。
「だって、お店を出せるか分からなかったから。場所が借りられたら考えようと思ってたの」
ルナはそう答えてから、四人を見る。
「だから、みんなの意見も聞かせてほしいな。一人で考えるより、その方がいいものを思いつきそうだし」
「もちろん!」
ミアが真っ先に答える。
「俺もいいぞ」
「面白そうだね。何が売れるか考えてみようよ」
レオとリアムも頷いた。
マシューはそんな三人を見てから、ルナに視線を向ける。
「店を出すまで三日しかない。あまり手間のかかるものにすると大変だぞ」
「そうだね。それも考えないと」
商品を決めて、必要な材料を集めて、実際に作る。
値段も決めなければならないし、必要な道具があれば商業ギルドで借りる手続きも必要になる。
飲食物なら、販売するものの申告もしなければならない。考えてみると、やることはたくさんあった。
「これから忙しくなりそうだね」
ルナが言うと、ミアは楽しそうに笑った。
「でも、楽しそう!」
「うん」
ルナも笑って頷く。
忙しくなることへの不安よりも、今は何を売ろうかという楽しみの方が大きかった。
「じゃあ、宿に戻ったらみんなで考えよう」
「賛成!」
ルナは最後にもう一度、借りた区画を振り返った。
三日後には、ここに自分たちの商品が並ぶ。
そう考えると、少しだけ胸が弾んだ。




