1-6
翌日。
午前の仕事を終えたミアは、頼まれていた買い出しのため屋敷を出た。いくつかの店を回ったあと、荷物を抱えたまま王都の冒険者ギルドに向かう。
昼時ということもあり、ギルドの中は依頼を探す冒険者や、朝の仕事を終えて戻ってきた者たちで賑わっていた。受付の前には列ができ、奥の酒場からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
ミアは辺りを見回し、少し離れた席に見慣れた姿を見つけた。
「レオ」
名前を呼ぶと、椅子に座っていた青年が顔を上げる。
「お、ミアか」
明るい茶色の髪に、緑色の瞳。十七歳になった今は、孤児院で暮らしていた頃より背も伸び、冒険者らしい引き締まった体つきになっていた。
レオは片手を上げてミアを呼ぶ。
「今日は買い出しか?」
「うん。でも、少し相談したいことがあるの」
ミアが向かいの椅子に腰を下ろすと、レオはその表情を見て笑みを消した。
「何かあったのか?」
周囲には大勢の冒険者がいる。
ミアは声を落とし、レオに身を寄せた。
「ここでは、あまり詳しく話せないんだけど……」
「分かった」
レオも少し声を落とす。
「何の相談だ?」
ミアは一度周囲を確認してから話し始めた。
「私がお仕えしている方が、事情があって王都を離れようとしているの」
「……ルナ様のことか?」
すぐに名前を当てられ、ミアは小さく目を見開いた。
「どうして分かったの?」
「お前が俺に相談するほど心配する貴族なんて、その人くらいだろ」
レオは苦笑する。
「いつも話を聞かされてるしな」
「そんなに話してないよ」
「十分聞いてる」
軽く返したあと、レオは表情を引き締めた。
「それで、ルナ様が王都を出たい理由は?」
「それは、私からは話せない」
ミアはすぐに首を横に振った。
「ルナ様ご本人から話してもらった方がいいと思うから」
「家族には言ってないんだな?」
「うん」
「正式な旅行でもない?」
「……うん」
レオは腕を組み、しばらく黙り込んだ。
その表情から、ただの気まぐれではないと察しているようだった。
「俺に頼みたいのは護衛か?」
「まだ、お願いすると決まったわけじゃないの」
「違うのか?」
「ルナ様は、まずレオと直接会いたいって言ってる」
ミアは真剣な顔で続ける。
「私が信頼している人でも、自分で話して確かめたいって」
「それは当然だな」
レオはあっさりと頷いた。
「俺も一度会って話したい」
「ルナ様なら、本当に大丈夫だよ。優しくて、真面目で——」
「それは分かってる」
レオはミアの言葉を遮るように苦笑した。
「お前が大切にしてる人だってこともな。でも、家を出るっていうのは簡単な話じゃない」
レオの表情は真剣だった。
ただの気まぐれで家を出ようとしているのか、危険をどこまで理解しているのか。
きっと確かめたいことがいくつもあるのだろう。
「俺が協力するかどうかは、本人と話してから決める」
「うん。それでいい」
ミアは安心したように頷いた。
「今日、会えるか?」
「今日?」
「あまり時間を空けない方がいいんだろ?」
「それはそうだけど……」
ミアは少し考えた。
「……分かった。私を訪ねてきて」
「屋敷に行っていいのか?」
「使用人に面会する人は、裏の受付までなら入れるから。そこで私の名前を出してくれれば、呼んでもらえると思う」
「そのあと、ルナ様を連れてくるのか?」
「ううん」
ミアは首を横に振った。
「ルナ様を使用人の面会場所まで連れていく方が目立つと思う。私がレオを部屋まで案内する」
「……大丈夫なのか?」
レオが眉を寄せる。
「本当は駄目だよ。使用人の知り合いを、勝手に屋敷の奥まで連れていくんだから」
「見つかったら?」
「怒られるだけでは済まないかもしれない」
それでもミアは目を逸らさなかった。
「でも、ルナ様に屋敷の外へ出てもらうよりはいいと思う。今はお披露目式の準備で屋敷の中も慌ただしいから、人の少ない通路を選べば、部屋まで行けるかもしれない」
「危ないと思ったら?」
「その時はやめる。レオにはそのまま帰ってもらう」
「分かった」
レオはしばらく考えてから頷いた。
「武器はどうする?」
「持ってこないで」
「丸腰か」
「屋敷の中で使うことなんてないでしょう?」
ミアが呆れたように言うと、レオは肩をすくめた。
「まあな」
「冒険者の格好も目立つから、できれば普通の服で来て」
「分かった」
レオは立ち上がる。
「鐘が二度鳴る少し前でいいか?」
「うん。その頃なら、午後の仕事も少し落ち着いてると思う」
「じゃあ、その時間に行く」
レオはそこで一度言葉を切った。
「でも、ミア」
「何?」
「無茶はするなよ。少しでも危ないと思ったら、今日はやめろ」
「……うん。会う機会はまた作れるから」
「ああ」
ミアも席を立ち、買い物袋を抱え直した。
「それじゃ、あとで」
「ああ」
レオと別れたミアは、急いで残りの買い物を済ませ、屋敷に戻った。
◇◇◇
その日の午後。
フィールズ家の屋敷には、朝から多くの人が出入りしていた。
仕立て屋が衣装を運び込み、商会の使用人たちが祝いの品を届ける。
神殿からの使いも訪れ、執事や使用人たちは対応に追われていた。
鐘が二度鳴る少し前。
ミアが仕事をしていると、一人の使用人が声をかけてきた。
「ミア、あなたにお客様が来ていますよ」
「私に?」
「ええ。レオという方です。裏の面会室で待っていただいています」
「ありがとうございます」
ミアは平静を装って答えた。
予定通りだ。
それでも胸の鼓動が少し速くなる。
ミアは一度ルナの部屋へ向かった。
控えめに扉を叩く。
「ルナ様、ミアです」
「入って」
部屋に入ると、ルナがすぐに顔を上げた。
「どうだった?」
「レオに会えました」
ミアは扉を閉め、声を落とした。
「詳しい事情はまだ話していません。ルナ様と直接お話ししてから、協力するか決めたいそうです」
「そう」
ルナは緊張したように息を吐いた。
「それで……今、来ているの?」
「はい。使用人への面会ということで、裏の面会室で待ってもらっています」
「ここに連れてくるの?」
「そのつもりです」
ルナの表情に不安が浮かぶ。
「大丈夫なの?」
「大丈夫とは言えません」
ミアは正直に答えた。
「本当なら、面会に来た人をここまで連れてくることは禁止されています。見つかれば、私もただでは済まないと思います」
「それなら——」
「でも、ルナ様が外へ出るよりは安全です」
止めようとしたルナに、ミアは続ける。
「人がいたら今日は諦めます。絶対に無理はしません」
「……分かったわ」
ルナは迷った末に頷いた。
「気をつけてね」
「はい」
ミアは部屋を出た。
裏手にある使用人用の面会室に向かう。
そこには、普段の外套も剣も身につけていないレオが待っていた。
地味なシャツとズボンだけなら、冒険者には見えない。
「待たせてごめん」
「いや。それで、行けそうか?」
「今のところは」
ミアは周囲を確認する。
「ついてきて。でも、誰か来たらすぐ戻るから」
「分かった」
二人は面会室を出た。
本来なら、レオが入ることを許されているのはここまでだ。
その先へ進んでいるところを見つかれば、言い逃れはできない。
ミアは人通りの少ない使用人用の廊下を選んで進んだ。
角を曲がる前には必ず足を止め、誰もいないことを確かめる。
レオも黙って後についてくる。
階段に向かおうとしたところで、遠くから足音が聞こえた。
ミアはすぐに足を止めた。
「待って」
二人は廊下の脇へ身を寄せる。
やがて使用人の話し声が近づいてきた。
ミアは息を潜める。
足音は途中で別の廊下へ曲がり、少しずつ遠ざかっていった。
「……行こう」
再び歩き出す。
普段なら何でもない距離が、今日はひどく長く感じられた。
やがてルナの部屋がある廊下までたどり着く。
ミアは最後にもう一度周囲を確認した。
誰もいない。
「今」
二人は足早にルナの部屋へ向かった。
ミアが控えめに扉を叩く。
「ルナ様、ミアです」
「入って」
返事を聞くと、すぐに扉を開く。
レオを先に入れ、自分も続いて部屋に入った。
扉を静かに閉める。
部屋の中央では、ルナが緊張した様子で立っていた。
ミアの後ろから入ってきた青年に視線を向ける。
「その方が……」
「はい」
ミアはルナの隣に歩み寄った。
「昨日お話しした、レオです」
レオはルナの前に進み、少しぎこちなく頭を下げた。
「初めまして。レオです」
一度言葉を切り、困ったように頭をかく。
「悪いけど、丁寧な話し方はあまり得意じゃない。失礼があったら先に謝っておく」
その率直な言葉に、ルナは一瞬驚いたあと、柔らかく微笑んだ。
「初めまして、レオさん。ルナ・フィールズです」
「ミアから、いつも話を聞いてる」
「私の話を?」
「ああ。優しくて真面目で、何でも一人で抱え込む人だって」
「ミア」
ルナが恥ずかしそうに振り返ると、ミアは気まずそうに目を逸らした。
「何でもではありません」
「十分いろいろ聞いたけどな」
レオが苦笑すると、ルナも笑った。
張り詰めていた空気が、わずかに和らぐ。
しかし、レオはすぐに表情を改めた。
「時間もあまりないんだろ? 本題に入ろう」
「はい。まずは、私から事情をお話しします」
ルナは姿勢を正す。
レオは頷き、ルナの正面に腰を下ろした。




