1-5.5
一通りの話を終える頃には、すっかり夜も更けていた。
張り詰めていた空気が少しだけ緩み、二人は淹れ直した紅茶に口をつける。
ミアは少し懐かしそうに微笑んだ。
「ルナ様は、私と初めて会った日のことを覚えていらっしゃいますか?」
ルナは少し考え、小さく頷いた。
「……雑貨屋さんだったわね」
「はい」
それは四年前。
ルナが十一歳、ミアが十歳の頃だった。
その日、ルナは母と買い物に出かけていた。
母が仕立て屋に立ち寄っている間、護衛とともに近くの雑貨屋を見て回っていた時のことだった。
「待ってよ!」
店の奥から、必死な声が聞こえてくる。
「あと少しだけだから!」
思わず足を止めると、一人の少女が店主に頭を下げていた。
「お願い。残りは必ず持ってくるから」
「そう言われても困るよ」
店主は困ったように首を振る。
「取り置きは今日までって約束だっただろう?」
少女は唇を噛みしめる。
手には、小さな布で包まれた花の髪飾りが握られていた。
「院長先生に……プレゼントしたくて」
その声は今にも泣き出しそうだった。
ルナは店主に歩み寄る。
「足りない分は、おいくらですか?」
店主は驚いたようにルナを見る。
「銀貨一枚ですが……」
ルナは持っていた小遣い袋を護衛に渡した。
「お願いできますか?」
「かしこまりました」
護衛が代金を支払うと、店主はほっとしたように髪飾りを少女に差し出した。
「ありがとう!」
少女は大切そうに髪飾りを抱きしめる。
そしてすぐにルナに向き直った。
「……お金、絶対に返すから」
その目には強い警戒心が宿っていた。
助けてもらったからといって、簡単には信用しない。
そんな空気が伝わってくる。
ルナは少しだけ驚いた後、ふっと笑った。
「急がなくて大丈夫よ」
「でも……」
「返せる時でいいわ」
そう言って名前も聞かず店を後にした。
数日後、店主からルナがフィールズ子爵家の令嬢だと聞いたミアが、返金のため屋敷を訪ねてきた。
返金に来たミアから孤児院の話を聞き、興味を持ったルナは、後日そこを訪ねた。
そこから交流が始まった。
ルナはミアのいた孤児院を訪れるようになった。
最初は警戒して距離を置いていたミアも、少しずつ笑顔を見せるようになり、一緒に話をする時間が増えていった。
読み書きを教えたり、本を贈ったり。
他愛もない話をしたり。
気が付けば、ルナにとっても孤児院を訪れる時間は楽しみの一つになっていた。
そしてある日。
「ミア」
「はい?」
「屋敷で働きながら、私の侍女になるための勉強をしてみない?」
突然の誘いに、ミアは目を丸くした。
「……私が?」
「ええ」
ルナは優しく微笑む。
「ミアなら、きっと立派な侍女になれると思うの。それに……そばにいてくれたら、もっとたくさんお話ができるでしょう」
その誘いが、ミアの人生を大きく変えた。
ミアの返事を聞いたルナは、両親と執事に何度もお願いした。そして、ミアを見習いとして迎えることが認められた。
「あの日、ルナ様に出会っていなかったら、私は今ここにはいません」
ミアは優しく微笑むと、静かな声で続ける。
「孤児院を出た子どもの多くは、使用人や工房で働きます。けれど、貴族令嬢付きの侍女になれる者はごく一部です」
「……そう」
「読み書きも礼儀作法も必要ですし、孤児を雇ってくださる家は多くありません。だから、侍女になれるなんて思ってもいませんでした」
けれど、ルナは自分を選んでくれた。
読み書きが苦手だった頃は、何度も根気よく教えてくれた。
失敗をして落ち込めば、大丈夫だと励ましてくれた。
それだけではない。
初めて王都の夜会を遠くから眺めた日。庭園の花が咲いた日。新しいドレスが届いて、二人で喜んだ日。
この屋敷で過ごした四年間には、楽しい思い出がたくさんあった。
「いろいろな経験をさせていただきました」
ミアは小さく頷く。
「でも、一番嬉しかったのは侍女になれたことではありません」
真っ直ぐルナを見つめる。
「ルナ様に出会えたことです」
その一言に、ルナは言葉を失った。
「だから、今度は私がルナ様の力になりたいんです」
その瞳に迷いはない。
ルナはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……ありがとう。私もミアに出会えて嬉しいわ」




