ハセンの町 2.
翌朝。
ルナたちはメドウ亭の食堂で朝食を取っていた。
「そういえば、リアムたちは今日はどうするの?」
パンをちぎりながらルナが尋ねる。
「私たちは昨日受けた依頼で牧場に行くけど」
「俺たちも一緒に行っていい?」
リアムはすぐに答えた。
「一緒に?」
「うん。依頼には手を出さないから、ついていってもいいかな」
リアムたちは依頼を受けているわけではない。
あくまで三人についてくるだけということらしい。
「マシューも?」
「俺も行く。依頼の邪魔はしない」
当然のように返され、ルナは笑った。
「じゃあ、五人で行こうか」
朝食を済ませると、それぞれ準備を整えて牧場に向かった。
◇◇◇
依頼の牧場は、ハセンの町から歩いてしばらくのところにあった。
広い土地を囲うように木の柵が続き、その向こうでは牛や羊がのんびりと草を食べている。
「わあ……!」
ミアが嬉しそうに声を上げる。
「近くで見ると結構大きいね」
「ミア、見学は依頼が終わってからな」
「分かってるよ」
レオに言われ、ミアは名残惜しそうに牛から目を離した。
牧場の入口に向かうと、一人の男性が待っていた。
「冒険者ギルドから来ました。依頼を受けたレオです」
「ああ、待ってたよ」
牧場主はほっとしたように三人を迎えた。
レオは早速、依頼の詳しい状況を確認する。
「ゴブリンは二匹で間違いないですか?」
「俺たちが見たのは二匹だ。今のところ、それ以上は見てない」
「最初に現れたのはいつ頃ですか?」
「五日くらい前だったかな。それから何度か来てる」
ゴブリンは牧場に入り込み、家畜用の餌を持ち去っているという。
追い払おうとした際に柵も壊され、幸い家畜そのものには大きな被害は出ていないものの、このまま放っておくわけにもいかず、ギルドに依頼を出したらしい。
「現れる場所は決まってるんですか?」
「大体あっちだな」
牧場主が牧場の奥を指さした。
「森に近い方から来ることが多い。時間も昼前くらいが多いな」
「毎回同じくらいの時間に?」
「ああ。餌を出して少しした頃を狙ってるみたいでな」
「なるほど……」
レオは森の方に目を向ける。
「最後に来たのは?」
「昨日だ。その時も二匹だったよ」
話を聞き終えると、レオはルナとミアを見る。
「まずはよく出る場所を確認しよう。それから周りも見ておきたい」
「うん」
「分かった」
まだ昼前までは少し時間がある。
ルナたちは牧場主に案内してもらい、ゴブリンがよく現れるという場所に向かうことにした。
その場所まで来ると、レオは周囲を確認した。
片側には牧場が広がり、その先には家畜用の餌が置かれている。
反対側には木々が生い茂り、ゴブリンはいつもそちらから現れるらしい。
「ミアはあの辺りで待っててくれ。ゴブリンが来ても、俺が合図するまでは射るなよ」
「分かった」
「ルナはもう少し離れて、周りを見ててくれ。別の魔物がいたり、何か変わったことがあったらすぐに教えてくれ」
「うん」
それぞれが言われた場所に移動する。
リアムとマシューは依頼の邪魔にならないよう、さらに離れたところで様子を見ていた。
あとはゴブリンが現れるのを待つだけだ。
しばらくすると、森の方から何かが動く音が聞こえた。
「……来た」
レオが小さく呟く。
木々の間から姿を現したのは、二匹のゴブリンだった。
周囲を窺いながら牧場に近づき、まっすぐ餌が置かれている方に向かってくる。
レオは二匹が十分に森から離れるまで待ってから、前に出た。左手をゴブリンに向けると、風が集まる。
次の瞬間、圧縮された風が勢いよく放たれて、一匹のゴブリンを捉える。
「ギャッ!」
ゴブリンの身体が横に飛ばされ、地面を転がった。
二匹の距離が離れる。
「ミア、今だ!」
「うん!」
ミアが弓を構えた。
残った一匹が突然現れたレオに気づき、声を上げる。
ミアは狙いを定め——矢を放った。
矢がゴブリンに突き刺さる。
「ギャアッ!」
倒れたゴブリンが起き上がろうとする。
「もう一発!」
レオの声に、ミアはすぐに次の矢をつがえた。
慌てずに狙いを定め、もう一度放つ。
今度の矢を受けたゴブリンは、そのまま地面に倒れた。
「やった……!」
「ミア、まだ終わってない!」
喜びかけたミアに、ルナが声を上げる。
先ほど風で飛ばされたゴブリンが起き上がっていた。
「レオ! もう一匹、動いたよ!」
「ああ!」
レオはすぐに振り返る。
起き上がったゴブリンがレオに向かってくる。
その動きを見ながら剣を抜き、間合いに入ったところで一気に踏み込んだ。
剣がゴブリンを捉えると、ゴブリンは動かなくなった。
「……ほかには?」
レオに聞かれ、ルナは周囲を見渡した。
森の方にも目を凝らすが、新たな魔物が出てくる様子はない。
「いないと思う」
「分かった。もう少しだけ警戒してから確認しよう」
すぐには気を緩めず、三人で周囲を確認する。
それでもほかにゴブリンが現れることはなかった。
討伐を終えると、今度は牧場の被害状況を確認した。
牧場主から聞いていた場所を回り、壊された柵や荒らされた餌置き場を調べていく。
「柵が壊れてるのはここだけみたい」
ルナは確認した内容を書き留める。
「家畜の方は?」
「全部いるって。怪我してる子もいないみたい」
先ほど牧場主にも確認してきたミアが答えた。
「じゃあ、大きな被害は餌と柵くらいか」
レオが頷く。
一通り確認したところで牧場主のもとに戻り、ゴブリン二匹を討伐したことと、確認した被害について報告した。
「助かったよ。これで安心できる」
牧場主はほっとしたように笑った。
依頼は無事に終了した。
ルナも安心したものの、先ほどの戦いを思い返す。
自分にも役割はあった。
周囲を見ていたから、もう一匹が動き出したことにも気づけた。
それでも、戦いになればできることは限られている。
(戦わなくても、もう少し二人を助けられることがあればいいんだけど……)
これからも冒険者として依頼を受けていくなら、同じような場面は何度もあるだろう。
「ルナ」
「え?」
声をかけられて顔を上げると、マシューがこちらを見ていた。
「どうかしたか?」
「……ううん。なんでもないよ」
「そうか」
マシューはそれ以上聞かなかった。
ルナも小さく笑って、ミアたちの方に歩き出す。
ただ、マシューは何か気になったように、ルナの後ろ姿に目を向けていた。
◇◇◇
依頼を終えたあと、牧場主の厚意で少し牧場を見学させてもらうことになった。
「近くで見てもいいですか?」
「ああ。大人しいやつなら触っても大丈夫だぞ」
「本当に!」
ミアが嬉しそうに牧場主についていく。
ルナもその隣を歩きながら、柵の向こうにいる牛や羊を眺めた。
「牛って近くで見るとやっぱり大きいね」
「ね。触れるかな?」
「さっき大人しい子ならいいって言ってたし、あとで聞いてみようよ」
二人がそんな話をしている少し後ろでは、リアムがレオに話しかけていた。
「レオって、討伐する時は剣が中心なの?」
「ああ。基本は剣だな」
「風魔法は?」
「さっきみたいに距離を取らせたり、足元に使って早く動けるようにして使うことが多いな。魔法だけで倒すことはあんまりないな」
「なるほど。剣の補助に使ってるんだ」
リアムは興味深そうに頷いている。
その隣ではマシューも二人の話を聞いていた。
ルナはちらりと振り返ったあと、再び牧場に目を向ける。
しばらく歩いていると、家畜の餌を置いている場所にやってきた。
干し草や穀物がいくつも積まれている。
「こっちは牛にやる餌だな」
牧場主が説明する。
「干し草だけじゃなくて、こういう穀物も混ぜてやるんだ」
「へえ……」
ミアが覗き込む。
ルナも何気なくその隣から見て——足を止めた。
「……え?」
見覚えのある粒があった。
茶色がかった細長い粒。
前世で見慣れていたものより色は濃いが、その形には覚えがある。
ルナは思わず近づいた。
「これ……」
「どうしたの、ルナ?」
「お米に似てる」
「おこめ?」
「うん。私が知ってる穀物にすごく似てるの」
ミアが首を傾げる。
ルナは一粒手に取って、じっと眺めた。
白米ではない。
見た目は玄米に近い。
それでも、ルナには見間違えようがなかった。
「これって、人も食べられますか?」
勢いよく牧場主に尋ねる。
「ああ。食べるやつもいるぞ。ライサっていう穀物だ。ただ、麦ほど人気はないからな。店で売ってるところも少ない」
「ライサ……」
「ルナ?」
「これ、お米だよ!」
「だから、おこめって何?」
ミアには伝わらなかったが、ルナはそれどころではない。
この世界に来てから、パンや麦は何度も食べてきた。
けれど、米を見たのは初めてだった。
「これ、少し分けてもらえませんか?」
「別に構わないが……そんなに欲しいのか?」
「はい!」
即答すると、牧場主は不思議そうな顔をした。
「家畜にやってるくらいだから、珍しいもんでもないぞ」
「でも、私にはすごく嬉しいんです」
ルナは手のひらの粒を眺める。
外側が残っているので、前世で食べていたものとは少し違う。
それでも、これを炊けば久しぶりに米が食べられる。
「玄米っぽいけど……それでも嬉しい」
「ゲンマイ?」
「あ、なんでもないです」
聞き慣れない言葉に牧場主が首を傾げる。
すると、何かを思い出したように言った。
「もしかして、食べるなら白いやつの方がいいのか?」
「白い?」
「こっちは家畜用だから、殻を取っただけのやつだ。人が食う分は、もう少し削って白くしてあるぞ」
「……ありますか?」
「ああ。俺たちが食べる分が少し残ってたはずだ」
牧場主は近くの建物に向かい、しばらくして小さな袋を持って戻ってきた。
「ほら、これだ」
袋の中を見た瞬間、ルナの目が輝く。
「……白い!」
前世で見慣れていた米とまったく同じではない。
少し色も残っている。
それでも先ほどのものより、ずっと白米に近かった。
「これも、もらっていいんですか?」
「依頼を片付けてくれた礼だ。それくらいなら持っていっていいぞ」
「ありがとうございます!」
ルナは大事そうに袋を受け取った。
そんなルナを見て、ミアがくすくすと笑う。
「ルナ、さっきまでと全然顔が違うよ」
「だって、お米だよ?」
「あたしはまだ、それがそんなにすごいものなのか分からないけど」
「すごいよ!」
迷うことなく言い切る。
久しぶりに食べられるかもしれない白いご飯。
そう思っただけで、ルナは今すぐにでも宿に戻って炊いてみたくなった。
牧場を出たルナたちは、そのままメドウ亭に戻った。
ルナが真っ先に向かったのは、セージのところだった。
「すみません。調理場を少し借りてもいいですか?」
「ああ、構わないよ」
「ありがとうございます!」
許可をもらうと、ルナは早速調理場に向かった。
「すぐ作るんだね」
「もちろん!」
ミアに答えながら、牧場でもらった袋を開ける。
中から米を取り出し、まずは水で洗っていく。
「何作るの?」
リアムが横から覗き込んだ。
「今日は何も入れないよ。このまま炊くの」
「それだけ?」
「うん。最初はこれがいいの」
せっかく見つけたのだから、まずは普通のご飯として食べてみたかった。
米の状態を見ながら水の量を調整し、鍋に蓋をして火にかける。前世では炊飯器を使うことが多かったが、鍋で炊いた経験もある。
火加減に注意しながら待ち、最後に火から下ろして蒸らす。
「そろそろかな……」
ルナは少し緊張しながら蓋を開けた。
ふわりと湯気が立ち上る。
「……あ」
その香りを感じた瞬間、懐かしさが込み上げた。
「ご飯だ……」
白い粒がふっくらと炊き上がっている。
ルナは一口分を器によそい、少し冷ましてから口に運んだ。
「……おいしい」
懐かしい味だった。
前世では当たり前のように食べていたもの。
特別な料理でもなければ、ご馳走でもない。
それなのに、もう食べることはないと思っていた。
「……やっと食べられた」
目の奥が熱くなり、ルナは慌てて瞬きをする。
「ルナ?」
ミアが顔を覗き込んだ。
「もしかして、泣いてる?」
「……ちょっとだけ」
「そんなに!?」
「だって……ずっと食べたかったんだもん」
ルナはもう一口食べる。
やっぱり美味しい。
感動しているルナを見ていた四人も、それぞれご飯を器によそった。
「そこまで言われると、どんな味なのか気になるな」
レオが一口食べる。
「……うん」
「どう?」
「普通だな」
「えっ」
「まずくはないぞ。でも、そんなに感動するほどか?」
隣ではリアムも首を傾げていた。
「俺も割と普通だと思う。味もそんなにしないし」
「そんな……」
ルナが衝撃を受けていると、ミアも一口食べた。
しばらく噛んでから、困ったようにルナを見る。
「あたしも、ルナがあんなに喜ぶからもっとすごい味なのかと思ってた」
「ミアまで……!」
「美味しくないわけじゃないよ? でも、期待してたほどでは……」
「美味しいのに……」
最後にマシューがゆっくりと噛んでから口を開いた。
「よく噛むと少し甘みがあるな」
「そう! そうなの!」
ようやく分かってくれる人がいたと、ルナが勢いよく頷く。
「でも泣くほどではない」
「マシュー!」
ミアが吹き出し、レオとリアムも笑う。
ルナは少し不満そうにしながら、もう一口ご飯を食べた。
「みんな、この美味しさが分からないなんて……」
「ルナが好きすぎるんじゃない?」
「そうかもしれないけど」
それでもいい。
ルナは改めて器の中のご飯を見る。
そのまま食べてもいい。
肉や魚と合わせてもいいし、スープにもできる。
卵があれば丼ものだって作れる。
それに——。
「チーズ……」
「え?」
「ハセンには美味しいチーズもあるよね」
市場で食べたチーズを思い出す。
米とチーズ。
それだけでも、作ってみたい料理がすぐに浮かんできた。
「他にもガルムとか、ナキールで見つけた魚の乾物もあるし……」
「もう次の料理のこと考えてる」
ミアが呆れたように笑う。
「だって、このライサがあれば作れるものが一気に増えるんだよ!」
ルナは嬉しそうにご飯をもう一口食べた。
新しい食材を見つけるたびに、作れる料理が増えていく。けれど今日見つけた米は、その中でもルナにとって特別なものだった。
「次は何を作ろうかな」
討伐を終えた時にはあれこれ考えていたはずなのに、今はそれ以上に作ってみたい料理が次々と浮かんでくる。




