ハセンの町 1.
ナキールを出発して数日後。
夕方になった頃、ルナたちは次の目的地であるハセンに到着した。
「わあ……」
町へ続く道を歩きながら、ルナは周囲を見渡す。
ナキールを離れてから、景色は少しずつ変わっていた。
潮の香りがする海辺の町とは違い、ハセンの周辺には広い畑や牧草地がどこまでも続いている。
柵の向こうでは牛や羊がのんびりと草を食べ、街道では農作物を積んだ荷馬車と何度もすれ違った。
「ナキールとは全然違うね」
「この辺りは農業と牧畜が盛んだからな」
マシューが答える。
町に入ると、その違いはさらによく分かった。
通りには穀物や野菜を扱う店が並び、荷車には収穫されたばかりの作物が山のように積まれている。
乳製品を扱う店も多いようで、チーズを扱う店もいくつか見つけた。
「チーズ……」
思わず足を止めたルナに、ミアが笑う。
「ルナ、気になる?」
「もちろん。明日、市場に行ってみようよ」
「やっぱり」
そんな話をしながら、一行は今日泊まる宿を探した。
選んだのは、大通りから少し入ったところにある『メドウ亭』という宿だった。
「いらっしゃい。五人かい?」
出迎えてくれたのは、宿を営むセージという男性だった。
部屋を取ると、この日は荷物を置いて夕食を済ませ、そのままゆっくり休むことにした。
ナキールとはまったく違う町を見て回れることを楽しみにしながら、ルナたちのハセンでの一日目は静かに終わった。
翌朝。
朝食を済ませたルナたちは、早速ハセンの市場に向かった。
市場には、昨日町に入った時に見かけた以上にたくさんの食材が並んでいた。
採れたばかりの野菜に果物、袋いっぱいに詰められた穀物。
肉や卵を扱う店もあり、ナキールの市場とは並んでいるものが大きく違う。
「やっぱり町が変わると、売ってるものも全然違うね」
「ルナ、楽しそうだね」
「だって、見たことないものもいっぱいあるから」
店先を覗きながら歩いていると、ルナは昨日から気になっていたものを見つけた。
「あ、チーズ」
さまざまな大きさや色のチーズが並んでいる。
「よかったら食べてみるかい?」
店の人が小さく切ったチーズを差し出してくれた。
「いいんですか?」
「ああ。ハセンのチーズはうまいぞ」
ルナは一切れ受け取り、口に入れる。
「美味しい……!」
ほどよい塩気があり、噛むほどに濃厚な味が広がる。
ミアたちもそれぞれ試食させてもらった。
「本当だ。美味しいね」
「この辺りじゃ牧畜が盛んだからな。チーズもいろんな種類を作ってるんだ」
店の人の説明を聞きながら、ルナはいくつかのチーズを見比べる。
「せっかくだし、買っていこうかな」
食べやすそうなものを一つ選んで購入し、再び市場を歩き始めた。
しばらくして、穀物を扱う店の前でルナが足を止める。
「潰し麦だ」
袋に入った潰し麦を見て、あることを思い出した。
「そういえば、ムギボももうなかったよね」
「ああ。旅の途中でも結構食べたからな」
「じゃあ、ここで補充しておこうかな」
「作るの?」
「うん。材料も揃いそうだし」
潰し麦を買い、続いて市場を回りながらアマンドと干し葡萄も探す。
蜂蜜も見つけることができ、ムギボに必要な材料はすぐに揃った。
「これで作れるね」
材料を抱えたルナは満足そうに笑った。
その後も市場を見て回っていると、甘い香りが漂ってきた。
「……いい匂い」
ルナが振り向く。
そこには焼き菓子を並べた店があった。
「チーズを使った焼き菓子だって」
ミアが看板を読む。
小さな焼き菓子には、ハセンで作られたチーズがたっぷり使われているらしい。
「食べてみたい」
「さっきチーズ買ったばっかりだぞ」
「それとこれは別だよ」
レオに返しながら、ルナは一つ購入した。
せっかくなので五人とも買い、少し離れたところで食べてみる。
「ん、美味しい」
外側の生地は香ばしく、中はチーズの風味がしっかり感じられる。
甘さの中にわずかな塩気もあって、ついもう一口食べたくなる味だった。
「これ好きかも」
「ハセンはチーズが有名だから、こういう菓子も多いんだろうね」
リアムも気に入ったのか、残りを口に運んでいる。
焼き菓子を食べ終えたところで、ルナは抱えているムギボの材料を見た。
「でも、これどこで作ろう」
宿の厨房を借りてもいいが、まだ来たばかりだ。
それなりの量を作るので、いきなり頼むのも少し気が引ける。
「それなら冒険者ギルドに行けばいい」
マシューが言った。
「ギルド?」
「ああ。この町のギルドには、冒険者が使える簡単な調理場があるみたいだ」
「そうなの?」
ルナが驚いてマシューを見る。
「マシュー、なんで知ってるの?」
ミアも不思議そうに尋ねた。
「昨日の夜に、この町のことは大体調べておいた。ギルドの場所や店、周辺で出ている魔物なんかもな」
「いつの間に……」
「初めて来た町だからな。何かあってから調べても遅いだろ」
マシューにとっては当然のことらしい。
「さすがマシュー……」
ルナは感心しながら頷いた。
「じゃあ、ギルドに行ってみようか。ムギボを作ったら、ついでに何か依頼がないか見てみたいし」
「そうだね」
ミアも賛成する。
こうしてルナたちは買った材料を手に、ハセンの冒険者ギルドに向かうことにした。
ギルドに着いたルナたちは、受付で調理場を借りたいと伝えた。
「調理場なら奥にあるわよ。空いているから好きに使って」
「ありがとうございます」
調理場に着くと、ルナは市場で買ってきた材料を台の上に並べる。
「じゃあ、作ろうか」
「うん。あたし、アマンドやるね」
「なら俺はこっちか」
ミアとレオは、言われる前からそれぞれ準備を始める。
そんな三人の様子を、リアムが興味深そうに眺めていた。
「それで、ムギボって何?」
「旅の途中で食べるために作ってる携帯食だよ」
ルナは答えながら、潰し麦を用意する。
「潰し麦とアマンド、干し葡萄を使って、蜂蜜で甘さをつけるの。持ち運びやすいし、少しずつ食べられるから便利なんだ」
「へえ。ルナが考えたの?」
「うん。最初は違う目的で作り始めたんだけど、今は自分たちの携帯用だよ」
リアムは並べられた材料に目を向ける。
「出来上がるのが楽しみ」
「もう少し待ってて」
三人で手分けして作業を進めていく。
材料を混ぜ合わせ、形を整えて焼いていくと、やがて調理場に蜂蜜と香ばしい麦の匂いが広がり始めた。
「いい匂いがしてきた」
リアムが焼き上がりを覗き込む。
「もうちょっとだから」
しっかり焼き上がったところで取り出し、少し冷ます。
ルナは出来上がったムギボを一つ手に取った。
「うん。大丈夫そう」
「食べていい?」
「もちろん。味見してみて」
リアムとマシューにも一つずつ渡し、ルナたちも出来上がりを確認するために口にする。
「うん。いつもの味だね」
「ちゃんとできてるな」
ミアとレオも頷く。
初めて食べたリアムは、何度か噛んでから感心したようにムギボを見る。
「美味しい。それに思ってたより食べ応えがある」
「でしょ? 歩きながらでも食べられるよ」
「研究してる時にもよさそうだな」
「研究?」
「夢中になると、食事を後回しにする奴もいるから」
リアムが何でもないことのように答える。
するとマシューが横から言った。
「お前もだろ」
「俺はちゃんと食べてるよ」
「何度呼びに行ったと思ってるんだ」
「……たまに忘れるだけだよ」
「それを後回しにしてるって言うんだ」
マシューは呆れたように言うと、残っているムギボに手を伸ばした。
そして二つ目を取る。
「あっ」
それを見ていたミアがすぐに声を上げた。
「マシュー、また何も言わずに二個目食べてる!」
「駄目なのか?」
「駄目じゃないけど!」
ナキールでのことを思い出したのか、ミアは腰に手を当てる。
「もう分かった。これからマシューが黙って二個目を食べたら、美味しいってことにするからね」
「ああ。それでいい」
「そこは何か言ってよ!」
ルナは思わず笑ってしまった。
マシューは気にした様子もなく二つ目を食べる。
リアムも笑いながら、手元のムギボを改めて眺めた。
「これ、研究所でも欲しがる人いそうだな」
「そうだな」
マシューも頷く。
「ほんとに?」
ルナは驚いて二人を見る。
「少なくとも俺は欲しい」
リアムが即答する。
「俺もあれば欲しいな」
マシューまでそう言うので、ルナは少し照れくさくなった。
「そんなに気に入ってくれたんだ」
自分たちの旅のためのムギボだったが、どうやら思っていた以上に評判はいいらしい。
ルナは出来上がったムギボを袋に詰めながら、嬉しそうに笑った。
調理が終わると、ルナたちは使った道具を片付け始めた。
「これで全部かな」
「こっちも終わったよ」
ミアが洗い終えた道具を置く。
ルナは調理台の上を確認してから、最後に手をかざした。
「クリーン」
魔法を使うと、調理台やその周囲に残っていた細かな汚れが綺麗になっていく。
「よし、これで大丈夫」
「……今の『クリーン』?」
後ろからリアムに聞かれ、ルナが振り返る。
「うん」
「調理場全体に使ったの?」
「全体ってほどじゃないよ。使ったところだけ。食べ物を扱う場所だから、綺麗にしておいた方がいいでしょ?」
「それはそうだけど……」
リアムは綺麗になった調理台を眺める。
「普通、『クリーン』って服とか身体の汚れを落とすのに使うよね」
「そうだね。でも汚れを落とせるなら、調理台にも使えるかなと思って」
「やっぱりルナって、魔法の使い方が面白いよね」
「そう?」
「『ドライ』もそうだけど、普通なら身の回りに使う魔法を、食材や料理にも使おうとするだろ? そういう発想が面白いよ」
褒められているのか分からず、ルナは苦笑する。
けれどリアムは楽しそうだった。
「ルナと魔法の話をしたら楽しそう」
「魔法の話?」
「うん。どうしてそういう使い方を思いついたのかとか、他に何ができそうかとか」
「それなら、私も聞いてみたい」
ルナは少し考えてから頷いた。
「私、魔法に詳しい人の話ってちゃんと聞いたことないの。それに他にもできること調べたいなって思ってたの」
「そうなんだ」
リアムの表情がさらに明るくなる。
「じゃあ——」
「ルナー!」
その時、調理場の入口からミアの声がした。
「依頼見に行くんでしょ?」
「あ、そうだった」
ルナが慌てて振り返る。
「ごめん、今行く!」
「じゃあ、魔法の話はまた今度だね」
「うん。また話そうね」
二人はそう約束して、調理場を後にした。
◇◇◇
依頼が張り出されている掲示板の前には、何人もの冒険者が集まっていた。
ルナたちもその中に入り、今の自分たちに受けられそうな依頼を探していく。
「私たち三人でできそうな依頼、何かないかな」
「うん」
ミアと並んで、依頼書を一枚ずつ見ていく。
「薬草採取……これはこの辺りじゃないみたい」
「こっちは荷運びだって」
すぐに受けられそうなものを探していると、ミアが一枚の依頼書を指さした。
「あ、ルナ。これ牧場だって」
「牧場?」
ルナもすぐに覗き込む。
ハセンに来る途中、街道からいくつもの牧場が見えていた。牛や羊がたくさんいたのを思い出す。
「行ってみたい!」
「あたしも!」
二人で依頼書を読む。
しかし——。
「あ……討伐依頼だ」
ルナの声が小さくなる。
依頼内容は、牧場周辺に現れたゴブリン二匹の討伐と、家畜や設備の被害状況の確認。ランクはEだった。
「じゃあ駄目だね」
「残念……」
二人が依頼書から離れようとすると、後ろからレオが手を伸ばした。
「ちょっと待て」
「レオ?」
レオは依頼書を取り、内容を確認する。
「ゴブリン二匹か……」
しばらく読んでから、ミアを見る。
「これなら俺が一緒なら受けられると思うぞ」
「本当?」
「ゴブリン二匹なら、俺がついていればミアに実戦を経験させられると思う」
「あたしが倒していいの?」
「状況を見てな。危ないと思ったら俺がすぐに入る」
「やってみたい!」
ミアの顔が明るくなる。
そこでルナが自分を指さした。
「私は?」
「俺とミアから離れすぎるなよ。何かあったら自分でどうにかしようとせず、すぐ呼べ」
「うん」
「それに依頼は討伐だけじゃないだろ」
レオが依頼書を見せる。
「被害状況の確認も入ってる。牧場の人から話を聞いて、どこでどんな被害が出てるのか確認してくれ」
「それなら私にもできるね」
自分にもできることがある。
ルナは改めて依頼書を見た。
「じゃあ、この依頼にする?」
「俺はいいと思う。ただ、受付でも詳しい状況を確認してからだな」
「うん!」
三人は依頼書を手に取り、詳しい話を聞くため受付に向かった。




