ナキールの町 7.
「食べられるって分かったなら、早速食べてみたいな」
ルナは目の前のレッサークラーケンを見ながら言った。
しかし、改めて見るとかなり大きい。
足だけでも長く、このまま宿に持ち帰って厨房で扱うのは難しそうだった。
「ダニーさん。この辺りに、大きな魚を捌けるような場所ってありますか?」
「それなら港に共同の作業場があるぞ。水揚げした魚を捌いたりするところだ」
「そこでレッサークラーケンも調理できますか?」
「レッサークラーケンを?」
ダニーは一瞬黙り、それから倉庫に横たわるレッサークラーケンを見る。
「……まあ、魚を捌く場所だからな。使うのは構わないと思うけど」
「じゃあ、借りてもいいですか?」
「ああ。案内するよ」
こうしてルナたちは、レッサークラーケンを港の作業場に運ぶことになった。
案内されたのは、港の一角にある広い作業場だった。
大きな魚も扱えるよう頑丈な作業台が並び、水を使える場所もある。
鍋や火を使える一角もあり、塩などの調味料も置かれている。
簡単な調理ならここでできるらしい。
「ここなら大丈夫そう」
ルナは腕まくりをすると、早速レッサークラーケンの前に立った。
とはいえ、すべてを一度に調理するつもりはない。
まずは味を確かめるだけだ。
ルナはレッサークラーケンの足を一本切り分けると、前世でタコを扱った時のことを思い出しながら下処理を始めた。
扱いやすい大きさにしてから、表面のぬめりを落とすように丁寧に洗っていく。
「本当に食べるんだな……」
隣で見ていたニックが呟く。
「食べられるって分かりましたから」
「それでも、今まで魔石しか取ってなかったやつだからなぁ」
ダニーも何とも言えない顔で作業を見守っている。
そんなことをしているうちに、一人、また一人と漁師が近づいてきた。
「おい、何してるんだ?」
「昨日のレッサークラーケンじゃないか」
「まさか、それ食うのか?」
どうやらクラーケンを調理しているという話が、周囲の漁師たちにも伝わったらしい。
「食べられるらしいぞ」
ダニーが答える。
「本当かよ」
「毒はないのか?」
「毒がないことは確認してあります」
それでも半信半疑なのか、帰ろうとする者はいない。
結局、少し離れたところからルナの作業を見守り始めた。
「なんだか増えてきたね」
ミアが小声で言う。
「気になるんだろ」
レオは苦笑している。
ルナは下処理を終えると、大きな鍋に湯を沸かした。
そこに切り分けたレッサークラーケンを入れる。
しばらくすると、白っぽかった身が色を変え、足がくるりと丸まっていった。
「おお……」
なぜか漁師たちから声が上がる。
ルナは茹で上がったところで鍋から取り出し、食べやすい大きさに切った。
「これでいいかな」
「もう食えるのか?」
「はい。まずは味を確かめてみます」
ルナは一切れ手に取る。
「ルナ、本当に食べるの?」
ミアが心配そうに聞く。
「食べられるって分かってるし、ちゃんと火も通したから」
そう答えて、口に運んだ。
噛んだ瞬間、弾力のある食感が返ってくる。
「……!」
もう一度、ゆっくり噛む。
覚えのある味。
覚えのある食感。
見た目だけではない。
「……やっぱりタコみたい」
ルナは確信した。
この世界ではレッサークラーケンと呼ばれている魔物。
味も食感も、前世で食べていたタコによく似ている。
「そのままでもタコだけど……」
ルナは用意していたガルムを少しだけ小皿に注いだ。
茹でたレッサークラーケンをつけて、もう一度口に運ぶ。
「うん。やっぱり合う」
ほどよい塩気とガルムの風味が加わり、そのまま食べるよりもずっと美味しい。
「みんなも食べてみて。美味しいよ」
ルナは切り分けたレッサークラーケンを勧める。
しかし——誰も手を伸ばさなかった。
「……」
「……」
ミアもレオも、じっと皿を見つめている。
リアムも興味はありそうだが、すぐに食べようとはしない。
まして、周りに集まっている漁師たちはなおさらだった。
「食べられるって分かってるんだよ?」
「分かってるけど……」
ミアがちらりと、残っているレッサークラーケンに目を向ける。
「さっきまであれだったんだよね?」
「そうだけど」
「そうだけどって……」
ルナには、もうタコにしか見えない。
けれど、この世界の人たちにとっては、これまで食べ物だと思ったことすらない魔物なのだ。
すぐに手を出せないのも仕方がないのかもしれない。
すると、不意に横から手が伸びた。
「あ」
マシューだった。
切り分けたレッサークラーケンを一切れ取り、ガルムを少しつける。
特に躊躇する様子もなく、そのまま口に運んだ。
もぐもぐと噛む。
しばらくして飲み込むと、もう一切れ手に取った。
今度はガルムを少し多めにつけて口に入れる。
「……」
そして、三切れ目に手を伸ばす。
「マシュー、なんか言ってよ!」
たまらずミアが突っ込んだ。
「ん?」
「ん? じゃないよ! 美味しいの? 美味しくないの?」
マシューは口の中のものを飲み込んでから、改めて皿を見る。
「ああ。なかなかうまいぞ」
「それなら最初に言ってよ!」
「聞かれなかったからな」
「二個目食べた時点で教えてよ!」
ミアの言葉に、周りから小さな笑い声が上がった。
マシューは気にした様子もなく、また一切れ取る。
「食感は少し変わってるけど、ガルムにも合う。普通に食える」
「マシューがそこまで言うなら、俺も食ってみるか」
レオが手を伸ばした。
ガルムをつけ、少し警戒しながら口に入れる。
「……あ、本当だ。うまいな」
「じゃあ、あたしも……」
ミアも恐る恐る一切れ取った。
噛んでいるうちに、その表情が変わる。
「美味しい!」
「でしょ?」
ルナが嬉しくなって笑う。
続いてリアムも口にする。
「へえ。思ってたよりずっと食べやすい」
五人が普通に食べているのを見て、今度は周囲の漁師たちが顔を見合わせた。
「……本当にうまいのか?」
「食べてみれば分かりますよ。どうぞ」
ルナが改めて勧める。
しばらく迷った末、最初にダニーが手を伸ばした。
「じゃあ……俺も食ってみるか」
ニックもそれに続く。
「俺も」
二人が食べるのを見ていたほかの漁師たちも、一人、また一人と皿に手を伸ばし始める。
「お、本当だ」
「なんだこれ。変わった歯ごたえだな」
「でも、うまいぞ」
「ガルムが合うな」
先ほどまで遠巻きに見ていたのが嘘のように、次々と手が伸びる。
その様子を見ながら、ルナは満足そうに笑った。
どうやらレッサークラーケンは、食べられるだけではない。ちゃんと、美味しい食材だった。
「これ、トマーテがあればもう一品作れるんだけどな」
次々とレッサークラーケンに伸びる手を見ながら、ルナは思わず呟いた。
「トマーテ?」
「うん。一緒に食べたら合うと思うの」
すると、それを聞いていた漁師の一人が立ち上がった。
「トマーテなら市場にあるぞ」
「え?」
「買ってくる」
「あ、それなら香草もお願いしていいですか? トマーテと一緒に使いたくて」
「ああ、分かった」
「えっ、ちょっと——」
ルナが止める間もなく、漁師は作業場を飛び出していった。
「……行っちゃった」
「みんな気になってるんだよ」
ミアが楽しそうに笑う。
周囲を見れば、先ほどまでレッサークラーケンを食べることすら躊躇していた漁師たちが、今ではすっかり興味を持っている。
「そうだ、ルナ」
ダニーが残っているレッサークラーケンを見ながら尋ねた。
「さっきの処理って難しいのか?」
「そんなに難しくないですよ」
「教えてもらってもいいか?」
「もちろんです」
ルナは頷くと、残っている足を使ってもう一度説明することにした。
「まず、ここで切り分けます。それから——」
先ほど自分がやったことを思い出しながら、一つずつ手順を見せていく。
ダニーとニックだけでなく、周りの漁師たちも覗き込んでいた。
「ここまでやったら、あとはしっかり洗ってください」
「なるほどな」
「生の時はぬるぬるして気味が悪いんだよな」
「でも思ったより難しくないな」
「俺たちなら魚を捌くのに慣れてるし、これくらいならできそうだ」
漁師たちが口々に話す。
ダニーも納得したように頷いた。
「これなら、今度レッサークラーケンが獲れた時も自分たちで処理できるな」
「ああ。食えるって分かったなら、わざわざ捨てることもないだろ」
「今まで魔石だけ取って、残りは処分してたからなぁ」
「もったいなかったな」
その言葉を聞いて、ルナは嬉しくなった。
今までは邪魔な魔物としか思われていなかったレッサークラーケンも、これからは食材として使ってもらえるかもしれない。
しばらくすると、先ほど飛び出していった漁師が戻ってきた。
「買ってきたぞ!」
その手には、赤く熟したトマーテと香草が抱えられている。
「ありがとうございます。でも、トマーテこんなに?」
「余ったらみんなで持って帰ればいいだろ」
「それもそうですね」
ルナは笑って受け取ると、早速もう一品作ることにした。
「次は簡単に和えてみよう」
茹でたレッサークラーケンを食べやすい大きさに切る。
トマーテも切り分け、そこに香草と塩を加える。
最後に少量のガルムを加えて、全体を混ぜ合わせた。
「できた」
「さっきとは全然違うな」
ダニーが興味深そうに皿を覗き込む。
「レッサークラーケンとトマーテを合わせてみました。食べてみてください」
今度は、誰も躊躇しなかった。
ルナが勧めると、すぐにいくつもの手が伸びてくる。
「お、これもうまい!」
「トマーテの酸味が合うな」
「さっきのガルムだけのもよかったけど、俺はこっちの方が好きだ」
「俺もだな」
次々と感想が上がる。
「美味しいね、ルナ」
「うん。思った通り合うね」
ミアとルナも一緒に食べる。
レオやリアムも続き、マシューは何も言わず二切れ目に手を伸ばしていた。
それに気づいたミアが、すぐにマシューを見る。
「今度は聞かなくても分かるからね」
「そうか」
マシューは気にする様子もなく、そのまま二切れ目を口に運ぶ。
そのやり取りに、周りから笑い声が上がった。
「これ、煮込んでも美味しいと思います」
残り少なくなった皿を見ながら、ルナが言った。
「煮込む?」
「はい。トマーテと一緒に煮込んでも合うと思います。魚や貝と一緒でも美味しいかもしれません」
「それも食ってみたいな」
ダニーが言うと、ニックも頷く。
「今度レッサークラーケンが獲れたら試してみるか」
「ぜひ。いろいろ試してみてください」
ルナは笑顔で答えた。
これからどんな料理が作られるのか。
自分が知らない食べ方だって生まれるかもしれない。
そう考えるだけで、少し楽しみだった。
「そういえば」
隣でレッサークラーケンを食べていたリアムが、ふと思い出したようにルナを見る。
「ルナたちは、いつまでナキールにいるの?」
「うーん……」
ルナはミアとレオを見る。
「そろそろ次の町に行こうかって話してたよね?」
「そうだね。市場もいっぱい見たし」
「レッサークラーケンの依頼も終わったしな」
もともと、ナキールに長く滞在すると決めていたわけではない。
気になるものを見て回りながら、少しずつ王都に向かうつもりだった。
「次はどこへ行くの?」
「ハセン」
レオが答える。
「ここから王都に向かう途中にある町だ。急ぐ旅でもないし、そこに寄ってみようって話してたんだよ」
「ハセンか」
リアムが少し考える。
そして、何でもないことのように言った。
「じゃあ、俺たちも一緒に行こうかな」
「え?」
ルナは思わずリアムを見る。
「一緒に?」
「うん」
「王都に戻らなくていいの?」
「しばらく休暇だから。王都でやる仕事も片づけてきたし」
「マシューも?」
ルナが尋ねると、マシューは「ああ」と頷いた。
「俺も休みを取ってる」
「そうなんだ……」
ルナは少し驚きながらも、ミアとレオを見る。
「二人はいい?」
「あたしはもちろんいいよ。人数が多い方が楽しいし」
「俺も構わない」
レオもあっさり答えた。
「じゃあ、決まりだね」
リアムが嬉しそうに笑う。
こうしてルナたちは、リアムとマシューも一緒に次の町へ向かうことになった。
◇◇◇
翌朝。
ルナたちは旅支度を整え、海鳥亭を出た。
世話になったダグとローサに礼を伝えると、二人はまたナキールに来た時には寄るようにと言ってくれた。
港ではダニーやニックとも顔を合わせる。
「またレッサークラーケンが獲れたら、今度は煮込んでみるよ」
「はい。美味しくできたら、次に来た時に教えてください」
「ああ、任せろ」
ダニーたちに別れを告げ、待ち合わせていた町の外に向かう。
そこには、すでにリアムとマシューが待っていた
「おはよう、ルナ」
「おはよう。二人とも早いね」
「リアムが早くから起きてたからな」
「いいだろ。遅れるより」
そんな二人のやり取りに、ルナは笑う。
ナキールでは、初めて見る食材をいくつも見つけた。
トマーテにガルム。
鰹節によく似た硬い魚の加工品。
自分たちで作った煮干し。
そして、食べ物だとは思われていなかったレッサークラーケン。
まだまだ、この世界には自分の知らない食材がある。
反対に、前世では当たり前に食べていたものが、使われないまま眠っていることもあるのかもしれない。
「ルナ、行くよ!」
少し先からミアに呼ばれる。
「うん!」
ルナは顔を上げると、みんなのもとに駆けていった。
次に向かうのは、ハセン。
そこでは何が待っているのだろう。
そんなことを考えながら、ルナはリアムとマシューを加えた五人でナキールを後にした。




