ナキールの町 5.
翌朝。
朝食を終えたルナたちは、冒険者ギルドに向かった。
昨日ダニーから聞いた、レッサークラーケンのことが気になっていたのだ。
ギルドに入ると、朝ということもあり、中には多くの冒険者がいた。その間を抜け、三人は依頼掲示板の前に向かう。
「あった」
レオが一枚の依頼書を見つける。
そこに書かれていたのは、レッサークラーケンの討伐依頼だった。
「本当に残ってるね」
ミアが依頼書を覗き込む。
「依頼ランクはDか」
「レオなら受けられる?」
「ああ。ランクは問題ない」
レオは依頼書を確認しながら答えた。
だが、すぐに受けようとはせず、しばらく内容を眺めている。
「どうしたの?」
「昨日ダニーが言ってただろ。依頼を受ける奴がほとんどいないって」
「うん」
「レッサークラーケンはそれほど強い魔物じゃないはずなんだ。それなのに残ってるなら、何か理由があるんだろ」
「確かに……」
「まず詳しく聞いてみるか」
三人は依頼書を持って受付に向かった。
受付にいたシャロンに声をかけると、彼女は依頼書を見て少し驚いた顔をした。
「レッサークラーケンの依頼ですか?」
「受けるか迷ってる。少し聞いてもいいか?」
「もちろんです。レッサークラーケン自体はEランク相当ですが、海上での捜索と討伐になるため、この依頼はDランクに設定されています」
「昨日も聞いたんですけど、最近何体か出てるんですよね?」
ルナが尋ねると、シャロンは頷いた。
「はい。漁師の方から何件か目撃情報が入っています。ただ、いつも同じ場所に現れるわけではありません。漁場の辺りで見かけることが多い、という程度ですね」
「じゃあ、海に出ても見つからないことがあるんだ」
「あります。そこも、この依頼を受ける方が少ない理由の一つです」
船を用意して海に出ても、必ず遭遇できるとは限らない。それだけで陸上の討伐依頼より手間がかかる。
「それと、レッサークラーケンは討伐した後も少し面倒なんです」
「倒した後?」
ミアが首を傾げる。
「討伐証明は体内にある魔石です。ですが、海の上では倒したレッサークラーケンが沈んでしまったり、そのまま流されたりすることがあります」
「じゃあ、倒しても魔石が取れないことがあるの?」
「はい。すぐに引き上げられれば問題ありませんが、後から回収しようとしても見つからないことがあります」
「なるほどな……」
レオは腕を組む。
倒すことだけを考えればEランクの魔物だ。
だが、船を用意し、海上で探し、討伐した後は沈む前に引き上げなければならない。
手間を考えれば、陸上の依頼を選ぶ冒険者が多いのも分かる。
「ありがとう。少し相談してから決めるよ」
依頼書をシャロンに返し、三人はギルドの隅に移動した。
「どうする?」
「俺は倒せると思う。ただ、海で戦ったことはないからな」
レオはそう言って、少し考える。
「船も必要だし、レッサークラーケンがいそうな場所も俺たちには分からない」
「それなら、もう一回ダニーさんに聞いてみない?」
ルナが提案した。
「昨日の話だと、ダニーさんたちは実際にレッサークラーケンを見てるんだよね?」
「ああ。ニックの網もやられたって言ってたしな」
「だったら、私たちだけで考えるより詳しく聞いた方がいいと思う」
「あたしも賛成。海のことなら漁師さんに聞いた方がいいよ」
ミアも頷く。
レオは二人の顔を見てから、少し考えた。
「そうだな。受けるのはその後にしよう」
まずは実際に海に出ているダニーから、もう少し詳しく話を聞く。
そう決めた三人はギルドを出ると、ダニーを探しに港に向かった。
◇◇◇
朝の港はすでに多くの人で賑わっていた。
沖へ出る準備をする漁師や、運び込まれた魚を仕分ける人たちが忙しそうに行き交っている。
「あ、いた」
ミアが指さした先に、ダニーの姿があった。
その隣には、昨日話に出ていたニックもいる。
二人は数人の漁師と一緒に、網を広げて何かを確認しているところだった。
「ダニーさん!」
ルナが声をかけると、ダニーがこちらに気づいて顔を上げた。
「ルナたちか。どうした?」
「昨日のレッサークラーケンのことで、もう少し話を聞きたくて」
「レッサークラーケン?」
ニックもこちらを見る。
レオが一歩前に出た。
「さっきギルドで依頼を見てきた。まだ受けてはいないけど、条件が合えばやってみようと思ってる」
「本当か?」
ダニーの表情が変わる。
「ああ。ただ、俺たちはこの辺りの海を知らない。レッサークラーケンが出る場所も分からないし、船で戦った経験もないからな」
「それなら、俺たちが協力する」
ダニーはすぐに答えた。
「いいのか?」
「むしろこっちから頼みたいくらいだ。レッサークラーケンのせいで困ってる奴もいるからな」
隣でニックも頷く。
「俺の網もこの有様だしな」
そう言って、足元に広げられた網を指さした。
一部が大きく破れ、修理の途中らしい。
「場所まで連れていくのは任せてくれ。ただ、戦うのは頼む」
「それはもちろん」
レオが頷いた。
「レッサークラーケンって、普段はどの辺りにいるんですか?」
ルナが尋ねる。
「それが、はっきりとは分からないんだ」
ダニーは海に目を向けた。
「最近よく見かける辺りなら案内できる。でも、そこに行けば必ずいるってわけじゃない」
「やっぱり探す必要があるんだね」
「ああ。船を走らせながら探すことになる」
「見つけたら、どのくらい近づける?」
レオの問いに、ダニーは少し考える。
「近づくこと自体はできる。ただ、あまり近いと足を伸ばしてくるぞ。船に絡みつかれると面倒だ」
「水の中にいるんだよな?」
「ああ。見つける時は水面近くにいることが多いけど、危なくなれば潜る」
「それだと剣じゃ届かないな……」
レオが海を見ながら呟く。
「弓なら?」
ミアが尋ねる。
「水の中まで狙うのは難しいだろ」
「だよね」
ミアも困ったように眉を寄せる。
ルナも昨日聞いたレッサークラーケンの姿を思い浮かべた。
「……水の中から出せればいいのかな」
「簡単に言うな」
レオがすぐに返す。
「でも、レオの風魔法で何とかできないかな?」
「何とかって……」
「下から風をぶつけて、水の上に出せない? こう、竜巻みたいに」
「無茶言うな」
「やっぱり?」
「水ごと吹き飛ばすような竜巻なんて無理だ」
即座に否定された。
だが、レオはそのまま考え込む。
「……ただ、水面近くまで来てるなら、下から強めの風をぶつけるくらいはできるかもしれない」
「本当?」
「やってみないと分からないけどな。完全に吹き飛ばすのは無理でも、一瞬身体を水の上に出すくらいなら」
「その時なら、あたしの弓で狙えるかも」
ミアが続ける。
「動きが止まればな」
「どこを狙えばいいんだろう?」
「頭……というか、身体の真ん中だな。目もある」
ダニーが自分の頭を指しながら答えた。
「だったら、ミアが遠くから狙って、弱ったところを俺が剣で仕留めるか」
「レオはレッサークラーケンの近く?」
「ああ。その方がいいだろうな」
そこでダニーが口を挟む。
「だったら、船は二隻出そう」
「二隻?」
「一隻に全員乗るより、その方が動きやすい。俺の船にレオが乗って、レッサークラーケンに近づく。もう一隻は少し離れてついてくればいい」
「それならあたし、そっちから弓を使えるね」
「ああ」
話を聞いていたニックが頷いた。
「俺がそっちを出す。ルナとミアは俺の船に乗ればいい」
「俺たちはレッサークラーケンを探すのにも慣れてる。見つけるのと船を動かすのは任せろ」
ダニーの言葉に、レオが頷く。
海上での戦いは初めてだ。
レッサークラーケンそのものはEランクでも、陸上の魔物と同じようにはいかない。
それでも、海を知るダニーたちが協力してくれるなら、何とかなりそうだった。
「……やってみるか」
レオがルナとミアを見る。
「私はいいよ」
「あたしも」
二人が頷くと、レオも決心したように頷いた。
「分かった。じゃあ、依頼を受けてくる」
「こっちも船の準備をしておく」
ダニーが笑う。
「頼んだぞ、冒険者」
「ああ」
そうして話をまとめたルナたちは、正式にレッサークラーケン討伐の依頼を受けるため、もう一度冒険者ギルドに向かうことにした。
シャロンにレッサークラーケンの依頼を受けることを伝え、正式に手続きを済ませる。
「漁師の方にも協力していただけるんですね?」
「ああ。船も出してくれることになった」
「それなら安心ですね。ただ、くれぐれも無理はしないでください。海の上では、普段とは勝手が違いますから」
「分かってる」
レオは頷くと、レッサークラーケンの依頼を受けた。
三人が港に戻ると、すでに船の準備は整っていた。
用意されたのは二隻。
一隻にはダニーとレオ、それに二人の漁師。
もう一隻にはニックと漁師が一人、ルナとミアが乗り込む。
「じゃあ、行くぞ」
ダニーの声とともに、二隻の船が港を離れた。
◇◇◇
しばらく船を走らせ、漁場へと向かう。
港が遠ざかるにつれ、周囲には海ばかりが広がっていった。
ルナたちはダニーたちに教えられた通り、海面を注意深く見つめる。
しかし、なかなかそれらしい姿は見つからない。
「本当にいるのかな」
「昨日もこの辺りで見た奴がいる。もう少し探してみよう」
少し離れた船からダニーの声が返ってくる。
それからさらに船を進めた時だった。
「いたぞ!」
漁師の一人が声を上げた。
指さした先の海面が、不自然に揺れている。
次の瞬間、長い足が一本、水面から姿を現した。
「レッサークラーケンだ!」
ダニーたちの船が進路を変える。
「ルナ、いたよ!」
「うん!」
ミアはすぐに弓を手に取った。
ルナも海面を見つめる。
水の中に見える丸い身体と、そこから伸びる何本もの足。
ダニーたちの船がレッサークラーケンとの距離を縮めていく。
「レオ、そろそろだ!」
「ああ!」
レオが船の端に立つ。
レッサークラーケンはまだ水面近くにいる。
水の中に丸い身体がぼんやりと見え、その周囲で長い足がゆらゆらと動いていた。
レオは片手を海に向ける。
強い風が水面に叩きつけられた。
バシャッと大きな水しぶきが上がり、海面が激しく波打つ。
突然の衝撃に驚いたのか、レッサークラーケンが大きく身体をくねらせた。
「あっ!」
丸い身体が一瞬だけ水面から姿を現す。
しかし——。
「駄目、もう潜った!」
ルナの声とほとんど同時に、レッサークラーケンは再び水中に身体を沈めた。
「一瞬すぎるよ。あれじゃ狙えない!」
離れた船からミアが声を上げる。
「分かってる!」
レオは海面を睨みながら答えた。
持ち上げることはできない。
だが、今のでレッサークラーケンが風と水の衝撃に反応することは分かった。
「ダニー、もう少し近づけるか?」
「ああ。ただし、近づきすぎると足が来るぞ!」
「分かった。少しだけ頼む!」
ダニーが船の向きを変え、慎重に距離を詰めていく。
レッサークラーケンは逃げようとしているのか、水面近くを泳いでいた。
レオはその動きをじっと追う。
「……今度は、真上からじゃなくて横から当ててみる」
狙うのはレッサークラーケンそのものではない。
そのすぐ横の水面だ。
レオが再び手を向ける。
先ほどよりも強い風が斜めから海面を叩いた。
大量の水しぶきが跳ね上がり、その勢いで波がレッサークラーケンにぶつかる。
驚いたレッサークラーケンが激しく身をよじった。
次の瞬間、丸い身体が大きく水面から飛び出す。
「今だ!」
レオが叫ぶ。
「分かってる!」
ミアはすでに弓を構えていた。
水面から姿を現したレッサークラーケンに狙いを定め、弦を放す。
矢が真っ直ぐ飛んでいき、レッサークラーケンの身体に突き刺さった。
レッサークラーケンが大きく暴れる。
「うわっ!」
長い足が水面を叩き、ダニーたちの船が大きく揺れた。
「レオ、掴まれ!」
「ああ!」
レオは船の縁を掴んで体勢を立て直す。
矢を受けたレッサークラーケンは激しく足を動かしながらも、まだ水面近くにいた。
「ダニー、もう少し寄せられるか!」
「やってみる!」
ダニーが船を操り、暴れるレッサークラーケンに慎重に近づいていく。
距離が縮まる。
レオは剣を抜いた。
「今だ、レオ!」
船のすぐ横まで来たレッサークラーケンにレオが剣を突き立てる。
レッサークラーケンの身体が大きく震えた。
それでも最後の抵抗をするように、長い足が激しく動く。
「レオ!」
ルナが声を上げる。
一本の足が、水面を這うように船に伸びていた。
「ミア、あそこ!」
「え?」
「ダニーさんたちの方!」
ミアがすぐに視線を向ける。
レッサークラーケンの足が、船の縁に届こうとしていた。
「っ!」
ミアは素早く次の矢をつがえる。
狙いを定める暇もほとんどない。
放たれた矢が足に突き刺さった。
レッサークラーケンの足がびくりと震え、その動きが止まる。
「助かった!」
ダニーが声を上げる。
やがて、レッサークラーケンは完全に動かなくなった。
「……倒した?」
ルナが恐る恐る尋ねる。
「ああ。たぶん——」
ニックが答えかけた、その時。
「まずい、沈むぞ!」
ダニーの声が響いた。
力を失ったレッサークラーケンの身体が、ゆっくりと海の中に沈み始めていた。
「網を!」
「急げ!」
漁師たちが一斉に動き出す。
用意していた網を海に投げ、沈みかけたレッサークラーケンに引っかける。
「こっちも近づけるぞ!」
ニックも船を寄せた。
ルナたちもできることを手伝う。
「引け!」
「せーの!」
全員で力を合わせて網を引く。
「重い……!」
ルナも必死に綱を握る。
水を含んだレッサークラーケンの身体は想像以上に重かった。
それでも少しずつ引き寄せ、漁師たちが慣れた手つきで網をかけ直していく。
「もう少しだ!」
掛け声に合わせ、もう一度力を込める。
やがて大きな身体が、ダニーたちの船の上へと引き上げられた。
「上がった!」
船の上にレッサークラーケンが落ちる。
ルナは思わずその場に座り込んだ。
「つ、疲れた……」
「討伐より、こっちの方が大変じゃない?」
隣でミアも息を切らしている。
「……確かにな」
レオが苦笑した。
レッサークラーケンを引き上げた後も、ルナたちはしばらく周辺を探した。
最近は何体か目撃されていると聞いていたが、それらしい姿は見つからない。
「今日はもういないかもしれないな」
ダニーが海を見渡しながら言う。
「一体は倒せたし、いったん戻るか」
「ああ」
レオも頷いた。
二隻の船は向きを変え、ナキールの港に戻ることになった。
こうして初めての海での討伐は、無事に成功したのだった。
◇◇◇
港に戻ると、引き上げたレッサークラーケンを船から降ろす。
改めて陸の上で見ると、やはり大きい。
長い足を含めれば二メートル以上はありそうだった。
レオは討伐証明となる魔石を取り出し、残ったレッサークラーケンを前にルナはしゃがみ込んだ。
丸みのある身体。
そこから伸びる八本の足。
足の内側には、丸い吸盤のようなものまで並んでいる。
どう見ても、ルナにはタコにしか見えなかった。
「ねえ、ダニーさん」
「ん?」
「レッサークラーケンって、食べたりしないんですか?」
ダニーがきょとんとする。
「食べる?」
「はい」
「いや、聞いたことないな」
ニックも首を横に振った。
「わざわざ食おうなんて思わないだろ。それに、こいつは魔石以外に使い道がないって聞いてるぞ」
「そうなんだ……」
ルナは残念そうにレッサークラーケンを見る。
もし本当にタコに近い生き物なら、前世では食材だった。
けれど、ここでは魔物だ。見た目が似ているだけで同じとは限らない。
毒がある可能性だってある。
「じゃあ、これはどうするんですか?」
「魔石を取った後は処分するだけだな」
「そうですか……」
やはり食べられないのだろうか。
ルナが考え込んでいると、それまで黙っていたレオが口を開いた。
「ダニー。これ、二、三日だけ置いててもらえないか?」
「え?」
ルナは思わずレオを見る。
ダニーも不思議そうな顔をした。
「別にいいけど……何に使うんだ?」
「いや……もしかしたら、確かめる方法があるかもしれないと思ってな」
「確かめる方法?」
「まだ分からない。だから今はいい」
「何よ、それ」
ミアも怪訝そうにレオを見る。
しかし、レオは答えず、もう一度ダニーに向き直った。
「ちょっとだけ頼む。二、三日でいいから」
「まあ、倉庫に置いておくくらいなら構わないけどな」
「ただ、生ものだからな。臭いが出てきたらさすがに置いておけないぞ」
ニックの言葉に、レオは頷く。
「ああ。その時はすぐ捨ててくれて構わない」
「分かった。それでいいなら置いておく」
「助かる」
話がまとまり、レッサークラーケンは港にある低温倉庫に運んでもらうことになった。
ルナはその様子を眺めながら、隣にいるレオを見る。
「何で残してもらったの?」
「食べられるかどうか、確かめられるかもしれないから」
「どうやって?」
「それはまだ分からない」
「……何それ」
結局、レオが何を考えているのかは分からなかった。
けれど、すぐに処分されないのなら、ルナにとっても都合はいい。
倉庫に運ばれていくレッサークラーケンにもう一度目を向ける。
(何か確かめる方法、ないかな)
食べられると分かれば、試してみたい料理はいくつもある。
処分されてしまう前に、自分でも方法を考えてみよう。




