ナキールの町 4.5
リアムの部屋を出たマシューは、自室へは戻らず、ディオンのもとを訪れていた。
今日の仕事はすでに終わっている。
明日の朝には再び王都を発つ予定だ。しばらく会えなくなることもあり、久しぶりに二人で酒を飲むことになった。
「帰ってきたと思ったら、またすぐ出ていくとはな」
向かいに座ったディオンが、呆れたように笑う。
「俺も明日出るとは思ってなかった」
「リアムが言い出したんだろ?」
「ああ」
「やっぱりな」
ディオンは納得したように頷くと、グラスに口をつけた。
「それで、最近はどうなんだ?」
「何がだ?」
「リアムだよ。迷惑かけてないか?」
「今さらだろ」
マシューは思わず笑った。
「もう慣れた」
「それもそうか」
「昔に比べれば、まだましになった方だ」
「確かにな」
二人で顔を見合わせ、小さく笑う。
こうしてリアムの補佐をするようになって、もう何年も経つ。
今ではリアムが何かを思いついて突然行動を始めても、それほど驚かなくなった。
止めるべき時には止め、問題がなければ好きにさせる。
それがすっかり当たり前になっている。
けれど、最初からこんな関係だったわけではない。
マシューが初めてリアムを知ったのは、もっと幼い頃だった。
◇◇◇
十二歳の頃。
マシューとディオンは、ほぼ同じ時期に属性判定を受けた。
エレンジアでは十二歳で属性判定を受け、その翌年から三年間、学園に通うことになっている。
学園の入学を控え、少しずつ魔法を習い始めたばかりの頃だ。
「最近、リアムがうるさいんだ」
ある日、いつものように一緒にいたディオンが、突然そんなことを言い出した。
「リアム殿下?」
「ああ。魔法を使うたびに、もう一回見せろって言ってくる」
そう言いながらも、ディオンの顔はどこか楽しそうだった。
「兄上のところにも行ってるらしい。自分も早く魔法を使いたいんだと」
「まだ判定まで何年もあるだろ」
「だから待てないんだろうな」
マシューもリアムのことは以前から知っていた。
ディオンの弟であり、エレンジア王家の末の王子。
王宮に来れば姿を見かけることもあったし、ディオンから話を聞くことも多かった。
とはいえ、この頃のマシューにとって、リアムはまだそれほど近しい相手ではなかった。
「昨日なんて、練習が終わるまでずっと見てたぞ」
「よほど魔法が好きなんだな」
「好きというか、自分もやりたいんだろ。帰ろうとしたら、明日もやるのかって聞かれた」
「見せてやればいいだろ」
「毎日付き合わされる俺の身にもなれ」
文句を言いながらも、結局は弟に付き合っている。
ディオンから何度も話を聞いていたせいか、マシューにとってリアムは、王子というより親友の弟という感覚に近かった。
それからしばらくして、リアムにスキルが発現したという話を聞いた。
属性判定を受ける年齢にはまだ早い。
本来なら属性判定の際に判明することが多いスキルが、リアムには珍しく早く発現した。
兄たちの魔法を羨ましそうに眺めていたリアムが喜んでいると、ディオンから聞いたことを覚えている。
ただ、そのスキルがどんなものなのかまでは、マシューも知らなかった。
そんなある日のことだった。
王宮を歩いていたマシューは、中庭の隅に一人で座っているリアムを見つけた。
いつもなら誰かを捕まえて魔法の話でもしていそうなのに、その日は珍しく静かだった。
「リアム殿下?」
声をかけると、リアムが顔を上げる。
「あ、マシュー」
「一人で何してるんです?」
「ちょっと考え事」
「考え事?」
マシューが近くまで行くと、リアムは少し迷ったあと、口を開いた。
「俺、スキルが使えるようになったんだ」
「聞きました。よかったですね」
「うん。『鑑定』っていうんだ」
「鑑定?」
「見たものが何なのか、分かるんだよ」
リアムは近くにあった植物に目を向ける。
「植物なら名前が分かるし、魔石とか魔道具も鑑定できるんだって」
「便利そうですね」
「だろ?」
ようやくリアムがいつものように笑った。
だが、その笑顔はすぐに消える。
「それで、いろいろ試したんだ」
「何かあったんですか?」
「……人にも使った」
マシューは一瞬黙った。
「勝手に?」
「うん」
「それは駄目でしょう」
「やっぱりそう思う?」
「当然でしょう」
マシューは特に迷うことなく答えた。
「自分のことを勝手に調べられたら嫌でしょう?」
「うん。俺も後からそう思った」
「なら、もうやらなければいいんじゃないですか」
「父上たちにもすごく怒られた」
「それも当然ですね」
あっさりと言われ、リアムは目を瞬いた。
けれど、怒った様子はない。
むしろ少し不思議そうにマシューを見ていた。
「……何です?」
「俺の周りにいる人たちは、そんなこと言わなかったから」
「周りの人?」
「悪気があったわけじゃないんだから仕方ないとか、まだ子供なんだからそんなに怒らなくてもいいのにって」
「まあ、悪気はなかったんでしょうけど」
「うん」
「でも、やったことが駄目なのは変わらないでしょう」
「そうだよね」
リアムは素直に頷いた。
そして、なぜか嬉しそうに笑う。
「マシューって、兄上たちと同じこと言うんだね」
「そうですか?」
「うん」
それの何が嬉しいのか、当時のマシューにはよく分からなかった。
ただ——。
思い返せば、あの日からだった気がする。
王宮で顔を合わせればリアムの方から話しかけてくるようになり、魔法や『鑑定』で見つけたものについて聞かされることも増えた。
ディオンを訪ねただけなのに、気づけばリアムまで一緒にいることも珍しくなくなった。
最初は偶然だと思っていた。
けれど、それが何度も続けばさすがに分かる。
(……あれで懐かれたんだろうな)
何がそんなに気に入られたのか。
当時のマシューには、やはりよく分からなかった。
◇◇◇
十五歳で学園を卒業したマシューは、そのまま騎士団に入った。
まだ見習いに近い立場ではあったが、訓練を受け、任務にも少しずつ同行するようになった。
それから一年ほど経った頃。
十二歳になったリアムが属性判定を受けた。
判明したのは、水と雷の二属性だった。
中でも雷は珍しい属性で、兄たちが魔法を使う姿を幼い頃から羨ましそうに見ていたリアムは、それはもう喜んだらしい。
その話をディオンから聞いて間もなく、マシューはアーサーに呼び出された。
「マシュー」
「何でしょうか」
「父上とも話したんだが、お前にリアムの補佐を頼みたい」
予想もしていなかった言葉に、マシューは目を瞬いた。
「……私が、ですか?」
「ああ。護衛も兼ねてもらう」
「ですが、私はまだ騎士団に入って一年ほどです」
王族の護衛なら、もっと経験を積んだ騎士がいくらでもいる。そう思ったのだが、アーサーは首を横に振った。
「剣の腕だけで選んだわけじゃない」
「では、なぜ俺なんです?」
「リアムがお前の言うことなら聞くからだ」
「……はい?」
思わず聞き返した。
アーサーは真面目な顔をしている。
「あいつは昔から興味を持ったものには一直線だからな。雷属性だと分かった以上、何を始めるか分からない」
「それを私に止めろと?」
「そういうことだ」
「……護衛より、そっちが本命じゃないですよね?」
アーサーは答えなかった。
その沈黙が何よりの答えだった。
そうしてマシューは、リアムの補佐兼護衛を務めることになった。
そして——。
アーサーの判断が正しかったと分かるまで、それほど時間はかからなかった。
「何してるんだ?」
補佐になって間もないある日。
リアムのもとを訪れたマシューは、机の上に紙を広げ、自分の左腕をじっと見つめているリアムを見つけた。
「ちょうどよかった。マシュー、これ見て」
「何を?」
「雷魔法って、当たると身体が痺れるだろ?」
「ああ」
「どのくらいの強さから痺れるのか調べようと思って」
机の上の紙には、何やら細かく数字や文字が書き込まれている。
「どうやって調べるんだ?」
「少しずつ強くしていけば分かるだろ」
「だから、何に使うんだ」
「俺の腕」
「やめろ」
即答した。
「まだ何もしてないよ」
「今からするつもりだっただろ」
「大丈夫だって。最初は本当に弱くするから」
「駄目だ」
「でも、どのくらいなら安全なのか知っておいた方がいいだろ?」
「それを調べるために自分の身体で試すな」
「じゃあ人に試すの?」
「もっと駄目だ」
「でしょ?」
リアムは当然のように言った。
「だから自分で試すのが一番いいと思ったんだけど」
「よくない」
「でも——」
「駄目だ」
きっぱりと言い切ると、リアムは不満そうに口を閉じた。
「じゃあ、どうやって調べればいいんだよ」
「それを安全に調べる方法を考えるのがお前の仕事だろ」
「……マシュー、厳しくない?」
「お前が無茶をしなければ言わない」
「まだやってないのに」
「やろうとしてただろ」
リアムは納得がいかない様子だったが、それでも自分の腕で試すことは諦めたらしい。
広げていた紙を集め始める。
その姿を見ながら、マシューは小さく息を吐いた。
アーサーがわざわざ自分を補佐につけた理由が、少し分かった気がした。
それからも似たようなことは何度もあった。
新しい魔法を覚えれば試したがり、気になることを見つければ確かめたがる。
止めれば理由を聞き、納得できなければ食い下がる。
そのたびにマシューが止め、時には一緒に安全な方法を考えた。
気づけば、それが二人にとって当たり前になっていた。
「……懐かしいな」
昔のことを思い出し、マシューは小さく笑った。
向かいに座っていたディオンが、不思議そうにこちらを見る。
「どうした?」
「いや。昔のことを思い出してただけだ」
「昔?」
「リアムの補佐になった頃のことだよ」
ディオンもすぐに察したらしく、苦笑する。
「あの頃は大変だったな」
「今も大して変わらないけどな」
「さっきは慣れたって言ってなかったか?」
「慣れただけだ。大変じゃなくなったとは言ってない」
「それもそうか」
ディオンが楽しそうに笑う。
マシューもグラスに残っていた酒を飲み干した。
「明日も朝早いんだろ?」
「ああ」
「なら、今日はこのくらいにしておくか」
ディオンが立ち上がる。
「また戻ったら飲もう」
「そうだな」
マシューも席を立った。
明日の朝には、またリアムと王都を離れる。
今度はどれくらいで戻ってくることになるのか。
そんなことを考えながら、マシューは自室へと戻った。
◇◇◇
翌朝。
荷物を持って外に出ると、すでにリアムが待っていた。
「マシュー、おはよう」
「ああ。おはよう」
「じゃあ行こうか」
リアムは朝から随分と機嫌がいい。
昨日タリオンから戻ったばかりだというのに、疲れた様子も見せず、リアムはさっさと馬車に向かって歩き出す。
その背中を見ながら、マシューは昨夜思い出していた昔のことを思う。
最初は、アーサーに頼まれた仕事だった。
危ないことをしようとすれば止める。
間違っていれば指摘する。
それだけのつもりだった。
「マシュー?」
少し先でリアムが振り返る。
「何してるの? 置いていくよ」
「……はいはい」
昔から変わらないその姿に、マシューは小さく笑った。
(結局、放っておけなくなったのは俺も同じか)
そんなことを思いながら馬車に乗り込む。
「じゃあ、行こうか」
楽しそうに笑うリアムの隣で、マシューは小さくため息をついた。
馬車はゆっくりと動き出し、二人を乗せて王都を後にした。




