ナキールの町 4.
同じ日。
エレンジア王国の王都に戻ったリアムとマシューは、その足で王宮へと向かっていた。
「先に陛下へ報告するのか?」
「うん。兄上も忙しいから、早い方がいいでしょ」
「研究所には?」
「後でいいよ。今回はタリオンの件が先」
そう答えながら、リアムは慣れた足取りで王宮の廊下を進んでいく。
一年前、長兄アーサーが先王から王位を譲られたことで、かつて第三王子と呼ばれていたリアムも、今では王弟という立場になっていた。
とはいえ、その生活が大きく変わったわけではない。
魔法研究所に所属し、自分の研究を続けながら、必要があれば国から依頼された魔法や魔道具の調査も行う。
王族としてやるべきことをしているなら、研究でも旅でも好きにすればいい。
それが、兄であるアーサーの考えだった。
「兄上、いる?」
執務室の前まで来ると、リアムは控えていた侍従に尋ねた。
「はい。お戻りになりましたらお通しするよう、陛下から伺っております」
「じゃあ、ちょうどよかった」
ほどなくして扉が開かれる。
リアムとマシューが中に入ると、広い執務室の奥で、一人の青年が机に向かっていた。
机の上にはいくつもの書類が積まれている。
こちらに気づいたアーサーが顔を上げた。
「戻ったか、リアム」
「ただいま、兄上」
「思っていたより早かったな」
「いろいろあったけどね」
「その顔を見る限り、悪い報告ばかりではなさそうだな」
アーサーは手にしていた書類を置いた。
「聞こう。タリオンはどうだった?」
その言葉に、リアムも表情を改める。
「船員病で間違いなかった」
「やはりそうだったか」
アーサーの表情がわずかに険しくなる。
船員病は、エレンジアでも知られている病だ。
長期間の航海に出た船員に多く見られ、倦怠感や歯茎からの出血など、さまざまな症状を引き起こす。
重症化すれば命を落とすこともある。
だが、これまで原因は分かっていなかった。
「ただ、今回は船員だけじゃなかった。町の人たちにも同じ症状が出てた」
「聞いている。だからこそ、最初は船員病だと断定できなかったんだろう?」
「うん。でも、それにも理由があった」
リアムはタリオンで分かったことを順番に説明していく。
「数か月前、タリオンでは長雨が続いてた。その影響で野菜や果物が高くなってたんだ」
「それが船員病と関係しているのか?」
「うん。生活に余裕がない人たちは、高くなった野菜や果物をほとんど食べなくなってた」
アーサーが黙って続きを待つ。
「船員も同じだった。長い航海に出ると、野菜や果物をほとんど食べなくなる。ルナはそこに共通点があることに気づいたんだ」
「ルナ?」
「タリオンで知り合った子だよ」
リアムは、ルナが患者たちの食生活を調べ、船員と町の住民の共通点を見つけたことを話した。
「それで、ラバヌイを使ったお茶を患者に飲んでもらった」
「ラバヌイ……あの赤い実か?」
「知ってる?」
「名前くらいはな」
「食事も見直して、ラバヌイのお茶も続けてもらった。そうしたら、症状が改善する人が増えていった」
アーサーはしばらく何も言わなかった。
「正確に何が足りなくなるのかまでは分かってない。それに、まだ経過を見る必要もある。でも、食事が原因になっている可能性はかなり高いと思う」
「だとすれば……」
アーサーの表情が真剣なものに変わる。
エレンジアも海に面した国だ。
長期間の航海に出る船は珍しくなく、船員病によって命を落とす者もいる。
原因が分からなかったからこそ、防ぎようがなかった。だが、食事が関係しているのなら話は違う。
「詳しい記録はあるか?」
「まとめてあるよ」
リアムが持ってきた書類を差し出す。
アーサーは素早く目を通した。
「港と船を管理している者たちにも確認させよう。次の長期航海では、野菜や果物をできるだけ取り入れた食事を用意し、船員たちの経過を記録させる」
「うん。それがいいと思う」
「タリオンの経過も引き続き確認する必要があるな」
「それは向こうでも続けてくれるはずだよ」
アーサーは頷く。
「本当に食事で防げるのなら、大きな発見になる」
「俺もそう思う」
そこでアーサーは、もう一度書類に目を落とした。
「そのルナという娘にも、一度詳しく——」
「駄目だよ」
言い終わるより先に、リアムが遮った。
アーサーが顔を上げる。
「……何がだ?」
「どうせ話を聞いてみたいとか言うつもりだったんでしょ」
「まあ、そうだな」
「ルナたちは旅をしてるんだから、王宮に呼んだりしないでよ」
「呼びつけるとは言っていない」
「会いたいとかも駄目だからね」
「……へえ」
アーサーが少し面白そうにリアムを見る。
「何?」
「いや。ずいぶん気にしているんだなと思ってな」
「そういうんじゃないよ。ルナは自由に旅してるんだから、面倒なことに巻き込まないでって言ってるだけ」
「そうか」
アーサーはそれ以上追及せず、書類を机に置いた。
「分かった。少なくとも本人の意思を無視して呼び出すようなことはしない」
「ならいい」
リアムは満足そうに頷いた。
これで報告は終わりかと思われたが、リアムは思い出したように口を開く。
「それと兄上」
「まだ何かあるのか?」
「しばらく休暇を取りたい」
「研究所には話してあるのか?」
「タリオンから戻ったら何日か休むって、出る前から言ってある。あとは兄上から仕事を振られなければ」
「そうか」
アーサーは少し考えたあと、あっさり頷いた。
「なら構わない」
「本当?」
「ああ」
「よかった」
リアムの表情が一気に明るくなる。
「それで、どこに行くんだ?」
「ナキール」
「ナキール?」
アーサーがわずかに眉を上げる。
「うん」
「確か、そのルナたちが今いる町だったな」
「……そうだけど」
一瞬だけ間が空いた。
アーサーの口元がわずかに緩む。
「……何、その顔」
「別に?」
「絶対何か思ってるでしょ」
「気のせいだ」
まったくそうは見えなかったが、リアムはそれ以上追及しなかった。
「じゃあ、今日から休みでいい?」
「それは駄目だ」
「え?」
即答された。
アーサーは机の上にあった一枚の書類を手に取り、リアムの前に差し出す。
「お前がいない間に、騎士団から依頼が来ている」
「……何の?」
「押収した魔道具の中に、用途の分からないものがあるそうだ。ディオンのところに行ってこい」
「他の人じゃ駄目なの?」
「お前の『鑑定』が一番早い。休暇に入るんだろう?」
「……そうだけど」
「なら、今日中に終わらせてこい」
反論できず、リアムは渋々書類を受け取った。
「マシュー」
「はい」
「悪いが、一緒に行ってやってくれ」
「分かりました」
「マシューまで即答しなくてもいいのに」
「仕事だろ」
「分かってるよ」
リアムはため息をついた。
◇◇◇
第二騎士団の詰所に向かうと、団長室にはリアムの二番目の兄であるディオンがいた。
「ディオン兄、来たよ」
「リアム?」
書類を読んでいたディオンが顔を上げる。
「戻ってたのか」
「さっきね。兄上に報告してきたところ」
「そうか」
ディオンは後ろにいたマシューにも目を向けた。
「マシューも久しぶりだな」
「ああ」
「タリオンはどうだった?」
「いろいろあった。詳しい話はリアムに聞いてくれ」
「長くなるよ」
「なら後で聞く」
あっさり言われ、リアムは手にしていた書類を机に置いた。
「これ。兄上から」
「ああ。待ってた。来い。見てもらいたいものがある」
ディオンに連れられた先には、騎士団が押収した品がいくつか並べられていた。
宝石や装飾品に混じって、小さな魔道具が数点置かれている。
「最近捕まえた連中から押収したものだ」
「盗品?」
「ああ。王都や周辺の町で盗まれたものが混じってる」
ここしばらく、第二騎士団では窃盗事件の捜査を続けていた。
最初はそれぞれ別の事件だと思われていたが、捕らえた者たちを調べるうちに、盗まれた品の一部が同じ経路を通って売られている可能性が出てきたらしい。
「こいつらだけでやってるわけじゃないってこと?」
「おそらくな。盗む奴、品を集める奴、運ぶ奴。それぞれ役割が分かれてる可能性が高い」
「面倒そうだね」
「だから調べてるんだ」
ディオンに促され、リアムは魔道具を一つ手に取った。
『鑑定』を使って順番に調べていく。
「これは魔力を溜めるためのもの。普通のものより容量が大きいね」
「こっちは?」
「魔力を一気に放出するためのものみたいだ。単体で使うというより、何かと組み合わせるものだと思う」
ディオンは近くにいた騎士に結果を書き留めるよう指示した。
残りも調べていき、最後の一つを置く。
「これで全部?」
「ああ。助かった」
「じゃあ帰るね」
「待て」
「……まだあるの?」
嫌そうな顔をするリアムに、ディオンが別の書類を差し出した。
「こいつらと関わっていると思われる男が一人いる。潜伏場所の候補までは絞れてる」
「それ、俺が必要?」
「魔道具を持っている可能性がある。危険なものかどうか、その場で判断してほしい」
「……なるほど」
リアムは渋々頷いた。
「すぐ終わる?」
「見つかればな」
「じゃあ早く行こう」
どうせ手伝うなら、さっさと終わらせたい。
リアムたちは騎士団とともに、候補となっていた場所に向かった。
幸い、捜索にはそれほど時間はかからなかった。
「いたぞ!」
騎士の声が響く。
一人の男が建物から飛び出し、そのまま路地へ駆け込んだ。
「リアム、逃がすな!」
「分かってる!」
ディオンの声に応え、リアムが片手を向ける。
次の瞬間、威力を抑えた細い雷が地面を走った。
「ぐっ!」
男の身体が大きく震え、その場に膝をつく。
動きが止まったところに騎士たちが駆け寄り、すぐに取り押さえた。
リアムもそのそばまで歩いていく。
「これで終わり?」
「いや」
ディオンは騎士たちに連れていかれる男を見ながら答えた。
「こいつも指示を受けて動いてるだけだろう。まだ上がいる」
「まだいるんだ」
「ああ。ただ、ここまで何人か捕まえた。押収した品からも、別々だと思ってた事件が繋がり始めてる」
ディオンはわずかに表情を引き締めた。
「だいぶ近づいたはずだ」
「じゃあ、もう少しだね」
「そうだといいけどな」
リアムはそれ以上深く聞くこともなく、軽く伸びをした。
「じゃあ、今度こそ帰っていい?」
「ああ。助かった」
「明日の準備もしないといけないからね」
「本当にすぐ出るのか?」
「そのために早く終わらせたんだから」
ディオンは呆れたようにリアムを見る。
「まあいい。気をつけて行ってこい」
「うん」
リアムは軽く手を上げると、マシューとともに騎士団を後にした。
◇◇◇
王宮に戻ったリアムは、自室に入るなり旅の準備を始めた。
とはいえ、タリオンから戻ったばかりだ。
荷物のほとんどはそのまま使える。
必要なものを確認し、足りないものだけを鞄に加えていく。
「……もう準備してるのか」
部屋に入ってきたマシューが、呆れたように尋ねた。
「明日の朝出るからね」
「随分急ぐな」
「そう?」
「王都に戻ってきたばかりだぞ」
「でも、ルナたちはナキールに一週間くらいいるって言ってたから」
荷物を詰めていたリアムの手が止まる。
「……まだいるよね?」
「予定が変わっていなければな」
「なら早い方がいいだろ」
「一日くらい遅くても変わらないと思うが」
「変わるかもしれないじゃん」
すぐに返ってきた答えに、マシューは黙ってリアムを見る。
「何?」
「いや」
「何か言いたそうだけど」
「気のせいだ」
「……兄上と同じこと言ってる」
リアムは不満そうに呟くと、再び荷物に目を戻した。
やがて準備を終え、鞄を閉じる。
「よし。これで明日の朝すぐ出られる」
リアムは満足そうに頷いた。
「まだナキールにいるといいな」
そう呟く声は、どこか楽しそうだった。




