ナキールの町 3.
翌朝。
ルナたちが一階の食堂に下りると、朝食のいい香りが漂っていた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「おはようございます。はい、ぐっすり」
ローサに挨拶を返し、三人は昨日と同じテーブルについた。
しばらくして運ばれてきたのは、パンと魚介の入った温かなスープだった。
白身魚に貝、芋やいくつかの野菜が入っている。
湯気とともに魚介の香りが立ち上り、見るからに美味しそうだ。
「いただきます」
ルナは早速スープを一口飲んだ。
魚と貝の旨味がしっかりと出ていて、塩と香草の味付けもよく合っている。
「美味しい」
「ね。魚も柔らかい」
ミアも気に入ったようで、すぐに二口目を口に運んでいる。
「さすが漁師の宿だな」
レオも魚を食べながら頷いた。
昨日聞いた話では、この宿では息子のダニーが獲ってきた魚も料理に使っているらしい。
港町で食べる新鮮な魚介。それだけでも、ナキールに来た甲斐があったと思える。
ルナもスープを楽しんでいたが、ふと昨日買ったものを思い出した。
(トマーテ……)
昨日、市場で初めて食べた赤い実。
こちらではそのまま食べるのが普通らしい。
けれど、味も見た目も、前世で食べていたトマトによく似ていた。
(魚介とトマトなんて、絶対合うよね)
白身魚に貝。
そこへトマーテを加えて煮込んだらどうなるだろう。
魚介の旨味とトマーテの酸味。
昨日買ったガルムも、少しだけ加えたら合いそうだ。
考えているうちに、だんだん作ってみたくなってきた。
(せっかく買ったんだし、試してみたいな)
「……ルナ?」
「え?」
ミアの声に顔を上げる。
「何か考えてた?」
「うん。ちょっと料理したいなって」
「また?」
「昨日いろいろ買ったから、使ってみたいの」
そう答えると、ミアが楽しそうに笑った。
「じゃあ、また何か作るの?」
「調理場を借りられたらね」
ちょうど食堂の奥を通りかかったローサを見つけ、ルナは声をかけた。
「ローサさん、ちょっといいですか?」
「ん? どうしたんだい?」
「あの、今日って調理場を少し借りることできますか?」
「調理場を?」
「はい。昨日市場で買ったトマーテを使って、作ってみたい料理があって」
「トマーテを?」
ローサは少し意外そうな顔をした。
「何を作るんだい?」
「魚と一緒に煮込んでみようかなって思ってます」
「へえ。トマーテを煮るのかい」
「やっぱり珍しいですか?」
「私はやったことないねえ。あれはそのまま食べるものだと思ってたよ」
昨日の店主と同じ反応だった。
それを聞くと、ますます試してみたくなる。
「昼までは使うから、午後からなら空いてるよ」
「本当ですか?」
「ああ。昨日のあれも面白かったしね。好きに使っていいよ」
「ありがとうございます!」
ルナは嬉しそうに頭を下げた。
午後になったら、早速作ってみよう。
残っていたスープを食べながら、ルナの頭の中では、すでに新しい料理のことがいっぱいになっていた。
朝食を食べ終え、三人が食堂を出ようとしたところで、ローサに呼び止められた。
「ルナ」
「はい?」
「さっきの料理だけど、魚を使うんだろう?」
「はい。できれば魚だけじゃなくて、貝とかも入れてみたいなって思ってます」
「今朝の仕込みでまだ残ってるものがあるよ。今日中に使ってしまいたいから、よかったら使うかい?」
「いいんですか?」
思わぬ申し出に、ルナの顔が明るくなる。
「ああ。どうせ夕食までには使わないといけないからね」
「ありがとうございます!」
早速見せてもらうことにして、ルナはローサについて調理場に向かった。
そこには白身の魚が数種類と、貝や小さな海老に似たものが残っていた。
どれもまだ十分に新鮮そうだ。
「これ、全部使っていいんですか?」
「全部使わなくてもいいよ。好きなのを選びな」
「じゃあ……この魚と、この貝と……」
どれを使おうかと楽しそうに選ぶルナを、ダグが横から覗き込む。
「午後、魚を使うんだろ?」
「はい」
「だったら俺も手伝おうか」
「いいんですか?」
「魚の下ごしらえなら慣れてる。それに、トマーテを煮る料理っていうのも気になるからな」
横でローサが笑う。
「手伝ってもらいな。この人、昨日からあんたたちがやることを面白がってるんだから」
「余計なこと言うな」
ダグが苦笑する。
「じゃあ、お願いします」
「ああ」
昼を過ぎ、調理場が落ち着いた頃。
ルナは昨日市場で買ったトマーテとガルムを持って、再び調理場にやってきた。ミアとレオも一緒だ。
食材は、魚介のほか、ローサに頼んで玉ねぎに似た香味野菜や香草、塩も分けてもらった。
「さて、作ろうかな」
まずは魚介の下ごしらえから始める。
魚を食べやすい大きさに切り、貝を洗い、海老の下処理も済ませていく。
魚の扱いについてはダグにも教えてもらいながら進めた。
続いて取り出したのは、昨日買ったトマーテだ。
「本当にそれを煮るのか?」
ダグが不思議そうに尋ねる。
「はい。多分、美味しくなると思う」
「多分か」
「やったことはないから」
正確には、前世ではトマトを使った魚介料理を知っている。
けれど、この世界のトマーテで作るのは初めてだ。
ルナはトマーテを切り分けていく。
鍋で香味野菜を軽く炒めてからトマーテを加え、火を通す。
しばらくするとトマーテから水分が出て、少しずつ形が崩れ始めた。
「へえ……」
そばで見ていたミアが鍋を覗き込む。
「全然違う感じになるね」
「でしょ?」
そこに水を加え、香草と魚介を入れて煮込んでいく。
ぐつぐつと煮える鍋から、魚介とトマーテの香りが漂い始めた。
「いい匂いだな」
レオが反応する。
「まだ味付けしてないよ」
「もう美味そうだけどな」
ルナは笑いながら鍋を混ぜた。
魚に火が通ったところで味を見る。
「もう少しかな……」
ガルムをほんの少し加えて混ぜ、最後に塩で味を整える。
一度混ぜてから、もう一口。
魚介の旨味に、トマーテの酸味と甘みが加わっている。
そこにガルムの旨味も重なり、思っていた以上にいい味になった。
「うん」
ルナは満足そうに頷いた。
「できた!」
「もう食べていい?」
待っていたミアがすぐに聞く。
「いいよ。でも熱いから気をつけてね」
「分かってる」
ルナは出来上がったスープを器によそった。
赤みがかったスープの中には、白身魚や貝、海老がたっぷり入っている。
前世で知っていた魚介の煮込み料理とは少し違う。
それでも、思い描いていたものに近いスープができた。
「ローサさんも呼んでこようか」
「ああ。あいつも朝から気にしてたからな」
ダグの言葉に、ルナは笑う。
「じゃあ、みんなで食べよう」
湯気の立つ器を並べながら、ルナはどんな反応をしてくれるのか楽しみにしていた。
しばらくして、ローサも調理場にやってきた。
「いい匂いがするねえ」
「ちょうどできたところです。ローサさんも食べてみてください」
「もちろん。そのために来たんだから」
ローサが笑い、五人は出来上がったスープを囲んだ。
「いただきます」
ミアが待ちきれない様子でスープを口に運ぶ。
「美味しい!」
すぐに明るい声が上がった。
「昨日のトマーテだよね? そのまま食べた時と全然違う」
「煮ると酸味が少しやわらかくなるんだよ」
ルナも自分の分を一口飲む。
魚介の旨味が溶け込んだスープに、トマーテの酸味と甘みがよく合っている。ガルムも少量にしたことで、独特の香りはそれほど気にならず、旨味だけが加わっていた。
「うん。思ってたより上手くできたかも」
「思ってたよりって、十分美味いぞ」
レオはそう言って、魚を口に運ぶ。
ダグも何度か味を確かめるようにスープを飲んでから、感心したように頷いた。
「トマーテを魚と煮るなんて考えたこともなかったが、合うもんだな」
「本当だねえ」
ローサも赤みがかったスープを眺める。
「そのまま食べるものだと思ってたけど、こうして使うのも美味しいね。他の料理にも使えそうだねえ」
「はい。いろいろ使えると思います」
「へえ……。面白いもんだね」
ローサがもう一口食べる。
自分が作った料理を美味しそうに食べてもらえる。
それだけで、ルナは嬉しくなった。
そんな中、宿の入口から扉の開く音が聞こえた。
「ただいま」
「おかえり、ダニー」
ローサが振り返る。
食堂に入ってきたのは、日に焼けた二十歳前後の青年だった。
仕事帰りらしく、少し疲れた様子をしている。
「ちょうどいいところに帰ってきたね。あんたも食べるかい?」
「なんだ? いつものスープじゃないな」
「ルナが作ったんだよ」
ローサに名前を出され、ルナは軽く頭を下げた。
「初めまして。一昨日からお世話になってます」
「ああ、泊まってるっていう三人か。俺はダニー。よろしく」
「ルナです。こっちがミアとレオ」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
簡単に挨拶を交わす。
「食べてみる?」
ルナが尋ねると、ダニーは鍋を覗き込んだ。
「美味そうだな。もらっていいか?」
「もちろん」
ルナは新しい器にスープをよそう。
ダグがダニーの様子を見て眉を寄せた。
「何かあったのか?」
「ん?」
「帰ってきた時から難しい顔してるぞ」
「ああ……」
ダニーの表情が少し曇る。
「ニックの船が、しばらく漁に出られなくなった」
「またやられたのか?」
ダグの言葉に、ダニーが頷いた。
「今朝、網をかなりやられた。直すのに数日はかかりそうだ」
「困ったねえ……」
ローサも心配そうな顔になる。
話の分からないルナは、二人を見比べた。
「何かあったんですか?」
「最近、レッサークラーケンがこの辺りに出るようになってね」
ローサが教えてくれた。
「レッサークラーケン?」
聞き慣れない名前に、ルナは首を傾げる。
その隣で、レオが反応した。
「海にいる魔物だよな?」
「知ってるのか?」
ダニーが尋ねる。
「資料で見たことがあるだけだけどな。俺も実物は見たことない。海の魔物と戦ったこともないし」
「あたしは初めて聞いた」
ミアが首を傾げる。
「どんな魔物なの?」
「小さいやつでも、足まで入れたらこれくらいある」
ダニーが両手を大きく広げながら説明する。
「でかい頭みたいな体に、長い足が何本も生えてるんだ。そいつが網に絡みついて、魚を持っていったり網を破ったりする」
「最近は何匹か見かけるようになってな」
ダグが続ける。
「船そのものを沈められるほどじゃないが、漁師にとっちゃ厄介な魔物だ」
「ギルドにはもう依頼を出してるんだけどな」
ダニーがため息をつく。
「まだ誰も受けてくれてないらしい」
「そうなんだ……」
ルナは少し考える。
魔物のことは詳しくない。
けれど、今の話を聞いていると、なぜか前世で知っている生き物が頭に浮かんだ。
「その足って、内側に丸いものがたくさんついてたりする?」
「ああ、ついてるぞ」
「体は柔らかい?」
「柔らかいな」
やっぱり似ている。
大きさは分からないし、こちらでは魔物らしい。
それでも、聞けば聞くほど前世でよく知っていた生き物に思えてくる。
「……それって、タコじゃない?」
「タコ?」
聞き慣れない言葉に、全員の視線がルナに集まった。




